Plus Extra : 見上げれば太陽、月。そしてあなた。10
ラクウィル視点です。
奇妙、と言えば、奇妙な光景だった。
ボロボロのウィードは、明らかについ最近襲われたゆえのものであろうとわかるが、まるで聖王が現われるのを待っていたかのようだった。いや、その口ぶりから、ウィードは聖王を待っていたとしか思えない。
なぜ、とラクウィルは目を細め、そして警戒する。
「おまえ……まだ力を持っていたのか」
と、聖王がウィードに向かって言った。
「おれはヴェナートの守護者だ。ヴェナートが去ろうとも、その思念が消えない限り、おれは変わらない」
「……そうか」
聖王の表情は変わらず、またウィードも変わらない。だが、言いたいことがあるのに言いだせないその雰囲気に、ラクウィルは拳を震わせていた。
「猊下、サリヴァンを……っ」
「期を待て」
「ま……待てるものですか!」
「見えぬおまえになにができる」
ぐっと、言葉に詰まった。
やはり聖王は見えている。サリヴァンが、どこに、どうしているかが、見えている。
ラクウィルには見えない。
けれども。
「でも…っ…姫が」
ツェイルが。
サリヴァン恋しさに、壊れかけている。
「だからおれは言ったのだ。なぜここに、サリエを連れてきたのだと」
とたんにカッとなった。
「ウィード…っ…あんた、知ってたんですね。サリヴァンが『花舞い』で飛べることも、その力が国主の天恵によるものであることも、滅多に現われない存在への拒絶反応であることも!」
あまりの腹立ちに、自分でもどうすれば抑制できるのか、わからなくなった。
そんなラクウィルを前にしても、ウィードの表情は変わらない。
「当たり前だ」
そう、言ってのけて。
ますますラクウィルを苛立たせる。
「サリヴァンをなんだと思ってるんですか! あんたに……陛下に、なにしたって言うんですか! おとなしくしてたでしょう、なにもしなかったでしょう、生きる望みだって持ってなかったでしょう! 漸く得た自由を、解放を、なんで……なんでまた、奪われなくちゃいけないんですか……っ」
ウィードが嫌いだった。どうしても、嫌いだった。サリヴァンを虐げる男を、ただひたすらあるじとして慕うこの男が、嫌いでどうしようもなかった。
そんなラクウィルを、サリヴァンは、笑っていたけれども。
『ウィードにとって、陛下が、おれにとってのおまえみたいなものなんだよ』
そう、暢気に笑って、たまに現われるウィードに微笑みかけていたけれども。
「なんで……サリヴァンばっかり……っ」
ラクウィルのあるじはいつも損してばかりだ。産まれた瞬間から、解放されるまで、解放されてから、ツェイルに出逢うまで、出逢ってからの日々で漸く光りを得たと思ったら、己れに宿り続けた国主の天恵に縛られた。
サリヴァンが望んだのは、たった一つの、自由という光りなのに。
誰もサリヴァンに自由を見せようとしない。
そんなことが、許せるわけがない。
「サリヴァン……っ」
可愛い弟の、自由。
掴ませてあげたいと、想うのが兄だ。
「らく……」
いつのまにか、涙がこぼれたらしい。頬に伝った雫を、同じように泣いているツェイルに、拭われた。
ああ姫、姫、姫が、サリヴァンが唯一願った、望み。
「姫……っ」
あなたにサリヴァンを返す。弟の望みを、誰かに奪われてはならない。
「もう逃げられないよ、ウィード・ディバイン」
瞬間、どこからか現われたツァインがウィードの背後を取り、鞘に収めたままの剣で思うさま叩きつけた。
「よくも、僕らの網から、逃げてくれたね。どうやって殺してあげよう」
鞘から剣を抜き、転がったウィードの肩を踏みつけたツァインが、抜き身の剣をウィードの咽喉に突きつける。間を置かずにジークフリートがパッと現われ、同じようにウィードの効き腕を踏みつけ、抜き身の剣を突きつけた。
「先輩にこんなこと、したくねぇんだけど……しねぇとおれが殺されるから、悪いな」
そう言うや否や、ぞくぞくと騎士たちが向こうから現われ、ウィードと聖王、そしてラクウィルとツェイルを囲んだ。
「……物騒だな」
冷静に、なにごともなさそうにしながら、聖王がため息をつく。聖王が聖王であると知らない騎士たちは首を聖王の存在に首を傾げていたが、ツァインがにっこりと笑って「お久しぶりです、聖王猊下」と口にすると、全員がハッとして片膝をつき、そこは異様な場となった。
「呼びかけに応えてくださって、嬉しいですよ、猊下」
「……わたしを呼んだのはおまえか」
「ええ、もちろん。われらが主君をお返しいただきたく」
聖王が突然と現われたのは、なんらかの方法で連絡を入れたらしい、ツァインの仕業のようだ。
「ついでに、ウィード・ディバインの天恵も、消して欲しいのですが?」
「……それはわたしの力からこぼれ落ちた。どうにもできぬ」
「聖王ですのに?」
「わたしは万能の神ではない」
「残念……ですが、まあいいですよ。同じ天恵者が掴んでさえいれば、発動はできないと聞きましたからね。どうやら、それは本当のようですし」
抑えつけられたウィードは、やはり顔色一つ変えていなかったが、諦めた様子でツァインとジークフリートに捕まっている。
一連の光景を黙って見ていたラクウィルは、目まぐるしく動くそれらに軽く驚きはしたものの、おかげで涙は止まり、頭も冷え、ツェイルを抱え直すと前を見据えることができた。
「猊下、サリヴァンを返してください」
そう聖王に言うのは、筋違いだと思った。けれども、消えたサリヴァンを取り戻すことができるのは、聖王のほかにいないことも確かだった。
神々の長として、その天恵を与えられ永き生命に身を委ねた聖王は、世界の柱とも言える。聖国のあるじを、己れの眷属を、そしてなによりその手で育んだ息子を、聖王が失えるわけがないのだ。
「期を待て」
「期ってなんですか。待てませんよ。姫にサリヴァンを返してください」
詰め寄るために一歩を踏み出せば、抱えたツェイルのしがみついてくる腕の力も増す。
「易々とできるものなら、とうの昔に、わたしは動いている」
「簡単ではないのはわかります。『花舞い』は優しいものではありません」
「では理解しろ。わたしにもできぬことはある」
「あなたでなく、誰がサリヴァンを連れ戻せると言うんですか!」
「期を待てと言っているだけだ」
「待てないと言っているんです」
だから早く、と続ける前に、ラクウィルのその口を、ツェイルが両の手のひらで塞いできた。
「ひめ……?」
ふるふる、と首を左右に振ったツェイルの目は、赤い。それでも瞳からはゆるやかに濁りが消え、薄紫の双眸にはっきりとラクウィルを映した。
「養父上、さま……」
枯れた声で、ツェイルは聖王に話しかけ、そして懇願する。
「サリヴァンさまは、おられる、の……ですね」
「一時的に肉体という器を保てなくなっただけだ」
「待っていたら、帰ってきて、くださる?」
「期がくれば引き摺り戻す。そのためにわたしは……メルエイラの剣士に呼ばれたようだからな」
ちらりと、聖王はツァインを見やる。ツァインの双眸は、「できるのでしょう?」と問いかけていた。それに応えるかのように、聖王は小さく息をつき、足許の砂を軽く蹴ってなにかの丸い陣を浮かばせると、その中心から真っ白で長い杖を出した。
「ヴァリアス、大地のいとし子を還せ。わたしの息子だ」
こん、と杖の先が砂を叩き、聖王の双眸が空を仰ぐ。
ひらり、と。
白いルーフの花びらが、舞い降りてきた。