Plus Extra : きみの背中に花束を。12
ライラ視点です。
サリヴァンが目を覚ましたのは、四日後の昼だった。
部屋に呼ばれたライラは、いきなり倒れて驚かせてしまったことと、その後に眠り続けてしまったことを謝られた。ツェイルの言うとおり本当にただ眠っていただけのようで、サリヴァンの顔色は倒れる前と比べて格段によくなっている。
「ところで、ツェイを知らないか?」
「叔母上さまですか? いえ……そういえば今朝は見ていません」
起きたサリヴァンは寝台から離れ、居間にいたのだが、起きたときもライラを呼ぶときも、ツェイルの姿を見なかったのだという。ついでに、侍従長ラクウィルの姿もないらしい。
「どこに行ったんだ? 起きるまで気配はあったんだが」
「離宮のどこかにおられるのでは?」
「捜させた。が、いないんだ。それでライレイのところにでもいるのかと思っていたんだが……見てないか」
「はい。昨夜の夕食はご一緒しましたが、それ以後は……」
ライラはこの離宮で、ひたすらオリヴァンの無事な帰りを祈って公務や勉強をしていたが、今朝から消えているツェイルはずっとサリヴァンのそばにいた。というよりも、寝室に籠もり切りだった。ゆえにこの四日ほど、ライラは食事以外の時間で、ツェイルとまともに顔を合わせていない。
「ラクと一緒にどこかへ行ったか……ナイレン、なにか聞いてないか?」
サリヴァンは近くに控えていた騎士に、ふと振り向いて訊ねた。
「先ほども言いましたが、おれはなにも。ただ、気になることが」
「なんだ?」
きょとん、と首を傾げたサリヴァンが、なんだか可愛らしい。オリヴァンに仕草が似ている。いや、サリヴァンの仕草はオリヴァンの原型だ。似ているのは当然である。
そんなことにちょっとしたドキドキ感を持ちつつ、ライラも一緒に首を傾げる。
「皇宮から離宮への廊下は少し前から閉鎖されていたのですが、先ほど開放されたようで」
とたん、ぎっくん、とサリヴァンがびくついた。ライラも、「あ」と思う。
「あれは足止めでしょうかね?」
なんの足止めか、などと、訊かずともわかる。
「兄上が来る……」
「父上さまが来ますね……」
皇帝サライが押しかけてくる可能性、それゆえに対応しなければならないだろうサリヴァンは、離宮での身動きが制限される。
「ツェイの仕業か……」
ツェイルが、なにかを目的にしてサリヴァンの足止めをしようとした可能性は高く、またライラもそれをなんとなく否定できない。この見計らったような頃合い、罠ともいえるのではなかろうか。
「どおりでナイレンがいるわけだ……来たときはおまえがいなかったからな」
「おれのほかに、ユグド隊長とシュベルツとクラウスと、クレイドも来ていますよ」
「クートも?」
「今や立派な騎士ですからね。本当は公子にお付けしようと思って連れてきたんですが、一足遅かったようで」
「あー……兄上が来たらジークフリートに送らせる」
「そうしてくださると助かります。ラクウィルに頼もうにもいませんし、ノアウルはもちろんいませんし」
「うー……最悪だ。兄上がくる。失敗した」
サライが来ることには諦めがついたらしいが、それでも嫌そうな顔をしたサリヴァンは、深々と息をつくと長椅子に埋もれる。不貞腐れているようなその姿に、オリヴァンもこんなふうに不貞腐れるのだろうかと、ライラは関係のないことを考えて小さく笑った。
「父上さまのことは、申し訳ありません。わたしには止められなくて……」
「いや、ライレイのせいではない。兄上は……まあ、ずっとああなんだ。おれが隠されていた間のことをまったく知らなかったと、そういう罪悪感があるせいで、護ろうと必死であられる。そんな歳でもないのに、な」
ふと、疑問が湧く。
「隠されていた、とは……」
「ん? ああ、ライレイは知らないか」
居住まいを直したサリヴァンは、苦笑しながら「昔の話だ」と言った。
「おれは兄上とは別々に育っている。おれは兄上の存在は知っていたが、兄上はおれの存在を知らなかった。それだけのことだ。そういう罪悪感だよ」
「なぜ、別々に……?」
「んー……その経緯は、よくわからないな」
誤魔化しているというよりも、話したくなさそうなサリヴァンの様子に、ライラは押し黙る。いつでも微笑んでいる叔父が、なんだか悲しそうだったのだ。それに、ちらりと見やった騎士の顔色も悪くなっている。その辺りの事情、或いは過去を、ライラは今ここで聞くべきではないらしい。
思えばライラは、サリヴァンのことを、実はよく知らない。オリヴァンのことなら幼い頃から一緒なだけにわかるけれども、サリヴァンのことは、父サライですら話そうとしないゆえに、過去なにがあったのかなど聞いたことがない。聞こえてくるのは、いつだって外周の噂話ばかりだ。
それでいいのだろうか、と脳裏に疑問が過ぎる。
「……叔父上さま」
「ん?」
「わたし、このままではいけないような気がするのです」
「……このまま、というと?」
ぎゅっと拳を握って、サリヴァンを見つめる。
もっと若い頃は父サライと区別がつかないほど似ていると言われていたサリヴァンは、しかし髪の色が違う。瞳の色も、サリヴァンのほうが透明感は強く、また雰囲気も柔らかい。全体的に見れば間違えそうなほど父サライと似ている叔父だが、双子のようだと言われていたことが本当にあるのだろうかと、ライラは思う。
「わたしは、流されるままに、オリヴァンと婚約しているのではありません」
「……ああ」
「片翼だからとか、天恵があるからとか、そういうことも関係ありません」
「ああ」
「わたしは……オリヴァンに恋をしています」
父サライの弟、叔父、オリヴァンの父に、はっきりとそう言うのは気恥しいところもある。だが、ライラは知って欲しいと思った。サリヴァンには、わかってもらいたかった。いや、サリヴァンはわかっているだろう。ただライラが、どうしても不安になるだけだ。どうして信じてもらえないのだろうと、どうして理解してもらえないのだろうと、そう周りに対して悲しくなるがゆえに。
「ライレイの気持ちは、わかっているつもりだ」
「叔父上さま……」
「だが、周りは納得しない。とくに、おれを快く思っていない者たちには、無理にでも納得することができないものだ」
それが悲しいと、ライラは思う。この心優しき叔父を、どうして悪く思えるのか、言えるのか、ライラにはわからない。
「おれのせいで、ライレイには悪いことをしているな」
「そんなことはありませんっ」
「はは。ありがとう、ライレイ」
ふわふわと微笑む叔父は、オリヴァンそのものだ。オリヴァンも、こういうふうに笑う。この笑みを理解できない人たちが、ライラにはわからない。
「さっさと、ライレイや兄上の前から消えてしまえたらいいんだが……悪いがそれだけはできない。おれには、ツェイがいるから」
二言めには「ツェイ」と名を呼ぶサリヴァンの愛情は深い。ライラがいつだってオリヴァンのことを考えているように、サリヴァンはいつだってツェイルのことを考えている。こんな夫婦になりたいと、ライラは幼い頃からよく思ったものだ。
「叔母上さまを悲しませるようなことだけは、口にしないでください」
「そうだな……そのためにも、先に目的を果たすべきだった」
「……、目的?」
なんだろう、とライラは首を傾げる。
「皇都を離れようと思っている」
瞬間、ライラは瞠目した。
「都を、離れる……のですか?」
どこに、と先に思ったのは、公爵であるサリヴァンに所領地がないためだ。正確には、帝国預かりとなっている領地はある。けれども、サリヴァンには統治する権限がなく、言ってしまえば剥奪されている状態だ。皇都を離れても、行くところはないのである。
「ど、どうして急に、そんな」
「急なことではないが……以前から、オリヴァンが成人したら皇都を離れようとは考えていた。この時期になったのは、まあ……ツェイが身重だからな」
「え……?」
「産まれる前に移動を済ませて、落ち着かせたい。だから今度こそ、兄上を脅してでも領地を取り戻すつもりだ。無理なら別宅を購入するが、まあ兄上のことだから承諾してくださるだろう。そもそもこんなに長く皇都に留まる予定ではなかったんだ」
「叔父上さま、お待ちください。叔母上さまが、なんと?」
ちょっと待って、とサリヴァンの言葉を止め、ライラは少しどきどきしながら聞き間違えてはいないだろうそれを訊ねた。
「ツェイが……ああ、言わなかったか。身重だ」
「み、おも……と、言いますと」
「妊娠している。そんなふうには見えないだろうが」
見えなかった、とライラは硬直した。
だが、とても喜ばしいことだ。
「お……おめでとうございます」
祝いの言葉を述べれば、サリヴァンはそれはもう幸せそうに、嬉しそうに、満面の笑みを浮かべた。
「ああ。今度は娘だ」
「性別がおわかりに?」
「おれが娘だと言うんだから、娘だ」
息子だったらどうするんですか、と騎士が顔を引き攣らせて言ったのをサリヴァンは無視したが、同じことをライラも思った。
それにしても、ツェイルはまったく身重に見えなかった。衣装が神官のような男装なせいもあるだろうが、そうでなくてもサリヴァン曰く「成長速度が遅い」のだそうだ。妊娠が発覚して少し経ち、そろそろ腹が膨らんできてもおかしくないのに、まったくその傾向がないらしい。
「医師に訊いたら、特に問題はないと言われてな。養父上に……猊下に訊こうと思ってツェイルを連れて来たんだ」
「そうだったのですか……」
数日前に訪れた友カルアが「なにかあるのでは」と訝しんでいたのも、あながち外れてはいなかったわけだ。
「まさか逃げられるとは思わなかったが……うっかり眠りこけたのが失敗だ。こんなふうにして兄上とお逢いするつもりでもなかったのに、予定が狂ったな」
「父上さまは……」
サリヴァンとツェイルにふたりめの子が産まれることは喜ぶだろうが、それを理由に皇都を離れられたら、父サライはどう反応するのか。さすがに娘であるライラにも予想できない。
「隠居とまではいかないが、そうすることに兄上も反対はしないだろう。オリヴァンは成人した。ノアウルやイオルシィズ、ソルフィード、クート……互いに支え支えられる者たちがいる。だからあとは、オリヴァン次第だ」
「オリヴァンを置いて行かれるのですか?」
「そうしないと、ライレイに恨まれる」
「そっ……そんなことはありません」
内心、オリヴァンを皇都に残してくれることに、ライラはほっとしている。帝国預かりとなっているヴァルハラ公爵の領地は、皇都から随分と離れているのだ。今までのように逢う機会は、それほど多く期待できない。いくらノアウルのような天恵者がいても、一緒に飛ぶ回数には限りがあって、使用には気をつけなければならないのだ。
だから、オリヴァンが残ってくれるのは嬉しい。サリヴァンやツェイルと逢えなくなってしまうのは、寂しいことだけれども。
「ライレイ」
「は、はい」
「おれは皇都を離れる。もうオリヴァンのそばにはいてやれない。いや、オリヴァンにはもう庇護者は必要ない。だから、ライレイに頼もうと思う」
「……叔父上さま」
サリヴァンのふとした言葉に、やはりわかってくれていたのだと、ライラは安堵する。
「臆するな、ライレイ」
それは、力強い言葉だった。
「天恵、片翼、その言葉に惑わされてはならない。ライレイも、オリヴァンも、この世界に生きるひとりの人だ。だから屈するな」
ハッとする。
ああ、そうだ。
ライラには願いがある。届いて欲しい祈りがある。
それらを叶えるために必要なのは、周りの思惑に屈しないこと、臆さないことなのだ。
周囲に振り回されてはいけない。
周囲の噂ばかりに、耳を傾けてはならない。
見るならすべてを、聞くならすべてを、見て聞いて判断しなければならない。
偏ったものは、真実とは言い難いのだから。
危うく、そのことに気づかないままでいるところだった。
「叔父上さま、わたし……」
真っ直ぐと、サリヴァンを見つめる。
透明感の強い碧い瞳は、ライラの姿を映し、そうして微笑んだ。