Plus Extra : きみの背中に花束を。10
ライラ視点です。
唐突に訪れた幼馴染で親友の文官に、あの婚約者のどこがいいのだとくどくど文句を言われること小一時間、ライラはずっと苦笑していた。いきなりやって来て、いきなりその話をされるとも思っていなかったライラにとって、表情筋が非常に疲れる時間だった。
「あの薄ら笑い、思い出しただけで寒気がします」
「いつもの笑顔だと思うのだけれど」
「では姫さまは、あの笑みにその美しい柔肌を赤く染められてしまうのですか? やめてください。姫さまが穢れます」
「そ……そんなに嫌い?」
「嫌いなのではありません。薄気味悪いのです」
邪気のある言葉ではないから、諌めることもできない。むしろ親友であるこの文官は、ライラの身を心配してのことと、単に性格的相性の悪さから、ライラの婚約者たるオリヴァンを苦手視している。
「あんまり言われると、悲しくなるわ……」
「あら……それは申し訳ありません。言い過ぎました」
ライラが肩を落として凹めば、さすがに生真面目な文官カルアも文句を引っ込めてくれる。
ほっとして、気持ちを落ち着かせるためにお茶を飲んだ。
「ところでカルア、なにか用事があってわたしのところへ来たのではないの?」
「陛下が捜しておられます」
思わず顔が引き攣る。
オリヴァンの文句を言う前に、一番に切り出すべきことではなかろうか。
「わたしが叔父上さまのところにいるのは、伝えられているのではなくて?」
「いいえ」
どこでその伝達が止められてしまったのか。
おそらくは目の前の文官か、或いはその父たる宰相の仕業であろうが、なぜそんなことをしているのかは不明だ。
「父上さまにお伝えして。わたしはもう少し、叔父上さまの宮にいるわ」
「サリヴァンさまがここにおられると、そうお伝えいたしますと政務が滞ります」
「……それは」
確かに、サリヴァンがここにいると伝えたら、父はきっと、いや必ず、政務を放り投げて、嬉々としてこの離宮を訪れるだろう。このところ訪れる回数が減っていることもあって、父のサリヴァンへの愛情は過激だ。それに、今サリヴァンは日ごろの寝不足から倒れてしまっている。そのことが父に知れたら、どうなるかわかったものではない。
「……父上さまは、なぜわたしを捜しているの?」
「お茶をしたいと」
そんな理由だと思った。
さしずめカルアは、その用をライラに伝え、説得したが無理だった、という証拠を作るために、オリヴァンの文句を小一時間も並べ連ねたのだろう。
「叔父上さまがここにおられることは隠して」
「承知しております。そのサリヴァンさまにご挨拶したいのですが……」
「休んでおられるの。あまり眠られないとかで、倒れてしまったのよ」
「……離宮への廊下を閉鎖させていただきます」
「そ、そうね」
父のサリヴァンへの愛情は奇行に等しい。それは重々、カルアも理解している。ゆえに、警戒は厳重だ。
「お身体のほうは、だいじょうぶなのですか?」
「叔母上さまは気にしなくていいと。本当に眠っているだけのようよ」
「ツェイルさまもご一緒なのですか?」
「ええ」
「……珍しいですね」
「え?」
「ツェイルさまが登城なさったのは、数年ぶりのことです」
そんなに経つだろうか、と考えて、そういえば昔ほど城で逢わなくなっていたことに気づく。成長するにつれライラも勉強というものをしなければなくなっていたし、周りのこともあったし、オリヴァンだけが来ることが当たり前になっていったので、城で逢う機会が減っていったのだ。城の外、ヴァルハラ家の邸では逢っていたので、あまり気にしたことがなかった。
「なにかあるのでしょうか……」
「不穏なことを言わないでちょうだい。ついて来ただけ、と叔母上さまは答えてくださっているわ」
「なら、よいのですが」
「カルア」
勘繰るカルアに、そうは思いもつかなかったライラも不安になってしまう。サリヴァンやツェイルになにかあると、オリヴァンにもなにかあると思ってしまうのだ。
「……公子ならぴんぴんしておりましたよ」
「えっ?」
不安が顔に出ていたのか、カルアにそう言われて吃驚してしまう。
もしかして、いきなりやって来て、いきなりオリヴァンの文句を並べたのは、ここに来る前にオリヴァンに逢っていたからだろうか。
「怪我をしていたのはイオルシィズのほうです。ソルフィードも怪我をしたと報告がありましたが、イオルシィズが動き回れるくらいですし、心配など無用でしょう」
「本当に? オリヴァンは無事なのね? 怪我はないのね?」
「あの剣に勝てる剣士がいれば、無事では済まなかったでしょうね」
遠回しに無事だと言ってくれたカルアに、ライラは漸く安心の一息をつく。オリヴァンが無事であることは少し前に知らされていたが、直接オリヴァンに逢った人からの報告ではなかったので、気が気ではなかったのだ。
「ただし、帰還の予定は送れるでしょう。補修用の石材を公国から取り寄せなければなりませんし、直した部分を壊されたようですからね。最初からやり直しです」
「そう……被害はどれくらいだったの?」
「怪我人はイオルシィズとソルフィードだけだそうです。賊は公子が捕え、処分は公国に任せられたと」
「オリヴァンが……賊を捕えたの?」
さすがはオリヴァンだ、と目を輝かせると、とたんにカルアはいやそうな顔をした。嫌いではないと言うくせに、やはり性格的相性が悪いせいか、どうしてもいい顔はできないらしい。
「バケモノ並みに強いですからね、公子は」
どうやら剣の腕がもっとも気に喰わないようだ。幼い頃、交えた剣で負けたことがあるらしいので、おそらくはそれが今でも悔しいのだろう。
「オリヴァンの剣はすごいの。舞っているようにしか、わたしには見えないわ」
剣を揮うオリヴァンは綺麗だ。それが人の命を奪うものの形であっても、人を惹き寄せる美しさがある。オリヴァン本人は稽古もしたがらないし、帯剣も好まず、庭で草花を愛でるのが好きな気性なので、褒めたところで喜びもせず、事実を受け止めるだけだが、ライラは仕方なく剣を握って稽古をしている、ただ決められた型に従って剣を揮うオリヴァンの姿を見るのは好きだ。ただただ美しくて、見惚れてしまう。
「どうしてあんなに、綺麗なのかしら……」
男の人に、綺麗、はないのかもしれない。だが、ライラにはそれ以外の言葉が見つからない。
「あのやる気のない姿のどこが綺麗なのか……わたしには理解できませんね」
「オリヴァンは綺麗よ?」
「姫さまのほうが百倍お綺麗でいらっしゃいます」
お世辞を言ってまでオリヴァンの剣を貶したいらしいカルアに、ライラは苦笑した。
「やっぱり嫌いなのね」
「嫌いなのではありません。あの胡散臭さがたまらなく不快なだけです」
素直に「嫌いだ」と認めてしまえばいいのに、幼馴染で親友の文官は、ライラを想ってそれだけは口にしない。いや、心の底から嫌っているわけでもないから、カルアのそれはライラの心を護ろうとしてのことだ。たぶんカルアは、誰かがオリヴァンの悪口を言っていたら、猛烈に怒る。ライラのためだけに。
「……ありがとう、カルア」
「? いきなりなんですか?」
「オリヴァンのこと、教えてくれて」
きっとカルアは、いきなりやって来てオリヴァンの文句を並べたのも、ライラが誰にもオリヴァンのことを話せないとわかって、ライラに喋らせるために行動に出てくれたのだ。オリヴァンを貶すのも、ライラがオリヴァンのいいところを話すための、きっかけを作るためのものだ。
カルアの想いを感じると、オリヴァンのことを想う自分に、優しくなれる気がする。
「公子の様子を伝えに来たつもりはありませんが……そろそろ陛下も時間でしょうから、わたしはこれで失礼します。サリヴァンさまにご挨拶をしたいのですが……ツェイルさまでもよろしいでしょうか」
「待って。訊いてみるわ」
さすがにお茶の時間ではなくなっているので、父もライラとのお茶は諦めるだろう。退室を申し出たカルアに少し待ってもらって、扉の前で控えているマルサムに、カルアが挨拶をしたいと願い出ていることをツェイルに伝えてくれるよう頼んだ。
伝言を預かったマルサムは、部屋を出て行くとまもなく戻ってくる。ただ、ひとりではなく、ライラにも見憶えがある若い騎士を連れて戻ってきた。
「サリエさまと休まれておられるそうですので、伝言を承ると」
マルサムはそう言って、連れてきた若い騎士に前を譲る。
「クレイド・シュミッド? いつのまに登城したのですか」
若い騎士は、もちろんカルアも見知っていて、クレイド・シュミッドといった。サリヴァンの騎士隊に所属し、サリヴァンにはなぜか「クート」と呼ばれている藍色の瞳を持った青年である。
「先ほど、ダンガード侍従長より召喚を受けました。お話はわたしが承ります」
「……他愛もないことです。お逢いできるのは久しぶりだと思いましたので、休まれておいでなら必要ありません。ですが、ご滞在の予定はお訊きしたい」
「長居はされないと思います。一週間ほどかと」
「そうですか……ではその期間、離宮への廊下は閉鎖させていただきます」
「閉鎖……?」
「陛下に知れたら政務が滞るからです」
僅かに首を傾げたクレイドだったが、理由を聞くと納得したように頷き、厳重な警備をカルアに願い出て、頭を下げた。
父の奇行にも等しいサリヴァンへの過激な愛は、騎士隊では浸透している事項なのだと痛感させられる。
「では姫さま、わたしはこれで失礼いたします」
「また来てくれる?」
「いつなりと、お呼びくだされば」
「ありがとう、カルア。今日みたいに突然来てくれても嬉しいわ」
「では、たまにそうさせていただきます」
にこ、と柔らかい笑みを浮かべたカルアに、ライラも微笑む。クレイドと一緒に、カルアは部屋を出て行った。