Plus Extra : 皇弟殿下純愛録。5
荒れた土地を綺麗に覆い隠した雪原の中央に、ぽつんと、一つの影がある。
黒い影だ。
空を見上げているその姿は、黒い外套を羽織った人であると証明している。
ツェイルはラクウィルの支えと、リリの手から離れ、ゆっくりと黒い影に近づいた。
「地上猊下」
黒い影を、そう呼ぶ。
ゆっくりとこちらを振り向いたその人は、漆黒に覆われた髪の中に、琥珀色の瞳を宿していた。
「……誰だ?」
「ツェイル・レイル・ヴァルハラと申します」
「ヴァルハラ……ああ、レイが気にかけているところか」
その人はふっと和らいだ笑みを浮かべると、「どうした?」と首を傾げる。
「どうか、お力を……わたしに、その智を、お与えください」
「? レイに頼めばいいだろ。ヴァルハラはレイが気にかけている」
「聖王猊下でもお救いすることができないのです」
「……レイでも、できない?」
なんだそれは、と眉間に皺を寄せたその人は、その身体の向きをツェイルに合わせた。
「どうか、国主の楔を…っ…サリヴァンさまの天恵を、治してください」
そのために、ここへ来た。
この人に逢いにきた。
それを頼むために、その方法を見つけるために、どうしても逢わなければならなかった。
けれども。
「無理なことを……レイにできなければ、おれにできるわけもない」
「! ……そんな」
無慈悲にも、その人はツェイルの希望を打ち砕く。
「おれは冥王とも呼ばれる魔王だ。聖にある者を救うとしたら、それは安楽な死に導く」
「で、ですが、記録者は……っ」
「可能性でも示唆されたか?」
だが無理なものは無理だ、とその人は言う。
「おれに願うなら、死だけが、救いになる」
それは、サリヴァンが背負ったものが、死ぬまで続くということだった。
得られたその答えに、ツェイルは愕然とする。
「サリヴァン……ヴァルハラの、レイのいとし子……その者の死を、おまえは望むか?」
「いやです!」
「ならば、おれにできることはない。おまえに与えられるものも、なに一つない」
残酷な言葉に、涙が溢れた。
ここまで来て、サリヴァンを怒らせてまでやって来たのに、得られた答えはひどく悲しいものだった。
どうして世界はこんなにも、サリヴァンに優しくないのだろう。
悲しくて、悲しくて、寂しくて、ツェイルは蹲って嗚咽をこらえた。
「サリヴァンさま…っ…サリヴァンさま」
あなたを国主の楔から、解放させたかった。
壊れたその天恵を治して、世界という自由をあげたかった。
それだけだった。
ツェイルが、黙ってひとりで勝手に、シェリアン公国を目指したのは。
それだけが、理由だった。
記録者が、ともすれば奴なら知っているかもしれぬと、そう教えてくれたから。今なら公国にいるようだから、逢えるだろうと教えてくれた。
けれどもツェイルが得た答えは、残酷な言葉だった。
誰もサリヴァンを癒してくれない。
誰もサリヴァンを救わない。
ツェイルのいとしい人を、国に縛りつけて離さない。
サリヴァンの顔色が悪いとき、それは国のどこかが荒れているということで。
サリヴァンは国の器として、その身を削る。
ツェイルのいとしい人を、この国は奪う。
たまらなくいやだった。
サリヴァンを国に奪われたくなかった。
「ツェイル、といったか……酷なことを言ってすまない。だがおれの力は、生きる者にとって、残酷なものなのだ」
ツェイルの前に膝をついたその人は、ぽん、とツェイルの頭を撫でた。サリヴァンのように、聖王猊下のように、大らかで優しい手のひらだった。