Plus Extra : メルエイラ末弟事情録。7
ツェイル視点です。
その日ツェイルは。
たまたま、街をひとりで歩いていた。
ひとり、といっても、ひとりにさせてくれない騎士たちが多くいるので、代表でユグドが一緒にいたけれども。
気分は、ひとりである。
しかし。
「……トゥーラ?」
ふらふらと歩いている弟の姿を見つけて、あれ、と首を傾げる。
「姫?」
もうそう呼ばれていい歳ではないのだけれども、と思いながら、気分はひとりだがユグドに視線を上げる。
そう、ユグドがいると、思い切り首を上に折らなければならないから、視線を上げることになる。
「あれ……トゥーラ?」
「……そのようですね」
ユグドに確認して、やはりあのふらふらとした姿はわが弟であると確信したツェイルは、気分をひとりからふたりにして、ユグドの隊服の袖を掴むと引っ張り、トゥーラを追いかけた。
「トゥーラ」
その背に呼びかけ、だが振り向いてもらえない。
「トゥーラ、トゥーラ」
二度、呼んだ。それでも振り向いてもらえない。
「トゥーラ!」
「! は? イル?」
叫んだら、気づいてくれた。やはり弟トゥーラだった。
トゥーラと逢うのは久しぶりだ。このところ顔を見せてくれなくなっていたので、どうしているのかと気になっていた。
しかしながら、どこか生気を感じさせないトゥーラに、ツェイルは首を傾げる。あの生意気な態度がないのもおかしい。不機嫌そうないつもの表情もない。
「……変な顔」
「おい……おれはおまえとほとんど同じ顔だぞ」
あ、と気づく。
「……間違えた」
「おいこら」
「変な感じがする」
「はあ?」
あながち外れてはいないと思うが、トゥーラの顔がおかしいのは、その表情がいつもの不機嫌そうなものではないからだ。変な感じがする、というほうが当たっているだろう。
それ以外になんと表現すればいいのか。
「……疲れてる?」
ああそうだ、力が感じられない。疲れきって、どうしようもなさそうだ。
「……べつに」
ふい、と顔を逸らしたトゥーラは、いつもの不機嫌そうな表情になっていた。
ころころ表情を変えるのも、珍しい。
「トゥーラ」
「なんだ」
「なんでここにいる?」
ここはヴァンニという街で、メルエイラの邸がある街ではない。
そもそもヴァンニは、邸よりも民家や商家が多く、貴族らしい貴族はヴァルハラ公爵の別邸、つまりツェイルが暮らしている邸だけだ。メルエイラの邸がある街も貴族街ではないが、それにしてもトゥーラがふだん歩いているような街ではない。用事があるとしたら、この街を通過点にしなければならない街へ行くということで、それでも馬か車が必要になるだろう。
だが、トゥーラはツェイルが捕まえられたように、ひとりだ。愛馬は連れていない。それなのに帝国騎士団の隊服を着ている。
あべこべな、とツェイルが思っても、おかしくはないだろう。先の表情や後ろ姿のこともある。
「おまえに……」
「わたし?」
「逢おうかと思って……やめたところだった」
素直ではない弟の性格は、よく知っている。この性格だから、どうやらサリヴァンと上手く折り合いをつけられていないことも、ツェイルはわかっている。
サリヴァンに逢うかもしれないと思って、ツェイルに逢うのをやめた、わけではないだろう。ほかに理由があるはずだ。
「仕事は?」
「城に詰めていたから、休暇を押しつけられた」
「なら、三日は休めるな」
「ああ。なんだ?」
様子がおかしい弟を、たまには姉として、話くらい聞こうと思う。
「ユート」
サリヴァンがユグドを「ユート」と呼ぶから、ツェイルもユグドをそう呼ぶ。見上げて呼んだ彼は、承知したと言わんばかりに頷いた。このところのユグドは、ツェイルがひとりになりたいときに必ずついてきていたので、ツェイルの行動範囲を理解している。
「あちらに」
促されたのは、広場の片隅だ。
ユグドの隊服を引っ張るのを止めると、代わりにトゥーラの隊服を掴み、引っ張る。
「あ、おい、イル。急になんだ」
「お菓子」
「は?」
「お菓子、食べたいから」
ツェイルはひとりになりたいとき、とはいっても必ずユグドあたりがそばにいるのだが、決まって露店で売られている焼き菓子を買って食べている。食べ終わったら少し休んで、帰っている。
いつもは自分で買う焼き菓子を、今日はユグドに買ってもらって、トゥーラを引っ張りながら広場の片隅に移動した。
「あげる」
「は……相変わらず意味不明だな、イル」
よくトゥーラに言われる言葉は、久しぶりに聞いた気がする。ツェイルとしては、なにが意味不明なのかが、意味不明なのだが。
「ユートにもあげる」
「隊長にもって……ますます意味不明だ」
首を傾げているトゥーラは無視して、気分がひとりのときでもあげている焼き菓子を、ユグドの手のひらに乗せる。一口大のそれはころころと転がって、トゥーラとユグドの手のひらをいっぱいにした。
「素直に受け取るなよ、隊長」
「わたしは隊長ではないよ」
「皇弟騎士隊の連中は変わり者揃いだ」
「……それもそうだね」
トゥーラはユグドに敬語を使わないし、ユグドもトゥーラには敬語を使わない。
その関係がちょっと羨ましいと思わないでもないツェイルは、とりあえず焼き菓子を口の中に放り込み、そのサクッとした触感ととろりとした甘みに満足しておく。
「なにかあったのか」
紙袋に入っている焼き菓子の半分を食べ、しぶしぶ食べているようなトゥーラの姿を見てから、ツェイルは首を傾げて問うた。
「なにかって……なに」
「……この前、ブラグフラン伯爵のこと、ナインに話した。ナインがどうにかするって言ったから、トゥーラのところに話がいったと思うけど」
もしそれのせいなら、申し訳ないことをさせてしまったと、ツェイルも反省している。ツェイルが動ければそれでよかったのだが、動くなと皇弟騎士隊の彼らに止められてしまったのだ。ツェイルを止めた騎士、副隊長であるナイレンにその後を訊いたら、ツァインやトゥーラが動いていると聞いた。
「兄さまはあのとおりだから、だいじょうぶだと思うけど……トゥーラには、無理をさせたかもしれない」
「アインはよくておれは駄目なのかよ」
「兄さまほど、トゥーラは強くない」
腕っ節ではなく、とトゥーラの双眸を真っ直ぐと見つめる。
髪はツェイルと同じ淡い金色のトゥーラだが、瞳は薄茶色で、少し青っぽい。昔は似たような髪型をしていたからよく間違われたものだが、今ではその違いや身長差があって、顔が似ているという程度だ。弟というには、もうこんなに大きくなってしまったのだと思うと、少し寂しい。
「……べつに、困ったことにはなっているが、負けているわけではない」
ツェイルが伝えたかったことは、無事にトゥーラへと伝わったらしい。むすっとした顔はそのままだが、ツェイルの言葉に怒っているわけではなさそうだ。
「なにを、困っている?」
「聞いてないのか?」
誰になにを聞くのだ、と首を傾げたら、ユグドが口を開いた。
「成人したらすぐに結婚するという話を、ツァインから聞いたが……そのことか?」
え、とツェイルは驚いた。
「婚約者がいたのか?」
と訊いたら、深々とため息をつかれた。
「いない」
「でも……結婚って」
「アインが勝手に決めてきた」
「……それが、困っていることか?」
顔を引き攣らせているところを見ると、どうやらそれが困ったことらしい。否定もしない。
「そうか……トゥーラも、結婚するのか」
「おれ、も?」
「ネイが、ラクと結婚するって」
「なっ……ネイがあの術師とっ?」
どうやらそれは知らなかったらしいトゥーラに、サリヴァンの侍従であるラクウィルと末妹シュネイの話をしたら、心底いやそうな顔をされた。サリヴァンとも上手くいっていないトゥーラなので、もちろんラクウィルとも上手くいっていないトゥーラである。しかしながら、ツァインと同じ反応をしている。
「ネイはまだ成人もしてないんだぞ。なにを考えているんだ、あの術師」
「ラクは騎士だ」
「あれは術師だ。剣より、天恵のほうが強いだろ」
「……そうなのか?」
「史上最年少で天恵術師になった挙句、どんな天恵を受けても影響されない異形の術師として、名が残っている。術師団長ですら、あの術師のことは未だ警戒したままだ」
知らなかった、と今さらだが凹む。いや、凹んだところでラクウィルの存在が変わるわけでも、見る目が変わるわけでもないが、知っておくべきことだろうと思うと、サリヴァンの妻として情けない。
「落ち込むなっ」
「だって……知らなかった」
「知っていたらなにか変わったのか? ネイとの結婚はなくなるのか?」
「変わらない」
「だったらいいだろうが」
そのとおりだ。
「……トゥーラはなんでも知っている」
「おまえな……おれをなんだと思っているんだ」
「弟」
「それで済ませるな。おれはもう半年後には成人するんだぞ」
「大きくなったなぁ」
ツェイルがサリヴァンに輿入れするとき、まだ目線は下にあったのに、今では見上げなければならない。大きくなったものだ。それは身体だけではなく、心もだと感じると、やはり少し寂しくなる。
弟は、ずっと弟だけれども、いつまでもそのままではいられないのだ。
「なんだ、その顔」
「……寂しい」
「はあ?」
「ネイが結婚して、トゥーラも結婚する」
「……おれは、その結婚が困ったことだと、肯定したはずだが?」
ああそうだった。
シュネイのことよりもまず、トゥーラのその話だ。
「なにが困るんだ?」
「おれは結婚なんてする気はない」
「……なんで?」
「なんでって……」
とたんに気まずそうな顔をしたトゥーラは、そっぽを向いてその表情を隠してしまう。追いかけてもよかったが、言葉を濁したその態度が気になった。
「……トゥーラ」
「姫」
なんで、と問おうとしたら、ユグドにそれを遮られた。
「そろそろ、公子がお目覚めになります。帰られませんと」
「あ……」
息子オリヴァンが昼寝をしているから、こうして街に出てきたのだった。それを思い出して、しかしトゥーラも気になって、迷ってしまう。
「帰れ。おれも帰る」
顔を背けたままのトゥーラはぶっきら棒だ。
「……家に、帰るのか?」
「宿舎だ。今家に帰る気はない」
仕事は休暇を押しつけられたと言っていたから、宿舎に戻る必要はないはずだ。
「……トゥーラ」
ツェイルは食べ残した焼き菓子の袋をユグドに任せると、トゥーラの隊服の袖を再度、掴んだ。
「イル? ぅわっ」
引っ張って、立ち上がる。
「帰ろう」
「おい! おれは宿舎に……イル!」
ぐいぐいとトゥーラを引っ張って、強制的にではあるが、ヴァルハラ家に招くことにした。
その選択が、果たして正解であったかは、別として。
*100話めです。わお(‐ ‐)/。




