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仮初めの皇帝、偽りの騎士。  作者: 津森太壱。
【PLUS EXTRA.Ⅰ】
106/170

Plus Extra : きみの背中に花束を。1

本編から十数年後の物語となっています。

また、視点もツェイルやサリヴァンではありません(登場はします)。

ご注意ください。






 今でも思い出せる光景がある。

 父が、これからずっと共に在る人だと言って連れてきた少年との、その出逢い。

 瞬間的に涙が溢れたあのときのことを、今でも鮮明に思い出すことができる。そのとき胸を突いた感情も、忘れることなどできない。けれども、そのときはよくわからなかった感情だ。今でも、わからないと思うことがある。


「殿下、ライレイ・ラディーダ殿下」


 老齢の女官マルサムの声に、ぼんやりとしていた思考が帰ってくる。ゆっくりと振り向けば、マルサムは深々と頭を下げ、その後ろに思考を奪われていたその人を連れていた。


 目にしたとたんに、口許が綻ぶ。


 座っていた椅子を離れ、駆け寄ろうとしたら、顔を上げたマルサムに「はしたない」と視線で諌められる。慌てて立ち止まり、ふわりと舞った衣装の裾を落ち着かせた。


「いいよ。おいで、ライラ」


 その人が最初に呼び始めた特別な名を聞くと、もう我慢など効かない。またすぐ駆け出して、その腕の中に飛び込んだ。


「オリヴァン」


 植物や動物をこよなく愛するその人からは、いつも太陽と緑の香りがする。今日も抱きつけば、草花の優しい空気が香った。


「また土遊びをしてきたのね、オリヴァン」

「向日葵の種を植えてきた。咲いたらライラにあげるよ」

「見せてくれるだけでいいわ。摘んでは可哀想だもの」

「それなら、うちに招待しなくてはならないね」


 くす、とその人は笑う。その笑みは暖かくて、優しくて、それだけのことなのに涙が出そうになる。

 ああ、生きてくれている。生きて、こうしてわたしの前に、存在してくれている。

 なぜそう思うのかはわからなかったが、その人の優しい笑みを見るといつもそう心が感じる。


「甘やかさないでくださいまし、公子。今日もライレイ殿下は勉学から逃げてしまわれたのですから」

「それはだめだな。よし、ライラ、エンバルの市歴史第八章三節一項は?」


 急に始まった勉強に、ライラは慌てて記憶の抽斗を探る。しかしすぐには答えを言えなくてどもってしまうと、その人は肩を竦めて苦笑した。


「暗唱できたら招待してあげる」


 ひどい意地悪だ、と思った。ライラは歴史の勉強が好きではあるが、憶えが悪い。だからたくさんの時間をかけて記憶する分、そこから引き出すのにも苦労するのだ。


「憶えているのよ。でも、すぐに言えないの」

「無理に憶えなくてもいいけど、憶えて損はない。勉強がいやになった理由はなにかな」

「……考えごとがあったの」

「どんなこと?」

「いろいろよ」

「抽象的な答えが返ってきたなぁ」


 あなたのことよ、とは、言いたくても言えなかったから、誤魔化した。その人が誤魔化されてくれるとは思えないが、よほどのことがない限り追及してくることはない。


「ああ、マルサム、お茶はいいよ。今日はもう帰るから」


 お茶の用意をしようとしていたマルサムを止めたその人に、まだ来たばかりなのにとライラはハッと顔を上げた。


「今日は公子がお好きなセイ茶を用意しておりましたのに」

「わざわざありがとう、マルサム」


 ごめんね、とマルサムに謝ったその人は、抱きついていたライラとの距離も開けてしまった。


「もう帰るの?」

「これから行くところがあるから、挨拶に来ただけなんだ」

「どこに行くの?」

「北領の街。本格的な雪が降る前に、砦の整備をしなくてはならないから」

「北領の砦……随分と遠いわ」

「そうだね」

「そんなのいや。離れたくない」


 今だって、数日に一度、逢えるか逢えないかという日々を送っているのに、北領の砦にまで行かれたら、もっと逢えなくなってしまう。


「我儘だね、ライラ」

「だって離れたくないもの」


 開かれてしまった距離を縮め、再び抱きつくと、その人は肩で笑った。けれども、その手のひらで、優しく背を撫でてくれた。


「すぐに帰ってくるよ。ノアウルを置いてくから、なにかあったらノアウルをおれのところに飛ばせばいい」

「だめよ、ノアは連れて行って。ノアはオリヴァンのそばにいるべきなのよ」

「ノアウルはライラの騎士だ。ライラのそばに在るべきなんだよ」

「違うわ」

「ライラ」


 もう幾度も呼ばれている名を、諌められるように呼ばれると、言葉が紡げなくなってしまう。


「いい子だね、ライラ」


 ふわりと、頭を撫でられた。

 窺うようにその人の、不思議な色をした双眸を覗き込む。ライラと同じように透明感の強い碧い瞳だが、たまに縁だけ仄かに碧くなって、薄紫がかった硝子玉のような瞳になるのだ。

 今日もその綺麗な色だ、と魅入ってしまう。


「お土産、楽しみにしておいで」

「……ねだってもいいの?」

「なにがいい?」

「優しいオリヴァン」

「……、ははっ」


 一瞬だけ呆気に取られたような顔をしたその人は、しかし次にはライラの目にも可愛らしく笑って、抱きしめてくれた。


「可愛いライラ、できるだけ早く帰ってくるよ」


 そう言ってくれたその人は、最後に一際強くライラを抱きしめて、そうして足早に部屋を出て行った。

 椅子に促しもしなかったことに気づいたときには、もうその姿はない。残っているのは、緑の清々しい香りだけだ。


 知らずため息をつくと、聞いていたマルサムに苦笑された。


「風のようでしたね、公子は」

「相変わらずなにを考えているのか、わからないお人でもあるわ」

「殿下が可愛くてたまらない、とわたしには見えましたよ」

「……どうかしら」


 本当に、そう思っているのか、ライラにはわからない。自分を想ってくれているその心を疑うつもりはないが、無理をしているのではないかと、たまに思う。

 この胸にある想いは、幼い頃から抱えているこの感情は、いつだってその人を求めてやまない。だから、ライラのほうが想いは強いだろう。

 それゆえに、不安でならない。

 離れたら離れた分だけ、寂しいくせに。


「お茶をちょうだい、マルサム」

「畏まりました」


 それまで座っていた椅子に戻ると、ライラはマルサムに、その人に出すつもりで用意していたお茶を頼む。茶葉だけの味で仄かに甘いセイ茶は、寂しい気持ちで埋め尽くされそうになっていたライラの心を、僅かにでも温めてくれた。


「この感情は厄介ね……」


 誰に言うでもなく呟くと、マルサムの心配げな雰囲気が伝わってくる。笑みを浮かべて誤魔化そうと思ったが、無理だった。


「……ごめんなさい、マルサム」

「いいえ、ライレイ殿下」


 そう、ライラは殿下と呼ばれている。姫、と呼ぶ人もいるが、基本的には殿下と呼ばれる。

 自分のその地位が、その人との溝であり、絆でもあることが、ライラは悲しい。

 ライレイ・ラディーダ・ヴァリアス。

 大層な真名を賜ったものだ。皇位継承第一位であり、このヴァリアス帝国の皇女である自分が忌々しい。

 ただの『ライラ』でいられたらいいのに、と思うことは、高慢だろうか。


 ふう、とため息をついたとき、扉がこんこんと叩かれた。マルサムがすぐに対応して、小さく開かれていた扉が大きく開かれたとき、ライラは思わず肩を落としてしまった。


「どうして来てしまったのよ、ノア」

「オリヴァンに頼まれたので」


 白い騎士服、肩にかけた艶やかなマントの背中には、その紋章を背負っているのだろう。にこりと微笑んだ彼は、連れて行ってとその人に言ったはずの、騎士だった。


「オリヴァンと一緒にいて」

「それは無理ですよ。どう見てもライラのほうが、腕っ節は弱いですから」

「わたしは城にいるのよ? どこに危険があるの」

「さまざまなところに」


 食えない笑みに、反論の余地を失う。


「どうしてオリヴァンを護ってくれないの、ノア」

「あんなに強いのに護る必要がありますか?」

「どこに危険が潜んでいるか、わからないと言ったのはあなたよ」

「オリヴァンならひとりでもだいじょうぶですよ。信じられないんですか? ライラの片翼でしょうに」


 片翼、という言葉に、ふと息が詰まる。

 騎士から視線を外した。


「それを言うなら、わたしもオリヴァンの片翼よ」

「だから、おれはおふたりを信じます。だいじょうぶ、オリヴァンは北領の砦に行っただけですから」

「心配ではないの?」

「メルエイラの者が同行するので、そういった心配はありませんね」


 ああだめだ、やっぱりこの騎士に口では敵わない。それを思い知ると、苦笑がこぼれた。


「あなたの口にかかれば、オリヴァンは世界最強になるわね」

「だってオリヴァンですもん」


 騎士の馴れ馴れしい言葉遣いを、マルサムは注意しない。その人に対してもそうであったように、マルサムは見守っている。それはその人と、この騎士と、そしてライラが幼馴染であるからだ。人の目があれば注意しただろうが、ないならこんなときまでライラが皇女であり続ける必要がないようにとの、配慮である。

 だから、ライラは気を楽にして、騎士であるノアウル・ラッセとの会話を楽しむ。


「座って、ノア。お茶を楽しみたいの」

「お招きありがとうございます」

「オリヴァンの話をしてくれる? 今日は向日葵の種を植えたそうね」

「ライラは本当にオリヴァンが好きですねぇ」


 ノアウルを向かいの椅子に促しながら、ライラは笑顔で「ええ」と答える。


「婚約者だもの」


 父が、一生を共に在る人だと言って連れてきた少年、それがその人だ。

 オリエ・ヴァラディン・レイル・ヴァルハラ。

 ライラの父皇サライの弟の息子で、ヴァルハラ公爵家の嫡子、そして産まれたときからの婚約者。


 さらには、ライラの片翼。


「べつに婚約者じゃなくても、ライラはオリヴァンが好きでしょう?」

「……ええ、そうね」


 片翼だから好き、というわけではない。この心は、オリヴァンを心配し護りたいと思っているけれども、好きという感情はべつものだ。出逢った瞬間に恋をしたのだと、ライラは自覚している。

 オリヴァンはライラの愛する人だ。

 片翼だから、愛しているのではない。

 オリヴァンだから、愛しているのだ。


 この気持ちの真実を誰が理解してくれるだろう。


「上辺だけ、と思っているのでしょうね……」

「え?」


 なんでもない、と首を左右に振り、ライラは呟きを胸の奥にしまい込んだ。







オリヴァンとライラの物語を、ということで始まりました。

リクエストありがとうございます。


読んでくださりありがとうございます。

これからも拙作をよろしくお願いいたします。



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