Plus Extra : 見上げれば太陽、月。そしてあなた。5
ツェイル視点です。
警戒の必要はない、知り合いだ。
サリヴァンがそう言うので、クラウスはとりあえず剣を抜かない方針を取ったようだが、宿の部屋に入るなり扉を隔てた向こうでもうひとりの護衛、ナイレンが剣を構えた状態で待機している。クラウスも、方針とは別に、いつでも剣が抜けるようにはしていた。念のため、シュネイにはナイレンと一緒にいてもらっている。
部屋にはサリヴァンとツェイル、ラクウィル、クラウス、そしてウィードという不審な騎士が、座ることも忘れて揃った。
「おまえたちの護衛には警戒されたか……いいことだ」
「煽るようなことを自分で言うか」
「煽らせている」
「クラウス、そんなに警戒しなくていい。この人は無害だ。ああ、いや、完全に無害というわけでもないが……」
「黙って警戒させておけ」
ウィードは、立つ場所を窓際に決めたのか、縁に座ると組んだ足に腕を乗せ、じっとこちら側を見つめてくる。その顔に表情というものはなく、また感情と呼べるものも感じられない。
「ラクウィル、おれの問いに答えろ」
「は? おれですか? なんのことですか」
「ここがどういうところか、おまえにはわからないのか。おれはそう訊いた」
さも、これが本題だ、とばかりにウィードは口を開く。
「答えは?」
「……ここがどういうところ、と言われても……ラバンの港町ですが?」
「だから、どういうところだ」
「あのですね、はっきり言ってください。おれだって、ここに来るのは初めてなんですから」
「噂もなにも、調べることも、なかったというのか」
「下調べはしましたよ。サリヴァンが滞在するところなんですから」
「ではなぜ、おまえはここにサリエを連れてきた」
ウィードの言い方は、まるで、サリヴァンをラバンの港町に連れてきてはいけないような、ここだけは避けるべきであったというような、そんな回りくどいことを言わんとしているような気がする。
「ウィード、さま」
ツェイルは、そろりとウィードに話しかけた。
「さま、など要らない。おれはただのウィードだ」
「ああツェイ、ウィードのことは、ただそう呼べ。それが本名かどうかはわからないが、ウィードは、ウィードとしか呼ばれない」
ウィードに続いてサリヴァンに補足されたが、意味がわからくてツェイルは首を傾げる。
「なに者であるかも、わからないと?」
だから、完全に害がないとは言えない、のだろうか。
「おれはウィードと、呼ばれた。だからウィードだ」
「……名前が、そうであると、それだけですが」
「ディバイン」
「え?」
「《天地の騎士》の、天恵授受者」
「……あなたが?」
そういえば、さきほどウィードは、音もなく気配もなく姿を消し、そして現われた。ツェイルの間合いに容易く入るそれは、兄か、ラクウィルくらいしかできないと思っていたが、ウィードがラクウィルと同じ天恵を持っているなら、それは可能だ。
「おれはヴェナートの騎士、ウィード・ディバイン。ヴェナートがおれをウィードと呼んだ。だからおれは、ウィードと呼ばれている」
ハッとする。ヴェナート、とは、先帝のことだ。サリヴァンを虐げ、幽閉した父親だ。
ツェイルはさっとサリヴァンの前に立つと、剣の柄を握る。
ウィードは敵かもしれない。
「ツェイ?」
「なぜ、なぜ先帝の《天地の騎士》が、ここに……っ」
「だいじょうぶだ、ツェイ。ウィードは特に害にはならない」
「でも!」
「先帝は崩御した。今のウィードは、ただのウィードなんだ」
振り返ればサリヴァンが、だいじょうぶだと、苦笑している。
「いい反応だ。それくらいは警戒してもらわなければ、おれがわざわざ姿を見せた意味がなくなる」
「ウィード、煽るな」
「言っておくがサリエ、おれはおまえの味方というわけではない」
「それはわかっている。だが、今この場に現われたのは、おれのことでなにか言うためだろう」
ツェイルは敵愾心を剥き出しにしてウィードとの距離を取るが、どうやらサリヴァンはそれをして欲しくないらしい。煽るのはウィードだが、もしかしたらそれは、ウィードにではないほかのなにかに警戒してもらうためかもしれない。
ツェイルは自分を落ち着かせるようにゆっくり深呼吸すると、剣の柄から手を放した。
「……ウィード」
敬称は要らないと言うから、ならその態度を取る必要もないだろうと、ツェイルはウィードを見つめる。
とにもかくにも、ウィードがここにいるのは、サリヴァンが自身で言ったように、サリヴァンになにかあるからだ。それはツェイルやラクウィルが知らなければならないことで、おそらくは警戒しなければならないものだろう。まずは、心情はどうあれ、ウィードの話を聞くべきである。
「あなたが、ここにいるのは、なぜ?」
問いかけると、ウィードは漸く聞く気になったかと言わんばかりに、やんわりと顔を傾げさせて朝焼けの双眸にツェイルたちを写した。
「ラバンの港町は、外海にもっとも出ている。いわば外海に面した聖国の果て」
「……果て?」
「ここから出る船は、ディアル・アナクラム国へ向かう」
意味がわかるか、とウィードは片眉を上げる。
「異国へ、ここからが最も近い場所と言える」
そう聞いて、初めはまったく意味がわからなかった。いや、言いたいことがわかっても、それでも忠告としての意味は理解できなかった。
「国土の果てがここにある……そう言いたいのか、ウィード?」
サリヴァンが、首を傾げながらそれを確認する。ウィードは「そうだ」と頷き、「わからないのか?」と訊いてきた。
「なにをわかれと?」
「……そう訊く時点で、必要とされるべきことを理解していないと判断する。まあ、それならそれでいい。経験が必要だということだろう」
ふっと息をついたウィードが、閉めていた窓をゆっくりと開けた。
「ウィード? 経験とは、なんのことだ?」
「わかっていておまえがここに来たのなら、愚かなことだ。だが、ただ知らぬなら経験がないというだけのこと。ならば一度、経験させる必要があるだろう」
ウィードは双眸を細めながら、開け放した窓を背にして立つ。逆光でその姿が見えにくくなったが、そう思っているうちにふっと、ウィードの姿が消えた。
「な……ウィード! 中途半端にもほどがありますよ!」
ラクウィルが慌てて窓に駆け寄ったが、ウィードは天恵を使ったのだろう、その姿はもはやどこにもない。開け放たれた窓の向こうを見渡しても、気配を掴めるものではない。
きょとん、と呆気に取られている間に、ウィードはどこかに行ってしまった。
「……な? ウィードは害がない」
「は……ですが、サリヴァンさま、よくわからないことをあの方は」
「それがウィードだ」
苦笑したサリヴァンが、どっかりと長椅子に腰かける。手を取られて引っ張られると、ツェイルもその隣に腰かけた。
「サリヴァンさま、お話が」
「ウィードは、あれで中途半端だとは思っていない。知らなければならないことがあるなら、まずは自身で経験しろということだ」
なにを経験させたいのかはわからないが、とサリヴァンが言うと、ラクウィルが不満そうな顔をしながら窓から離れてくる。
「なんでそう平然とウィードを受け入れるんでしょうね、サリヴァンは」
「べつに警戒する必要はないだろう」
「ウィードはおれと同じ天恵を持っているんですよ?」
「おれを殺そうとしているなら、あんなことは言わない」
「不吉なこと言わないでください」
「ほら、だからウィードは害がない」
「……、サリヴァン」
恐怖もなにも、ウィードから感じられるものはないと、サリヴァンは笑う。害がない、というのは、サリヴァンにとって「危険がない」という意味ではないのかもしれない。多少は危惧すべきなのだろうが、だからといってそういった行動を取られたことがないから、害がないのかもしれない。警戒するだけ無駄だと言いたいのだろう。
「落ち着いて、おられますね」
ツェイルはサリヴァンの横顔を見つめながら言った。
「落ち着いているというか……おれはウィードに剣を向けられたこともなければ、殺意を向けられたこともないからな」
「え……?」
思わず、瞠目してしまう。
そういえばウィードは、警戒はさせたけれども、だからといって殺意のようなものを向けてくることはなかった。サリヴァンに、なにかしようとはしていなかった。煽るだけ煽った警戒心に、むしろ満足そうにしていた。
「あ……害がない?」
「姫、サリヴァンに乗せられないでください」
「けれど……」
「警戒に足る人物であることは確かですよ」
ラクウィルに窘められた。その通りなのだが、なにかが違う。
「ラク、ツェイを混乱させるな。というか、おれの言葉を信じろ」
「こればかりは信じられません。ちょっと護衛の数を増やしましょうか」
「ラク」
「ちょっとそこにいてください。副隊長と相談してきます。クラウスさん、行きますよ」
「こら、ラク!」
こればかりはサリヴァンを信じない、とラクウィルはさっさとクラウスを連れ、部屋を出て行く。引き留めることもできなかったサリヴァンは、やはり苦笑していた。
「……サリヴァンさま」
「ん?」
「あのお方……ウィードは、ディバインだと」
「ああ。先帝の《天地の騎士》だ。そうだな……もしかしたらラクは知らないのかもしれない」
「なにをご存知ないと?」
「どうこう思ったことはないが、母上のことを教えてくれたのは、ウィードだ」
ハッとする。サリヴァンの口から、初めて「母」という言葉を聞いた。
「といっても、産まれたときの様子だとか、死ぬ間際のこととか、それくらいだがな」
「……皇妃さま、の」
「ん? ああ、もしかしておれは、ツェイにも話していなかったか?」
「はい……」
もっと言えば、ツェイルはサリヴァンの口から、先帝のこともその皇妃のことも、ほとんど聞いていない。
「ウィードが言うには、おまえがおまえの道を歩むように、あれもあれの道を歩んでいる。なにも思わぬなら、そのままでいろ。それがあれにとって、救いになる」
「……ウィードが?」
「ああ。母上、と呼んでやることはできなかったが、それを望んだのは母らしい。母は、先帝と歩むことを選んだ。悔やむことはなかったと聞く」
幸せだったのだろうか。そう思ったツェイルを裏付けるかのように、サリヴァンが少し遠い目をして、窓の向こうに視線を向けた。
「おれが選んだ道があるように、母にもそういう道があった。悔やむことがなかったのなら、それでいい。幸いにも、先帝は側妃が多くいたが、帰る場所は母のところだけだったというから、まあ……母には幸せなことだったのかもしれない」
「……本当に?」
「仮定の話をするが、もしおれに側妃がいたとしても、おれにはツェイがいればいい。だから、今は幸福だ。こうしてツェイが、おれの隣にいる」
視線をツェイルに戻したサリヴァンが、見惚れるほど美しく、にこりと微笑む。滲み出ている嬉しいという感情が、駄々洩れだ。サリヴァンのその顔を見られる自分が、なんだか誇らしく思う。
もしかしたら先帝の皇妃も、今のツェイルと同じだったのかもしれない。いとしい人の、いとしい笑顔を、見ていられることができたのだから。
ウィードがそれをサリヴァンに伝えたのなら、ウィードはきっと、サリヴァンを大切に思ってくれている人だろう。そう、思えた。




