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仮初めの皇帝、偽りの騎士。  作者: 津森太壱。
【仮初めの皇帝、偽りの騎士。】
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09 : 護りたいもの。1





 婚約者となったわりには平凡だな、とツェイルは露台に出した椅子に座って森を眺めながら、ぽつりと思った。 


 あの日、翌日からサリヴァンは来ない。ラクウィルが満面の笑顔で「おめでとうございます」とだけ言いに来たが、ルカイアも来ない。ちなみにリリの態度は相変わらずである。


 変わったところがない。

 騎士になると申し出たのだが、その件がどうなったのかもあやふやである。


「……こういう、もやもやしたときは、剣を振るか、走りたいのだがな」

「えっ?」

「……ん?」


 ひとり言を呟いたら、後ろにいたらしいリリが、なぜか驚いた声を上げた。明るい茶色の瞳が落ちてしまいそうである。


「ツェイルさま……あの、今の、ツェイルさまですか?」


 なんのことだ、とツェイルは訝しげに首を傾げる。


「ひとり言だが、なにか?」

「ツェイルさまっ?」

「リリ?」


 なにをそんなに驚いているのだと、疑問に思ってふと、自分で答えを見つけた。


「あ」


 うっかり、ふだんの口調に戻っていた。


「すまない。これが、いつもの口調だ」

「は……」

「兄がちゃらんぽらんで、弟がしっかり者ゆえ、口調がおかしく……気づいたらこうなっていた」

「そっ……そこは姉上さまと妹さまを真似るところでしょう!」

「む……ふだん、兄と弟とばかり、遊んでいたゆえ」


 姉と絡むと女性らしくないと怒鳴られ、妹には嘆かれるため、あまりそばにいないようにしていたせいで、ツェイルの口調は必然的に女性らしさから遠のいている。

 後宮に来た緊張感から口調だけは丁寧さに拘っていたのだが、その拘りも滞在日数が忘れさせてしまったらしい。


「はあ……これではテューリさまが嘆かれるもの、わかるというものです」

「姉をご存知か」

「ええ、まあ。今ツェイルさまがお召しの衣装は、テューリさまからのものです」

「……姉さまの?」


 それは驚きというよりも、意外だった。


「正確には、テューリさまから助言をいただきました。少しでもツェイルさまのお心が軽くなるようにと、ルカイアさまにお手紙をしたためられたようでございます」


 それでこの格好が認められている、というか黙認ではあるが、とにかく衣装に関しては自由を許されているらしい。


「……姉さまは、お元気だろうか」

「ご病気であるとは聞きません。ツェイルさまを心配なさっておいでですが、健やかにお過ごしのようでございます」

「そう……か」


 それなら、よいのだけれども。


「兄さまは……」


 兄のほうは、自宅謹慎になったと聞いているが、どうなっているのだろう。


「ツァインなら昨日から職場復帰している」


 ハッと、その声に顔を上げる。リリがきょとんと露台の後ろ、つまりツェイルのさらに向こうを見つめ、そうして慌てて礼を取った。


「……陛下?」


 数日ぶりサリヴァンが、なぜか森のほうから姿を見せた。側面にはラクウィル、ルカイア、そして見知らぬ大柄な騎士がいる。


「まだいるのか、おまえ」


 いつか聞いた言葉だ。


「わたしはここにいると申し上げました」


 同じように返すと、サリヴァンは面白くなさそうに顔を歪めた。


「おれがこっちから現われたのに、なんで驚かない」

「不思議なところからお出でだとは、思いますが」


 それに、サリヴァンの登場はいつも唐突だ。驚く暇もなければ、どう驚いたらいいのかもわからない。

 それだけだ。


「ツェイル」

「……、はい」


 名を呼ばれて、ちょっとドキッとしてしまう。それに首を傾げながら、ツェイルはサリヴァンに呼ばれて椅子から立ち上がった。


「こっちに来い」

「はい?」

「降りて来いと言っている」


 なんだろう。疑問に思いながら、ツェイルは言われたとおり露台を、ちゃんと階段を使って降りると、サリヴァンのところまで三歩行き、立ち止まって礼をする。


「なんでしょう?」

「剣の相手をしろ」

「……剣?」


 なにをと思う前に、サリヴァンに剣を渡される。騎士の訓練用のもので、ツェイルの手にも馴染んだ懐かしい重みである。


「へ、陛下! ツェイルさまは女の子ですよ!」

「リンリィ・ラッセ」

「はい!」

「おまえはこれの?」

「侍女です!」

「これの毎日は、どういうものだった?」

「そっ……それは」

「なら、黙れ」

「……申し訳ありませんでした」


 リリがサリヴァンに窘められるのを、ツェイルは「リリの名前はリンリィ・ラッセというのか」などと、暢気に受け止める。サリヴァンが本気でリリを怒っているわけではなく、またリリもサリヴァンが本気で怒っているわけではないとわかっているような、そんな会話だったからだ。


「……あの、剣のお相手は、どなたですか?」

「おれだ」

「陛下が?」


 使えない、と自ら言っていたが。そもそも皇帝陛下自らが相手とは、恐れ多い。

 ツェイルが戸惑っていると、その間にサリヴァンは肩にかけていた外套を外し、上着を脱ぎ、身軽になっていく。ルカイアから、ツェイルに渡した剣と同じものを受け取ると、ツェイルから距離を取った。


「かかって来い」

「……いきなりですね」


 まあ、身体を動かすのも剣を揮うのも、嫌いではない。むしろ身体を動かせるなら喜んで動かすので、それが剣の鍛錬なら大歓迎だ。


「わたしを、騎士にしてくれるのでしょうか」


 問いながら、ツェイルもサリヴァンとの距離を量る。


「今やおまえはおれの婚約者だ」


 剣は、どちらも構えない。ツェイルはちょうどいい距離を取るまでうろうろと動き、この距離かなと、足をピタリと止める。


「それと、騎士になることと、関係はありません」


 騎士の剣には型がある。ツェイルはその型と、メルエイラ家特有の型、どちらも使うので、サリヴァンの型に合わせようと身体をしっかりと対峙させて様子を見た。


「ラクと似たような考えだな、おまえ」


 言った瞬間、サリヴァンは騎士の形を取り、鞘を抜き、突進してくる。

 とても素早い動きだ。

 ぎぃん、と剣の交り合う鈍い音が響く。

 腕にかかる負担を、その力を利用して横に()なし、今度はツェイルから斬り込む。

 二合めはツェイルからだったが、サリヴァンは軽々と受け止め、同じように横に往なされた。そのいなされた反動を使ってツェイルは身体を回転させ、横一線に三合めの斬り込みにかかるが、これもまた受け止められ、往なされる。四合め、五合めもツェイルから、左右から斬り込んだが、サリヴァンはそれを上手く横に往なして、剣を避けた。

 六合めも簡単に往なされたところで、ツェイルは距離を取る。斬りかかってくると予測して油断を誘ったのが、サリヴァンは動かなかった。


「ルゥ、交代してくれ」


 え、とツェイルは瞠目する。剣を交わして、数分も経っていない。


「ツェイル、悪いが相手を変える」

「それはかまいませんが……」

「帝国騎士団総隊長の、ルーディ・ウルフェイだ」


 サリヴァンは、大柄な騎士を「ルゥ」と再び呼び、ツェイルに紹介する。ルーディは騎士の礼をツェイルに取ると、サリヴァンに駆け寄った。ラクウィルも駆け寄って行く。


「悪い、手が外れない。解いてくれ」

「姫の剣は重かったですか」

「重かった」


 サリヴァンは、なぜか剣を握った手を、ラクウィルに解かれていた。指を一本一本解き、地面に落ちかけた剣をルーディが拾う。


「わたしが相手をせんでも、これを見れば充分だが」

「そう言わず、ツェイルの相手をしてくれ。おれでは無理だ」

「あまり気は進まんのだがなぁ」

「今のでその腕がわかったなら、相手をしてやれ」

「ふむ……承知」


 ツェイルに背を向けていた大柄な騎士は、よろしくお願いする、とツェイルに頭を下げた。慌ててツェイルも礼を取る。

 今度は、騎士団総隊長が相手であるらしい。


「どうぞ姫から」

「は、はあ……でも、よろしいので?」

「かまいません。さ、どうぞ」


 よくわからないが、身体を動かせるならいいかと、ツェイルは遠慮なくルーディに突進する。そのときにはサリヴァンとラクウィルがそこから離れていたので、巻き込む心配もなかった。


 ルーディに止められるまで、剣は交わされた。

 サリヴァンのときとは違う剣の交わし合いに、ツェイルは肩で息をしている。ルーディは大柄なのに俊敏で、しかも体力もあって、小柄なツェイルには有利なところもあったけれども不利なところもあり、久しぶりともなれば振り回されても仕方ない。ルーディがよい頃合いで止めてくれなければ、具合を悪くさせていただろう。

 それくらい、ルーディとの鍛錬はツェイルを没頭させるものだった。


「ここまで、ですな」


 その声にハッとし、とたんに足が崩れたので、はらはらと見守っていたらしいリリが駆け寄ってきた。


「お水です、ツェイルさま」

「あ、あり……がと」

「だいじょうぶですか?」

「うん、だい、じょぶ……久しぶり、だった、から」


 リリが持ってきてくれた水を一気飲みし、その冷たさにホッと息をつく。本当なら疲れてもいきなり座り込みはしないのだが、疲れ過ぎてその余裕もなかった。


「ツェイル」


 呼ばれて、顔を上げる。サリヴァンが近くまで来ていた。


「ルゥとは、どうだった?」


 ツェイルの前に屈んだサリヴァンに、ツェイルはこくんと頷く。


「楽しかった、です」

「そうか……」


 ふんわりと笑ったサリヴァンに、それは初めて見るサリヴァンの優しい笑みで、ツェイルはドキッとする。

 この高鳴りはなんだと、慌てて俯いてふと、屈んだサリヴァンの、その手が震えていることに気づいた。剣を握っていたほうの手だ。


「どう、なされたの、ですか」

「ん?」

「手が……」

「……ああ、これか。気にするな」


 小刻みに震えている手は、ツェイルの眉間に皺を寄せる。そっとサリヴァンのその手を取ると、ひどく冷たくなっていた。


「ツェイル?」

「……冷たい」

「おれは体温が低いからな……どうした?」


 違う。

 これは、体温が低いという理由だけではない。


「リリ、お湯を。飲みものも、暖かいものを」

「……おい、ツェイル」

「陛下、このようなところで、申し訳ありません。立てないもので」

「……運んでやるが」

「陛下のお手を煩わせるなど……それに、この手にもう、負担をかけたくありません」


 ツェイルはその冷たい手を、きっと痛むであろう腕を、ゆっくりと擦って撫ぜた。

 ラクウィルやルカイア、ルーディは黙って、それを見守っていた。


「……よく、気づいたな」

「怪我を?」

「昔な。こう、肩から肘にかけて、ばっさり」


 肩から肘まで、とサリヴァンが反対側の手でそれを辿る。ツェイルは蒼褪めた。


「斬られたと?」


 にこ、とサリヴァンは笑った。

 笑っていられることではないだろうに、なぜこの人は笑ってしまうのだろうと、ツェイルは唇を歪める。


 この人の過去に、いったいなにがあったというのか。

 凡々と皇帝陛下となったわけではないだろうことが、この小刻みに震える手から伝わってくる。


「……だから、剣は使えないと」

「まず握れない」


 サリヴァンは笑って肩を竦める。


「握れても、この通りだ。ツェイルほどの腕前だと、瞬間的な一撃しか望めない。それで仕留められなかったら、終わりだ」


 確かに、サリヴァンの一撃は素早くて、さすがのツェイルもその動きについて行くには難しかった。交わしても上手く往なされて、重要な一手にはなかなか持ち込めなかった。


「わたしに、勝つおつもりでしたか」

「いや」

「では?」

「おまえと剣を交わしてみたかった」

「……わたしと?」

「ああ。おれも、楽しかった」


 あれだけで、と思う。

 あれだけで、本当にサリヴァンは楽しかったと、言えるのだろうか。

 けれども、その笑顔に嘘はなく、いつのまにかツェイルと向かい合って座りながら、ツェイルが擦って撫ぜる腕を見つめていた。


「おまえの手は、暖かいな」

「……子どもだと、おっしゃりたいのですか」

「ん? ああ、そうか。子どもは体温が高いものな」


 はは、と笑ったサリヴァンは、本当に楽しそうだった。なにが随分とご機嫌だが、なにかいいことでもあったのだろうかと、ツェイルは首を傾げる。


「ツェイルさま、お湯をお持ちしました。そちらにお運びすればよろしいですか?」


 ちょうどリリがお湯を運んできてくれたので、ツェイルはそれを自分のところに移動させてもらった。


「立てないもので」

「おれが運ぶぞ」

「そのようなこと、陛下にさせられません」

「ラクやルカがいる」

「遠慮します。この体勢でお許しください」


 断固としてその場を譲らないツェイルは、サリヴァンのほかにラクウィルやルーディを苦笑させつつも、自分でもたまにしていたように、サリヴァンの小刻みに震えた腕をお湯で洗いながら、凝りを解した。

 濡れた腕を綺麗に拭き取って、少し熱を冷まして、冷却作用がある薬を万遍なく塗り、包帯を巻く。


「きちんと、お医者さまに、お見せください。わたしの処置は、しょせん応急処置ですから」

「いや、これでいいさ。楽になった。礼を言う」


 ありがとう、と言われながら、なぜか頭をぐりぐりと撫ぜられる。まるで子供扱いのそれに、少しの照れと、少しの喜びがあったことは、理由がわからなかったのでひたすら隠した。


「部屋を出て歩いて、いいぞ」

「はい?」

「今まで息苦しい思いをさせた。部屋を出て、そこの庭を散策したり、剣の稽古をしたり、城から出すことはできないが、それくらいならいい」


 そういえば、軟禁状態にあったのだった、とこのとき思い出した。


「……ですが、わたしは」

「今や婚約者だ。好きにしろ。ただ、家族にはまだ逢わせてやれない。おれが忙しいからな」


 少しの自由だ、とサリヴァンは苦笑しながら言った。


 そのときのルカイアの瞳を、ツェイルは見逃さない。


『逃げられませんよ』


 ルカイアの瞳は、ツェイルにそう語っていた。


『逃げません』


 声にならない言葉で、ツェイルは返す。


「ツェイル?」

「いえ……ありがとうございます、陛下」

「剣の稽古をするなら、ルゥに誰か見繕ってもらえ。まあ、リリでも相手にはなるだろうが」

「リリが?」

「どうだ、リリ」


 サリヴァンとの剣をリリは快く思っていなかった様子だったが、サリヴァンにそう問いかけられ、ツェイルの視線を受けると、深々と頭を下げた。


「わたくしでよろしければ。稽古の相手にはならなくとも、ただのお相手ならできるかと」


 なんと、リリは剣を扱えるらしい。どこまで万能な侍女なのか。


「と、いうことだ。リリで相手ができなくなったら、ルゥに頼め」

「……よろしいのですか?」

「なにが」

「その……わたしが、剣を揮うことに」

「おまえの身を護るものだ。貴族の子女でも、護身術くらいは習う。おまえの場合、それが抜きん出て得意だというだけのことだろう」


 そういう捉え方もあるのか、と思った。だからツェイルが男の子みたいでも、この人は特になにか言うわけでもないのかと、思った。


 規格外な貴族の娘を、規格外な瞳で見守る人。


 優しくて、面白くて、そして不思議な人だなと、ツェイルはこのとき改めてサリヴァンのことを見つめ直した。


「それに、おまえは騎士になりたいんだろう? なら、剣の稽古は必要だ」

「騎士にしていただけるのですか」

「それはまた別の話だがな。その心意気は認めてやると言っている」

「ありがとうございます」


 ちょっと嬉しくなって、ツェイルはドキドキと胸を高鳴らせながら、サリヴァンに頭を下げた。


 これでやっと、この人を護れるようになる。

 そう思った。







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