Plus Extra : きみの背中に花束を。6
ライラ視点です。
隣の部屋から、怒鳴り声が聞こえた。そのとき、オリヴァンの声も聞こえたような気がして、ライラは座っていた椅子を立った。
「ライレイ」
ツェイルが、座るよう促してくる。少し躊躇われたが、もう一度座り直した。
怒鳴り声がサリヴァンのものであったから、聞き間違えたのかもしれない。
「叔父上さまの声が、聞こえたので……」
「サリヴァンさま」
「え……?」
「サリヴァンさま、と。或いは、父さま」
そう呼べ、ということらしい。
「……サリヴァンさまが、怒っていらっしゃるようですけれど」
「ここにくると、いつも不機嫌になるから」
気にしなくていいらしい。しかし、サリヴァンの様子から、怒鳴るほど不機嫌になったのはノアウルを叱りつけたときからだ。それまでは穏やかだったような気がする。
「いつも、不機嫌に?」
幼い頃、ライラはよくここでサリヴァンやツェイルに遊んでもらった。オリヴァンやノアウルも一緒に、広い森の中を走り回った。あのときのサリヴァンの様子を思い出しても、不機嫌になったことなど一度だってない。
「わたしのせい」
「……ツェイルさまの?」
なぜ、と首を傾げたら、ふふ、と微笑まれた。相変わらずなにを考えているかわからない人だ。ここは笑うところではないはずである。
「母さま……」
「え?」
「と、呼んで」
ますますわからなくなる。
「母上さま?」
「違う。母さま」
もしかして、オリヴァンがそう呼んでくれないから、婚約者たるライラにはそう呼んでもらいたいのだろうか。
「母さま?」
「そう」
ふふふ、と嬉しそうに笑って、ツェイルは両手で持ったお茶に口をつける。本当に嬉しそうで、思わずライラも微笑んだ。
と、そのとき。
がちゃりと、隣室への扉が開く。さっとお茶を卓に戻したツェイルが、立ち上がってそちらをじっと見つめた。
「仕事に戻れ」
入室したのはサリヴァンだ。誰と話をしていたのだろうとライラが振り向く前に、扉は閉められる。
「サリヴァンさま……」
サリヴァンを案じたツェイルの声が、どれだけサリヴァンを想っているかをライラにも伝えてくる。心配になって、ライラも椅子を立った。
「叔父上さま」
声をかけると、サリヴァンはどこか疲れたような顔をしながらも、ライラに微笑んでくれた。先ほどまで怒鳴っていたとも、今このときも不機嫌らしいということも感じさせない、優しい笑みだ。
「ライラ、お願いがある」
「なんでしょう、叔父上さま」
「今少しの間、ここに留まってくれないか? あの女官……マルサムといったか。彼女を呼んでおいた。ここにいる女官だけではなにかと不自由だろうからな。だから、留まってくれないか」
不思議なお願いだと思いつつも、留まることはまったくかまわないので、頷いた。それに、サリヴァンのそばにいたほうが、オリヴァンのことをすぐに知ることができる。いざとなれば、サリヴァンの侍従であるラクウィルに頼んで、オリヴァンのところへ行くこともできるだろう。
そういえば、ノアウルはどこに行ったのか。
「叔父上さま、ノアは……」
「オリヴァンのところにいる。新米騎士を、育ててもらわねばならないからな」
それを聞いて、ホッとする。ノアウルがオリヴァンのそばにいてくれるなら、オリヴァンは護られるだろう。
「新米騎士というのは、ラクウィルの?」
「ああ、イオルシィズだ」
新たな、《天地の騎士》。
それはライラの心を複雑にさせたが、オリヴァンを護ってくれる人が増えたと思えば、心強い。
「それから……ツェイ」
サリヴァンが、ゆったりとした足取りで、ライラやツェイルがいる椅子まで歩いてくる。その足取りに不安を憶えたのは、ツェイルの顔つきが悪くなったからだった。
「だいじょうぶですか、叔父上さま」
思わずそう声をかけてしまったが、サリヴァンは微笑むだけだ。
「ツェイ、頼みがある。聞いてくれるか」
「……なんなりと」
「すまない」
ツェイルに謝ったその瞬間、いきなりサリヴァンはツェイルに倒れかかった。
「叔父上さま!」
驚いたライラが手を差し伸べる前に、サリヴァンはツェイルを潰してしまう勢いで床に倒れた。
「叔父上さま、叔母上さま!」
「ライレイ、だいじょうぶ」
「ですが、叔母上さまっ」
「だいじょうぶ」
ライラは慌てて人を呼ぼうとしたが、サリヴァンを両腕で包んで支えたツェイルに、だいじょうぶだから、とたびたび言われる。
「よく、見て。眠っているだけ」
と、倒れたサリヴァンを見るよう促してくる。覗き込めば、確かにサリヴァンは眠っているだけで、寝息が聞こえた。
ホッとして、身体から力が抜ける。
「あまり眠らない人だから、こうしてときどき、倒れる」
だから謝っていたのか、頼んでいたのか、とさらに安堵する。なんて心臓に悪い人だろう。
だが、ツェイルの顔つきは悪いままだ。
「本当に、だいじょうぶなのですか?」
「……うん」
「嘘ではありませんよね?」
「嘘は言わない。あとで、大変なことになるから」
ツェイルは眠ったサリヴァンを抱え直し、膝に頭を乗せて座る。ゆっくりといとおしげに撫でながら、ほっと息をついていた。
「おやおやぁ? もしかしてちょーっと遅かったですかぁ?」
急に降って湧いた声に、ライラは吃驚して肩を竦めた。いつでもどこでも、いきなり現われることができるそれが天恵によるものだとわかっているのだが、声が違うので驚くのだ。
「ラク、ライレイを驚かさないで」
「ありゃ? それはすみませんでした。もう慣れたと思っていたもので」
慣れてはいるが、声がノアウルではなくラクウィルだったから、驚いたのだ。ラクウィルの緊張感のない声は、いつだって場の雰囲気を壊す。イオルシィズがラクウィルの息子だと思えないほどだ。
「しかし無茶してくれますねえ、サリヴァンも。オリヴァンのあれはやっぱりサリヴァン譲りですかねえ」
「オリヴァが、なに?」
「頑固者」
「……確かに」
オリヴァンの名にライラも反応したが、頑固者、という言葉には首を傾げた。ツェイルは肯定しているが、ライラは頷けない。
「オリヴァンは、頑固ですか?」
頑固というなら、ノアウルのほうが似合う言葉だ。
「サリヴァンよりいくらか柔和ですけどね。それでも充分、オリヴァンは頑固者ですよ」
「……ノアのほうが、頭は固いと思うのですけれど」
「ああ、ノアウルですか……あれは頑固というよりも、一途過ぎるだけですかねえ」
「一途?」
「ある種の頑固者ではありますが、一点にのみ頑固になるだけですよ。ルカイアの子どもですしね」
宰相の息子だから、なんだというのか。ラクウィルの説明は大雑把でわかり難い。
「ルカイアといえばもうひとり……あちらは殿下に任せましょうかね」
「あちら?」
「さて、サリヴァンを運びましょう。姫、殿下、手伝ってくださいね」
よいしょ、と言いながらも、ラクウィルはツェイルの膝で眠っているサリヴァンを軽々と抱き上げる。部屋はあっちです、という言葉の案内で、ライラは戸惑いながらもサリヴァンを寝室に運ぶ手伝いをした。
寝室にサリヴァンを移動させて、あとをツェイルに任せて部屋から出たときには、マルサムがすでに到着し控えて待っていた。
「ダンガード侍従長にお招きをいただきました」
「ダンガード……ああ、ラクウィルね。来てくれてありがとう、マルサム」
「いいえ。サリエさまのお言葉だそうで……サリエさまは」
「眠っているだけだそうよ」
「そうですか……お身体が強くないお方ですのに、よく無茶をなさいますから……」
サリヴァンは、いろいろな人に慕われている。密やかに、ゆったりと、そして深く。
だからこそ、それらを快く思わない人もいる。
オリヴァンの父で、皇帝の弟で、そして国主の天恵を宿した人だから。
ライラはため息にも似た息をつくと、閉ざされた扉を見上げる。
「ねえ、オリヴァン……わたし、もうなにも知らないライラじゃないのよ」
ライラは知っている。
法則から外れた天恵者を。
ひとりはラクウィル、サリヴァンの侍従。
ひとりはツァイン、サリヴァンの忠実なる狂騎士。
ひとりはツェイル、オリヴァンの母。
ひとりはサリヴァン、オリヴァンの父にして今代国主の天恵者。
「ねえ、オリヴァン。叔父上さまの天恵を引き継いだ、あなたは……」
法則から外れた天恵者と、なってしまうのだろうか。
ライラに、その片翼を奪われて。
ライラに、愛されて。
その自由を奪われて。
「姫さま?」
「……、なんでもないわ」
オリヴァンはライラの片翼、そして愛する人。
オリヴァンだけが、ライラを自由な空へと羽ばたかせる。
「わたしは、ただ……」
一緒にいたいと願うことは、オリヴァンの負担にしかならないのかもしれない。
それでも、この恋しさを捨てられない。
いとしさを投げ捨てられない。
だから。
オリヴァンの自由を奪ってでも、そばにいたいと願う。