Plus Extra : きみの背中に花束を。8
オリヴァン視点です。
伯父でもある皇帝サライに謁見することなく北領の砦に戻って、すぐに怪我で休んでいるもうひとりの従弟を訪ねた。イオルシィズほどの怪我ではないにしても、ここに滞在している者の中でもっとも若く、戦闘経験も浅いため、怪我の回復具合はあまりよくなかった。一度皇都へ帰らせようと思ったのである。
「ん? あれ……ソフィ?」
「帰したよ」
「……、アイン?」
どこからともなく聞こえた声に振り向けば、母の兄である伯父ツァインが、壁に寄りかかってこちらを見ていた。部屋に入ったときにはいなかったのに、相変わらず神出鬼没だ。
「ソルフィードなら家に帰したよ。邪魔だからね」
「帰したって……皇都の実家に?」
「侍従長がね」
「いつ」
「きみが帰ってすぐ」
「……そう」
ラクウィルも相変わらずぽんぽんと飛び回っている。ノアウルも同じ天恵を持っているが、ラクウィルのような回数は飛べないと聞いていた。
ここにも自分とサリヴァンのような違いがあるな、と思いつつ、オリヴァンは踵を返すと自分が使っている部屋に戻るべく足を進めた。
「なんで僕がいるのか、訊かないのかい」
「サリエの命令だろ」
「自主的だよ」
「同じことだ」
「……、可愛くないなぁ。なに不機嫌なの」
部屋の手前で立ち止まると、ついて来るツァインを振り向き、見つめる。
「なあ、アイン」
「なぁに?」
にこ、と美貌に任せたツァインの微笑みは、昔もそうだったらしいが今も、随分と余計なところからも人気を引っ張ってくる極上のものだ。だがオリヴァンは、どうしてもその笑みが作られたものにしか見えない。だからきっと、ツァインは誰の前でも、こうして嘘の感情を見せているのだろう。母の兄は、母にしか愛情を向けないのだ。
「おれとサリエ、どこが違う?」
「ぜんぶ」
「……、訊くんじゃなかった」
そうだよな、と思う。誰の前でも嘘の感情しか見せないのだから、それにはオリヴァンも含まれる。いくらオリヴァンが甥でも、ツァインはそういうものにすら縛られない人間だ。質問の仕方も間違えた。
「僕になにを期待したのか知らないけれど……そもそも、どういうつもりで僕にそれを訊いたのかな」
「……おれとサリエは、同じ天恵を持っている」
「そうだね」
「前に、違うって、サリエが言ったんだ」
「まあ違うだろうね」
簡単に「違う」と言うツァインに、オリヴァンは首を傾げた。
「なんで? 同じ力だろ」
「殿下の天恵は壊れているからねえ」
「壊れ……え?」
天恵が壊れることなど、あるというのだろうか。いや、ありえない。天恵とは、天の恵みだ。天から与えられたものを、人間が壊せるはずがない。
「法則から外れてる、とかなんじゃ……」
「天恵の法則っていうものは、人間が勝手に定めたものだよ。謂わば一般例と異例を区別するもの。世界に点在する数多の天恵を、人間ごときが掌握できると思うわけ?」
「……いや」
ツァインの言うとおりだ。
それなら、やはり天恵とは、壊れるものなのだろうか。
「僕は神学者じゃないから、確かなことを言えるわけでもないけれど……一般論にしたがる気持ちはわからないから、法則なんてものも信じてないね。そういう考え方からいっても、きみと殿下は違うかな」
「たとえば、どこが?」
「殿下から聞いたことない? 国を出られない、とか」
聞いたことがある。国境付近を旅していたとき力に呑まれかけて、母が半狂乱になったとか。それからの父は国境にも近づかないようにしていると、聞いたことがあった。
「殿下は国を出られない。けれどもきみは、出られる。ほら、違うでしょ?」
「どうして……」
「国主の天恵だから」
「おれもそうだ」
「器が違う」
器、という言葉が、ツァインからも発せられて、オリヴァンは顔をしかめる。
「おれとサリエの違いは、器?」
「僕にヴィーダヒーデ、ツェイルにヴィーダガルデア、それと同じようなものだね」
ツァインは天恵者で、ヴィーダヒーデという精霊がそばにいる。同じように母も天恵者で、ヴィーダガルデアという精霊がそばにいる。そういう器の違いだ、とツァインは言いたいらしい。
しかしながら、わかり難い。
「そうなると、天恵そのものの種類が違うんだって、聞こえる」
「僕とツェイルは同じ天恵だよ。少し違うのは、僕は破壊にしか力を遣えなくて、ツェイルはそうでないということ」
「その違いの意味は?」
「僕を見ていればわかるんじゃないの?」
ツァインは誰に対しても、嘘の感情しか見せない。作られた笑顔しか、見せない。
だが母は違う。
「質の違い?」
「んー……本質、と言ったほうがいいかな。僕は、ツェイルがいればそれでいいし、ツェイルがいないなら世界なんて滅んでしまえばいいと、思っているからね」
にこ、と笑ってそれを言うツァインに、少しだけ、寒気がした。それだけは嘘に聞こえない、恐怖心からだ。こんな兄を持ってしまった母を、憐れに思う。これではなにかと大変だったのではなかろうか。
「僕の言葉は参考になったかな?」
「……べつに参考なんて」
「なにやら殿下との違いに拘っているみたいだからね。ついでにもう一つ、参考になるようなことを教えてあげようか?」
素直にその参考になるようなことを聞くのは、なんだか癪に障る気もしたが、聞かないと損をしそうな気もする。だから、黙って肯定した。
「聖王猊下に逢ったことは、あるよね?」
「聖王? お伽噺の?」
童話でも聞かせる気か、とオリヴァンは怪訝に思ったが、オリヴァンのその様子にツァインはふつうに驚いていた。
「あれ、知らないの?」
「なにが」
「オリエ、きみ誰のことを『おじいさま』と認識しているの」
「レイシェントのことだけど」
「おかしいと思わないわけ?」
「だから、なにが」
幼い頃から、オリヴァンにとって「祖父」とは、そのひとのことだ。なぜなら父も母も、そのひとを「養父上」と呼ぶからである。それ以上のことは、特に気にしたことも考えたこともない。
「雰囲気は似ているけれど、殿下と顔は似てないでしょ」
「血は繋がってないんだろうっていうのは、見ればわかるよ」
さすがにそれくらいのことには、気づける。最近のことではあるが。
「殿下ったら、教えてなかったのかな……いや、教えたつもりなのかな。ときどき恐ろしいくらい抜けているし……鈍感だからな」
「アイン?」
ぶつくさとひとり言を呟くツァインに、だからなんだ、とオリヴァンは眉を寄せながら首を傾げる。
「僕が言っていいのかわからないけど、言っちゃったから教えるね」
「……なにを?」
参考になりそうもない気がした。
「きみが『おじいさま』だと認識しているお方が、聖王猊下だよ」
「……、え」
驚愕に、オリヴァンは目を見開いた。
「だから国は、殿下を手放せない。殿下は猊下に育てられた、神の子だから」
それが「参考になるようなこと」だというのか。
「殿下は猊下に育てられた、その意味がわかるかい?」
「……いや、ちょっと待てよ。おじいさまが、猊下だって?」
「まあ信じられないだろうね。けれど、それは真実。帰ったら殿下に聞くといいよ。ただ、神の子である、ということは否定するだろうけれど」
いやいやいや、とオリヴァンは首を左右に振る。
「意味が、わからない」
「殿下は幽閉されていたんだよ」
「……幽閉?」
「十八年もね」
ますます、頭が混乱した。
「産まれてからの十八年を、殿下は猊下に育てられた。なぜ幽閉されていたか? 殿下に国主の天恵があったからだ。先帝は勝手にひとりで激怒して殿下を幽閉し、さらには右腕にある刻印を真っ二つに斬った。刻印を斬られた殿下は刻印の力に圧され続けることになって、自分では制御できなくなっていたけれど、自分が天恵者であることを否定し続けることでどうにか力に呑まれずにいた。ツェイルと出逢い、恋に落ちるまでは」
「……なん、だよ……その話」
「これが仮初めの皇帝を生み出した、国の真実」
「真実?」
これが、真実。
首を傾げたら、ツァインは愉快気ににんまりと笑った。
「叩けばもっといろいろ出てくるよ。殿下の周りは、殿下の存在それだけで、さまざまな事象を起こすからね」
「事象……」
「探してみなよ。自分が産まれる前と、産まれた後の、世界の違いを。きっと、面白いよ」
くす、と笑ったツァインは、言うだけ言うとオリヴァンに背を向け、ばいばい、と手のひらを振って離れて行った。
オリヴァンは、茫然と、立ち尽くした。