Plus Extra : 侍従長衷情録。5
ラクウィル視点です。
痛いのは嫌いだ。
昔から、痛いのだけは嫌いだった。
だから、痛みを感じないようにしてきた。痛みというものを、知らないフリをしていた。
重い衝撃波は、風の属性にあるらしいという言葉のとおり、身体を思い切り吹き飛ばしてくれた。おかげで木にぶつけた背が痛い。
「痛いじゃないですか」
痛いのは嫌いだ。
いろいろなことを思い出すから、嫌いだ。
「そうこなくちゃ……もっと楽しもうよ、侍従長」
楽しそうに戦う奴も、嫌いだ。
人を傷つけることしかできない力を持って、なにが嬉しいのかわからない。
力は、力でしかないのに。
「だから、おれはサリヴァンに怒られたくないって、言ってるじゃないですか。見てくださいよ、木、折っちゃったじゃないですか」
「僕は、邸は壊さないって、その約束は守ってるよ?」
「そのようですねえ」
力は人を傷つける。使い方を誤れば、人を殺める凶器でしかなくなる。
そんなことは、ツァインだって、わかっているだろうに。
「痛いのは嫌いなんですよ……」
痛い。
身体が、胸が、心が、痛い。
いやだ。
痛いのは、嫌いだ。
それは悲しいことだから。
護れなかったことを意味するから。
「その目……やっと本気になってくれたみたいだね」
最初は両親だった。死にゆく両親を、ただ見ていることしかできなかった。護りたかったのに、護れなかった。
そして。
「サリヴァンの幸せを邪魔しないでください」
右腕を斬られて使えなくなった唯一無二のあるじは、その傷のせいで天恵の制御までできなくなって。
「おれと戦いたいなら、サリヴァンを巻き込まない場所で襲ってください」
護ると決めたあるじを、護れなかったこの悔しさ。
それでも微笑みかけてもらえる、その喜び。
掴んだ幸せを、今度こそ護り通したい。
あるじの幸せは、誰にも邪魔されてはならない。
「おれを殺したいと思わなければ、あなたは負けるでしょうけどね」
「ふはっ、それはだいじょうぶ。僕はいつだって、きみや殿下を、殺したいほど憎んでいる。でもね……僕はそんなきみらが、大好きだよ」
振り下ろされた剣を、容赦なく弾き返した。刃がこぼれ、欠片がきらきらと宙を舞う。剣の性能はツァインの片刃のほうが上回っているのだから当然だ。
「ああ、いいね。きみの剣は躊躇いがない。物質に頼らないところがなおいいね。異形らしくて」
「こんなものは盾になれば充分ですよ」
「だろうね。けれど、僕が相手ならその物質も武器にしないと」
「わかってますよ」
刃がこぼれようとも、役に立たなくなろうとも、剣は課せられたその役目を果たせばそれでいい。
ラクウィルは剣士ではない。
天恵術師だ。
「マチカちゃん、ルーフェさん、用意してください」
火と土、二つの属性を同時に操る天恵術師、それがラクウィルだ。
けれども。
急に、なにかが聞こえた。
「っ!」
耳鳴りにも近い、高音の悲鳴。
気を取られ、ハッとしたときには、ツァインの剣は目前にあった。
だというのに、そこには、もっと驚くべき光景があって。
「シィズ……っ」
わが子が、泣きそうな顔で、懐に飛び込んできていた。
ラクウィルは考える間もなく剣を離し、飛び込んできたわが子を抱きしめる。咄嗟に身体を反転させ、ツァインの剣からわが子を遠ざけて身を屈めた。
瞬間的に、肩に重みと、熱を感じる。
「シズ、ラクさま!」
シュネイの叫び声が聞こえたとき、ラクウィルは、珍しくも逸っている心臓を持て余しながら、腕の中のわが子イオルシィズのぬくもりを確かめた。
「シィズ……シィズ」
なぜイオルシィズがここにいるのか、わからなかった。
サリヴァンのところにいたはずなのに、安全な場所にいたはずなのに、どうして今ここに、腕の中にいるのかがわからない。
「シィズ……?」
確かめると、腕の中には、いつもなら近寄りもしないわが子がいて。
抱きしめさせてもくれないわが子が、必死にしがみついていて。
「とー……っ」
泣きながら、その顔をラクウィルの胸に押しつけて、呼んでいる。
俄かには信じ難い光景に、ラクウィルは呆然とする。
「シィズ……」
嫌われることには慣れていた。痛みを知らないフリをするのだって、蓋をすることで忘れることができた。
けれども今、泣きじゃくるわが子に、どう反応すればいいのかがわからない。
「あー……やり過ぎちゃったかな?」
と、ツァインが言った。
「こうでもしないと、シズが近づけないと思ったことなんだけれど……うん、やり過ぎたかも。ごめんね、侍従長」
「……、はい?」
「僕、最初に言ったよね。シズは聡い子だよって。完全に気配を断つからきみが悪いんだよって」
「なんのことですか?」
「本気になった侍従長の気配を感じて、漸くわかったんだろうけれど、ちょっとやり過ぎちゃったみたいだね。まあ、わからなくてもいいよ。僕はこれでも甥っ子が可愛いからね」
意味のわからないことを言い連ねたツァインは、「あ、でも戦いは楽しかったよ」と言い足すと、剣を鞘に戻した。くるりと踵を返し、なにごともなかったかのように、サリヴァンたちのほうへと歩いて行く。
「……なんのことですか?」
さっぱり意味がわからなくて、ラクウィルは首を傾げる。その間もイオルシィズは泣きっ放しで、しがみついたままだった。
「ラクさま!」
「ネイ……」
「シズは……ああ、シズ、もう吃驚させないで。怖かったじゃないの」
駆け寄ってきたシュネイは、ラクウィルの腕の中にいるイオルシィズにほっとすると、次にラクウィルの状態を確認して怪我の有無を調べた。肩に触れられたときに痛みを感じて顔を顰めたら、打撲していると言われた。
「……本気じゃなかったみたいですね、ツァインは」
「わたしのラクさまになんてことを……早く手当てしないと」
「いえ、もう少し待ってください、ネイ」
「でも……」
「もう少し。シィズが、泣いてますから」
袂のわが子は、シュネイが来てもまだ泣いていて、ラクウィルにしがみついている。それはラクウィルにとって、心地よい重みだった。
「こんなに暖かいなんて……知りませんでした」
「え……?」
「子どもって、暖かいんですね」
ラクウィルは痛む肩を庇いながら、わが子を抱き直して立ち上がる。ぽんぽんと背中を撫でてやると、嗚咽に震えていた小さな身体が少しずつ緊張を解いていって、ぐずりながらすり寄ってきた。
「ああ……可愛いですねえ」
「ラクさま……」
「てっきり、嫌われているものと思っていたんですけど……諦めていたんですけど……やっぱり、可愛いものですねえ」
小さな手が、ぎゅっとしがみついてくる。小さな身体が、必死に求めてくる。小さなわが子が、必要としてくれている。
この子は、確かに自分の子だった。
可愛い、わが子だった。
「ねえ、ネイ」
にこ、とラクウィルは微笑み、シュネイに手を伸ばして握る。
「可愛いですね」
今なら、サリヴァンの気持ちがわかるような気がする。
子どもは可愛い。
その素直さがときには残酷であっても、この素直さがとても、いとおしい。このぬくもりを、護っていきたい。
「さあ、シィズ。もうだいじょうぶですよ。おれもネイも、そばにいますからね」
「とー……っ」
「はは。はいはい、ここにいますよ」
* *
邸内の気配をいくつか探り、上手く隠れているなぁと思いながら、ラクウィルは廊下を歩く。目星をつけて一つ一つ確認して、最終的にここだろうかと部屋の扉を開けた。
「オズくん、お兄ちゃん知りません?」
「そこにいるよ」
「あ、やっぱりね」
案の定、次男の部屋に逃げていた。
「おまえはなんでおれの居場所を父さんに教えますかね、イディオズ!」
「おれが父さんに密告するのわかっててなんで逃げてくんのかな、兄さん」
「おまえのところが一番安全だからですよ!」
「高確率で危険でもあると思うんだけどなぁ」
兄弟喧嘩をするふたりを微笑ましく思いながらも、ラクウィルは目的のために、長男の襟首を掴む。捕獲に成功した。
「ぎゃーっ!」
「ああはいはい、今日もいい悲鳴ですねえ」
「助けてくださいオズぅ!」
「弟に助けを求めるなんて情けないお兄ちゃんですねえ。さて、今日はオズくんもいらっしゃい。総隊長が来ているので、せっかくだから剣を教えてもらうといいでしょう」
おいで、と次男も呼び、長男より聞きわけのいい次男は読みかけの本を閉じると訓練用の剣を持った。
「父さん、前にも言ったけど、おれは騎士になるつもりはないよ?」
「べつにいいですよ。ただ、剣は覚えてください。己れの身を護れる程度には覚えてもらわないと、おれが心配できみを手放せそうにありませんから」
「……まあいいけど」
長男は引き摺り、次男は素直に自分で、部屋を出ると廊下を歩く。少し距離があるので、時間を短縮するために途中から庭に出て横切り、近衛隊の宿舎へと向かった。
「ん。見つけたか、ラク」
「このとおり」
先に来ていたサリヴァンの前に、長男をぽいっと投げ捨てる。情けなくも転がった長男は、痛い、と文句を言ってきたが、にっこり笑ってやったら顔を引き攣らせて逃げた。
しかし。
「こら、逃げるな、シズ」
逃げ切れるわけもなく、サリヴァンの息子オリヴァンに捕まる。
「オリヴァン、今回からはオズも混ぜてください。頼めますか?」
「イディオズも? いいけど……騎士になるつもりはないって聞いたぞ」
「身を護れる程度でいいんですよ」
「それでいいならかまわないけど……オズ、こっちだ。おいで」
オリヴァンにふたりの息子を頼むと、ラクウィルはふっと息をつく。昼食は子どもたちが好きなものを用意してやろうと思った。
「ラク、オズまでいいのか?」
子どもたちが近衛隊の訓練場へ行く姿を見送ると、残ったサリヴァンが心配げに言ってきた。
「ええ、もちろん。身を護れる程度には覚えてもらわないと、心配なんですよ。あの子は来年から寄宿制の学院に入りますしね」
「学院……うちで教師を雇ってもいいぞ?」
「それはあの子が望むことではないですよ」
だからいいんです、と言うと、サリヴァンは「そうか」と静かに視線を訓練場のほうへ向けた。
「大きくなったな、子どもたちは」
「そうですねえ」
「なあ、ラク……一つ、考えていることがあるんだ」
「ん、なんです?」
「この邸を引き払って、ヴァルハラ家の領地に行こうかと思っている。いつになるかはわからないが、遅くとも来年にはその話を陛下に通したい」
「ふむ。いいんじゃないですか? そろそろサライには弟離れしてもらいたいですし」
「おまえはどうする?」
「どうって?」
「ここに残るか?」
それはなんというか、意外な問いだった。
「残ってもいいぞ。おまえにも家族ができたんだ。もう、好きに生きていいんだから」
ふと、ラクウィルは込み上げてきたものに、肩を震わせる。
「今さらなに言ってんですか。おれはサリヴァンの侍従ですよ」
護りたいものは変わらない。増えたくらいで、減りはしない。ラクウィルには、サリヴァンのそばを離れるという選択肢はないのだ。
「それにね、家族の声は聞こえるんです。なにかあれば声を聞いて、天恵で飛べます。だいじょうぶですよ」
「……本当に?」
「ええ。おれには、おれのそばには、ずっとネイがいてくれますからね」
ひとりではない。シュネイや、子どもたちがいる。そのぬくもりを知っている。
だからこそ、サリヴァンについて行ける。
「サリヴァンこそ、その言い方からすると、オリヴァンを置いて行くつもりでしょう? いいんですか?」
「あれは国主だ。どう足掻いても、それは変えられない。いつまでもおれたちのそばにはいられないんだ」
「……子どもが大きくなるっていうのは、寂しいものですね」
「ああ……寂しいな」
くしゃっと、サリヴァンはその顔に苦笑を浮かべる。サリヴァンの気持ちがわかるだけに、ラクウィルも苦笑した。
「ラクさまぁ」
ふと、背後からかけられた声に、ラクウィルは振り向く。シュネイが、ツェイルと一緒に邸の庭から手を振っていた。
「行きましょうか、サリヴァン。子どもたちは総隊長に鍛えてもらっていましょう。おれたちは食事の準備です」
「おれはなにも作れないぞ」
「味見くらいはできますでしょ」
行きましょう、と促して、ラクウィルは手を振るいとしい妻のところへ行く。
子どもたちが大きくなって寂しい、という話をしていたからか、サリヴァンはツェイルを近くに感じるとすぐ両腕を伸ばし、その小さな身体を抱き竦めていた。
「ラクさま、わたしにもあれをやってくださいまし」
「はい、いいですよ」
「きゃあ」
同じようにして欲しいというので、ラクウィルもシュネイを胸に抱きしめて、ぎゅっとする。シュネイは嬉しそうに笑った。
「ラクさま、もっとぎゅっと。もっとネイをぎゅっとして」
きゃらきゃらと笑う妻がいとしい。
こんなふうに、いつまでも笑っていられたらいいのにと、思った。
*後半部分は「きみの背中に花束を。」の物語が始まる少し前のものとなっております。
これにて「侍従長衷情録。」を終幕させていただきます。
楽しく書かせていただきました。
リクエストありがとうございます。