Plus Extra : きみの背中に花束を。13
オリヴァン視点です。
北領の砦の修繕は、賊に襲撃されたにも関わらず、予定よりも僅かに遅れた程度で完了した。それはシェリアン公国の助力と、オリヴァンの的確な指示による迅速な対応によってもたらされたことだ。
「おまえ、公子だったんだな。それも皇女サマの婚約者ときた。驚いたぜ」
職人たちは、オリヴァンの素性を知ってしばらく動揺し、そうしてぎくしゃくとした態度を取っていたが、オリヴァンが相も変わらず小間使いのような作業をしていたので、それを見ているうちに以前のような態度で接してくれるようになっていた。大雑把な性格をしている職人たちに、オリヴァンの素性は大雑把に振り分けられたようではあるが、ただの貴族ではないらしいと思われたのだろう。
関係が回復したことも、北領の砦の修繕には大いに貢献された。
皇都への帰還は、それから一週間後のことである。
登城して報告する前にと実家に帰ってきたオリヴァンは、しかし予想していた母ツェイルと父サリヴァンの出迎えを受けなかった。
「あれ……ツェイは?」
出迎えてくれた家宰に訊ねると、首を左右に振られる。
「登城されておいでのはずです」
「城? 離宮にいるの?」
「そのはずです」
「はず?」
「城に行く、とサリヴァンさまと出られてから、お帰りになりませんので」
「珍しいな……」
乞われても登城などしたことなどなく、サリヴァンと一緒でもあまり登城したがらないツェイルが、登城したまま帰ってこないというのは、登城したときよりももっと珍しい。
「着替えたらおれも城に行く。表に馬を出しておいてもらえるかな」
「承知いたしました」
とりあえず身綺麗にして城へ行こう、と決めると、オリヴァンは一緒に帰ってきたノアウルやイオルシィズ、途中から一緒にいたクレイドにもそう声をかけ、自室に向かった。
汚れた身体をさっぱりと洗い落とすと、出仕するときに着る衣装に袖を通す。昔サリヴァンが着用していた白い衣装はオリヴァン用に仕立て直され、飾り気もなく質素だ。もともと装飾品は好まない性格なので、とくに拘りもなく身を整えて自室を出た。
準備を終えて外に出たときには、ノアウルとイオルシィズ、クレイドも同じように準備を終えて待機していた。
「休んでてもいいぞ、シズ。怪我、まだ治ってないだろ」
「だいじょうぶですよ。報告に行くだけでしょう?」
「そうだが……本当に平気か?」
だいじょうぶですよ、と繰り返して言ったイオルシィズの顔色は、怪我を負った当初よりも格段によくなっている。放っておくと自分では治療もせず、包帯も放置するか勝手に取ってしまうような奴なので、ノアウルと躍起になってかまった成果だ。まあ連れて行っても問題はないだろう。
「ふむ……クートも、行くのか?」
「わたしは護衛です」
「ノアもシズもいるんだけど」
「多いことに越したことはありません」
もっともだ。クレイドは頭が固いので、融通が効かない。ここで効かせる必要のある融通もないので、まあいいか、とオリヴァンは最後にノアウルを見やった。
「城に行ったら、陛下に報告するから。あとライラにも」
「……ああ」
なにを、とは訊かず、どこか不服そうにノアウルは頷く。北領の砦の修繕終了報告と一緒に、イオルシィズの天恵発現も報告することになっているので、少し面白くないらしい。今までひとりでふたり分の騎士をやっていたのだから、それが軽減されていろいろと余裕もできるだろうに、とオリヴァンは思うのだが、ノアウルはそう考えられないようなのだ。
「じゃあ、行くか」
合図をすると、それぞれが一斉に馬に跨る。先に走り出したのはクレイドで、続いてオリヴァン、ノアウルと続き、最後にイオルシィズが、ヴァルハラ公爵家の邸を出て皇城へと向かった。
皇城へは、馬で一刻と少しかかる。オリヴァンが赴くことは先に伝令が行っていたので、到着したときにはとくに驚かれもせず、厩舎の顔見知りには「無事に帰ったか」と労いの言葉も受けた。
城に入ってすぐ、待ち受けていたのはカルアだった。
「久しぶり、ただいま、カルア」
「薄気味悪い笑みはご遠慮願います。お帰りなさいませ、オリエ公子」
相も変わらず強烈なカルアは、今日も官服を完璧に着こなし、一糸の乱れもない。
「申し訳ありませんが、今少しお待ちいただけますか」
「それはかまわないけど……なにかあったの?」
「なにも。陛下がおられないだけです」
「え……ええ?」
いないとはどういうことだ、とオリヴァンは目を丸くした。カルアの落ち着いた様子から悪い事態が起きているわけではなさそうだが、伝令はサライのところまで行っていないのかもしれない。
「正確には、皇城のどこかにいらっしゃるのでしょうが、お姿が見えません。先ほどから捜してはいるのですが」
「……ええと、逃げられているのかな?」
サライならやりそうだなぁと笑ったら、カルアに思い切り睨まれた。ので、すぐに目を逸らして誤魔化す。ため息をつかれた。
「サリヴァンさまもいらっしゃりませんから、ご一緒なのでしょうね」
「ああ……サリエと追いかけっこかな」
やりそうだ。ものすごくふつうにやっていそうだ。いや、過去にやっていたことがあるので、今もやっているだろう。
「それなら、先にライラに逢いに行こうかな。まだ離宮にいる?」
「いえ、数日前から自室に戻られています。ご案内します」
「あ、いいよ。部屋ならわかるから」
「ご案内します」
「……よろしく」
なんだか今日はものすごく警戒されている。そう思いながら、歩き出したカルアの後ろに続いた。
「ご無事でなによりです。迅速な対応と、的確な指示、陛下が褒めていらっしゃいました」
「ありがとう。みんなのおかげだ」
「でしょうね」
カルアの言葉一つ一つが、なぜだろう、痛い。気のせいだろうか。
「ライラは元気?」
「そう訊かれて、いいえと答えられますか?」
気のせいではなく、痛い言葉だ。
ノアウルとカルア、兄妹揃って機嫌が悪そうだというのは、これがなかなか厄介というか、面倒というか、疲れるというか、大変だ。
早くライラに逢って、癒されたい。
ライラを抱きしめて、安心したい。
ライラと笑い合って、和みたい。
カルアに話しかけるのは得策ではないらしいと理解して、オリヴァンは口を閉ざすと黙って歩く。
聞こえるのは靴音と、風を受けた外套の音、腰に提げた剣の金属音だけとなった。
広い廊下を黙々と歩き、外の光りが入る外縁の廊下に出れば、木々のざわめきや動物の鳴き声も聞こえてくる。今日は出仕している者たちが少ないのだろう。人の声はそれほど聞こえてこない。
そこにふと、やけに歩幅が短い靴音が聞こえた。
「ん?」
「どうした、オリヴァン」
「いや……靴音が一つ、いや二つ……三つ? 多くないか、ノア」
「靴音?」
立ち止まって、どこから聞こえてくるのだろうと、視線を巡らせたときだ。
どん、と。
「えっ?」
唐突に、胸を襲った衝撃があった。
「オリヴァン!」
「公子!」
それはオリヴァンにも唐突だったが、ノアウルやイオルシィズ、クレイド、カルアにも唐突で、いきなりのことだったらしい。複数の警戒した声が重なった。
オリヴァンは、胸に飛び込んできた衝撃を、じっと見つめる。
「……ツェイ?」
母だ。
いったいどこから現われたのか、母ツェイルがオリヴァンの胸に顔を埋めてしがみついていた。
そうして。
「ツェイ、どこに逃げたっ! ツェイ!」
という大声が、廊下に響いた。
「サリエ?」
あれは父サリヴァンの声だなぁと、暢気に思ったところで、しがみついていたツェイルが顔を上げた。
「おかえり、オリヴァ」
「……ただいま?」
「おかえり」
ふわっと微笑んだツェイルは、ぎゅっと強くしがみついてきたあと、ふっと離れていく。
「ツェイ?」
久しぶりなのに、とオリヴァンは手を伸ばすが、ツェイルは笑ったまま距離を作る。そのままくるっと、オリヴァンに背を向けて走り出した。
「ラク!」
「はーい。あ、オリヴァンおかえりなさーい」
と、ラクウィルを呼んで、ツェイルは消えた。ラクウィルの天恵で、どこかに飛んでしまった。
「え……ちょ、ツェイ? 久しぶりの息子だよ?」
それはないだろう、と戸惑っていたら、もう一つ聞こえていた靴音が近くまで来ていた。これはサリヴァンだ。
「オリヴァン、ツェイはどこに行った!」
「ちょっとサリエ? 久しぶりの息子に夫婦してなに?」
振り向きざまに言ったら、完全に息の上がった父がいた。
「父と呼べ!」
「やだよ」
「おかえり!」
「ただいま」
「っ……疲れた」
だろうな、と思いながら、へばって床に崩れそうになったサリヴァンの腕を取って支えてやった。
「相変わらず体力皆無だね、サリエ」
「言うな……っ」
「情けない」
「ツェイに、ラクを、とられた……失敗した」
なにをどう間違え失敗して、自分の騎士をツェイルに奪われたのか。
まあそれはどうでもいい。
相変わらず体力のないわが父に、オリヴァンは呆れるだけである。
「サリヴァンさま、どこにいらっしゃったのですか」
「ん? ああ、カルアか。みんな、揃っているな」
一番にわれに返ったカルアの言葉で、サリヴァンは漸く周りを見渡し、揃っている面子に微笑む。この状況でオリヴァンだけを認識していたとは、さすが父、だろうか。
「近くの部屋で休みましょう。もう少し歩けますか、サリヴァンさま」
「悪い。部屋はいいから、そこの椅子に座らせてくれ」
そこ、とサリヴァンが促したのは、外縁の向こう、ちょっとした庭になっているところにある石椅子だ。ノアウルに手伝ってもらって、オリヴァンはそこまでサリヴァンを連れて行く。
クレイドが「水をもらってきます」と申し出てくれたので、ノアウルと一緒に行ってもらった。
「陛下はご一緒ではないのですね。てっきり、ご一緒なのかと思っておりました」
「ん、逃げてきた。まあすぐに見つかるだろうな。疲れて動けん」
どうにか息は整えたサリヴァンだが、もう一歩も動きたくない、と後ろの壁を背もたれにして少し姿勢を崩す。子どものようなその態度に、息子として、オリヴァンは「なんだかなぁ」とため息をこぼした。
「なんだ?」
「いや、この前は怒っていたから、まだ機嫌悪いのかと思っていたんだけど」
「おれの不機嫌は長引かないぞ」
「ツェイのこと以外で、ね。はいはい」
「母と呼べ、母と」
「ツェイはツェイだよ。おれもてっきり陛下から逃げているものだと思ったんだけど、ツェイと追いかけっこって……なに珍しいことしてるかな」
サリヴァンの横に腰かけて、オリヴァンは深々と息を吐き出す。邸でならまだしも、城でなにをしているのだか、と両親に呆れるばかりだ。
「ツェイが走り回るからだ。動くなと言ったのに」
「ツェイがひとりで動き回るのは昔からだろ」
「身重だぞ」
「……、あ」
そうだった、忘れていた。母は身重だったのだ、そういえば。
「身体が軽いと言って、ラクの天恵の負荷も感じないらしい。身重だという自覚がまずない」
「うん。おれも忘れてた」
「忘れるな。年明けには妹が産まれるんだぞ」
「おれも妹が欲しいけど。でもなんで、ツェイがラクウィルと?」
なぜサリヴァンから逃げているのか、と問えば、父はわざとらしく視線を彷徨わせた。
「ああ、怒らせたわけ」
「ち、ちがう」
「なにを誤魔化して怒らせたのだか」
まったくこの夫婦は、とわが両親にやはり呆れる。
「べつに誤魔化したわけでは……」
誤魔化したのではなく隠しごとだろうか。わが父は隠しごとがとても上手いのだ。だが、わが母にそれは通じないところがある。
「なにやったんだよ」
と問えば、サリヴァンは唸った。
どうやら隠しているつもりでもないらしい。となると、言い忘れたことで、ツェイルを怒らせたことになる。いや、むしろ逆だろうか。サリヴァンを怒らせて、ツェイルは逃げたのかもしれない。
痴話喧嘩か、とオリヴァンは肩を落とした。
珍しいことは、続くものだ。
と、そのときである。
「サぁリエーっ!」
という、大音量の嬉々とした声が、外縁の廊下に響き渡った。
「あ、あにうえ……」
嫌そうな顔をしたサリヴァンが、満面の笑みで走ってくる人物を見やって、頬を引き攣らせた。
「陛下も相変わらずだなぁ……」
久しぶりに見る皇帝サライに、オリヴァンも頬を引き攣らせた。