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仮初めの皇帝、偽りの騎士。  作者: 津森太壱。
【PLUS EXTRA.Ⅰ】
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Plus Extra : 見上げれば太陽、月。そしてあなた。4

ツェイル視点です。





 目の前に広がる、一面の青。風が吹くと波が立ち、あちらへこちらへと揺れ動く。嗅ぎ慣れなかったその香りも、視界を覆う景色に圧倒されているうちに身に馴染んだ。

 最初に感じたのは、恐怖だ。

 深い蒼に吸い込まれ、どこまでも落ちて行きそうで。

 光りが見えない闇の中で、光りへのいとしさが込み上げた。


「……サリヴァンさまが、おっしゃるとおり……」

「うん?」

「人は光りを、求めるのですね……」

「……歩む道を明るく照らされるということは、救いにも近しい。だから人は、闇を恐れて光りへと手を伸ばす。だが闇がなければ、光りは生まれない」


 相も変わらず、サリヴァンは闇へのいとしさも忘れない。


「怖いか、ツェイ?」

「……少しだけ。けれど……サリヴァンさまが、います」


 闇を怖いと思ったことはない。光りを怖いと思ったことはない。

 闇へのいとしさを感じないことはない。光りへのいとしさを感じないことはない。

 闇を愛で、光りを愛で、どちらかに埋もれることなく大地に立つ。


 ツェイルのいとしい人は今日も器用だ。


「……大きいな、海は」

「はい。とても大きくて、広くて、自分がどれだけ小さな人間であるか、わかる気がします」

「ああ。世界は……広いな」


 サリヴァンの双眸が、遠く、どこまでも広がる海原へと注がれる。その瞳に見えた僅かな羨望に、ツェイルは拳を握った。


「行きたい、ですか?」


 問うと、少しだけ驚いたような顔をしながら、サリヴァンは振り向いた。


「そう見えるか?」

「はい」


 素直に頷けば、サリヴァンは少しだけ考え込むように腕を組む。


「……ふむ。行きたい、のか。この大陸を離れたのは、今までで二度ほどだけだからな」

「二度?」

「ヴェルニカ帝国と、トワイライ帝国だ。一度ずつ、訪問はしている。どちらも兄上の代わりに足を踏み入れた地だったから、ゆっくりなどしていられなかった。とくにトワイライ帝国では、内戦が勃発したときだったからな。成り行きで巻き込まれた」


 その話には吃驚だった。珍しくその感情が顔に出ていたのか、サリヴァンが苦笑して手を述べてくる。いつもの少しひんやりとした手のひらが、擽るように頬を撫でてきた。


「そんなに驚くことか?」

「……内戦に、巻き込まれたと」

「成り行きだ、成り行き。聖国の武器が異国に流れていたから、皇帝として関わらずにはいられない事態になったんだ」

「……わたしと出逢った頃、問題になっていた、あの?」

「ああ。今はもう解決しただろう? トワイライの内戦は、聖国の武器が問題で起こったものではない。あれは……多くの期待に押し潰されたとある国の後継者が、己れの力を過信して起こした戦争だった。上手く回避できれば、聖国の武器が使用されることはなかっただろうな」


 今もなお警戒しなければならないことだ、とサリヴァンは言う。武器の密輸、密造は、技術を誇るこの国だからこそ一番に警戒しなければならないことだ。帝位を返上してもなお、サリヴァンはそれを危惧している。


「世界の平和を、わたしは、祈ることしかできません」

「おれもそうだ。いつか……いつか、この世界が、争いのない平和を手に入れられたらと思うが……人の心とはそれほど強くない。おれも、強いわけではないからな」


 再び海原を見やるサリヴァンの横顔に、とくりと、胸が高鳴る。強くないと言いながら、そこには確かな強さがあって、けれども確かな弱さもあって、ツェイルをひどく揺さぶってくる。


 わたしはこの人を、護り続けることができるだろうか。


「……サリヴァンさま」

「ん?」

「宿へ、戻りましょう。風が冷たくなってきました」

「……そうだな」

「眩暈は?」

「やっぱりそれか。あまり気にして欲しくないが……素直に言っておく。まだ足許が危うい」


 肩を竦めて笑うサリヴァンに手を伸ばし、ツェイルの身体では支えにならないが、足許が危ういというサリヴァンが転ばないようにすることはできる。


「砂に足を取られないように、気をつけてください」

「ツェイこそ」

「わたしはだいじょうぶです。サリヴァンさまのほうが……っ、うきゃ!」

「おっと。ほらな? ツェイこそ気をつけないと」

「う……はい」


 転びそうになったところを、サリヴァンに助けられてしまう。支えているのはツェイルのほうなのに、逆に支えられて砂浜を歩くことになってしまった。


「ツェイ」

「はい?」

「来てよかったか?」


 問いに、ツェイルは目を細める。

 サリヴァンに無理をさせているのに、ツェイルは来てよかったと思っている。サリヴァンのさまざまな姿を見られるのが、嬉しくてならない。サリヴァンも同じ気持ちだろうか。ツェイルのさまざまな姿を、見たいと思ってくれているだろうか。


「サリヴァンさまは、いかがですか?」

「聞くまでもない。おれは、来てよかった。おまえの喜ぶ姿を、間近で見ることができた。もっと喜ばせたい」

「……わたしも、サリヴァンさまに喜んでもらいたい。楽しんで、もらいたいです」

「なら、もうおれの心配はするな。楽しくて、体調なんて気にしていられない」

「ですが……」

「倒れたらツェイが看病してくれるだろう?」

「もちろんです」

「だから、それも楽しみの一つだ」


 困った人だ。ツェイルがなにをしても、それが楽しくてならないらしい。

 仕方のない人だ。


「今日は、もう休んでください」

「それは勿体ない」

「サリヴァンさま」

「美味い料理を、ツェイと食さねば」

「……もう」

「可愛いな、ツェイ」


 強情なサリヴァンにため息をつきたかったが、その前にやんわりと唇を塞がれて、驚く間もなく抱きしめられる。


「明日も海を見よう、ツェイ。海は、一日一日、姿を変えるそうだ」


 はは、と笑ったサリヴァンに、子どものように抱え上げられた。慌てたが、思ったよりサリヴァンの足取りはよく、くるくると回されたあとは素直に地に足を戻してもらえ、ふたり並んで宿に向かった。


 手配した宿は、海が見える場所にある。滞在中はずっと、この海をサリヴァンとふたりで眺めることができる。

 いろいろと気になることはあるけれども、ただのんびりとできる今を楽しめたら、それでいいのかもしれない。サリヴァンの具合がよくなったら、港町を観光しよう。


「ツェイ、おいで」


 サリヴァンのこの微笑みが続く限り、わたしは幸せだ。

 つくづくそう思いながら、ツェイはサリヴァンの手を握り、その横顔を見上げながら歩いた。


 そして。


「忘れてやいやしないか、サリエ」


 あと数歩で宿に入る、というところまで来て、足が止まる。サリヴァンを、「サリエ」と呼ぶ者がいたからだ。


「殿下、お下がりください!」


 空気のように存在を消し、いない者となってくれていた護衛の騎士クラウスが、慌ててサリヴァンとツェイルの前に立ち、サリヴァンを呼んだ者との間に距離を作らせた。


「おまえのディバインは、なにを思って、この町におまえを連れてきたのだろうな」

「貴様、なに者だっ」


 警戒するクラウスを前に、その者は容易くサリヴァンを呼び、目深に被っていた外套の頭巾を取り去る。その顔に、ツェイルは見憶えがない。だがサリヴァンには、見憶えがあるようだった。


「……こんなところでなにをしている」


 クラウスは警戒したが、サリヴァンはその欠片もなく、きょとんとした。サリヴァンの様子には、クラウスだけでなくツェイルも呆気に取られた。


「サリヴァンさま、お知り合いですか?」

「知り合いというか……昔から知った顔ではあるな。ただ、最近は見なかったから、てっきり国を離れたものと思っていた」


 久しぶりだな、と、サリヴァンが声をかける。その気安さに、その者はため息をついた。


「警戒くらいしろ」

「充分に、クラウスが警戒している。ここでおれが冷静さを欠いた場合、その道は自滅だからな」

「……相変わらず淡々としているな」


 呆れたように歪んだ双眸は、朝焼けの色。濃い金の髪は、それだけで貴族であろうことを窺わせ、身形は騎士。見かけから、それなりに歳を重ねているように見えるが、実年齢がよくわからない顔つきだ。

 いったい誰だろう。

 そう思ったとき、目の前にはクラウスがいたはずなのに、その者が立っていた。


「……これがおまえを決断させた者か」


 気配なく、音もなく、瞬時に移動された。それは剣士たるツェイルにも感知できないほどの速さだ。そんなことができるのは、兄か、ラクウィルくらいだと思っていた。


「おい、ツェイを驚かせるな。初対面だ」

「おれは知っている。かの有名なメルエイラの、白紫の片われだろう?」


 瞬間的に、ツェイルは腰に下げている剣の柄を握った。だが、抜こうとしたそれを、その者に阻止されてしまう。異様な早さに、心臓が跳ね上がった。


「そう急くな。いつか、おまえの相手はしてやる。だが今は、そのときではない」


 敵か、味方か、区別がつかなかった。サリヴァンの知り合いなのだろうが、ツェイルの間合いに容易く現われ、かつ、剣を阻まれたのだ。ぞわぞわと、いやなものが背筋を走る。


 そのとき。


「ウィード!」


 宿からラクウィルが、珍しくも慌てた様子で出てきて、その者の名を呼んだ。


「サリヴァンと姫になんの用ですか!」

「……大きな声を出すな。お忍びではないのか、帝弟一行?」


 ウィード、と呼ばれたその者は、ラクウィルにとっても知り合いであるらしい。

 腕を組んでため息をついたウィードは、声を静めろと言うなり姿を、文字通り消した。そして瞬きの間に、ラクウィルの眼の前へと、移動していた。


「今すぐ帰れ。ここがどういうところか、おまえはわからないのか」

「往来でよくもまあぽんぽんと……そう言うなら気を遣ってくださいよ」

「だからこうして、わざわざ姿を見せてやったのだろうが」


 ラクウィルを威圧したウィードは、移動したその場所からちらりとこちらに振り向き、クラウスをも動かした。


「人目を惹いているぞ」


 ハッとする。異様な空気に包まれてしまったこの場を、往来の人々が気にし始めていた。

 クラウスが人々の視界からサリヴァンとツェイルを護るように背後に回り、背中を押されて漸く、ツェイルはサリヴァンと一緒に再び宿へと足を向けた。







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