00 : 涙を流すとき。
はじめまして、こんにちは。
ようこそおいでくださりました。
この物語は、ふぃっくしょん(古っ)、です。
造語だらけですので、くれぐれも単語は信用しないようにしてください。
ツェイル・オル・メルエイラは、メルエイラ伯爵家では目立ちもしない娘である。美しい兄と姉がひとりずつに、可愛らしい弟と妹がひとりずつ、上手く挟まっているせいか地味に育った娘である。特出しているところは一つもなく、容姿はまあ見られなくもないふつうで、背丈もまあふつうだろうという、つまるところ目立つ要素が一つもない地味な娘だ。
ただ、体つきは貧相なので、よく男の子に間違われる。姉や妹には、ドレスを着たときに本気で胸に詰めものをするかと悩まれる。冗談ではなく本気なので、ツェイルは全力で拒否するが。
「要らない!」
と、叫べば。
「あんまりにも可哀想なんですもの!」
と、姉と妹に気圧される。
つまるところそれくらい、体つきは貧相である。言葉を濁すなら、肉づきが薄いと言えよう。
しかし、ツェイルはそんなこと、一切気にしない。貧相でけっこう、薄くて上等、肉などあるだけ邪魔なのである。ドレスだって着たくないし、兄や弟のような服装が一番だ。
なので、姉や妹のように嘆いたりしない。
そういう、ツェイルの男の子のような性格は悪目立ちしていたが、それも所詮はメルエイラ家の中だけのことだった。
「まあまあ、テューリ。これがツェイルなんだから、いいじゃないか」
「ツァイン兄上。ですが、これではあんまりですわ」
「そうかなぁ……僕はいつものツェイルが好きだけれど」
「嫁ぎ先がなくては困ります!」
「ええー……ツェイルは僕のお嫁さんになるんだから、いいじゃないの」
「既婚者になろうお方がなにを言うのです、ツァイン兄上!」
きーっ、と叫ぶ姉を、ツェイルはいつも他人ごとのように見ている。今日もかぁ、と見ていれば、僕のお嫁さんになるんだから発言をした兄がツェイルの背後に回り、ゆったりと抱きしめてきた。
「ツェイルは僕のお嫁さんになるんだよね?」
「妹で我慢してください」
「テューリは嫁ぎ先がないって言ってるから、いいでしょ」
言っておくが、兄とはきちんと血が繋がっている。そして兄は、結婚を目前に控えている。
「お妾さんはいやです」
「もう……ツェイルは意地悪さんだね」
このっ、と抱き竦められて、その息苦しさに身を捩る。それを見た姉が「おやめなさい!」と怒鳴り、兄が再びおかしな感覚で言葉を返すものだから、妹と弟が止めに入るまでしばらく言い争いが続いた。
ふと、ツェイルは胸のぬくもりに頬を緩めた。
ツェイルは兄姉、妹弟に囲まれて挟まれて育ったが、囲まれて挟まれてよかったと思う。このきょうだいたちが大好きだ。煩くて賑やかで、いつも楽しい。兄はそろそろ結婚し、姉も再来月には嫁いでしまうので寂しくはなるが、まだ幼い弟と妹がいる。きっと、ずっと、このままの楽しさが続くに違いない。
幸せだ、と思う。
きょうだいたちとのこの幸せが、一番、好きだ。
けれども。
「ツァインさま!」
「ん……どうしたの?」
「旦那さまと奥方さまが……っ」
「……え?」
幸せの中に堕ちた、一筋の闇。
「ご旅行先で、盗賊に襲われ……お、お亡くなりに」
笑い声に満ちていたのに、その瞬間一気に、闇に包まれた。
* *
優しい父と母だった。男の子みたいに育ってしまった地味な娘を、それがどうしたと言わんばかりに包み込む、大らかな両親だった。
五人もの子どもを育てるのはやはり大変だったのか、末の子に手がかからなくなり、上ふたりの子が結婚するとなると、じゃあのんびり夫婦だけで旅行でもするかと、そう言って出かけたのは二日前のことだ。
夫婦そろって帰ってきた日、ふたりは呼吸を止めていた。
心臓を止めていた。
凍えるほど、冷たくなっていた。
暖かく優しい両親だっただけに、その悲しさといったら、なかった。
きょうだいの誰も、言葉を失った。初めに泣きだしたのは末の妹で、次につられるようにして弟が、そして姉が静かに涙を流した。
兄は涙を見せなかった。これからメルエイラ家を背負う伯爵という立場が、兄から涙を奪っていた。
そして、ツェイルも泣かなかった。泣けなかった。
「ツェイル、泣いていいんだよ」
兄はそう言って、泣かせようとしてくれたけれども。
兄の、今にも泣きだしてしまいそうな薄い紫色の瞳が、ツェイルから涙を奪っていた。
「兄さまも、泣いていいよ」
言うと、兄は驚いた顔をして、そうして寂しそうに苦笑した。
「ツェイル……ツェイル、すまない。おまえがこうなってしまったのは、僕のせいだ。ごめんよ、僕の可愛いツェイル」
兄に、強く、抱き竦められた。肩に感じた熱は、見なかったことにした。
「ツァインさま……いえ、伯爵さま。そろそろ、お時間です」
「……ああ、そうだね」
棺桶に入った両親を、荼毘に伏す。その時間が迫ると、兄はツェイルから離れた。けれども、兄はツェイルと繋いだ手を、その時間が終わっても離すことはなかった。
両親を地に還すすべてのことが終わると、参列していた者たちはぽつぽつと帰り始めた。きょうだいたちはしばらく動かなかったが、幼い弟と妹は乳母に連れられて邸に帰り、両親が急死したことで婚期が早まった姉も、迎えに現われた婚約者と共に一足早く邸に帰った。
残ったのは、兄とツェイルだけだ。
「……ツェイル、帰ろうか」
「うん……」
晴れやかな日だったが、兄の心にもツェイルの心にも、悲しい雨が降り続けていた。それでも、いつまでもこうしてはいられない。
「兄さま……これから、どうなるの」
「どうもしない。予定が早まるだけだ。僕が伯爵家を継いで、テューリが子爵家に嫁いで……トゥーラとシュネイは、僕が育てることになるかな。ツェイルは、どうしようか」
「……どうもしない」
「そう。じゃあ、ツェイルは僕のお嫁さんになろうね」
こんなときまで冗談を言う兄に、少し呆れた。けれども、それが本気に聞こえてしまった気がして、ツェイルはなにも言えなかった。
そのときだった。
「ツァイン」
誰かが兄を呼んで。
「……閣下?」
兄が、その人を見て驚いていた。慌てて膝をつこうとしたところを見ると、その人はだいぶ、いやかなり偉い人なのだろう。
兄が膝を折ることを止めさせたその人は、濃い金髪に碧色の双眸の、随分と堅苦しい印象のある人だった。
「遅くなって申し訳ない」
「いえ、おいでいただけただけで充分です」
「このたびは気の毒なことではあるが、かつての伯爵のようにあなたには頑張ってもらわなければならない」
「はい、ありがとうございます」
深々と頭を下げた兄に、ツェイルも倣った。兄を見知り、また兄も見知るその人は、きっと兄の仕事先での上司なのだろう。だから倣ったのだが、その人の空気はなぜか、そのとき鋭くなった。
「本当に、いろいろと、頑張ってもらいますよ」
「はい……?」
「ツァイン・オル・メルエイラ」
「はい」
「本日より、帝国近衛騎士団の近衛隊長とす。また、メルエイラ家の爵位は伯爵から侯爵へと昇華す。これは勅令である」
その瞬間、兄は硬直して目を見開いていた。ツェイルは喜ばしいことなのかそうでないことなのか、兄のその姿で戸惑ってしまった。
「兄さま……?」
繋いだ手を引っ張ると、ぎゅっと力が増した。
「ありがたく、拝命致します。ですが、なぜ爵位を……わがメルエイラ家は、先帝の時代に爵位を落としました。それに、もともとは貴族でもなんでもありません。爵位を戻していただく必要など……」
「必要はあります」
その人が強く、兄の言葉を否定したとき、ツェイルはなにかに気づいた兄に腕を引っ張られ、その背に庇われた。
「閣下、まさかとは思いますが……」
「ええ、そのまさかです」
とたん、ツェイルは完全に兄の背に庇われた。
「ツェイルを連れて行くと言うのなら、いくら命令であれ、僕は近衛隊の隊長を辞退させていただきます」
「困ります。あなたの腕を、騎士団の一兵卒で終わらせるわけにはまいりません。それに、あなたにはわが帝国の礎となるお方のそばにいてもらわねばならないのです。勅令を拝命したのなら、速やかにツェイル姫を、差し出しなさい」
「いやです!」
なんだか、いつのまにか剣呑な雰囲気になっていて、しかもその話題が自分であることに、ツェイルは目を瞬いた。
「ツェイルは僕の妻になるんです。どこにも嫁ぎません」
「近親結婚は珍しくもありませんが、諦めなさい」
兄のいつもの冗談を、その人は真面目に返してきた。珍しい人もいたものだとツェイルは思ったが、どうやら兄とその人は真剣そのものだ。
しかしながら、ツェイルにはふたりの会話がさっぱりわからない。
「この命令は覆されることも、効力を失うこともありません。ツァイン、よく考えて、覚悟を決めなさい。あなたは殿下に……サリエさまに忠誠を誓った者でしょう。今さらそれをなかったことになど、できませんよ」
その人はそう言うと、身を翻してそこを立ち去った。兄は悔しそうに、その人の姿が消えるまで、その背を睨んでいた。
「兄さま……」
呼ぶと、急性に、強く兄に抱き寄せられた。
「ツェイル…っ…ツェイル、僕の可愛いツェイル」
そのとき、ツェイルはよくわかっていなかった。
兄のそれも、自分に起きたことも、なにもわかっていなかった。
そもそも両親の葬儀が終わったばかりであったから、心も身体も疲弊していた。理解などできるはずもない。
兄の涙を見たのは、その日が初めてだった。
それだけは、わかった。
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