11 : 護りたいもの。3
剣の鍛錬に、リリが相手をしてくれるようになって、たまにルーディが姿を見せて相手をしてくれるようになった。そのおかげで、鈍っていただろう腕は戻り、その感覚も戻った。体力も、疲れ過ぎて動けない、ということがなくなり、ツェイルは身体的な不満をもたなくなりつつあった。
「ツェイル」
その日は、鍛錬のあと沐浴をしてさっぱりしたところに、サリヴァンが来訪した。
「お久しぶりです、陛下」
ここでの生活は、わりと平和が続いている。危惧していた後宮でのいじめもなく、貴族からの嫌がらせもない。そういうものを受けない場所にいるのか、ルカイアがそういう手配をしてくれているのか、それは定かではないが、軟禁状態であるということ以外は、ツェイルの周りは平穏そのものである。
サリヴァンの訪ないも、その表情は日毎で違うものの、ツェイルを蔑ろにするものではなく、逆に憐憫の情が強いくらいで、優しい態度ばかりだ。
今日のサリヴァンは、その目許は疲れているように見えたが、穏やかに微笑んでいた。それが作られたものではなく、心からのものであることに、ツェイルはホッと安堵する。
「ここ数日は、また忙しかったようですね」
「……そう見えるか?」
「はい。少し顔色が……」
「まあ気にするな」
「そういうわけには」
「気にするな」
にこ、と微笑まれたら、頬に熱が集中する。もともと顔の造形が綺麗な人だから、そこに人としての危うさと儚さが見えると、神々しさが目立つのだ。
「ツェイル」
「はい」
サリヴァンが、姫と呼ばず、ツェイルと名を呼んでくれるようになってから、ツェイルは呼ばれるごとになぜかドキッとする。よくわからない高鳴りには首を傾げるばかりだが、気にしないようにしていた。
「これを、おまえに」
一緒に来ていたラクウィルからなにか長いものを預かったサリヴァンは、それをツェイルに差し出してきた。
「……なんですか?」
差し出されたので、首を傾げながら受け取る。
と、その重みはツェイルの腕に馴染んでいるものだった。
「剣だ」
「……剣?」
「開けてみろ」
滑らかな濃い紫色の袋に入ったそれを、ツェイルは紐を解いて取り出す。
「わ、あぁ……」
思わず感嘆の声が上がる。
目にも鮮やかな、銀色の剣だ。
銀色の鞘には細かな彫刻が施されていて、中央に薄い紫色の宝石が填め込まれている。柄の部分にもその宝石はあって、しかし細やかに散らばっている。刀身はツェイルの腕のほど、片手でも振れる身軽な剣だった。
鞘を抜いて、さらに驚く。
「片刃、ですか」
「ああ。おまえには、片刃がいいだろうと思って」
「……よく、おわかりに」
「ん? なにが」
「メルエイラ家の技は、片刃の剣を基本にしているのです」
きょとん、とサリヴァンはツェイルを見る。どうやらメルエイラ家とは関係なく、サリヴァンがわざわざ用意してくれた品のようだ。
嬉しくなって、ツェイルは剣を鞘に戻すと腕に抱き込んだ。
「こ……これを、わたしに?」
「……ああ」
「本当に?」
「おれが持っていても錆びるだけだぞ」
錆びらせてたまるか、とツェイルはもっと深く剣を抱き込む。
「だ、だめ、です」
「……ふぅん?」
にんまり、とサリヴァンは笑った。なんだか楽しそうだ。
「気に入ったか」
「はい」
思いっきり首を上下させると、サリヴァンは破顔した。
「よかったな」
「ありがとうございます、陛下」
「……サリヴァンだ」
「え?」
「サリヴァンと、呼んでくれ」
そういえば寝ぼけていたときも名で呼ばせようとしていたな、と思い出して、ツェイルは口許を緩めながらそれを声に出した。
「サリヴァンさま」
瞬間、サリヴァンがなぜか瞠目する。
「……サリヴァンさま?」
どうしたのだろう、とツェイルは首を傾げる。なにか変なものでも見ているような顔だ。
しかし、サリヴァンの手がふと、ツェイルに伸びてくる。
なんだ、と思う前に、ツェイルはあのときのサリヴァンがそうしていたときのように、抱き込まれていた。
「ぅへ……っ」
吃驚して、思わず変な声が出る。
こうして立ったままサリヴァンに抱きしめられると、その身長差にも吃驚させられる。ラクウィルとルカイアに挟まれて立つサリヴァンはその中では華奢に見え、あまり背が高いとは思えなかったのだが、ツェイルとの身長差は明らかだ。身の細さは見た目通り、とても華奢なのだが、身長はある。頭一つ分高いとは思っていたが、それ以上だった。
サリヴァンの腕に抱きしめられながら、余計なことを考えていたツェイルは、顔をその肩に埋めて、固まった。
「あ……ぁああぁあの、へい、陛下?」
「サリヴァンだ」
「……陛下?」
「サリヴァンだ……おれは、サリヴァンだ」
どうしても名で呼んでもらいたいらしい。
なんだか子どもみたいだなと思いながら、ツェイルは再びサリヴァンの名を紡ぐ。
「サリヴァンさま……どうなされたのです」
「……おまえが」
「わたし?」
「おまえが……笑うから」
「え……?」
なんのことか、さっぱりだ。
「おれが、帰れと言った、ときに……帰ればよかったのに」
切羽詰まったようなその声は、紡がれると同時に、ツェイルとサリヴァンの身体に隙間を作った。
急性なそれは、ツェイルにサリヴァンの表情を窺わせるだけの暇もなく、また声をかける時間さえも奪う。
けれども。
「さ……サリヴァンさまっ」
部屋を出て行こうとしたサリヴァンを呼んだとき、その頬が赤く染まっているのだけは、目に止まった。
「また来る」
さっと、サリヴァンはツェイルの部屋から姿を消した。
「……、なんだったのだ?」
あの態度は、あの赤らみは、なんだったのだろう。
戸惑いつつ、だが自分の頬も赤らんでいることに、ツェイルは気づかない。
ギュッと抱きしめた剣の重みが、ツェイルの視線をそこに落とさせる。
「銀の、剣……わたしの剣」
綺麗だ。
サリヴァンの態度はともあれ、これは贈りものなのだろう。
なんだか嬉しくて、楽しくて、心が躍った。
「リリ!」
「あ、は、はい!」
「見て、わたしの剣!」
「……わたしも喜ぶべきなのでしょうか」
「うん!」
「姫君に剣の贈りもの……うぅ……あまり喜んで欲しくないのですが」
リリはなぜか不服そうだ。
しかしツェイルは嬉しいので、リリの態度など気にしない。
銀の剣を両手に持って、窓の陽光に翳した。
きらきらと、銀の剣は輝く。
初めて自分の剣を手にした。今までは兄のものか、弟のものか、或いは父のものだった剣だ。自分の剣というのは、初めて持つ。初めての剣は重く、けれども小振りで扱い易そうだ。
これで、サリヴァンを護ることができる。
サリヴァンのために、剣を揮うことができる。
けれども。
これは人の命を脅かす。
それでも。
「これで、護れる……」
誰かを護るとき、誰かを犠牲にしなければならない。
ツェイルが家族を護るために、この身を帝国に捧げたように。
サリヴァンのために、銀の剣は、誰かの命を吸うだろう。
それでも。
「護れる」
サリヴァンは護らなければならない。
国の犠牲になっているサリヴァンを、人として危うく儚く、壊れてしまいそうな人を、それらから護れる。
サリヴァンの騎士になろうと決めた。
だから、そのために払う犠牲は覚悟している。
自己満足であろうがなんてあろうが、ツェイルは家族を護り、サリヴァンを護る。
護りたいものがあるから、その力があって、護りたいものを護れる。
これほど嬉しいことはない。
喜びを得たことはない。
ツェイルは陽光に翳した剣を鞘から抜き、メルエイラ家特有の剣の構えを取る。鈍く光った片刃の剣は、その強さをツェイルに見せつける。
美しい強さだった。