Plus Extra : メルエイラ末弟事情録。9
トゥーラ視点です。
頼んでいた短剣が完成したという連絡を、鍛冶屋の老爺から受けたその日、夕暮れどきになってトゥーラは末番街エンバルへと赴き、見惚れるほどの出来栄えとなった短剣を受け取った。
「立派だ」
「それはようございました。いただいた料金が少し多ございましたので、少し軽いですがこちらも」
無駄を嫌う老爺は、負荷なく過負荷なく、剣を拵える。渡しておいた料金に見合った分以上とも思えたが、装飾もなにもない、本当にただの短剣であったので、作ってくれた礼を述べて受け取った。
イルアリアと逢ったのは、その帰り道だ。
「トゥーラさま?」
瞬間的にぎくんとしたのは、おそらくは結婚話をブラグフランから聞かされているだろうと、思ったからだった。
「ああ、やっぱりトゥーラさま。このところ来てくれないから、どうしたのかと思っていたの」
振り返って見たイルアリアは、いつものように無邪気な笑みで、トゥーラを見上げている。
「……買いものの帰りか」
「ええ。出かける前にちょっといろいろあって、遅くなってしまったの」
もう日没を迎えるというのに、イルアリアはひとりだ。さすがに夜になるという時刻に女性の一人歩きは見過ごせないので、送ろう、と申し出る。
「気にしないで。通い慣れた道だもの」
「いや、夜はなにかと物騒だ。おれは騎士だし、馬もあるから、こちらのほうこそ気にせず、送られてくれ」
「でも……」
渋る様子から察するに、やはりあの話を聞いたのだろうと、トゥーラは息をついた。
「イルアリア嬢」
「は、はい」
「おれの名は、トゥーラ・ウェル・メルエイラだ」
「え……メルエイラ、って」
「ああ。あなたの、結婚相手だ」
トゥーラを見上げたまま硬直したイルアリアは、しかし次の瞬間、その目を涙で潤ませた。
「……なにを泣く」
「だ、だって……っ」
ツェイルの泣き声を聞いてもそれほど動揺しなかったトゥーラなので、イルアリアに泣かれてもとくに驚きはしない。なぜ泣かれるのかが、不思議なだけだ。
「おれが相手では、やはりいやか」
「そ、そんなこと!」
「なら、なぜ泣く」
「トゥーラさまがメルエイラの……結婚する人だったなんて、知らなかったから!」
「……おれも、こうなるとは思っていなかったが」
想定内のことではあったが、誓約書を見せられたときよりも落ち着いている自分に、トゥーラは唇を歪める。
ツェイルのあの盛大な泣き声を聞いたとき、トゥーラの中でなにかが消えた。いや、漸く昇華された。
だからだろう。
今イルアリアを前にして、この少女と結婚するのだとわかっていても、これから始まることだってあると、思うことができる。
「本当に、本当にトゥーラさまが、わたしの旦那さまになるの?」
「ああ。歳下で悪いがな」
歳下だといっても、一年と半年かそこらではあるが。
「だから安心して、おれに送られろ。それから、おれの成人にはあと三月あるが、準備しておいたほうがいいだろう。なんなら今日からでも、メルエイラの邸に来てもいいが?」
トゥーラの誘いに、イルアリアは顔を真っ赤にした。それでもやはり無邪気に笑って、トゥーラにその好意を偽りなく伝えてくる。
「準備します」
強かな少女となったイルアリアは、持っていた籠を持ち直すと、くるりとトゥーラに背を向けた。そのまま歩いて行くイルアリアの背中に少しだけ笑って、トゥーラは追いかける。
「アリア」
「え?」
「アリア。そう、呼ぼうと思う」
「……わたし、を?」
「いやとは言わせない」
完全にツェイルを諦めきれたわけではないらしい、と自分に呆れる。この呼び名だけは変えたくないのだ。
「イルは、おれの宝ものだから……」
眩しいほどの光りであるツェイルを、忘れる、なんてことは、できるわけがない。トゥーラがツェイルの弟で、ツェイルがトゥーラの姉であることは、一生変わらないことなのだ。
「アリア」
「は……はい」
「帰ろう」
立ち止まってしまっていた足を促して、トゥーラは前へと進む。
今ならサリヴァンと顔を合わせても、苛立つことがないかもしれないと、思った。
思った、のだが。
「気のせいだったか……」
と、イルアリアを隣に並ばせておいて、トゥーラは目の前の男にため息をつく。
「人の顔を見た瞬間にため息とは……それは少し失礼だと思うぞ」
「あんたが嫌いなんだ。仕方ないだろ」
嫌いだ、と思うから、イラッとする。
そもそも、その全身から垂れ流されている優しさのようなものが、トゥーラの性格を苛立たせるのだ。少しくらい、その無駄なものを抑えていられないのだろうか。
「なんでここにいるんだ」
「たまたま」
「ここは職人街だぞ。遊びにくるようなところ……、まさか」
「おかしな妄想をするな。知人の家がここにあるだけだ」
「知人?」
ほとんど城から出たことも、出ることもない生活をしていたくせに、と怪訝に思いながら、目の前のサリヴァンにトゥーラは首を傾げる。
今日はナイレンやユグドといった近衛騎士隊ではなく、ラクウィルひとりを連れているらしいサリヴァンとは、イルアリアと肩を並べて歩き始めたその瞬間に顔を合わせた。その顔を見たとたんにイラッとして、ため息が出たわけである。
「家と言っても、ほとんど使われていないがな。来ているというから、逢いに来たんだ」
幾分か不機嫌そうなサリヴァンは、むすっとした顔をしている。そのくせ全身から垂れ流しているのは優しそうな雰囲気で、相変わらず器用なことをしていた。
「皇弟殿下がわざわざ足を?」
「事情があって城には上がれない。おれの邸の場所も、知らせていなかった。だからおれのほうから出向いただけだ」
「……ふぅん?」
珍しいこともあるものだ、と思っていると、むすっとしているサリヴァンに睨むような視線をもらう。
「なんだよ」
「おまえ……ツェイを泣かせたな」
あ、とトゥーラは顔を引き攣らせる。サリヴァンの不機嫌がツェイルに関係していると、さっさと気づくべきだった。
「なにをしたかは聞かない。だが、覚えておけ。ツェイは滅多に泣かない。それを泣かせたことを、よくよく考えて後悔しろ」
ただでさえ罪悪は感じているのに、後悔しろとまで言われた。いや、確かに泣かせたことに関しては後悔しているので、言われるまでもないことだ。
「悪かったと……思ってはいる」
「なら、謝れ」
「謝れって……」
そんな無茶な、と思ったのは、あれからずっと顔を合わせておらず、逢いに行く勇気もなかったからだ。
しかし。
「ラク、運べるか」
「座標はちょーっとずれますが、たぶん」
「なら頼む」
「はいはーい」
え、と思ったときには、ラクウィルの満面笑顔が目の前にあった。
まさか、と感じたときには、すでに遅い。
「ちょ……おい、待て! おれは彼女を」
イルアリアがいるのに、と声を上げたら、ラクウィルの笑みが深まった。
「ご安心を。お連れさんでしょ? 申し訳ないですが、ご一緒してもらいますよ」
と言って、とたんに身体へ軽い重みが圧しかかる。グッと堪えて次に目を開いたときには、見慣れた邸が目の前にあった。
なんというか、ラクウィルのこの空間を移動してしまえる天恵は、ときとして厄介である。
「はぁぁ……やっぱり、人数が増えるだけ目的地はずれますねえ。姫の真ん前に到着予定だったんですけど、邸の前が精いっぱいですよ」
「ここまで来られれば充分だ。すまない、ラク」
「いいえー」
チッと舌打ちする暇もなく、もちろん踵を返す余裕すらもなく、近づいてきたサリヴァンにがっしりと手首を掴まれた。
「ツェイに謝れ」
非力で軟弱だと思っていた男は、不機嫌なものが含まれるだけで、持った力が増すらしい。ぐいぐいと引っ張られ、イルアリアがいるのに振り向いて声をかける時間すら与えられず、邸の中に連れて行かれた。
「おい、おれは彼女を」
「ブラグフラン伯爵の娘は、おまえの婚約者だろう。ラクに任せておけ」
「し……知っているのか」
「ツァインはおれの狂犬だぞ」
情報は筒抜けだ、と言わんばかりのサリヴァンに、低く舌打ちした。
そうして、戸惑いや迷いなど抱いている暇もなく、ある部屋の前で立ち止まったサリヴァンは、扉を叩くことなくいきなり開けると、トゥーラを放り込んだ。
「おれはツェイのことになると、心が狭くなるんだ」
サリヴァンも中に入ってきて、扉は閉められる。なんて横暴なことをしてくれるのだと、体勢を整えて文句を言ってやろうとした、矢先だ。
「トゥーラ……」
ぎっくん、と身体が強張る。
「サリヴァンさまも……どうしたのですか」
その声に、振り向くこともできず、トゥーラは俯く。グッと強く、拳を握った。
「トゥーラを捕まえた。おまえを泣かせたから」
「サリヴァンさま……」
「城でも邸でも捕まえられなかったが、エンバルで見つけた。だから捕まえて連れてきた」
振り向けずに会話を聞いていたら、サリヴァンの手が肩にかかり、予想外なほど強引に身体の向きを変えられる。
ばちっと、目があった。
「……イル」
未だ目が赤いままのツェイルが、こちらを見ていた。すぐにその視線は外したが、不機嫌なサリヴァンによって背中を押され、よろめきながらツェイルの前へと歩み出る羽目になった。
「……トゥーラ」
その、落ち着いた静かな声に、ぎゅっと瞼を閉じる。
今、言わなければ、自分はずっとツェイルと顔を合わせることもできず、一生を後悔したまま生きることになるかもしれない。
そう思えば、言葉は生まれてくる。
「ごめん」
「え……」
「泣かせるつもりは、なかった。いや、泣かせたかったのかもしれないけど……でも、諦められなかったから」
拳を握って、勇気を出して顔を上げ、ツェイルの視線を真っ向から受ける。
薄紫色の双眸は、綺麗に凪いでいた。
見たとたんに、ほっとする。
「わたしは、謝らない。後悔していないから」
「……ああ」
「わたしに必要な人だから」
「うん」
「欲しかったから」
「わかってる」
答えなんて、初めから知っていた。
どうしようもないことも、なにもできないことも、わかっていて足掻いていた。
この心を、どうすることもできなくて、ただそれだけで、我儘を言っていただけだ。
トゥーラは、子どもだったのだ。
「思えば、おれたちは一度も、イルの我儘を聞いたことがなかった。なんでも言ってくれたらよかったのに、イルは言わなかった。だから……本当は、イルの我儘を聞きたかったんだ」
「……うん。これは、わたしの我儘」
「ごめん」
「うん」
すっと手のひらを伸ばしてきたツェイルに、頬を優しく撫でられる。感じたぬくもりにやっぱりいとしさが込み上げてきて、触れていて欲しくて手のひらを重ねた。
「イル」
「うん」
「イル」
「うん」
「ずっと……好きだった」
誰よりも、なによりも、好きだった。
弟としてではなく、人間として、男として、好きだった。
「誰にも渡したくなかった……ずっと、そばにいて欲しかった」
「……うん」
「愛して、欲しかった」
「愛してるよ、ずっと、メルエイラの皆を」
「……そう、だな」
上手く笑えているだろうか。
これが失恋というものなら、なんて痛いのだろうとは思うけれども、笑っていたい痛みだから、トゥーラは微笑む。
「好きだよ、イル」
「うん、わたしも」
いとしさと、悲しさと、切なさと。
込み上げてきたものすべてに、なぜだろう、涙が浮かぶ。その顔を見られたくなくてツェイルを引き寄せて抱きしめると、いつかのときのように、ぽんぽんと優しく背中を撫でられた。
「好きだよ……好きなんだよ、イル」
できることなら、その心を手に入れたかったけれども。
「ありがとう、トゥーラ」
背中を撫ぜてくれる小さな手のひらは、ただただ優しく、柔らかに、トゥーラを包むだけだった。
これにてPlus Extra『メルエイラ末弟事情録。』は終幕となります。
トゥーラはここからイルアリアと恋するかと思われます。
リクエストありがとうございました。
読んでくださりありがとうごさいました。




