Plus Extra : 侍従長衷情録。4
シュネイ視点です。
ツェイルと二人の騎士と、無事に買いものを済ませて帰宅すると、大変なことになっていた。
「やめないか、ラク!」
「ツァインに言ってくださいよー」
「ツァイン! いい加減にしろ!」
子どもたちを背に庇ったサリヴァンが、剣を手にしたラクウィルと、上の兄ツァインとの戦闘に激怒していた。不思議なのは邸が壊れていないことだが、それは宙を漂っているツァインの精霊、ヴィーダヒーデの加護によるものだろう。
しかしながら、なぜこんなことになっているのか、シュネイには疑問だった。
「なにがどうしたの?」
なぜ夫と兄が戦っているのだろう。いや、なぜ夫は兄に襲われているのだろう。
「またあの激闘の再来か……やめろっての」
と、ナイレンが半眼しながら呆れたように言う。
「すごいな」
と、姉ツェイルは暢気にも冷静に眺めている。
「姫、殿下のおそばへ。公子が驚かれています」
われ関せず、といったふうなユグドに促され、とりあえずシュネイもツェイルと一緒にサリヴァンのほうへと移動する。
親の姿を確認した子どもたちは、それぞれの親に腕を伸ばした。もちろんイオルシィズも、母たるシュネイにしがみついてきた。
「びっくりしたのね、シズ。だいじょうぶよ」
イオルシィズは言葉が少ない。シュネイを感じると少しは落ち着いたようで、その視線をいつもは合わせようとしないラクウィルに向けた。
「父さまが怖い?」
問うと、イオルシィズは首を左右に振った。食い入るように、わが父の戦う姿を見つめている。
シュネイも、戦う夫の姿を見つめた。
兄はいつでも心の底から楽しそうに戦うが、ラクウィルは違う。笑っているが、その瞳はいつでも悲しそうだった。本心では戦うことが嫌いなのだろうと思う。けれども、彼には護りたいものがあった。護らなければならないものがあった。そのためには、強くあらねばならなかった。
シュネイは思う。
ラクウィル・ディバイン・ダンガードという人が、自分の夫になってくれたのは、奇跡ともいえることなのだと。シュネイは、一生にあるかないかの奇跡を、手にしたのだ。
「あーもー面倒くさいー」
「ちゃんと戦いなよ、侍従長。ほら、観客も増えたことだしさあ」
「えー? ああ、姫おかえりなさーい。ネイもおかえりー」
「余所見していいってことじゃないけどねえ?」
兄が剣を振り下ろす。シュネイたちのほうを見て暢気に手を振ったラクウィルは、それを上手くかわしてにっこりと微笑む。戦っているというよりも、遊んでいるようだ。
「そろそろやめましょうよ、ツァイン。どちらかが倒れるまでっていうのは、けっこう難しいですよ?」
「楽しいからいいじゃないの」
「おれは楽しくないです。というかサリヴァンがものすごく不機嫌になっているので、やめてもらわないと困ります。それにほら、姫も帰ってきましたしね」
「ツェーイール! 僕の雄姿を見ていてねえ!」
「あーもーやだやだ。姫はサリヴァンのものなのにぃ」
「ツェイルは僕のお嫁さんだよ」
「違います。まだそんなこと言ってんですか」
呆れたようにラクウィルがため息をついたとき、ツァインがこれまでになく不気味に笑んだ。
「僕にとってきみや殿下は、永遠の敵でもあるんだよ」
「……妬まないでくださいよ」
「ああもう腹立だしいな!」
瞬間的に、どんっ、と衝撃波のようなものが、全身に響いてきた。シュネイたちには余波の風だけが流れてきたが、それはとてもいやな音だった。
舞い上がった土煙りが、兄と夫の姿を消している。
「ラクさま……?」
いったいなにが起きたのだろう。
じっと土煙りが落ち着くのを待って目を凝らし、漸く見えたそれに、シュネイは悲鳴を上げかけた。
「ラクさま……!」
衝撃波のようなものは、兄が放った天恵だった。それを真っ向から受けたらしいラクウィルが、背中を庭先の木に打ちつけられている。
思わず駆け寄ろうとして、しかし、それをツェイルに止められた。
「これは喧嘩だ。巻き込まれる」
これが喧嘩というほど優しいものなわけがない。そう気を揉んだが、そうこうしているうちに、ふらりとラクウィルが動いた。
「痛いじゃないですか」
と、珍しく不機嫌そうな顔をして、兄を睨んだ。
「そうこなくちゃ……もっと楽しもうよ、侍従長」
「だから、おれはサリヴァンに怒られたくないって、言ってるじゃないですか。見てくださいよ、木、折っちゃったじゃないですか」
「僕は、邸は壊さないって、その約束は守ってるよ?」
「そのようですねえ」
ラクウィルが、目を据わらせた。それはいつも人好きする笑みを浮かべている夫ではなかった。
「ラクさま?」
「あー……切れたな」
首を傾げたシュネイに、サリヴァンが顔を引き攣らせた。
「殿下、それはどういう意味でしょう?」
「おれのことを気にし過ぎて、切れた。うん、たまにあるんだ。年に一回は、ああして切れる」
「切れる?」
「つまり、怒っているんだ」
それは珍しい、とシュネイは思った。ラクウィルは挑発されてそう簡単に怒るような人ではない。もしサリヴァンを侮辱されるようなことがあれば、その人好きする笑みを深め、その雰囲気だけで相手を叩き潰すような人だ。表情を、笑みを消してまで怒ることは、まず滅多にない。
「厄介だな……ラクが切れると手がつけられない。ナイン、止めてみるか?」
「ご冗談を。おれはアインが切れたら放っておくことにしてます。同等に戦うラクウィルに対しても同じですよ」
「じゃあ、ユート?」
話を振られたユグドは、「無理です」と即答したが、少し考えていた。
「隊の全員でかかればどうにかなると思いますが……」
周りを見渡すと、観戦しているものの顔を引き攣らせた近衛隊の面々が、関わりたくなさそうにしていた。以前にもラクウィルとツァインは一戦を交えているそうなので、そのときの光景を思い出しているのだろう。
「仕方ない……ツェイ、頼めるか?」
サリヴァンが、淡々と観戦しているツェイルに問う。皆が関わりたくなさそうにしている中、ツェイルだけは表情を変えずにいた。さすがはわが姉、とシュネイは思う。姉はむしろ、この戦いにとても興味があるのかもしれない。
ふつうなら妻を送りだす夫もどうかと思うだろうが、戦い合っているラクウィルとツァインは、どちらもツェイルに剣を向けられない。傷をつけることなど以ての外と考えている。ふたりの戦いを収められるとしたら、ツェイルが出向くことがもっとも効果的だった。
「怪我はしてくれるなよ、ツェイ。おまえが怪我をしたら、おれはあのふたりを一生許せなくなる」
「承知しております。では、子どもたちを……」
頼まれたツェイルが、腰に提げていた剣の柄を握った、その瞬間だった。
「あっ……シズ!」
それまでシュネイにしがみついておとなしくしていたイオルシィズが、いきなりその手を離し、駆け出した。
「シズ、駄目よ、戻って!」
イオルシィズは立ち止まらない。いつもおとなしく、言葉も少なく、オリヴァンがいなければ虐められていそうな子が、おとなの戦いの最中へと突っ込んでいく。信じられない光景だった。
「イオルシィズ!」
そのとき、兄の剣が、ラクウィルに振り下ろされる瞬間でもあった。イオルシィズの身が、その間へと入っていく。いや、正確にはイオルシィズは、ラクウィルを庇うかのようにその間に入って、両腕を伸ばしていた。
「シィズ……っ」
ラクウィルがイオルシィズに気づいたとき、兄の剣は勢いを殺せないほど間近に迫っていた。
「シズ、ラクさま!」
その一瞬を、シュネイは悲鳴も上げられず、目を閉じて恐怖から逃げた。