Plus Extra : きみの背中に花束を。15
オリヴァン視点です。
見つかりたくなかったのに、という顔をした父に「おまえは行け」と言われて、オリヴァンは父を残してカルアの案内でそこを離れた。姿を視認される前に離れたので、こっそり物陰に隠れて後ろを確認すると、父は皇帝サライの盛大な抱擁を嫌そうな顔で受けていた。
「報告があるから、べつにいてもよかったんだけど……あれはいやだな」
「陛下が落ち着かれてからお逢いしたほうがよろしいでしょう」
「そうだね……でも、なにかあった? ツェイの様子がおかしかったけど」
「詳しいことはわかりませんが、サリヴァンさまは陛下に追いかけられながら、ツェイルさまをお捜しになっていたようでございます。サリヴァンさまとツェイルさまになにかあったかは、存じ上げません」
母は身重なのであまり走り回って欲しくないのだが、それだけ元気があるのだと思えば、放っておいでもあの夫婦のことだからそのうち仲直りするだろう。
「まあ、いいか。ところで、どこに向かっているのかな?」
「ついて来てくださればわかります」
招集されている議会のほうへ先にいくのだろうかと思いながら、オリヴァンはカルアに続く。別れてしまったノアウルとクレイドのことは気になるが、父のところに戻れば事情を知るだろうし、ノアウルの天恵があるので追いついて来るだろう。
「シズ」
「ん、はい?」
「天恵は使い慣れたか?」
「今少し不安定ですが、目的地への移動は簡単になってきました。ただ、父のように特定の人物からの声に反応することはできません。今のところはオリヴァンだけです」
「ラクウィルは規格外だ。ツェイやネイ叔母上の声まで聞こえるなんておかしいって、ノアもジークフリートも言っていただろ。真似しなくていい」
「そうですか? 練習したら、できるような気がするんですが」
「まあ……シズはラクウィルの息子だからな。そう言われたらできそうな気がしてくるけど」
「練習しますね」
にこ、と笑ったイオルシィズの頭をぽんぽんと撫でる。天恵の発現を見せてもらってからは、怪我の具合を様子見しながら飛ぶ練習をノアウルがさせていたので、今では意識的に使えるようになっている。イオルシィズにしては目覚ましい進歩だ。
「やはり、イオルシィズは天恵者でしたか」
というカルアの言葉に、うん、と頷く。
「公子の騎士となれるのですか?」
「そうだろうね。シズはヴァルハラ家の従者だから」
「では、兄は姫さまの騎士に?」
「かな。今までひとりで頑張っていた分、シズがおれにつけば負担も減るからね」
「……それで機嫌が悪そうなのですね、兄は」
はあ、とカルアがため息をつく。どうやらノアウルの微妙な不機嫌は、妹のカルアには簡単に見抜けたようだ。
「負担が減って楽だろうに、なにが気に喰わないんだろうな」
「……、わからないのですか?」
「いやいや、それはわかるよ。けど、どっちの騎士になってもけっきょくは同じだろ? おれはライラと結婚するんだから」
胡乱げな顔で振り向いたカルアは、またため息をついた。
「それを兄に言いましたか?」
「考えなくてもわかることだろ」
「……、言わなければわからないこともあるのですよ」
「え……そこまでノアもばかじゃないだろ」
「兄と公子では性格がまったく違います。考え方も違うのですよ」
改めて言われると、確かに、と思う。性格が違うから考え方だって異なるのは当然だ。オリヴァンが軽く受け入れていても、ノアウルはそうもいかない。オリヴァンに言われて初めて、受け入れられることもある。
「クート並みに頭硬いなぁもう」
「わたしがなにか」
「ぅわ!」
唐突な声に驚いて振り向いたら、天恵で飛んできたらしいノアウルとクレイドがいた。
もう追いついたらしい。
「び、びっくりさせるなよ」
「失礼しました」
深々と頭を下げるクレイドに、「これだからなぁ」と思いつつ、ノアウルを見やる。
自分も頑固なところはあるとオリヴァンは自覚しているが、ノアウルやクレイドほどではない。ある程度の諦めを持っている。身分的な問題からクレイドとは喧嘩にならなくても、ノアウルとは喧嘩するのは、それぞれと諦める場所が違うからだ。妥協という言葉もあるのだが、一番にそれを理解しているのはクレイドだけだろう。
つまり、最もおとななのはクレイドということで、オリヴァンとノアウルはまだまだ子どもということだ。
「諦めろよ、ノア」
「は? なんのことだ」
「いっそラクウィルとジークフリートみたいに険悪になってしまえとは言わないから、現実を受け入れたらどうだ。ライラが勘違いして泣くぞ」
これからライラの騎士として立つというのに、その態度ではライラに失礼だ。そう言えば、ノアウルも渋面を浮かべる。
「わかっている」
漸く諦めを持てたのか、それともライラのことを考えて自分に嫌悪を感じたのか、そんな返事をしてノアウルはそっぽを向いた。
「公子、着きましたよ」
「ん、ああ」
そうこうしているうちに目的地に到着したようで、ある部屋の前でカルアが立ち止まった。
こんこん、と扉を叩いて、返事がくると中へ入る。
「オリヴァン!」
「ん?」
真っ先に自分が呼ばれたことと、その声に、オリヴァンは目を丸くする。
開けられた扉の向こうから柔らかなものが突進してきたとき、その正体に気づいて微笑んだ。
「ライラ」
飛びついてきたライラを抱き止めて、ぎゅっとする。久しぶりの感触だ。
「おかえりなさい、オリヴァン」
「ただいま、ライラ」
ああ、逢いたかった。
その声を聞きたかった。
触れたかった。
胸中で騒ぐ想いのままライラをぎゅうぎゅうに抱きしめたあと、少しだけ互いに距離を置いて、改めて互いの顔をじっと見つめて微笑んだ。
「無事でよかった。大変だったでしょう?」
「ん、おれは強いから、だいじょうぶ。ライラのほうは? サリエのところにちょっといたみたいだけど、変なことされなかった?」
「叔父上さまにはよくしていただいたわ。叔母上さまにも。久しぶりにお逢いできて嬉しかったくらい。あ、叔母上さまはご懐妊だそうね? ごめんなさい、わたし気づけなくて」
「ああ、あれはね……おれも忘れていたくらいだし。ツェイ本人に自覚があるのかないのか……そもそも本当に身重なのかな」
「お医師さまの証言つきよ?」
「おれのときがすごく大変だったらしいから、元気な姿を見ると医師の言葉があっても信憑性がね……まあ、本当であって欲しいよ。妹だからね」
「ふふ。叔父上さまも、娘だって言っていたわ」
親子ね、とライラに言われて、それがいやで少しげんなりしたところで、カルアにわざとらしい咳払いをされた。
「なにも入口でそのようにお話されずとも、中へ入られたらいかがですか? マルサムどのもお茶の用意をしてくださっておられますし、わたしはここで失礼させていただきますから」
カルアはここまで案内することのみを目的にしていたようで、オリヴァンにそう促すと「失礼します」と言って早々に立ち去った。
この久しぶりな逢瀬を邪魔するつもりはないらしい。
「わたしも廊下にいます」
クレイドもそう言って、部屋には入らなかった。じゃあおれも、とイオルシィズも言ったが、ライラに話しておきたいことがあったので引き留めた。
「ライラ、先に言っておく。シズが《天地の騎士》の天恵を発現させたよ」
「……叔父上さまから聞いています」
「そうなの? あれ……サリエも知っているのか」
ちょっと肩透かしを食らった気がしながら、それなら特に話すこともないなと思う。立場はこれまでと変わらないのだ。
「まあ、そういうことだから、これからよろしくね」
「ええ。今後は……ずっとオリヴァンのそばにいてくれるのね、《天地の騎士》が」
安堵したような顔をしたライラに、なにか引っかかりを感じる。
部屋の中央にある椅子に移動しながらオリヴァンはそれを観察し、ふとある可能性に気づいた。
父サリヴァンが、ライラを苦しませていると言った、己れの天恵。
片翼という言葉に驕るなと、そう怒った理由。
もしかしたらそれらは、オリヴァンが微妙な立場にあることを、ライラがひどく気負っているということなのかもしれない。
「……ライラ?」
「なぁに?」
「おれは強いから、心配しなくていいんだよ?」
「え……」
「おれは護られることをわかっているつもりだ。だから護りたいという想いがある。そのために強くなった。おれを護ろうとしてくれている人たちのためにも、おれは命を無駄にしてはいけないから」
ライラの碧い瞳が、大きく見開かれる。
そうか、これが原因だったのかと、オリヴァンは父が怒った理由をようやっと理解して、ライラが安心できるように笑みを深めた。
どうやら自分は、最もいとしい人に、まったく言葉が足りなかったらしい。情けないことだ。言わなくてもわかるはずだと、高を括ってしまっていたのだ。言わなければわからないこともあると、カルアが言ったのも頷ける。
「好きだよ、ライラ」
きみが、とても好きだ。
口にする言葉が陳腐に思えてしまうほど、きみに捕らわれている。
だからきみは片翼。
自由な空へ飛び立てるのは、きみがおれの片翼だから。
「お……オリヴァン」
「うん。おれはライラが好きだよ」
顔を真っ赤に染めたライラが可愛い。こんなに可愛い生きものはほかにない。ふっくらした赤い唇はとくに、オリヴァンには挑発的だ。
「ほ、んとう、に……?」
「ん?」
「本当に、わたしが好き?」
「ライラがいないと、おれは生きられないよ」
ああ、言葉が陳腐だ。こんな言葉で表現できるほど、自分の想いは軽くない。
けれども、思うような言葉が見つからない。
「なんて、言ったらいいのかな……たぶんおれは、ライラが思っているような、優しい人間じゃないんだ。けっこう凶暴な生きものだよ。ライラがいない世界なんて、滅んでしまえばいいとか、思うから」
それはもう、たとえ父と母が生きていようとも。
大切な人が、いようとも。
ライラがいないなら、こんな世界は要らないと思う。
それでも、どんなにそんな言葉を並べても、陳腐なものにしかならない。ライラが皇女で、自分が公子という立場にある以上、どんな言葉にも力はないのだ。
だから、言わなかっただけで。
「おれは本当に、ライラが好きなんだよ」
情けないと、思わなかったわけではないのだ。想いを口にすることもできない自分の身分が、悔しいと思わなかったわけではないのだ。
だから剣だけは必死になった。
武勲を立てられるように、国の役に立てるように、そうすればライラへの想いも本物であると理解してもらえるのだと、考えた。
けっきょくは周りをそうやって気にし過ぎて、ライラを苦しませるという、最悪なことをしてしまったけれども。
父が怒るのも当然だなと、オリヴァンは苦笑した。そして思いのほか、自分は父に似ているのだと、気づかされた。
母を溺愛する父は、たとえ息子のオリヴァンでも、母をその愛称で呼ぶことがいやなのだ。わかっているから、ライラのことは「ライレイ」と呼ぶのだ。それだけのことだったのだ。
「わたし……オリヴァンが好き。いやだって言われても、好き。そばにいさせてくれないなら、皇女っていう権力を使ってでも、そばにいさせてもらうわ。わたしも、それくらい凶暴なのよ」
そう言ったライラの真っ直ぐさに、「やっぱりね」と思ったのは、互いの想いが通じているからだ。
「それなら、もう心配は要らないね。邪魔する者は、おれが叩き斬るよ。それでいい?」
「わたしも手伝うわ」
「じゃあふたりで」
ふふ、と互いに笑い合って、抱きしめ合う。
ああ好きだなぁと、いとしいなぁと、オリヴァンはライラをぎゅうぎゅうと抱きしめて、ほっと息をついた。
答えはこんな身近にあったのに、意地と頑固さゆえに見えてなかった。自分にそんなことがあるなんて、と格好悪く思う。
まだまだ思慮が足りない。
悔しいが、もっと周りを見て、もっとたくさんのことを感じて、知って、生きよう。
ライラとふたりで。