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仮初めの皇帝、偽りの騎士。  作者: 津森太壱。
【PLUS EXTRA.Ⅰ】
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Plus Extra : きみの背中に花束を。14

ライラ視点です。





 数日前から皇宮の自室に戻ったライラはその日、朝から父の来訪を受けた。どうやら母の機嫌を損ねたようで、妙に落ち込んでいる。


「ティエンが口を聞いてくれんのだ」

「それは……叔父上さまを追いかけてばかりだからでは?」

「サリエ? 関係なかろう。サリエは大切なわが弟だ」


 その過激な愛情が母の機嫌を損ねるのだと、いつになったら気づくだろう。いや、母も随分と捻くれた愛情表現をするので、父がこのままなら一生気づくことはないかもしれない。


「母上さまも諦めればよいのですが……」

「ん?」

「いいえ。ところで、わたしになにか用事がおありなのですか?」

「おお、そうだった。確か今日……そうだな、今日だ。帰ってくるぞ」

「はい?」


 なにが帰ってくるのだ、と首を傾げたら、落ち込み気味だった父の表情がぱっと明るくなる。


「オリエが帰ってくるぞ」


 とたん、ライラは瞠目し、座っていた椅子から勢いよく立ち上がる。


「オリヴァンが、帰って……?」

「さすがはサリエの息子だ。仕事が早い。予定を大幅に覆してくれたぞ」


 父は自慢げに、自分のことのように嬉しそうに笑った。オリヴァンが最愛の弟の息子であるからこそ、自分のことのように嬉しいのだろう。


「当初の予定と合わせても、予測範囲内だ。賊の襲撃があったというのに、さすがとしか言いようがない」

「オリヴァンは、無事に?」

「ああ。もともと賊の襲撃など、オリエには脅威にもならんからな」


 ライラはほっと息をつき、とさりと椅子に座りこむ。オリヴァンが無事に帰還することと、やっと逢えるという安堵感に力が抜けた。


「それでな、ライレイ」

「……はい?」

「今回のことで、議会の半数以上がオリエを認めた。剣才はもちろん、血筋に関係のないその存在も。これはよい傾向だ」

「はい」


 父は真面目な顔をすると、ライラの向かいに腰かけた。


「おまえには言っていなかったが、おまえとオリエの婚約は、わたしの一存で決められていた」

「え……父上さまの、一存?」

「ああそうだ。わたしは弟を失いたくなかったのでな。その息子を盾に取っていたのだ」

「……父上さま、それは」

「わかっている。卑怯な手だ。それでも、わたしは弟をこの国に、わたしのそばに、留めて置きたかったのだ」


 許せ、と父は、ライラにではなく、誰かに、許しを請うた。その誰かは、母でも、当事者のサリヴァンでもない。きっと、オリヴァンだ。だが父には、後悔があるように見えない。


「なぜそのようなことを、とお訊ねしても?」

「……すべてはわたしの無知が招いたことだ」

「無知?」


 それは、どういう意味だろうか。


「なにも知らなかった。それが弟を……サリエを苦しめ、悲しませた。わたしはそれを償わねばならん。だからわたしは、なにをしてでも、サリエを護るのだ」


 なにを知らずにいたのか、父は語らない。だが、護るためにならなにも厭わないという姿勢は、強固だった。


「叔父上さまを護るために、オリヴァンとわたしを婚約させたのですか?」

「ああ」


 父は、わが子ですら利用したことを、否定しなかった。少しだけ、心が痛い。

 けれども、ライラはどこか、ほっとしている。

 けっきょくのところは父の思惑どおりなのだろうが、ライラはオリヴァンと出逢えたことがなによりも嬉しく、そして幸せだ。出逢わせてくれた父に、感謝したいくらいである。たとえそれが利用するためのことだったとしても、結果的にライラは、オリヴァンという人に惹かれたのだ。


「父上さまの一存であったとしても、わたしの気持ちは、変わりません」

「……ライレイ」

「父上さまもご存知でしょう。わたしは、オリヴァンに恋をしています。それは父上さまに強要されたからではありません。利用されたからではありません。わたしは、確かに、オリヴァンという人を好きになったのです。父上さまがどう思おうが、どう感じようが、それは変わらないことです」

「議会が、認めていなかったとしても?」

「そもそもなぜ議会の賛成を必要とするのですか? 血筋の関係でしたら、オリヴァンは四公ヴァルハラ家の嫡子、問題はありません。想いも……通じ合っています」


 オリヴァンがライラをどう思っているのか、ライラにはまだよくわからないけれども、少なくとも好かれてはいる。直接的な言葉は聞いたことなどないが、ライラを抱きしめ、微笑んでくれる。ライラも嫌われないように努力してきた。政略的なものに近い婚約だとしても、いい関係は築いているはずだ。

 だいたいにして、ライラはすでに、オリヴァンがどう思っていようが、そばを離れられないほどに恋慕している。今さらだ。


「議会は、サリエを警戒している」

「叔父上さまが、帝位を簒奪するとでも?」

「サリエがそんなことするか! むしろ逃げるのだぞ。サリエを逃がさぬためにわたしがやっていることを、議会は逆に取るのだ」

「父上さまには脅威である、と?」

「議会の考えることはわたしにはわからん。どうすればそう考えられるのか、わたしはさっぱりだ」


 それが人間というものだろうが、とライラは思った。父も、それはわかっているだろう。だが、理解して欲しいあまりに、盲目的になっている。それも仕方のないことだ。

 父は深くサリヴァンを愛している。己れの命以上に大切に、まるで、見捨てられるかもしれないと恐怖する幼子のように。


「その議会が、オリエを認めたこの好機を、わたしは逃さん」


 ぐっと拳を握り、父は不敵に笑む。仕返しを思いついた、やはり幼子のような表情だった。


「二月後、誕生祭の折りに、おまえたちの婚前披露をする」

「……婚前、披露?」


 婚約発表ならしているのに、と言いかけて、そういえば公の夜会でお披露目はしていないことに気づいた。


「今さら、という気もしますが」

「必要なことだ。議会の言質を取る」


 もう誰にも、なにも言わせない。父は、そう決めたようだった。


「……喜ばんのか?」

「え……いえ、それでなにかが変わるなら、とても嬉しいことです。オリヴァンの安全も確保されるなら、もっと嬉しいのですが」

「心配は要らん」


 父ははっきりと、断言する。

 もしかすると、最愛の弟を引き留めるためにわが子すらも利用したことが、父にとって護るための最大手段、そして防御方法だったのかもしれない。


「では、サリエにも伝えるとしよう」


 すっくと立ち上がった父は、口許を綻ばせている。


 これからまたあの騒ぎが始まるのか、と思うと、ライラの顔は引き攣った。ライラが皇宮の自室に戻る原因となった騒ぎは、今では突発的な行事になっている。


「あの、父上さま、叔父上さまのお仕事を邪魔されては……」

「邪魔などしておらん。逢いに行っているだけだ」


 サリヴァンを追いかけて、それで逃げられる。そうして皇宮内を走り回り、政務が放り出されている。

 この数日でいったいどれだけの政務が滞っているか、父はわかっているのだろうか。


「あ、お待ちください、父上さま……っ」


 サリヴァンのところへ行くために動き出した父を、ライラは追いかけた。どうにか父を引き留め、政務に集中してもらわなければならない。追いかけられているサリヴァンは疲労を蓄積させ、サリヴァンのほうの政務も滞っているのだ。

 しかし、父は無邪気に笑う。


「ライレイも来るか。そうだな、そのほうがいい。オリエを婿にもらうのだからな」


 などと言い、ずんずんと歩いて行く。これが速くて、ライラは小走りで追いかける羽目になった。


「父上さま……っ」


 待って欲しいのに、父は待たない。ひとりで歩いて行ってしまう。


「ジーク! ジーク、いないのか」


 と、己れの騎士まで呼ぶと、父の《天地の騎士》であるジークフリート・レイル・カリステルは、父の歩調に合わせて姿を見せた。


「おいおいサラぁ。またサリエかよ?」

「どこにいる」

「どこって……このまま行きゃあいるけどよぉ。ルカとかラクウィルもいるぜ? おれ、行きたくねぇんだけど」

「表にいるのか? 差し迫った政務はなかったと思うが……」

「サラにはなくてもあっちにはあるだろ。つか、これ以上サリエの邪魔すっと、おれがラクウィルに殺されんだけど」

「ならば殺されておけ」

「ひどっ!」

「わたしはサリエに話があるのだ」

「話ぃ? ……ああそういやサリエの奴、田舎に引っ込むとかなんとか」

「なにっ!」

「ん? 聞いてねぇの?」

「聞いとらん!」

「……ま、仕方ねぇな。サリエに逃げられてばっかで、ろくに話してねぇもんなぁ」

「ジーク、説明しろ! サリエはどこに行くつもりなのだ!」


 歩きながら、それも速度のある歩行で、よくもまあぽんぽんと会話ができるものだと思いながら、ライラは必死に追いかける。ライラの後ろからは、近衛騎士やライラの侍女、女官も続いているので、けっこうな人数だ。


「ち、父上さま、お待ち、ください……っ」


 そう声をかけるが、サリヴァンの隠居話を聞いていなかったらしい父はそれで頭がいっぱいになってしまっているようで、ライラを振り向いてくれない。


 どれくらいそうやって歩き続けたのか、気づくと皇宮の中央棟、父の執務室がある部屋の近くまで来ていた。その廊下には、サリヴァンとラクウィル、そして宰相ルカイアがいた。


「サリエ!」

「……、陛下?」

「兄と呼べ!」

「……はいはい、兄上」


 疲れたように振り向いたサリヴァンは、やはり疲労が蓄積しているようで、今日は逃げようとしなかった。諦めの境地に入ったのだろうかと思うほど、突進していった父の過激な抱擁も受け入れた。ただ、抱きつかれたことには、とても嫌そうな顔をしている。

 父を止められなかったことにライラは申し訳なく思ったが、ライラを見つけたサリヴァンは苦笑して、気持ちを汲んでくれた。


「田舎に越すとはどういうことだ、サリエ」

「え? ああ、そういえば……お伝えしませんでしたか。ルカには伝えたのですが」

「なぜだ、サリエ。国を離れぬと言ってくれたであろうに」

「国は離れませんよ。ヴァルハラ家の領地に戻るだけです」

「なかろう! あれはわたしが」

「ええ、兄上が没収してくれましたね。ですが、返してもらうことにしましたよ」

「ならん!」

「次世代が育っているのに?」

「ぐ……っ」


 父の猛攻に、サリヴァンは沈着し、そして冷やかに言葉を返す。ライラではできないことだ。頭に血が昇った状態の父に、たった一言で冷水を浴びせられるのは、今も昔もサリヴァンだけだろう。


「兄上、時代は移り変わるものです。もちろん兄上のよき治世が長く続くことを祈っていますが、それでも次世代を育むことは必要なことです。おれは、その機を逃したくありません。おれにできることも少なくなってきましたからね」

「だ、だが……それとおまえとは、関係が」

「関係ならありますよ。おれはヴァルハラ公です。息子に託したいものは、たくさんあるんですよ」


 サリヴァンの静かな言葉は、父を沈黙させた。わが子ですら利用した父だが、子を想う気持ちはある。それゆえに返せる言葉が思いつかなかったのだろう。


「そういうことですから、書類に目を通して、判をください。では、おれはこれで失礼します」


 サリヴァンは父のそばを離れると一礼し、背を向けた。サリヴァンに続くのはラクウィルで、ライラににっこりと微笑むとこちらも背を向けた。

 立ち去るふたりを、父は追いかけられずに見つめるだけだ。


 だが、どれくらいそうやっていたのか、父の反応を見守っていたそれぞれが声をかけようとしたとき、唐突に父は動いた。


「許さん!」


 そう怒鳴るなり、走り出した。


「ジーク、わたしをサリエのところに飛ばせ!」

「ええ? だってサラ、飛ばすと酔うじゃねぇか」

「いいから飛ばせ!」


 と、ジークフリートを連れて、あっというまにいなくなってしまった。

 あまりの速さに、うっかりライラは取り残されてしまう。ライラだけでなく、近衛騎士たちもうっかり取り残され、われに返った者から慌てて追いかけだした。

 そこに、はあ、とため息をついたのは、宰相ルカイアである。ライラは申し訳なくなった。


「ごめんなさい、ラッセ候。父が……」

「殿下が謝られることではありませんよ。陛下のあれとは、もう十年以上つき合っていますからね。仕方のないことでもありますし」


 どれだけ皆に迷惑をかけるつもりなのか、しかしルカイアは諦めの境地すら通り越し、放置することにしているようだ。


「それより、そろそろオリエ公子が登城されます。カルアに外縁のほうへ案内させますから、そちらの部屋でお待ちになられてはいかがですか」


 皇弟擁護派の筆頭、と囁かれているルカイアは、ライラとオリヴァンの婚約に賛成してくれているので、オリヴァンの帰還に伴う今日の登城はライラとの逢瀬ではないのに、場所と機会を与えてくれるらしい。

 ライラは微笑んで礼を言うと、早速そちらに向かった。







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