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仮初めの皇帝、偽りの騎士。  作者: 津森太壱。
【PLUS EXTRA.Ⅰ】
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Plus Extra : メルエイラ末弟事情録。8

トゥーラ視点です。





 見られたくなった。

 この、情けない姿を。

 今までになく、荒んでいる心を。

 だから、騎士団の宿舎を追い出されて実家に帰れと上官に怒鳴られても、言い返す気力もなく、ましてツェイルに逢おうなどとも思わなかった。

 それなのに、身体は勝手に、心は勝手に、ツェイルに逢いたがった。ヴァルハラ家を目の前にしたとき、これまでになく動揺した。愛馬もそばになく、歩いてここまで来た自分の行動に愕然とした。

 なんで、と思って逃げ出して、けれども街に出ていたらしいツェイルに捕まったときは、幻覚か夢でも見ているかのような気分だった。だがその気分も、ツェイルが申し訳なさそうにブラグフラン伯爵の話を切り出したときに、現実に引き戻された。挙句、情けなくなっている理由と、心が荒んでいる原因まで知られ、その現実に引き戻された精神は軽く混乱した。


 イルアリアとの結婚。


 出逢ってまだ一月か二月だというのに、婚約期間も短く、成人を待って結婚することが、ツァインによって決められていた。

 横暴だと、ツァインに喰ってかかったのは、その誓約書を見せられた瞬間だ。しかし、決めたことは覆すつもりのないツァインによって、捩じ伏せられた。今度は、殺す、と脅されただけではない。トゥーラ自身、ツァインのその化け物じみた力に、本当の意味で捩じ伏せられたのだ。


『いつまでも甘えていられると思わないことだよ、トゥーラ』


 ツァインはそう言った。鞘におさめられたままの剣で、トゥーラの腹を殴りつけて。


『メルエイラの名を背負う者なら、なおさらだ』


 トゥーラを、文字通り力で捩じ伏せたツァインは、トゥーラが大事にしていたツェイルの剣を、目の前で真っ二つに折った。それだけでなく、どうやったらそうまでできるのかというほどに、天恵を使って粉々にした。


『甘ったれたその考えは捨てろ』


 いつになく否定的であったツァインは、自分がそれまで使っていた剣を、トゥーラの腹を殴ったその剣を、粉々にした剣の代わりにするかのように、トゥーラの前に投げ置いた。


『使え。メルエイラの剣だ』


 それは、父も、祖父も使っていた片刃の剣だ。幾度か打ち直されて新調しているが、どうやらまた新しく打ち直されているようで、装飾が少しだけ変えられていた。

 受け取るのがいやで顔を背けたら、胸倉を無造作に掴まれて、庭に投げ飛ばされる。窓など開け放たれていたわけではないので、派手な音を立てて窓や木枠を壊し、トゥーラは欠片で頬や手のひらを切って血を流したが、ツァインの無表情が反応することはなかった。

 痛みに顔をしかめつつ身体を起こして、また片刃の剣を目の前に放り投げられた。

 受け取らなければ、殺されるかもしれない。

 そう、本気で思ったのは、力加減もなく投げ飛ばされたからで、呼んでもいないのに姿を見せたツァインの精霊ヴィーダヒーデが、ツァインを諌めようとしていたからだった。


『邪魔するな、ヴィーダヒーデ』


 と、ツァインは軽くあしらい、無理やりその姿を消してしまったけれども。

 充分に、ツァインの本気は伝わってきた。

 ツァインの恐ろしさはわかっていたし、知っていたつもりだったけれども、こいつにだけは敵わないと、本能が感じていた。


 それが悔しくてならない。

 負けたくないのに。

 その肩に並びたいのに。

 見上げてばかり、いたくないのに。

 なんて情けないのだろう。

 勝ちたいものには勝てず、欲しいものは奪われたまま取り返すこともできず、なにも成せない己れは、なんて無様なのだろう。


「トゥーラ……トゥーラ?」


 顔を上げると、泣きたくなるほど眩しい、ツェイルがいて。


「イル……っ」


 縋りつくようにその身体を抱き込めば、確かなぬくもりを感じた。


「……やっぱり、なにかあったんだな」


 ぽんぽんと、まるで子どもを宥めるように背中を撫でられると、たまらなくツェイルへのいとしさが込み上げてくる。


「イル……イル、なんで?」

「え?」

「なんで、出て行った? なんでメルエイラに残らなかった? なんであの男を選んだんだ?」

「……トゥーラ」

「おれもアインも、おまえを護るって言ったじゃないか。おまえを幸せにしてやるって、言ったじゃないか。なんで……なんであの男を選んだんだよ」


 ツェイルがメルエイラを選んでくれていたら、ツァインのあの恐ろしさも、少しは変わっていただろうか。

 これほどまでに情けなくなることは、なかっただろうか。


「……わたしは、サリヴァンさまが好きだ」

「なんで、イルっ」


 するりと、確かなぬくもりが腕の中から抜けていく。追いかけて腕を伸ばし、かろうじて捕まえたけれども、ツェイルを再び抱きしめることはできなかった。


「なんであの男なんだっ」


 どうしてメルエイラを選んでくれなかったのだと、責めるように叫んだら、ツェイルは泣きそうな顔をして首を左右に振った。


「サリヴァンさまがいい……だって、わたし……護りたい」

「あの男はおまえの強さにつけ入っているだけだ! あんな……自分の身すら護れないような、非力で軟弱な男……っ」


 グッと、身を引こうとしたツェイルを、強い力で引き留める。もう少し力を加えれば、押し倒すことだってできるだろう。

 だが、押し倒したところで、なんの意味があるのだ。

 そう思うと、押し倒そうかと思った心が、ぎりぎりのところで理性を総動員させてくれる。

 ツェイルが欲しい。

 けれども、欲しいのはその身体ではない。

 だから。


「イル……なんでだよ……なんで、おれを選んでくれないんだよ」


 もう意味を成さない言葉ばかりが、口を突く。言ってもどうしようもないのに、なにかが変わるわけでもないのに、止められない。


「おれはイルが好きなのに……アインだって、イルが好きなのに……こんなに、こんなに……愛しているのに」

「トゥーラ……」

「誰にもやりたくない。誰にも……誰にも」


 答えはもうわかっている。それでも、諦められない。ツェイルから直接、突きつけられるような言葉を聞いた今でさえも、そのいとしさは変わらない。

 なんて、情けないのだろう。

 自分の心一つ、隠していられない。


「……サリヴァンさまは、わたしに涙を、思い出させてくれた」

「え……」

「それが、始まり。わたしの天恵を受け入れて、笑って、優しく抱きしめてくれたのも……そのときが初めてだった」


 ぽつり、ぽつりと話し始めたツェイルに、トゥーラは魅入る。

 なんて穏やかな顔をしているのだろうと、愕然とした。


「目の前で、人を壊してしまったときも……サリヴァンさまは……微笑んで、お、おいでって、言ってくれた」


 ぽろりと、ツェイルの目から、大粒の涙がこぼれ落ちる。


「わ、わたし、人、壊して……ころ、殺して、しまったのに……わたしの、手は、もう、人の血で、汚れきっているのに……おいでって、言ってくれた。抱きしめて、くれた」


 ぽろぽろと涙を流すツェイルは、泣いているのに、悲しそうではなかった。なにかずっと強い安堵に包まれて、護られていた。


「ずっと、欲しかったものを……サリ、サリヴァンさま、持ってた……っ」


 ああ、やはり。

 やはりツェイルは、メルエイラでは得られないものを、サリヴァンに見つけたのだ。

 それなら、どうしたって、どう足掻いたって、トゥーラは敵わない。敵うわけもない。


「わた、わたし…っ…サリヴァンさまに、要らないって言われたら、も、生きられない」


 たとえ、メルエイラという絶対の安全が得られる場所でも、ツェイルはもう二度と、戻らないのだろう。いや、戻れないのだ。サリヴァンという、いとしい人を見つけたがゆえに。


「サリヴァンさまが、いいの…っ…わたし、サリヴァンさまがいぃ……っ」


 くしゃっと顔を歪めたツェイルが、と盛大な声を上げて泣き始めた。

 それはトゥーラが、メルエイラの者たちが、それまで見ることさえなかったツェイルの涙で、声で、心からの願いだった。


「イル……おまえ」

「サリヴァンさまぁ…っ…サリヴァンさまぁあ」


 ツェイルの盛大な泣き声は、聞きつけて駆けつけた侍女のリリや、ユグドを始めとした在中の皇弟近衛騎士隊の彼らに宥められても止まず、さらには息子のオリヴァンに任せても駄目だった。


「あーらら、でっかい泣き声ですねえ」


 侍従のラクウィルが漸く姿を見せた頃には、ツェイルを泣かせた張本人であるトゥーラにはもうどうしようもなくなっていたときだ。


「姫、ひぃめ、姫、ラクですよー」


 手のつけられない状態になっているツェイルを、ラクウィルはひょいと抱き上げて、ぽんぽんと背中を撫ぜる。もちろん泣き止むはずもないので、ツェイルを抱え直したラクウィルは途方に暮れていたトゥーラたちを振り返ると、にこりと笑った。


「オリヴァンを頼みますよ」


 そう言って、ツェイルごと、ふっと姿を消した。おそらくはその天恵を使って、サリヴァンがいるところに、ツェイルを連れて行ったのだろう。


 ひどく泣かせてしまったことに罪悪を感じたトゥーラだったが、あれだけ大きく泣く声を聞いて、ほっとしていた。

 ツェイルが泣いている姿を見るのは、これで二度めのことだ。しかも一度めのときは、あんなふうに盛大に泣くのではなく、ただただ静かに涙を流し続けるだけだった。おそらくはメルエイラの家で泣いたのも、あれが最初で最後だっただろう。泣きたいときに泣ける、なんて器用なことも、できるツェイルではなかった。

 だから、安堵した。

 昇華させられずにいた想いは、もしかしたら、これだったのかと思うほどに。


「トゥー?」

「……オリヴァン」


 ふっと息をついたら、母に振られてしまったオリヴァンが、トゥーラを見上げていた。


「トゥーも、なく?」

「おれが? まさか」

「ないて、いいんだよ?」


 そんな顔でもしているのだろうか。

 まさか、と否定しながら、ぽんぽんとオリヴァンの頭を撫でたとき、ぽたりとその手の甲に、雫が落ちた。


「トゥー?」

「……なんでもない」


 一粒だけ零れた涙を否定して拭うと、トゥーラは苦笑した。

 なにかがすとんと、音を立てて、落ちていった音が聞こえた。







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