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仮初めの皇帝、偽りの騎士。  作者: 津森太壱。
【PLUS EXTRA.Ⅰ】
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Plus Extra : 見上げれば太陽、月。そしてあなた。3

ツェイル視点です。





 その兆候は少しずつあったと思う。初日は旅行に浮かれて気づくこともなかったが、二日めを迎えてからどこということなく違和感を覚え、そして三日めにはゆるりとした異常を伝えてきた。

 行程が遅れた四日め、その異常は明らかとなった。


「サリヴァンさま、だいじょうぶですか?」

「ん? なんのことだ?」


 サリヴァンには体力がない。それは鍛えていないからというとりも、鍛えてもその分を国土の繁栄に費やしているからのように、ツェイルには感じられていた。だから、たまに天候が荒れて国土が疲弊していると、サリヴァンの顔色が悪くなっていることはよくあった。そういう日は具合が悪そうにしていることも、ツェイルは知っている。ただ、そのことにサリヴァンは気づかない。自分で、自分の不調に気づけないのだ。だからツェイルやラクウィルは、さり気なくサリヴァンを休ませ、ときには強制的に眠ってもらったりしていた。

 旅行が決まって出立してから四日、天候は荒れていない。国土が疲弊している様子はない。むしろツェイルたちの旅行を祝福するかのように、空はとても晴れやかだ。

 それなのに、サリヴァンの顔色が、徐々に悪くなっていく。あと数刻で目的地に着くだろうという頃には、その異常ははっきりと目に見えた。


「吐き気や、眩暈を感じませんか?」

「んん? おれはそこまで弱くないぞ?」


 馬車での長旅は不慣れだが、そこまでひどくはならないと、サリヴァンは笑う。どうしようかとツェイルは迷ったが、ちょうど村が見えたので、休憩してもらうついでにそこでラクウィルと相談することにした。


「姫、話しとは?」


 サリヴァンが馬車を降りて深呼吸している姿を見ながら、ツェイルはそっと、近くにラクウィルを呼んだ。


「サリヴァンさまが」

「ああ……姫もさすがに気づきますか」


 やはりラクウィルも、それには気づいていたらしい。会話が聞こえたのか、護衛に混じった騎士隊のクラウスもそばに寄ってきて、サリヴァンのあれはなんだと言ってくる。


「ひどい顔色ですよ。今朝はそうでもなかったのに」

「わからない……どこかで、国土が疲弊しているのかもしれないけれど」

「直結……ですか、殿下の天恵は」


 サリヴァンの天恵は、国主の天恵。ヴァリアス帝国の礎であるものだ。本来ならその天恵はそれほど重いものではなく、むしろ証となっている刻印があれば国内の異常を感知して癒す働きが出るのだが、サリヴァンの場合は所持した刻印に傷がある。そのせいで、国主の天恵の制御はサリヴァンの手を離れ、ただその力の器となっている。

 それゆえに、国土の異常は、サリヴァンの不調と直結するところがある。


「それはないかと……おれ、下調べはばっちりしたんですよ。占術でこの一月の天候も調べました。荒れることはないそうです」

「相変わらず手際がいいですね、侍従長。ということは……」

「ええ、国内が荒れていることもない。つまり、この先はともかく、今は国土が疲弊していません。サリヴァンに異常が出るのは、おかしいです」


 ラクウィルにとっても、ツェイルと同じように、サリヴァンの顔色が悪い今の状態は怪訝なことだった。


「いったいサリヴァンさまに、なにが……」

「とりあえず今は休ませましょう。予定をさらに遅らせることになりますが、ラバンの港町に入るのは明日にして、今日はここの宿を手配しましょうか。明日の行程も、遅れることを前提にして、ゆっくり行きましょう」

「でも、それが手遅れに……」

「姫、悪いことを考えちゃいけません。おれもちょっと考えてしまいましたけど」

「なら、戻ろう。帰って、サリヴァンさまを休ませないと」

「そうするにしても、今は休ませなければなりません。そうでしょう、姫?」


 これから帰るにしても、サリヴァンの今の顔色はひどく、本人はまったく気づいていないが足取りも危うい。確かに今は休ませることを重点にしなければならなないだろう。


「……わかった」

「では、おれはサリヴァンに説明してきます。納得しないようなら気絶させますから、いいですね?」

「うん」

「クラウスさんは宿の手配を頼みます。先行している副隊長への連絡も忘れずに」


 了解、とクラウスはすぐに頷き、村の中へと走っていく。ツェイルは不安を感じながらも、サリヴァンに説明しに動いたラクウィルを見送った。


「イル姉さま」

「……ネイ」

「殿下、どうかされたの?」

「わからない。ただ、すごく顔色が悪くて……もしかしたら、帰ることになるかもしれない」

「やっぱりお具合が……わたしも訊いたのだけれど、だいじょうぶの一点張りだったの。もしかして自覚がないのかしら?」

「いつも、そうだ。サリヴァンさまは、自身の不調に気づけない」

「……心配ね」

「うん」


 シュネイと並んで、ツェイルはサリヴァンを見つめる。ラクウィルがなんと説明しているのか、ここからは聞こえないが、だいじょうぶだとそれらしきことを言っているようであるから、やはりサリヴァンは自身の不調に気づいていない。しばらくラクウィルと問答し、やり取りしていたが、肩を落としたラクウィルが諦めた様子で、サリヴァンを気絶させる方法を取った。


「ラクさま、それは乱暴だわ」

「仕方ないですよ。言うこと聞かないんですもん」


 手刀でサリヴァンを気絶させ、担いだラクウィルは、そのままサリヴァンを馬車に乗せてしまう。ツェイルも慌てて馬車に乗り込み、意識を手放したサリヴァンを膝に抱いた。


「サリヴァンさま……」


 悪いとは思っていたが、もう顔に色がない。意識を手放していると、それはひどく際立った。呼吸も、いつもより浅い。


「ああ、クラウスさんが戻ってきましたね。姫、移動しますよ」

「うん、お願い」


 ことさらサリヴァンを深く抱きしめて、馬車の揺れでサリヴァンが起きないよう支えながら、クラウスが急きょ手配してくれた宿へと移動する。急なことだったが、事情を説明したら大部屋を安く借りることができたらしく、おまけに医師も紹介してもらえた。その医師は、サリヴァンがひどく疲れているという診断をし、とにかく休ませるようにと、滋養の薬を処方して寄越した。


「疲れている……本当に、それだけ?」


 医師の診断に疑問は残るものの、原因と思しき事柄は、今ツェイルたちに思い浮かべられない。

 とにかく今はサリヴァンを休ませ、目を覚ましたときにする言い訳を考えておくほかないだろう。その言い訳も考え終えると、クラウスは村の偵察に出かけ、ラクウィルとシュネイは食事の手配に動いた。

 ツェイルは、寝台で眠るサリヴァンの隣に寝転がると、その身を寄せてサリヴァンのゆっくりと動く鼓動に耳を傾けた。


「ん……」

「サリヴァンさま?」


 目覚めるにはまだ早いはずだが、と思いながら身を起こせば、サリヴァンが目を擦りながら動こうとしていた。


「ツェイ? ここは……」

「村にある、宿です。サリヴァンさま、お具合はいかがですか?」


 身体を起こそうとしていたので、ツェイルはそれを支えながら少々ぼんやり気味のサリヴァンの顔を覗く。

 擦って少しだけ赤くなった目が、据わっていた。


「……ラクの仕業か」

「え……」

「おれを気絶させただろう」


 倒れたことにしようと話をしていたのに、あっさり見破られている。いつもなら誤魔化されてくれるのに、いったいこれはどうしたことか、ツェイルは俄かに慌てた。


「あ、あの……っ」

「そんなにおれは顔色が悪いのか?」


 寝台にふたり並んで腰かけると、サリヴァンは困ったように顔を歪めた。


「おまえたちに強硬手段を取らせるほど、おれは体調が悪そうに見えたのか?」


 サリヴァンは自分で自身の不調に気づけない。だから周りが、それとなく誘導して休ませるようにしていた。

 だが今回は、自分でもなにか感じるところがあるのか、思うところがあるのか、それともこちらの不安に気づいたのか。

 わかっているのなら、黙っていても意味はない。今さら誤魔化しても、それは無意味だ。


「……ずっと、お顔の色が、優れないのです。足取りも、危うくて……だから」

「ふむ」

「休んでいただきたかっただけです」

「ツェイ」

「はい」

「実を言えば、妙な違和感を覚えている」

「……違和感?」

「自分でも足許が危うい感じはしていた」


 つと、サリヴァンは視線を下げ、足をつけている床を見やった。つられるようにしてツェイルもサリヴァンの足許を見て、首を傾げる。


「気づいておられたのですか?」

「ああ。足許が軟くてな」

「軟い?」

「それが気持ち悪くて酔った」


 そういえば、とツェイルは邸を出てからの行程を思い出す。サリヴァンは、顔色が悪くなり始めた頃から、たまに足許を見ては眉をひそめ、首を傾げていた。あれは、地が軟らかい感覚がしたから、気になっての行動だったのだろう。


「どうして、教えてくださらなかったのですか」

「もともと軟らかいのかと思っていた」


 さすがはサリヴァンだ、と思った。違和感が気になっただろうに、それ以上はとくに思うことがなかったのだろう。


「さっき、ラクに気絶させられたとき、漸く違うことに気づいた」

「……今も、足許が不安定ですか?」

「この床は軟らかいのか?」


 その問いに、どうやらまだその違和感は続いているらしいと、ツェイルは唇を噛む。

 サリヴァンにいったいなにが起こっているのだろう。


「ほかになにか、気づいたことはありますか?」

「いや、今のところおれには、それしか感じられない……なんだろうな、これ」


 とんとん、と足先や踵で床を蹴ったサリヴァンが、暢気に首を傾げる。


「足許がそうなら……眩暈を感じることが、あるのでは?」

「酔ったからな、最初に」

「眩暈を感じていたからです」


 もしかすると、医師の診断は間違っていないのかもしれない。足許が不安定で、それでずっと眩暈を感じていたなら、相当な疲れがサリヴァンの身体に溜まっていたことだろう。その疲労は、きっと今も巣食っている。


「ここで少し休んで、よくなったら帰りましょう」

「それはいやだ」

「サリヴァンさま」

「どうせすぐそこだ。ラバンの港町は、ここからあと数刻だろう? 休むなら港町についてからでもいい」

「行くまでの時間が、またサリヴァンさまを」

「なら、ラクに先行させて、天恵で飛ぶ」

「それはサリヴァンさまにも、負担がかかります」

「休めばいい」


 行こう、とサリヴァンは言う。気持ちが元気過ぎて、落ち着いて休めないのだと言う。休ませたいなら、さっさと目的地に行ってしまおうと微笑む。


「おれの体力重視での移動で、予定が遅れている。せっかくの旅行を、これで終わりにはしたくないんだ」

「でも……」

「頼む、ツェイ。これはおれの我儘だ」

「……我儘なんて」

「おまえと初めての旅行だ」


 こくりと首を傾げさせながら、サリヴァンの優しげな双眸がツェイルを見つめ、そっと手のひらを握ってくる。


「楽しくて、嬉しくて、仕方ないんだ」

「サリヴァンさま……」

「おれの我儘を、許してくれないか」


 今を大切にしたいという、サリヴァンのその気持ちはわかる。ツェイルだって、サリヴァンとの初めての旅行は、とても楽しくて嬉しい。なににも邪魔されたくないと、そういう我儘もある。


「……本当に、休んで、くださいますか?」

「まるで療養だな。だが、その間はずっと、ツェイがおれのそばにいる。これほど幸せなことはない」


 顔色が悪くとも、サリヴァンの気分は本当に高揚しているのだろう。ツェイルがそうであるように、心が躍っているのだろう。この旅行が終われば多忙な日々が来るとわかっているだけに、その気持ちはなおさら強い。

 ツェイルは諦めたように小さく息をつくと、ふっと笑みを浮かべた。


「わたしも幸せです」


 微笑んだツェイルに、「それはよかった」とサリヴァンもにこりと笑んだ。







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