Plus Extra : 見上げれば太陽、月。そしてあなた。8
前半ツェイル視点、後半ツァイン視点です。
ウィードが言っていたのは、このことだったのだと、ツェイルは知った。
「サリヴァンさま、サリヴァンさま、サリヴァンさま!」
いくら天に腕を伸ばし、名を叫んでも、サリヴァンは帰ってこない。そのうち、戸惑っていたクラウスが宿に走り、ツェイルはツァインに抱えられた。
「いや! はなして、兄さま! サリヴァンさまが……っ」
「わかっている! 僕だって意味がわからない。なんで、こんなことに」
「サリヴァンさまぁ!」
「ツェイル! とにかく今は宿に戻るよ。ここで消えても……宿に戻っているかもしれない」
ツァインに引き摺られるようにして、宿に戻った。それでも、そこにサリヴァンの姿はなく、荷造りをしていたシュネイがきょとんとしていた。
「姉さま? ひとりで戻ってくるなんて……どうしたの?」
シュネイのその言い方から、あれからサリヴァンがここへ戻ってきてはいないのだと、ツェイルは知る。
「ツェイル、待ちなさい!」
ツァインの腕を振り切って海辺へと戻り、サリヴァンが消えた場所でツェイルは幾度もサリヴァンを呼んだ。咽喉が枯れるくらい、名を叫んだ。海辺で仕事をしている者や、散歩している者には奇妙な目で見られたが、そんなことにかまっていられなかった。
「サリヴァンさまぁ……!」
いくら呼んでも、サリヴァンは現われない。
どれだけ想いを込めても、呼び声に答えてくれない。
泣きながらサリヴァンを呼び、探し、それでも見つけられなくて、絶望の淵にツェイルは立たせられる。
「姫っ!」
「らく…っ…ラク、サリヴァンさま、がぁ」
その報告を聞いたのだろうラクウィルは、今までになく焦った様子でツェイルのところまで来ると、なにも言わずにまず抱きしめてくれた。
「ああ姫、だいじょうぶ、だいじょうぶですよ。ラクが来ましたから」
泣く声も枯れ果て、涙でぐちゃぐちゃになった顔を、だいじょうぶだと励ましてくれるラクウィルの胸に押しつけて、それこそ咽喉が切れるまでツェイルは泣いた。
サリヴァンがいない。
サリヴァンの声がない。
少し前までは当たり前だったのに、今はそれがつらくて寂しくて、悲しい。
「い、いな、く…っ…なった。はな、花舞い、が……っ」
「姫のせいではありません。だいじょうぶ、今のサリヴァンは姫がいてこそです。いなくなったりしません。ここに、姫がいるんですから」
「でも、呼ん、でいる…っ…のに」
「だいじょうぶ、だいじょうぶですよ、姫」
ラクウィルは優しかった。ラクウィルだって、気が動転するほど焦る事態であるはずなのに、ツェイルを優先して、そんな態度は微塵も見せなかった。
最愛の妹の姿に、兄は、俄かに信じられない気持ちと葛藤しながら、愕然とする。
サリヴァンがいなくなったと、最愛の妹が泣いた。それは今まで、一度として見せたことない混乱ぶりだ。しかも最愛の妹は、兄たるツァインの手を振り払い、サリヴァンの侍従長に心を開いて泣きついている。自分よりもサリヴァンの侍従長を選んだ、その現実に、愕然とさせられる。
「ツェイル……」
最愛の妹が、どれだけサリヴァンを好いているか、見ていればわかることだった。わかっていたから、当然のことだ。
けれども、どうしてこんなに自分が冷え切っているのか、ツァインには理解し難い。
そして同時に、なにかがぷっつりと、音を立てて切れた。
「いい度胸だよ……この僕に、挑戦状でも叩きつけているのかな」
握った拳が震える。胸が、ざわざわと薄気味悪く、揺さぶられる。
ばきっ、とどこかでなにかが壊れる音がした。だが、そんな音にかまってなどいられない。
「……シュネイ」
地から這い出るような低い声で、ツァインは末の妹を呼んだ。
「はい、アイン兄さま」
「二日、時間をあげる。ナイレンも貸してあげる。閣下に、ジークフリートを借りてきなさい」
冷ややかに伝えると、息を呑む気配がした。かまわずに、ツァインは続ける。
「行く前に、メルエイラの網を、起こせ。ウィード・ディバインを、捕まえるよ」
「……あの、ディバインを?」
「なにかを知りながら、あの騎士は口にしなかった。僕の調べからも、巧みに逃げ回ってくれた。まあ僕は自力で答えを見つけたけれど? それでも……僕に殺されたいんだろうね、あの騎士は」
にっこりと微笑めば、シュネイは顔を引き攣らせた。だが、そこはさすがにメルエイラ家の末妹だ。
「イル姉さまから笑みを奪う者に、生きる資格などないわ」
「……さすが、僕の、妹」
ツェイルのように、愛することはできなかった末妹だけれども。
「わたしは、イル姉さまには、笑ってもらいたいの」
ツェイル想う気持ちは、ツァインにも劣らない。
これだから弟妹たちはいとしい。
「行きなさい、シュネイ」
「一日よ。明日の昼には、カリステルさまをお届けするわ」
「それでこそメルエイラだ」
頷いたシュネイが、身を翻して走り去る姿を見送ってから、ツァインは再び視線を海辺へと戻す。すぐに背後から、違う声がツァインを呼んだ。
「兄上」
「……来ていたのか」
「殿下の容態を聞きましたので。ツェイルになにかあるやも、と」
「おまえはおとなしくしておいで。身重なんだから」
「まだ産まれませんわ」
「テューリ、足手まといだ」
「兄上!」
「おまえになにかあったら、ツェイルは泣く。おまえだけじゃない。僕やトゥーラ、シュネイになにかあっても、ツェイルは悲しむ。今はその身を大事にして、ツェイルの健康管理に気を配りなさい。ツェイルを狂わせたら……殺すよ?」
ちらりと目線で促せば、上の妹は唇を噛み、睨んできた。ツァインの言葉に怯まないその姿勢には、いつもながら感服する。
ふふ、とツァインは笑った。
「さあ、テューリ。おまえにはおまえの役割があるんだよ」
「……お任せくださいまし」
ふん、と不機嫌にツァインから顔を背けたテューリは、そのまま宿に向かって歩いて行く。
ツァインは笑みを深めると、ちらりと海辺の様子を窺ってから、自分も宿に向かった。
「クラウス、シュベルツ、ユグド隊長は来ているかな?」
「ここにいる」
「ああ、ごめんね、ユグド隊長。ナイレンがいないから、僕の補佐を頼みたいんだ」
「……隊長はおまえだ」
「うん。ということで、シュネイがメルエイラの網を起こしに行ったから、ユグド隊長には扱い方を教えておくよ」
「網、の……使い方?」
「きっと楽しいよ」
くすくすと笑いながら、けれどもさざめく胸中を複雑に思いながら、ツァインは増援で集まった騎士たちに指示を出した。




