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仮初めの皇帝、偽りの騎士。  作者: 津森太壱。
【PLUS EXTRA.Ⅰ】
128/170

Plus Extra : 皇弟殿下純愛録。1

*番外編「国を継ぐ者。」が始まる数カ月前の話です。

 ので、ツェイルもサリヴァンも先話から若返りますのでご注意ください。




 なんだかいつもより静かだ。

 とても、とても静かで、なにも聞こえない。

 どうしてだろうと思って、天幕の隙間からこぼれ落ちてくる仄かな光りへと近づいてみる。

 足許がひんやりとした。

 天幕に手を伸ばして、冷たさに身を震わせながら、開いてみる。


「……ゆき」


 うっすらと積もる、白い雪。

 ああ、もうこんな季節になっていたのか。

 どうりで寒いはずだ。吐く息も白く、動いていないと身体が痛いくらい。

 はあ、と手のひらに息を吐きかけて、暖を取るように擦り合わせる。思い切って天幕を開き切ると、一気に冷たさが身に沁みた。

 夜が明けたばかりの空は、未だどんよりと暗い。


「……行かないと」


 寒さに負けてなんていられない。雪に感動している時間も惜しい。

 天幕の開かれた窓辺から離れると、急いで身支度をした。持っている荷は少ないので、それほど時間はかからない。外の様子を考慮して、少し厚着をしておいた。

 僅かな時間で身を整えると、僅かな荷を背負って、寝台の枕許に置いていた銀の剣を掴む。専用の帯留めで腰に提げると、一息ついて、部屋を飛び出した。

 外は寒かった。降り続けている雪のせいだろう。それでも、走っていればその寒さも徐々に気にならなくなっていく。足許は雪のせいで不安定だが、これも気をつけていれば転ばずにいられる。

 早く、と思った。

 早く、行かなければ。

 急いで、進まなくては。

 逸る気持ちのまま走り続ける。外気にあてられている手が寒さのあまり痛みだしても、立ち止まってなんていられない。ただでさえ夜は休んで、時間を削っているのだ。夜は進めない分、昼間はできるだけ長く遠くへ、進み続けなければならない。

 はあはあ、と息が切れる。このところ運動不足だったせいで、僅かな荷も腰の剣も、重く感じてしまう。


「はやく……はやく、いかないと」


 走り続けた街道を抜けると、真っ白に染まった広野が視界を埋めた。その頃には雪も止んで、曇っていた空が本来の色を取り戻し始めていた。

 太陽の光りが、雪原に反射する。

 眩しさに目を細め、立ち止まって呼吸を整えた。


「あおい……ゆき」


 ところどころ、影になった部分が、青く見えた。空が色を取り戻したからだろう。

 青い雪があった。

 さくり、さくり、とゆっくり歩きながら足許をみれば、自分の影も青い雪を作り出していた。

 けれどものんびりと眺めている時間はない。その猶予は残り少ない。もう少し見ていたい気分を抑え込んで、再び駆け出した。

 けれども。


「つぇー!」


 雪原に響いた大きな声に、走る速度が落ちる。ハッと振り返ると、恐れていた事態が起きようとしていた。


「コカ……」

「みつ、え、た」


 きちんと発音されない掠れた声が、走りを歩みに変えさせ、そし立ち止まらせる。

 顔の半分を覆う傷跡から覗いた藍色の瞳に、鋭く睨みつけられた。雨雲のような色の髪をさらさらと風にながしながら、ざくざくと雪を踏み分けて、近づいて来る。

 怒っているのだと、すぐにわかった。

 逃げよう。

 ここで捕まったら、この先へ進めなくなってしまう。

 慌てて駆け出して、しかし気づかれて手首を掴まれてしまった。


「コカ!」


 放せ、ともがいたが、がっちりと手首を掴む手のひらの力は強く、振り払えない。それならと、とにかく暴れてやろうとしたが、型にはまらない武術を身につけている者に対し、それは無意味でしかなかった。


「コカ、お願い…っ…行かせて」


 あと少しだというのに。

 あと少しで、辿り着けるというのに。


「コカっ!」


 放してくれといくら頼んでも、懇願しても、拘束は解かれない。

 グッと引っ張られると、来た道を戻らされた。踏ん張っても、力は相手のほうが強く、ずるずると引き摺られる。


「コカ…っ…コカぁ!」


 行きたいのはそっちじゃない。

 戻ったら、もう二度と、進めない。

 それなのに、顔と咽喉に大きな傷を持った藍色の瞳の彼女コカは、聞く耳を持ってくれない。ずんずんと、無言で来た道を戻る。

 そうして。

 せっかく抜けた街道にまで、戻ってきてしまった。

 やっと、街道を抜けたと思ったのに。

 あと少しだったのに。

 後悔してももう遅い。


「ツェイ!」


 びくん、と身体が竦む。

 顔を上げると、街道が始まる場所に、その人は立っていた。たくさんの騎士に囲まれて、太陽の光りに髪を銀に煌めかせながら、こちらをじっと見ている。

 その人はそれ以上こちらへは進めない。だからそこで立ち止まり、戻ってくるのを待っているのだ。

 コカに引っ張られて、その人の許へ、着実に近づいていく。


「おいで、ツェイ」


 低い声が、先へ進めなかった悔しさを煽る。

 行きたかったのに。

 行かなければならなかったのに。

 ここまで誰にも見つからずに来られたのに。

 悔しさと悲しさに、涙が溢れそうになった。


「いや……いやだ、サリヴァンさま」


 最後の抵抗を試みて足を踏ん張ると、コカはすんなりと歩みを止めてくれた。けれども、拘束が解かれることはない。


「おいで、ツェイ」

「いや……っ」

「おいで」


 そんな優しい声に騙されるものか。そんな優しい眼差しに惑わされるものか。

 必死に、抗う。

 それでも。


「コカ、ツェイを」


 命令されたコカは、必死な抵抗を逆手に取って、一瞬の隙を突くとグンと足を踏み出し、その人へと近づいた。重心を相手に取られては抵抗も僅かなものとなり、もはや意味を成さない。


「いや! いやぁ!」


 その人がいやなのではない。

 道を戻ることが、いやなのだ。

 連れ戻されることが、いやなのだ。

 けれども。


「逃がさないぞ、ツェイ」

「ひぅ……っ」


 容易く、その人の腕の中に囚われた。


「いや…っ…サリヴァンさま、いや……っ」

「駄目だ」


 ひどい人だ。


「はなして、はなして…っ…サリヴァンさま」

「放さない。なにがあっても、おまえだけは、絶対に」


 ぎゅっと、抱きしめられる。強く、温かく、優しく、包まれる。

 ひどい人だ。


「……許せ、ツェイ」


 ひどい、人。

 そしてとても、優しい人。


「ヒーデ、ツェイの中に」


 サリヴァンのその言葉を聞いたとき、絶望にも似た衝撃に襲われた。


「サリヴァンさま……っ」

「許せと言っただろ、ツェイ」


 サリヴァンの声も、表情も、冗談など言っているものではなく、真剣そのものだった。それはあまりにも衝撃的で、身動きを封じられる手段に抵抗する瞬間までの隙を突かれてしまう。

 気づくと、どっと身体に重力のようなものを感じた。


「ぅあう……っ」


 自分の足では立っていられないほどの重み、それはサリヴァンの両腕に抱かれることで、地面に倒れることを免れた。


「ひど、い……っ」

「ひどいのはおまえのほうだ。おれを置いて、ひとりで、勝手に」

「だって……っ」

「逃がさない。おまえはおれのものだ」


 言葉はひどいのに、仕草は優しい。弛緩した身体を、サリヴァンは軽々と抱き直し、ぎゅっと強く締めつけてくる。


「覚悟しろ。あとがひどいぞ」


 そう言ったサリヴァンに、首筋を噛まれる。痛みに身を震わせれば、傷がついたのだろうそこを舐められ、さらにはぺろりと上唇を舐めたサリヴァンの視線に、身体が竦んだ。

 思わず、垣間見えてしまったサリヴァンの獰猛さに、涙が滲む。

 怖い、と思ったのは、いつも溢れんばかりの優しさばかりを、感じていたから。

 サリヴァンが怒るようなことをしたのは自分なのに、怒らせたことに恐怖を感じてしまう。そんな矛盾を抱えながら、サリヴァンの腕の中で震えた。


「サ、サリヴァ…っ…さま」

「眠れると思うなよ、ツェイ」


 全身の血の気が引く。本気で恐怖を感じた。それほどにサリヴァンは怒っているのだと思うと、もっとひどく、怖かった。

 ひとりで勝手にここまで来たことを、今さら後悔しても、遅い。







リクエストされたものではありませんが、楽しんでいただけたら幸いです。

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