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仮初めの皇帝、偽りの騎士。  作者: 津森太壱。
【PLUS EXTRA.Ⅰ】
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Plus Extra : きみの背中に花束を。3

ライラ視点です。





 手入れはされているはずなのに、足許の草たちはライラの足を覆い隠し、歩みを阻む。踵の低い靴を履いていてよかったと思いながら、草を踏み分けて歩いた。


「だいじょうぶですか?」

「平気。でも……ここに来るのは初めて」

「あー……おれもここは初めてです」

「……そうだったの?」

「ここは陛下の許可も必要な場所ですから」


 そういえば、それもそうだ。

 森の離宮は以前、後宮として機能していた。ライラが産まれる前に後宮は廃され、森の離宮となり、サリヴァンがたまに過ごしている場所になったのだ。そのせいか、サリヴァンに身近な人たちだけが立ち入ることのできる、特別な空間になっている。ライラの父である皇帝がそうしたのもあるが、いつの頃からか迷い込むことすらできない、なんだか不思議な場所になっていた。


「ここ数年はサリヴァンさまが城に滞在することもなくなって、使われなくなっていましたしね」

「そうね……入口の廊下でなら、オリヴァンや叔父上さまと遊んだ記憶があるもの。あれから来ることもなくなっていたわ」


 振り返ると、ライラが歩いてきた廊下は、途中から草たちの天下となっている。石畳の隙間にすら草が生えていて、手入れが行き届いていないように見えた。


「何年ぶりかしら」

「もう十年は経つんじゃないですか?」

「……そんなに、経つのね」


 あの頃はよかった。オリヴァンとずっと一緒にいられる夢を、見続けていられた。オリヴァンと一緒にいることが、当たり前だった。ずっとこのままなのだと、信じて疑わなかった。

 とても幸せで、至福の時間。

 けれども、いつ頃からだろう。徐々に、徐々に、ライラの耳にも届くようになったさまざまな話があった。

 サリヴァンを排そうする勢力。

 父がサリヴァンを手放せずにいる所以。

 サリヴァンが持っている天恵と、父が持っている天恵。

 そしてオリヴァンが、左背に背負っているもの。

 ライラが右背に背負っているもの。

 たくさんの話が、ライラにも聞こえるようになった。


「ねえ、ノア」

「はい」

「ノアは、叔父上さまが好き?」

「いきなりなんですか? もちろん好きですよ」

「叱られて、失望されても?」

「そう見なされて当然のことをしました。サリヴァンさまの信頼を裏切るような真似をしたのは、おれです」


 素直に言ってしまうノアウルに、ライラは微苦笑する。

 だがライラも、サリヴァンが好きだ。

 自分たちはこんなにサリヴァンを好いているのに、それを信じず、あらぬ疑惑を押しつけ、排そうとする者たちがいる。それをサリヴァンの子たるオリヴァンにまで、押しつける。


 どうしてこんなにも、この世界は歪んでいるのだろう。


 はあ、とため息をつきながら草花を踏み分けて、ライラはゆっくりと森の離宮へ進んだ。

 奥に進むにつれ、緑は濃くなっていく。城のどこにこんな緑があるのだと思うほど、自然に溢れていた。ときおり聞こえてくる小動物の鳴き声も、風の流れる音も、ライラには新鮮だった。


「こんなに綺麗な場所もあるのに……どうしても、歪みたいのね」

「はい?」

「世界は、広いようで狭いわ」

「世界を見て回らないと、広さなんてわかりませんよ。だから人は視野が狭いんです」


 まるでサリヴァンと同じのようなことを言うノアウルは、やはりサリヴァンのそばで育っただけのことはあって、当たり前のようにライラには言えないことを口にする。

 少しだけ、羨ましいと思った。

 ライラもノアウルのように、オリヴァンのように、サリヴァンのそばで育つことができたら、この狭い視野を少しでも広げることができただろうか。


「ライレイ、ノアウル」


 その声に、顔を上げる。顔を上げても、視線は低かった。


「叔母上さま」


 いつのまにか濃い緑の群れから抜け、広い場所に出ていた。小さな邸を背にしたその広い場所で、オリヴァンの母たる叔母ツェイル・レイル・ヴァルハラが、昔と変わらず少年のような出で立ちでライラを出迎える。

 以前逢ったときより、さらに小さくなったのではないだろうか。

 そう思いながら、ライラは礼を取った。


「お久しゅうございます、叔母上さま」

「ツェイでいい。久しぶり、ライレイ」

「はい、ツェイさま」


 ライラのほうに歩み寄ってきたツェイルは、その目の高さがライラの肩くらいだ。こんな小さな人がサリヴァンの妻で、そしてオリヴァンを産み育てた。昔は随分と大きな人だと思ったのに、あっというまにライラのほうが大きくなって、なんだか複雑だ。


「お痩せになられたのでは?」

「まさか。ライレイは綺麗になったね」


 ふっと、ツェイルは淡く微笑む。サリヴァンの話では、出逢った当初はそれほど表情もなく、感情が動いている様子もなかったというツェイルだが、ライラの記憶ではツェイルのこの淡い微笑みが多い。笑わない人だったなんて思えないほど、ツェイルはとても安堵させられる笑みを見せてくれていた。


「叔父上さまは?」

「中におられる。わたしはついてきただけだから」


 そういえばツェイルは、なにがあっても登城することがない。するとしたら必ずサリヴァンと一緒で、むしろ城で逢うことのほうが珍しいくらいだ。

 なにかあったのだろうか。

 少しだけ不安になったライラの手を取り握ったツェイルは、後ろに控えたノアウルに声をかけた。


「ノアウル、サリヴァンさまが待っておられるから、行っておいで」

「えっ?」

「ライレイのそばにはわたしがいる」


 追い出すかのようにノアウルを小さな邸へ走らせたツェイルは、ライラと繋いだ手を引っ張る。促されてゆっくりと歩いた。


「ツェイさま、オリヴァンは……」

「だいじょうぶ」

「でも、賊が砦に」

「だいじょうぶ」


 繰り返される言葉に、どうしてだろう、安堵させられる。それまで信じられなかったのに、信じられるようになる。

 誰も「だいじょうぶ」だなんて、言ってくれなかったからだろうか。


「ライレイは、オリヴァが好きだな」


 言われた言葉に、瞬時に赤くなる。否定できない事実に、ライラは俯いた。


「はい……」

「産まれてきてくれてありがとう」

「え……?」


 それはどういう意味だろう、と顔を上げたら、立ち止まったツェイルが振り向いて、眩しいものでも見ているような目でライラを見つめてきた。


「産まれてきてくれて、ありがとう」


 再び繰り返された礼に、ライラは首を傾げた。


「……ツェイさま?」

「礼を言いたかった。それだけ。わからなくていい」


 ライラに理解を求めなかったツェイルは、ライラの頬をそろりと優しく撫でると、また歩き始めた。庭なのだろう広い場所を、ただゆっくりと、緑を堪能するように歩く。


 どれくらい無言で、ただ歩いていたのか。


「疲れたか?」


 少し足を休めたいと思ったところで、ツェイルが立ち止まる。頷くと、唐突にツェイルはその場に座った。


「緑の絨毯は温かい」


 下になにも敷かずに座るのは躊躇われたが、ツェイルにそう言われると心地よさそうで、子どもの頃そうしていたように、ライラもぽんと緑の絨毯に座ってみた。日光浴をした柔らかい草は、確かに温かい。足を延ばしてみたくなってそうしたら、ツェイルにドレスの裾を直された。いつでも少年のようなツェイルは下衣なので、ライラよりも足許は自由なのだ。


 ふと、オリヴァンがいつも緑の匂いをまとわせていると、思い出した。

 なにもない日は、ヴァルハラ家の邸にある庭を、こうしてただ歩いていたのかもしれない。


「オリヴァはだいじょうぶだ。ライレイがいるから」

「え……?」

「ライレイも、オリヴァがいるからだいじょうぶだ」


 ふふふ、となんだか嬉しそうに笑ったツェイルが、空を見上げながらそう言った。空を見上げているうちに、そのままごろりと上体を後ろに倒してしまう。そうしてまた、ふふふ、とツェイルは笑った。

 昔からなにを考えているかよくわからない人ではあるが、ことオリヴァンのことやライラのことではこうしてよく笑っている人だ。なにか嬉しいのだというのはわかる。


 だから、愛されているなぁと、ライラは感じられる。

 ツェイルに、ライラは愛されている。

 もちろんオリヴァンも、愛されている。


「ライレイ」

「はい」

「ありがとう」


 また礼を言われた。ライラの理解を求めていない礼に、どうしたらいいのかわからなくなる。


「ツェイさま、わたしお礼を言われることなんて」

「いてくれるだけで、嬉しいから」


 それだけでいいんだよ、と言われると、胸が詰まる。なんだか泣きたくなる。


 誰か、と思った。

 誰か、ツェイルのように、オリヴァンにもそう言って。

 いてくれるだけで、ライラはこんなにも幸せで、こんなにも嬉しいのだ。

 お願いだから、オリヴァンを認めて。

 ライラの片翼だと。

 ライラの愛する人だと。


 オリヴァンだけが、ライラに自由な空を見せる。







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