Plus Extra : きみの背中に花束を。5
オリヴァン視点です。
なんてことをしてくれたんだ。せっかく職人たちと打ち解けて、仲良くなれそうだったのに、ノアウルの出現ですべて綺麗さっぱり計画が潰された。
この腹立ちをどうしてくれようか。
憤慨しながら、オリヴァンは廊下を歩く。後ろには表情を強張らせたままのノアウルと、怪我のせいで顔色の悪いイオルシィズがついて歩いてきていた。
「サリエ!」
いるだろうと思われる居間の扉を、なんの予告もせず勢いに任せて開け放つ。
「ああ……帰ってきたのか」
やはり父サリヴァンは、そこにいた。気だるげな様子で、今にも眠ってしまいそうなのに、まるでオリヴァンが帰ってくるのをわかって待っていたかのように、長椅子に座っていた。
「思ったより早かったな」
「ラクウィルだけでなくノアまで寄越しておいて、帰れないほうがおかしいだろ」
「仕事を優先してもよかったんだぞ」
そう言われると、言葉に詰まってしまう。父の言うとおり、帰還を要請されても砦に残るという選択肢はあった。だが、その選択を選べなかった。
「ライラに……なにかあったんだろ」
「なにか?」
「ノアがライラから離れた。サリエの命令でも、それを無視するように言っておいたのに、ノアはライラのそばから離れた。ライラになにがあった」
ただごとではない。
ノアウルから詳しい話は聞いていないが、というよりもノアウルは説明を求めても口を閉ざして話してくれないので、ライラになにかあったとしかオリヴァンは思えなかったのだ。
ライラになにかあっては生きていられない。
オリヴァンは、その本能にも似た想いに、容易く負けた。
ライラが父に保護されていると、それだけはノアウルが教えてくれたから帰還要請に従い、こうしてここに来た。
「おまえ、自分がどういう立場にあるか、考えたことがあるか?」
「立場? なんの話だよ。今はライラのことを……」
「おまえの立場はライレイの心を護れない」
「……、え?」
父は、ライラのことを愛称では呼ばない。母もそうだ。ライラというのはオリヴァンが勝手につけた愛称であるから、だから呼ばないのだと思っていたのに、なぜかそのとき、父がライラと呼ばない理由があるのだという気がした。
「おまえの尻拭いなんて、まああるわけないと思っていたが……そもそもおれが出張ることで、逆におまえの立場を悪くするだけだからな。だが、おまえが自分をわかっていないなら、仕方ない」
「なに言って……」
ざわりと、いやな予感が胸をざわめかせる。オリヴァンは顔をしかめ、食い入るように父を見つめた。気だるげな様子の父も、じっとオリヴァンを見つめてくる。いや、見据えている。
「おれはな、オリヴァン。前にも言ったと思うが、おまえとライレイの婚約には反対だ。今までは陛下の……兄上の頼みで特になにも言わないでいたが、今回ばかりは言わせてもらうことにした」
「……言うって、なにを?」
「おまえの天恵が、ライレイに負担をかけている。引き離すべきだ、と」
その瞬間、オリヴァンは頭が真っ白になった。
「お、れから……ライラを、取り上げる気?」
かろうじて口をついた言葉は、掠れて震えていた。それでも、そんなことを考えている余裕はない。
父が今なんと言ったか、それを理解しなければならない。
「ライラはおれの婚約者で、おれはライラの婚約者だ。引き離す? なんで? おれの天恵がライラに負担って……意味がわからないよ。ライラは……ライラはおれの片翼なのに」
「片翼、ね……どこが?」
ため息をつかれて、瞬間的にカッとなる。まるで、どうでもいいような言い方だ。オリヴァンとライラの繋がりを、否定するような言い方だ。
「ライラはおれの片翼だ!」
「だから、どこが?」
「背に同じ刻印を持っている。充分だろ」
「……そういう答えが、欲しかったわけではないのだがな」
さらなるため息をつかれて、オリヴァンは苛立ちから拳を強く握る。なんでも見透かしたように言われるのは、気持ちのよいものではない。いくら父でも、そう思う。
しかし。
「オリヴァン」
父の視線が鋭く、厳しいものへと変わったとき、オリヴァンが密かに根底から覆そうとしているものが、揺らいだような気がした。
「片翼だという言葉に驕るな」
「驕るって……」
「おまえもライレイも、驕り過ぎだ。なにが片翼だ、どこが片翼だ。その言葉だけに振り回されて、大事なものを見失って……っ」
ふらりと、父は長椅子から立ち上がる。視線はオリヴァンから離れることなく、それまであった距離までも縮めてしまう。
「今日ほどおまえを愚かだと思ったことはない!」
吃驚した。なによりも、驚いた。目の前に立った父に、怒鳴られるとは思わなかった。
「サ、リエ……」
怒っているのは自分のほうなのに、怒られている。いつのまに逆転したのだ。
そういえば、と昔を思い出した。
父は、いつでもどんなときでも、滅多に怒らない。だが、だからといって不機嫌にならないわけでもない。叱るときはきっちりと叱る父は、なにかと器用なのだ。全身から優しさを駄々漏れさせている印象のほうが強いが、その奥底で、実はむちゃくちゃに怒り狂っているときがある。顔は笑っていて、所作も柔らかいままなのに、そんなことができる。幾度か、オリヴァンはそんな父を見たことがあった。古い記憶だと、母が初めてオリヴァンの前で大泣きし、いくら宥めてもどうにもできなかった頃だ。父は、母を泣かせたそれに対し、器用に怒り狂っていた。父のそれがわかったのはおそらく、オリヴァンが息子だったからだろう。
もしかしたら今、父はまた、器用に怒り狂っているのではなかろうか。だからノアウルが、あんなに強張って、硬くなっているのではなかろうか。
「な……なんで、サリエが、怒って」
「おまえが愚かだからだ!」
また怒鳴られて、肩が竦む。滅多に怒ることがない分、怖いというよりも吃驚させられる。
「片翼という言葉に踊らされているだけでなく、驕って……よくそれでライレイの片翼だなどと言えたものだ」
「おれはべつに驕ってなんか」
「ではなぜライレイは苦しんでいる」
「苦し……え?」
ライラが、苦しんでいる。そんなわけがないと、瞬時に否定したいが、父はそうさせてくれない。
「おまえの天恵は、ライレイには負担だ」
その特殊な天恵が負担になっているから、ライラは苦しんでいる。
「そんな……っ」
そんなわけがない。
そんなわけがない。
ライラは皇帝の天恵を、オリヴァンは国主の天恵を、それぞれ背負っている。本来なら一つであるべき天恵が分けられているということは、その負担も半減しているはずだ。
「器であることを自覚しろ、オリヴァン」
「……うつわ?」
「できなければ、おまえはずっとそのままだ」
ふいと、父の視線は逸らされる。オリヴァンに背を向けた父は、ゆっくりとした足取りで、しかし振り返る素ぶりなど見せず、隣接した部屋の扉へ向かい、開ける。ちらりと、母ツェイルの姿が見えた。
「仕事に戻れ」
母がなにか言いたそうにしていたが、その前に父は隣室に入り、扉を閉めてしまった。
呆然としたオリヴァンは、しかし強く拳を握り、その手のひらが裂けて血が流れても、なぜか全身を包む悔しさを拭い去れなかった。