Plus Extra : 皇弟殿下純愛録。2
近衛騎士隊のユグド視点です。
泣き喚くツェイルの声が途絶えたのは、明け方も近い時間だった。
ほどなくして、ふたりが籠もっていた寝室に侍従長ラクウィルが入っていく。続いて待機していた侍女リリも、慌てた様子で中へと入って行った。
だが、どうしたのか、肩を落としたラクウィルとリリが、すぐに寝室から出てきた。
「食事を持ってくる以外は中に入るなと……まったく、えらくご機嫌斜めなうえに凶暴ですよ、今のサリヴァンは。手がつけられません」
ため息をついたラクウィルに、リリは涙目になりながら「ツェイルさまがお可哀想です」と言う。
寝室の状態がどうなっているかは不明だが、考えるまでもないことだというのは、その場に集まっていた全員が心得ているだろう。
「姫はだいじょうぶなのか?」
と誰かが問えば、
「悲惨ですよ。でもサリヴァンに体力はありませんからね。せいぜい三日か四日が限度でしょう。それまでは様子を窺って、サリヴァンから姫を救出するしかありません」
らしくなく、ラクウィルは困ったように幾度めと知れないため息をつく。
その場にいた者たちも、一様にどうしたものかと途方に暮れたため息をこぼした。
「殿下がご乱心遊ばされた……」
「仕方ないですよ。姫も悪いんですもん」
全員が、「だよなぁ」と、ツェイルを擁護できないことに肩を落とす。
サリヴァンが凶暴になるほど怒ったのは、ツェイルのせいでもあるのだ。
さすがのユグドも、なにも言えない。
「うー、と」
どうしたの、という眼差しで、袖をクンと引っ張られる。
「……コカ」
騎士隊の中でもっとも足の速いコカにツェイルを追わせたのは、正解だった。コカの働きで、ツェイルが国境を超える前に、連れ戻すことができたのだ。
「おまえはよくやった、コカ」
ぽんぽん、と頭を撫でると、鼻まで隠れる襟巻をしたコカは、少し嬉しげに息をつき、襟巻にさらに顔を埋める。もっと褒めて、とでも言うように額を腕に擦りつけてきたので、頭を抱いて撫でてやった。
しかし、コカの功績は認めるが、笑って褒めてやれない。
サリヴァンの乱心は、コカが捕まえたツェイルに、一心に注がれ続けているのだ。
「とにかく今はサリヴァンの好きにさせるしかありませんね。怒り狂っていますし、おれの声も届きません。様子を見ながら、宥めていきましょう」
ラクウィルの提案に、一同が仕方なく頷く。
方法がそれしかないのだから、どうしようもないのだ。
「まずはこの宿を貸し切りにしますか。シュベルツさん、クラウスさん、手配を頼みます。リリは食事の用意とか、そっち方面をお願いしますね。邸から応援を呼んでかまいません。それからユグドとナイレンは、宿の警備案を考えてください。おれはツァインを呼んでくるので」
「ツァインを呼んでだいじょうぶか?」
「今ここで呼ばなかったら殺されますよ、おれがね」
苦笑したラクウィルの号令でそれぞれが散ると、ユグドはコカに、この宿の周囲を探るよう指示を出して走らせた。
そのあと、ナイレンを促して借りている別室に移動する。
「殿下があんなふうに凶暴になるとは思わなかった」
扉を閉めるや否や、ナイレンが頭を抱えながらそうこぼした。
「滅多に怒らない方だからね……感情的になるのも珍しい」
「ツェイルのことだけは、本当に特別なんだと、つくづく思ったよ」
「殿下をそうさせる姫もすごいと、わたしは思うが」
「怒ると怖いって、言っておいたはずなんだけどなぁ」
なにもしていないが疲れたと、ナイレンはどさりと長椅子に腰かける。ユグドも、懐から周辺地図を取り出すと卓に広げ、椅子に座った。
「なあ、ユグド隊長」
「隊長ではない。なんだ」
「殿下、本当に籠もるつもりでいると思うか?」
「怒りが鎮まるまで、そのつもりだろうね」
「……ツェイルが不憫だ」
「仕方ない」
「優しくないな、ユグド隊長」
「隊長ではない。優しくないもなにも、姫も悪いだろう。ひとりで勝手に動いて、こんな国境近くの町まで……しかもラクウィルが来たことのない土地を移動したのでは、殿下の怒りも当然だ」
「あー……ラクウィルは一度来たことのある土地なら、飛べるんだったか」
「意図していたとしか思えない」
「まあ、確かに」
擁護できない、とナイレンは唇を歪めた。
「コルテチカがいたからどうにかなったが、いなかったら国境を越えられていただろうからなぁ」
サリヴァンが怒る気持ちも、ツェイルがどうしようもなく不安になった気持ちも、どちらもわからなくはないから困ったものだ。
「そもそも、なんでツェイルはひとりで勝手にここまで来たんだ?」
その疑問は、ユグドにもある。
「知っていたら苦労しない」
ツェイルがひとりで、こんな国境近くの町まで来たうえに、国境を越えようとしていた理由など、おそらく本人以外は知る由もないだろう。サリヴァンですら知らないかもしれない。だが、その行動を取ることとなった原因は、サリヴァンにあるだろう。
「行きたいところがあった、では済まされないだろうな」
済まないだろう。サリヴァンの激怒は、相当なものだ。
「まいったな……おれたちじゃあどうしようもできない」
「今はとにかく、殿下に怒りを鎮めてもらうほかない」
「……そのためにも、おれたちは警備に力を入れますか」
「ああ」
今ユグドたち騎士隊ができることは、乱心しているサリヴァンが落ち着くまで、この宿の安全を確保することだけである。どんなにツェイルを心配しても、サリヴァンが落ち着かない限り、皇都の邸へ移動することもできないのだ。
「さて……この辺りは治安があまりよくなさそうだな。どうする?」
「コカが戻り次第、わたしたちも周囲の状況を見に行く」
「了解」
卓に広げた地図をナイレンと睨むように見ながら、起こりうる事態をいくつも想定し、ああでもないこうでもないと話しあっているうちに、夜が明ける。夜目が効くコカが戻ってきたときには、宿を借りる手配を済ませたシュベルツとクラウスも合流していたので、それぞれ休む者と警護にあたる者と別れた。
サリヴァンが寝室から出てきたのは、それから四日後のことになる。
ただし、ユグドたちが待っていた状態のサリヴァンでは、なかった。




