Plus Extra : 見上げれば太陽、月。そしてあなた。6
サリヴァン視点です。
足の違和感が、消えなかった。歩くたび、不安定さが身体を揺らす。午前中歩くと、もう午後は歩けない。
それが二日も続くと、ツェイルが「帰りましょう」と言うようになった。ツェイルが言うから、ラクウィルやクラウスたちはなにも言わない。ツェイルの言葉でしか動かないことを、彼らはよくわかっている。
「きみに言われたとおり、調べてみたけれど」
「……ツァインか」
あとから合流したツァインは、二日前のウィードとのやり取りを近くで聞いていたらしい。ウィードの得体が知れないから、隠れていたそうだ。
「あの騎士がなにを言わんとしていたのか、それはなんとなくわかる。とにかく、きみがここにいることがまずいようだね」
「その理由は、ここが国土の果てであるから、のようだが」
「確かに、港は国土の果てだよ。それを警戒する必要があるのなら……まずは先帝を調べなければならなかったよ」
「先帝を?」
なぜ、とサリヴァンは背後を振り返る。
窓の外側から器用に侵入していたツァインは、開け放たれた窓の縁に、サリヴァンを背にして座っている。最上階であるこの部屋に、どうやって侵入を試みたのか、それはやはりツァインだからこそ為せる技だろう。
「ツェイルとナイレンは?」
ちらりと振り向いたツァインが、人気の有無を確認してくる。ツェイルとクラウスは、シュネイも共に、今は街に出ている。ラクウィルも護衛増援の手配をするため、ここにはいない。ひとりになりたいと言って、ナイレンには廊下に出てもらっていた。
「聞かせたくないのか」
「侍従長には聞いて欲しかったけれど……ツェイルには聞かせたくない」
「……いい、話せ」
先帝のことを調べなければならなかった、とツァインは言った。それなら、ラクウィルには聞かせても、ツェイルには聞かせたくない。その気遣いはありがたいことだ。
「きみは、帝位を預かるまで外には出たことがなかったから、知らなかっただろうけれど……先帝は一度も、国を出たことがないんだ」
「……なに?」
「正確には、帝位についてから、かな。弟だったイディアード殿下が亡くなられてからは、一度も国を出ていない」
「属国へ行くこともなかったと?」
「まあ聖国は、世界三大国の一つだし? ヴェルニカとトワイライから、なんらかの招待を受ければ国を出ただろうけれど、生憎と両国からのお声はなかった。それが幸いしたのか、そうでないのか、とにかく先帝が国を出るほどのことはなかったんだよ」
意外だな、と思いながら、サリヴァンはツァインの話を聞く。
「戦争も、内戦だけだったからね。国外に出る必要はなかった」
「……出られなかった、とでも言いたいのか?」
「よくわかったね」
サリヴァンは目を細め、意地悪げに笑んでいるツァインを見つめる。
「なぜ、と……おれは訊くが?」
「だいじょうぶ、答えられる。調べたから」
「なぜだ?」
「きみと同じだったからかもしれない」
瞬間的に、サリヴァンは瞠目し、息を呑んだ。
「おれと、同じ?」
「先帝は、国を出られなかった。それはきみのように、聖国に縛られていたから」
「だが、先帝に天恵は……」
「なかった、とされている。けれど、それだけ。真実を知る者はいない。ああいや、あの騎士は、その真実を知っているだろうけれど。そもそも、あの騎士には天恵があることだしね」
「ディバイン?」
「《天地の騎士》は、皇帝のそばに必ず存在する、古からの騎士」
「ウィードは、もともとはイデア叔父上の騎士だ」
「そう。あの騎士は、もともとはイディアード殿下のディバイン。先帝が、飼っていたというだけのこと。だからあの騎士は得体が知れない」
すっと、ツァインが目を細める。珍しくまともに思考を働かせているらしい。ということは、ツァインは嘘を言っているのではなく、また本当にラクウィルにも聞いて欲しかった内容なのだろう。
「先帝には天恵がなかったとされている。それなのに、そばにはウィードという、得体は知れないがディバインの力を持つ騎士はいた」
「……なにが言いたい」
「あの騎士は、本当に、先帝の《天地の騎士》なのかもしれない……としたら?」
「叔父上の騎士ではなく?」
「これは限りなく黒に近い可能性だと思うよ?」
「……だから、先帝はおれと同じだと?」
「あの騎士は知っているんだよ、殿下」
「なにを」
「国を出られない、ということの意味を」
真っ直ぐと見つめてくる薄紫色の双眸に、嘘や偽りはない。なにかを隠そうともしていない。
サリヴァンは息を詰めたのち、呼吸を思い出して深く息を吐き出した。
「おまえはもう、わかったのか」
「……調べたからね」
「そうか……」
ぐっと、拳を握った。少し力を入れただけなのに、使いものにならない右腕はすぐに悲鳴を上げる。やがて震え始めた手のひらを解き、そうなった理由を脳裏に思い浮かべる。
「……父上と、呼んでみたかった」
「殿下……」
「要らぬと言われても……父上と、そう、呼んでみたかったんだ」
「……うん」
「苦しんでいたんだな、あのひとも」
「どうだろう? 今の殿下ほど苦しんでいたかは、もうわからないよ」
「この天恵は……なんのためにあるんだろうな」
先帝に斬られた国主の天恵は、証たる刻印を真っ二つにされ、この手から制御が離れた。強大な力を前に、サリヴァンは器になった。だが器になることで、天恵を認めることで、護りたいものを護れるようになった。だから後悔はない。制御を離れても、国が存在する限り、サリヴァンは生きられる。そうすることで、ツェイルと生きられる。この道を選んだのは、サリヴァン自身だ。
「考えちゃ駄目だよ、殿下」
「……なぜ?」
「きみがいるから……僕らは生きている。民は生きている。きみが国を支えているから、僕らは笑っていられるんだから」
「否定はしていない」
「うん。だから、考えちゃ駄目だ。きみはただ、前を見ていればいい」
視線を正面に戻したツァインが、腕を水平に持ち上げ、指をさす。
「世界は広い。そして狭い。きみは、それを知りたいと思ったはずだ。僕のツェイルを奪ってまで、きみはそれを望んだ。そして得た。猊下が言っていたでしょう、自由とは、果たさなければならない義務との均衡で、生じるものだって。きみは選んだんだ。天恵という義務を背負うことで、自由を得ると」
「……そう、だな」
「だから、考えちゃいけない。否定したくないなら、ね」
ツァインの言うとおりだと、思った。
己れが持つ天恵のことを考えると、さまざまなことが脳裏に浮かぶ。良い面も、悪い面も、どちらも併せ持つ天恵を、微妙な気持ちで考えてしまう。そして悩む。堂々巡りであるのに、迷う自分がいる。それはいけないことだとわかるから、ツァインの言うとおり、考えてはいけない。
迷いを断ち切るように、サリヴァンは俯きかけていた顔を上げた。ツァインは水平に上げていた腕を戻し、こちらを見ていた。
「どうする?」
その問いは、帰るか、ということでもあった。
サリヴァンは苦笑した。
「どのみち、知られたのでは、おれはもう二度と、ラバンの港町へは来られない」
「ああもしかして、気づいたの?」
「うすうす、な……ウィードがあれだけ言っていたんだ。気づかないほうが、おかしい」
「でもきみは、はぐらかしたよね?」
「ウィードが言っていたときは、本当にわからなかったんだ。それに、ウィードが先帝のディバインだということは知っていたが、叔父上のディバインでもあった騎士だ。本当に先帝のディバインだったとは、思っていなかった」
「あの騎士は、侍従長のように多数の天恵を所持しているくせに、先帝の命令がなければ姿も見せない、変わり者だった。しかも人前で天恵を見せなかったというから、ディバインだと言われても信じなかった者が多い。まあ、僕もそのひとりだったけれどね」
本当に得体が知れない。肩を竦めたツァインは唇を歪め、やっぱり警戒はしたほうがいいよ、と言ってくる。
「今回は助けられていると思うぞ」
「それが気に喰わない。それで、どうするの?」
選択肢はほとんどないだろうに、と思いながらも、サリヴァンは口を開く。
「もう少しだけ、ここにいる」
「反対。あの騎士には関わりたくない」
「もうここには来られないんだ。これくらいは許せ」
「ならあと二日だけ。増援が来たら、さっさと帰るよ」
「二日か……まあいい。海は見られた」
「ほかに行きたいところ、考えておくといいよ。予定よりだいぶ早い帰りだからね」
「皇都より大きな街は?」
「土地面積で言うならあるけど」
「どこだ?」
場所を問うと、ツァインは親指で後ろを示した。
「いっぱい」
思わず噴き出して笑った。
「それなら、ツェイとたくさん、旅行ができる」
「僕も行くよ」
「邪魔するな。と、言いたいところだが、騎士隊長には同行を求めるしかあるまい」
「僕は強いからね」
ニッと笑ったツァインに、仕方ない、とサリヴァンは肩を竦めた。