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03-02 ギルド中央支店

3-2


 エントにもらったメモ紙は、かなり品質が良かった。

 紙の色は白く、品よく少し緑がかっていた。切れ端も整っている。書かれた文字にはインクのにじみもなく、インク自体にも嫌な臭いなどしなかった。

 製紙での商売は難しそうだなと、私は考えた。


 メモに書かれた場所に向かう。アドレスの書かれたメモには通りの名称の他、簡略図も描かれていたので分かりやすかった。紙の端には日の出入りを示す方角マークも描かれていた。地図記号に少し異国の文化を感じたが、本当に私の文化圏と違うのかは分からない。私の過去の記憶はやはり曖昧な部分が多かった。


 街の中心にあった商店から西に進み、途中で北に2つほど裏道に入る。

 1つ目の裏道にはまだ人足が行き交っていたが、更に裏に入ると人は減り、居ても地元住人が多くなった。街並みも店舗が減って、住宅街の様相が見て取れた。

 メインストリートから外れた辺りで、歩道にあった木とレンガの舗装が無くなった。しかしむき出しの地面は僅かに中央が盛り上がって、表面が硬く締まっていた。セメントか石灰が混ざっているのだろう。鍬でも入れなければ削れそうにない。人馬が歩くには十分な状態だった。


 メモのアドレスにあったそこは、倉庫を改装した酒場の様に見えた。浅く傾斜のついた、横に広い三角の屋根は、工場か整備場の造りに近い印象だった。

 道の向かいには締め固まった砂地の広場があり、そこでは良いガタイをした浅黒い肌の少年たちが棒を振ったり、座り込んで仲間と話したりしていた。端には小型クレーンのようなものがあり、反対の端には剣術道場にあるような打ちこみ用の杭柱が立ち並んでいた。

 運動用グラウンド、と表現するは少なからず隆起があり、全体として荒れていた。多目的に使われている空き地、というにも微妙だが、それなりに運動しやすそうなスペースではあった。


 倉庫めいた、看板もない酒場の如き場所に入る。

 中は思っていたより明るかった。広さはテニスコートの4半面ぐらいだろうか。酒場としては結構広い。

 天井の一部にはガラスが嵌められており、よく採光が取られていた。中が明るいのはこの為だ。ビール瓶の底みたいなガラスが鉄の枠に並んではまり、歪んだガラスを通った不均一な光の透過が、室内の床に独特の光模様を描いていた。

 客のいない酒場部分を透り抜け、表側に向かう。酒場と区域を分ける敷居を抜けると、小さなカウンタが備えられた、古い歯医者の待合室みたいな場所に出た。

 受付には金髪の女性が座っており、彼女はやってきた私を見てにこりと、上品に笑った。

 この街に入ってまだ半日も経っていなかったが、この街で見かけた人たちの中で、最も美しいと思える女性だった。ややウェーブのかかった髪には艶があり、頭頂部には天使の輪が輝いている。身形も上等であり、肌艶もよい。

 一目で貴種と分かった。それも、やや古風な貴種だ。成人はしているようだが、身なりがかなり小柄だ。その点を除けば、彼女は典型的な美人を絵にかいたような、貴人の女性だった。

 このような場に貴種の女性がいるのは、身分違いのように思える。

 私は僅かに戸惑ったものの、しかし他に人はいない。受付に座っているから、やはり彼女が受付なのだろう。

 私は女性に話しかけた。


「セントラルギルドのミスタ・エントに紹介されて来たのですが」

「連絡は受けています。ドロップさんですね」


 情報伝達が早かった。通信魔術か、電信か、もしくは速足便かもしれないが、何らかの通信網があるようだった。

 いまいちこの街の規模が分からない。バラック小屋が立ち並ぶと思えば、中心には立派な商店が立つ。町中の酒場にも連絡網が行き届いている。


「支配人からは、ドロップさんは宿と仕事の手配をお望みと聞いていますが」


 エントはコンシェルジュではなく支配人だったらしい。支配人がたまたま私の対応をしてくれたというのは、幸運だったのか何なのか。

 まあ、しばらく店先や裏手をうろついていたから、入店前に既に目を付けられていたのだろう。危機管理意識が高いのは良い事だった。

 受付の女性はA4用紙ほどのクラフト紙に書かれたメモを、折りたたんだ状態で私に差し出した。


「すいません。急なお話だったもので、簡単なメモ書きになってしまうんですけど」


 折られた紙を手に取ってって開いてみると、代表的な買い取り品と価格目安の一覧が綺麗な筆記体で列記されていた。


 布織り、レース編み、ポプリ、茶葉、漬物、乾燥野菜、果物ジュースなどの一覧があり、それらには買い取り金額の目安が傍書きされていた。下の方には「薬品類は要相談」と注意書きされていた。


 魔術師、錬金術師向けというより、主婦向けの内職リストの様だったが、要はそれが私に対するエントの見立てなのだろう。

 正直、下に見られたと思わなくもない。が、装具は良いが由来もわからない、設備も資金も持たない旅の魔法使いに紹介する仕事としては、妥当といえば妥当だろう。

 やや気落ちした私の心境を察してか、受付の女性は慌てて言葉を継いだ。


「宿の方は、一泊2デュカトで1週間手配できます。この表はあくまで参考で、ちゃんとしたお仕事の方は、面談で決めさせていただこうかと」


 デュカトとは、かなり古い銀貨の呼称だった。私は少し疑問に思ったが、懐をあさり、例の死者たちから回収したものの内、15枚の銀貨を財布から出すと、美女の前の受付に置いた。


「とりあえず一週間、その後はまたその時になってから考えます」


 受付の女性は硬貨を確認すると、細く綺麗な指で銀貨を一枚だけ取ると、残りを私に返してきた。


「宿は表から出て右側の建物になります。支払いはそちらでお願いしますね」


 微笑みが可愛らしい。見た目が受付の能力に含まれるのなら、それだけでこの受付嬢は非常に優秀だった。最上級と言っていい。情報量に銀貨一枚を取られても、私にはまったく不満などなかった。

 私は心を奪われそうになりながら、「荷物を置いてから戻ってきます、ありがとう」と受付嬢に告げて、一旦建物を出た。


 表側の入口には「ギルド出張所、中央支店」と看板が掲げられていた。

 出て右、つまり正面に向かって左側には2階建ての建物があった。宿というにはやや小さく、精々民家の倍ほどの大きさだったが、見て直ぐに宿だと分かった。これなら案内もなくていい。私は宿に向かった。


 宿は一階が石造り、二階は木造になっていた。

 民家のような片開の扉を開けると、居間を改装した作業所があり、暖かそうな格好をした数人の夫人たちが編み物をしていた。


「あらあら、お客さん」


 夫人の一人が笑いながら立ち上がり、私の相手をしてくれた。

 隣のギルドで宿を紹介された旨を告げると、聞いていますよ、と夫人は言った。話をしたのはつい先ほどなので、あらかじめ手回しされていたのだろう。


「部屋は一階と二階、どちらもご用意できますよ」


 私は荷を上げるのが面倒だったので、1階を選んだ。

 銀貨を払って案内してもらった部屋は角部屋で、四畳半程度の大きさだった。部屋の形は正方形に近く、思っていたより随分と狭かった。

 やや高い位置に窓があり、外からは覗きこむことが出来ないようになっているが、音は丸聞こえだった。角部屋なので、裏道に面しているようだった。

 置かれたベッドは幅が狭く、80㎝程しかなかった。背もたれのないソファーといった方が正確だろう。底の浅い箱を並べて枯れ草を詰め込むタイプで、今はまだ枯れ草が詰められておらず、分割された箱の一つにまとめて積まれていた。もう一つの箱には蓋が被せてあった。

 第一印象は不満が勝った。しかし荷を置いて、細いベッドに腰掛けてみれば、意外と悪く無く思えた。

 狭いには狭いが、設備はそれなりに整っている。丈夫そうな扉には鍵が付いていた。単純なウォード錠だったけれど、ずっしりと頑丈で、造り自体はしっかりしていた。

 壁も十分に厚そうだ。漆喰が厚く塗ってあり、大きなひび割れもない。風通しが良すぎることはなさそうだった。

 ベッドの横には清潔なシーツが畳まれて置かれていた。枯れ草の束も変な雑草など混じっておらず、全てが藁で、天日に干した良い匂いがした。

 夫人に宿泊利用の説明を受ける。

 シーツは買取で、宿代に含まれる。マットや毛布は有料だった。毛布は自前のがあるので断ったが、マットは欲しかった。ぼろきれを詰めた薄いマットを藁の上に敷けは、まあまあ寝心地がよさそうだった。

 野宿を考えれば雲泥の差だし、一泊銀貨二枚にしては十分な部屋だろう。

 井戸を使わせてもらうよう頼むと、この街は水路の整備が整っていて、この宿では台所と勝手口の外で水が得られるという。トイレや台所は自由に使っていいけど、綺麗に使ってね、と夫人は言った。

 台所や便所は共同らしかった。風呂はなかった。外で水浴びするのは自由だが、衝立などは無いという。

 宿代には水料が含まれているというので、早速案内してもらい、台所の水道を使ってみる。

 人差し指ほどの太さの真鍮の配管が天井から壁面を這って、胸ぐらいの高さで蛇口をつけていた。畳まれた蝶の羽みたいなつまみを回すと、管の口からちょろちょろと水が流れ出てきた。


「お食事はこちらで出ませんが、隣の食堂に頼めばパンとスープは無料で出してくれるようになっていますから」


 夫人はそういうと、再び編み物をしに戻っていった。


 私は勝手口から宿の裏に出ると、外の水道から出る水で手や顔を洗い、ブーツの泥を落とし、水筒を洗って中身を入れ替えた。


 水筒に入れたばかりの水は、思ったよりずっと清潔そうだ。嫌な匂いもしない。ひっとしたらそのまま飲用できるかもしれない。少し口にして、それから何度か口をゆすいだ。手と顔、首回りを拭い、軽く髪を梳いた。水は冷えており、少しだけ飲んでみたが、とても美味かった。


 部屋で荷物を開き、旅装を解く。

 剣と水筒を外し、肌着と上着を予備のものに着替えた。見た限り、この街では市中で剣を吊るのはあまり一般的ではないようだ。手拭いを変え、ナイフを付けなおし、財布を持って後は仕舞った。

 フードは状態保護の術式が掛かっているので、外でばさばさと叩くだけで綺麗な状態に戻った。

 物を収納した鞄に「鍵の魔術」をかける。布状のものにかけるには向かない魔術だが、金具を固定するぐらいはできる。ベルトや布部分の強化にも少しは効果が働くが、鋭利な刃物で何度も裂かれたら持たないだろう。あくまで気休め程度だ。

 部屋を出るときにも「鍵の呪文」を掛ける。備え付きのウォード錠は鍵を無くしそうなので外して部屋に置いておいた。


 身軽になってギルド支店へ戻ると、再び先ほどの女性が相手をしてくれた。


「ドロップさんに仕事をお勧めするにあたって、役に立つ技能やご希望などをお伺いしたいのですが」


 受付の女性はにこにこと微笑みかけてくる。

 私は答えた。


 魔術師として、基礎魔術は一通り使える、簡単な調薬や魔道具の整備も出来る、得意ではないが、測量や溶接、木工、園芸、井戸掘り、河川の水利、石工に大工、彫金、彫刻、調理なども一通りこなせる。


 そう告げると、女性はやはり微笑みながら、「まあ、多芸なんですね」と笑った。

 今並べた事柄は、どれもこの身一つで出来る程度の事なので、多芸ではあるかもしれないが、低度だった。

 今の私は、初級魔術はそれなりに使えるようになっていたけれど、中級はまだ複雑な使用が難しかった。

 製薬をするには道具が欲しいし、設備が必要になるもの、あれば便利なものなど、仕事を前に準備しておきたいことが山のようにあった。

 それに、いくら魔術で賦活していたとはいえ、一月以上のサバイバル生活は流石に疲れた。足の傷も治したいし、少しの間、じっと休みたい。十分な栄養と取って、ただゆっくり休みたかった。

 仕事開始は少し先で、出来れば一週間ほど休んで体を癒したい、とも告げると、「では、とりあえず明日までに、仕事をご用意だけしておきます」と彼女は言った。

 私は少し眉をしかめた。翌日に用意できる仕事、ということは、きっと常にある雑用仕事だ。道や水路の掃除、土木に大工作業、草刈りやゴミ拾い、不用品の解体や資源回収など。

 仕事に貴賤は無かろうとも、賃金格差は存在する。紹介されるからには宿代ぐらいは賄えるだろうが、あまり稼ぎには期待出来なさそうだった。

 少し残念に思ったが、まあそんなものだろう。それらの仕事をこなすのは、この街に慣れるまでの勉強期間と思うことにした。


「期限前にお支払いいただければ、宿のお部屋はずっと使っていただいても大丈夫です。一応、綺麗に使っていただけているか、定期的に確認はさせていただきますけど」


 宿の部屋も、犯罪対策に視察は入るらしい。不満はない。

 帳面にメモを取る女性に、食事処と、あと街の事を知りたいので、良い情報屋の紹介をお願いした。


「食事は隣の食堂でもお出しできます。もうそろそろ休憩も終わりですから」


 彼女は「ご案内します」と私を導き、まだ火も入っていない、誰もいない食堂に私を案内した。


 彼女は幾つか置かれた丸いテーブル席の一つへ私を座らせると、「ダイアさーん、いますかー」と可愛らしい声を掛けながら食堂の奥へ姿を消した。


 残された私は周囲を見回した。

 この建物へ入ってきたときに通り抜けたが、食堂とはいっても、要は倉庫を改造した酒場だ。しかし、丁寧に改装されてはいる。居心地はかなり良い。壁紙の無い木肌むき出しの壁は、しかし良く磨かれて、木目も美しい。木造なので多少の隙間はあるが、間に潘築でも挟んでいるのか、風の通りは感じなかった。

 室内の片側にはカウンター台があり、台の端に果実酒の大瓶や金属筒、それに半円のケースに入った作り置きのケーキが置かれていた。

 シロップ漬けの果物が載っただけのクッキー生地のケーキは、長持ちはしそうだが、あまりおいしくなさそうに見えた。

 カウンタ奥の棚には酒瓶の他、漬物やつまみの瓶詰がまばらに置かれていた。

 ガラスの天窓から差し込む光の他に光源はなく、鉄枠に嵌った粗雑なガラスの偏光縞が、塗装もない木板の床に幾つも歪な輪を描いている。掃き掃除はしている様だが、床には少し土ぼこりがあった。外の道には舗装もないので無理もない。よく見ると、置かれた机は細かな傷や打撃跡まみれだった。ただし傷だらけでもささくれなどは無く、良く油が染みて、綺麗に磨かれていた。僅かな染みはあっても変なべたつきはなく、染みを指の腹で撫ででも、汚れなど付かなかった。


 壁に掛けられた木版には流麗な簡素体でメニューが掛かれていた。


 常時:

 長パンの厚カット、もしくは丸パン

 鶏肉または兎肉のシチュー

 特大ハンバーグ ブロッコリとジャガイモの添え物

 ジャガイモと合挽肉のグラタン

 なすと玉ねぎと合挽肉の炒め物

 キャベツの炒め物

 串焼き 数種(鳥肉 虫肉 蜥蜴肉 大鼠)

 ハムとレタスのサラダ

 にんじんと大根のサラダ

 漬物盛り合わせ

 果物盛り合わせ

 野草の盛り合わせ


 品目はかなり多いと感じた。これらが常時出るのであれば、この店はさぞ繁盛しているのだろう。

 しかし一部のメニューに不穏なものを感じた。また、魚がないことも気になった。街の近くに川があるのに、魚が取られていないのだろうか。

 看板の端には「本日の日変わりメニュー」とあったが、今はまだ前日のメニューが書かれ、そこに終了のバツ印が上書きされていた。

 そうこうしているうちに受付の女性が戻ってきた。手にはガラス製の小型ランプを幾つか持っていた。


「すいません、いま明かりを付けますね」


 彼女がカウンタ横の壁に備えられた回転式のハンドルを回すと、天井に吊られた金具がするすると降りてきた。

 彼女は金具にランプを設置すると、指先から「ちっちっちっ」と火花を飛ばして、ランプの芯に火を灯した。「着火の魔術」だった。無詠唱で、身振りもなく、彼女は容易に魔術を行使していた。

 無詠唱は珍しい技術ではないが、そこそこ高度な技術ではある。田舎の魔女などには生まれつき無詠唱を使える者も稀にいるが、それにしたって、彼女は単なる客寄せ用の綺麗な受付嬢、という訳でもないようだ。


 火の灯った複数のランプが金具に吊られ、室内を照らした。

 幾つかの明かりが灯されても、室内は暗かった。天窓の明かりだけだった時とさして変わらない。

 こんな光量でも夜になればそれでもそれなりに明るく感じられるだろうが、それにしても暗かった。

 多分、ランプの芯があまりよくないのだと思った。それでもこの時間から灯すのだから、油は豊富にあるのだろう。古い油の在庫処分かもしれない。オリーブ油の燃える香りがした。


「それで、お食事のご注文は何になさいますか」


 明かりを灯した後に、受付の女性はウェイトレスの真似事を始めた。仕草はそれなりに様になっているから、真似ではなく実際にウェイトレスなのだろう。普段から仕事を兼任しているとみた。


 長パン、丸パンはバゲットやカンパーニュの事か。宿の利用者はパンとスープが無料らしいので、とりあえず丸パンと鶏肉のシチュー、それに野菜と合挽肉の炒め物を頼んだ。注文すれば水は無料らしいので、これもジョッキ一杯頼んだ。

 注文を聞いた彼女は厨房に戻ると、厨房の奥からはかまどの稼働や、調理器具を設置しているらしき「がたごと」という音が聞こえ始めた。

 間もなく女性は戻ってきた。簡単な準備だけして、後は先ほど呼び掛けていた「ダイアさん」とやらに任せてきたのだろう。彼女は「失礼します」といって、私の席の対面に座った。


「では、お聞きしたいことは何でしょう」


 私は少し戸惑ったが、どうやら彼女が街の情報を教えてくれるようだ。受付、宿の案内、ウェイトレスに続き、彼女は情報屋になった。

 私は色々と考えたが、まずは情報屋としての確認からだろう。


「モール、という単位を知っていますか」


 彼女は少し悩んだが、直ぐに思い当たったようだ。


「ええと、昔の貨幣単位ですよね。共和制時代の」

「では、デュカトの由来は」

「先・帝国時代の貨幣単位です」


 彼女はすらすらと答えた。姿勢を正して答える様子は、教師の質問に答える出来の良い生徒の様だった。


「では、これは」


 私は懐から一枚のコインを取り出し、机の上に置いた。

 私が復活した際、傍に置かれていた非常持出箱に入っていた硬貨だ。

 彼女は「失礼します」といって硬貨を受け取ると、コインの縁や裏表を確認して答えた。


「旧デュカト銀貨ですね。傷が少なくて、状態もすごくいいです。十分、好事家の方に紹介できる品だと思います」


 机に直置きするのはもったいないですよ、と、彼女は私へ直接手渡ししてくれた。渡す際に私の手を受けるように手を添えられて、すこしどきりとした。

 更にいくつかの硬貨を取出し、質問を続ける。


「現デュカト銀貨、銅貨、それに金貨ですね。金貨はこの規格だと10デュカトになります」


 銅貨も状態がいいので、1デシ相当で問題がないと思います、と彼女は言った。

 なんだか国や言語が混ざっているようで混乱するが、要は銀貨1デュカトを基準に、銅貨をその1/10、小金貨を10倍、それ以上の単位を大金貨として、現在の貨幣は流通しているらしかった。

 私の元生きていた時代では、既存の帝国通貨と、新たに流通し始めた共和国のモール貨が混在していた。それも時が過ぎ去り、共和国も消滅して、現在モールは全く使われていないようだった。

 というか、彼女の説明から察するに、現在の世には帝国も共和国も存在せず、復活に時間がかかったと思ってはいたが、どうやら軽く見積もっても死後数百年は経過してしまっている様だった。

 少しショックだった。

 ちなみに元帝国で流通していたフス系は使われておらず、1銅貨1フス、30フス=1デュカト制も、その使いにくさから再採用はされなかったらしい。当時から不便には思っていたので、改善されたのは良いことだ。人も社会も、少しづつ進歩しているのだろう。

 しかしいざ10進制が採用されてみれば、物足りなさを感じるのはなぜなのか。私は己が矛盾に苦笑いを浮かべた。

 硬貨の価値が変化したとて、しかし元々銅貨はパン一つを基準とした単位だ。宿や食事の価格に違和感を感じた。


 食堂のメニューから推定して、銅貨100円、銀貨1000円とするのであれば、宿代が一泊2000円である。一泊をおよそ5000~6000円と考えていたのだが、これでは安過ぎではないか。水は無料だし、食費を含めても3000円あれば1日過ごせてしまう。

 銅貨の価値が上がったのか、それとも銀貨が下がったのか。私は経済学に詳しくないから、その辺はよく分からない。実際に市場の流通を確認しないと何とも言えないが、ひょっとしたら、生活は思ったより楽かもしれなかった。


「硬貨の模様について、説明してもらってもいいですか」

「各硬貨にはそれぞれ、表には意匠化されたデュカト(D)と数字が、裏には無貌の神、騎士の神、愛の女神様を示す、犬と杖、馬と槍、鹿と鞭が描かれています」


 神学に付いて遠回しに確認するが、古代の神々が共和国の家系4大神に負け、徐々に信仰を失っていったのは私の記憶の通りらしい。それでも一部伝統としてこうした形で教義が残っているようだ。

 私が生きていた当時でさえ、古代神信仰はかなり下火だった。信仰魔術の質としてもそうだが、これを国教としていた帝国自体が経済システムとして末期だった。

 訊けば、それらの国は古くに滅び、その興亡も近代史の範疇ではなく、古代史に属するらしい。資料もなく、有っても古代ケルトや邪馬台国めいた噂話と伝承によるものばかりで、信頼性は低いのだとか。

 私の死後、何がどうなって共和制が滅び、帝国文化が復権を成し遂げたのか。

 復権というには連続性は無く、知識の断絶もあるようだから、色々あったのだろう。

 ちなみに、古代の神は上記の三神を除き、多くが名も姿も忘れられしまったようだ。

 という事は、私の信仰している魔女皇の神も忘れられているという事だ。

 東の森で「森歩きの魔術」が使用できた事から、古代の神の信仰の力が、今の世にも残っているのは確かだ。ただし、今の社会においてその恩恵は十分に活用されていないようだ。

 とりあえず、現在では普段使いに面倒そうな旧デュカト銀貨の一部買取をお願いする。元の価値の数十倍にはなりそうで、全部を売るとかなりの軍資金になりそうだ。

 他の両替商を知らないから何とも言えないが、この場所は恐らくある程度公的な機関だと思われた。それなりに信用してよいだろう。

 とりあえずの資金として数枚を売り払い、残りは財産として取っておくことにする。後で専用のケースでも作って仕舞っておこう。ケースにしまうのは取引用金貨ではよくするが、まさか普段使いである銀貨でそうすることになるとは。今となっては一般金貨より価値のある硬貨だった。


「知識の確認は大丈夫ですか」


 これでも勉強してますし、ちゃんと学院も出ているんですよ、と彼女は自慢げに言った。

 どうやら硬貨の確認を、彼女は経済と歴史の基本知識を確認するためのテストと捉えたらしかった。半分当たりで、半分は外れだ。

 学院というのは知らないが、彼女の言動や知識量から考えるに、大学相当の教育機関と思っていいだろう。彼女の言はリファレンス情報としてそれなりに信用出来そうだ。

 私は木製のジョッキで出された水をあおり、喉と唇を濡らした。腐食防止用のビールもワインも混じっていない、濾過と煮沸だけの、飲みやすい美味しい水だった。

 私は気になることを次々と質問していった。


 この街の産業、人口、主だった組織などといった政治・経済に関するものから、食事や風呂の習慣、衣服や生鮮食品、生活必需品の入手、街での娯楽、風俗に至るまで、思いつくことを次々と尋ねていった。

 質問に答える際、彼女は時折、銅貨や銀貨を要求した。基本的な知識は無料だが、専門的なもの、価値あるものには彼女は詫びれもなく対価を要求してきた。私と彼女の間に銅と銀の硬貨が積み上がっていった。

 石鹸や裁縫道具をはじめとする旅道具は、隣の受付でも販売しているらしく、直ぐに品を持ってきてくれた。

 彼女が受付の奥から持ってきた小型の金属桶(鍋・食器・洗濯桶兼用)の中には、私の注文した細々とした品が並んでいた。

 燃料用の油の小瓶、細引きのロープ、石鹸、針糸の布包み、傷軟膏、ろうそくなど、今も昔も冒険者セットというのはさほど変わりがない。

 価格を聞いて、やや高いと感じたが、品質は悪くなさそうなので購入した。これもある意味情報料だろう。

 一部、包装の雑紙に古びたものがあったので、在庫処分のような気もした。


 質問を30分程度続けていると、頼んでいた料理が運ばれてきた。

 図体の良いエプロン姿の男性が、暖かいパンの入った籠と、木の深皿に入った具沢山シチューを持ってきてくれた。彼が「ダイアさん」なのだろうか。

 男性が往復して、更に野菜とひき肉の炒め物、水のお替りがやってくる。注文がすべて届いたのを確認して、私は料金を払った。

 支払いを計算してみると、鶏肉のシチューは別料金だった。無料はパンと塩スープだけらしい。

 出されたパンを見る。表面は固いが、頭に入れられた十字の切れ込みの中は柔らかそうな白パンだ。拳より少し大きいサイズで、香ばしい匂いの中に溶けたバターの甘い香りが漂っていた。このパンが3つもあれば、一日の必要カロリーは十分満たせるだろう。

 パンとシチューだけで銅貨5枚、約500円である。炒め物も含めて700円。宿代を考えても安すぎるのだが。

「ダイアさん」と思われる屈強な男性はどう見ても堅気には見えなかったが、そんなことが霞むぐらい、私は価格の安さに驚いた。水も無料で飲み放題、使い放題である。

 現代は、人類にとって黄金の時代なのでは……

 わたしの驚いた顔に、女性はくすくすと笑った。


「多いでしょう。でも、ここに来るお客さんは、みんなそれぐらいペロリと食べちゃうんです」


 驚くべきは価格だったのだが、言われてみれば量も確かに多い。肉体労働系の客層なのだろうか。それにしては立地が良いように思える。街中心からほど近く、裏道に入ってはいるが、周辺は綺麗なものだ。住宅も店舗も小ぎれいで、どことなく品もいい。

 私の注文に合わせて、目の前の彼女は甘い香りのするお茶を注文していた。

 私は茶の金額を確認して、料金を払った。視線をダイアに向け、手で正面の彼女を示す。給仕した男性は眉を持ち上げて、親指をぐっと立てた。あまり上品な仕草ではなかったが、嫌な気はしなかった。私は頷いた。

 彼女は詫びれもせずに「ご馳走になります」と微笑んだ。これだけの美人なのだ。こんな事にも慣れているのだろう。


 彼女は食事中に会話するのを苦にしないようだったが、私は久しぶりのまともな食事に集中したかったので、食べ終わるまで話の続きを少し待ってもらった。デートマナーとしてはあまりよろしくないが、彼女は美人過ぎるし、恐らく貴族だろうから、どう考えても手の届く相手ではなかった。礼儀は守るが、あまり深く付き合うつもりもない。

 高学歴、魔術に精通した貴種と思われる女性がなぜこんな所にいるのか謎だが、それも触れない方が良いだろう。


 焼きたての丸パンは表面を硬く焼かれていて、手で割ると練りこまれたバターの香りが一面に広がった。何もつけずに齧る。美味い。塩とバターの味付けだけで、ただ美味い。

 シチューは水で薄めた羊乳で具材を煮込んだ、帝国風の伝統的なものだ。所謂ホワイトシチューで、ベースは塩の他、コンソメっぽいうま味を感じた。

 具は鶏肉の他、人参、キャベツ、くずれた芋。キノコは無かったが、代わりによく煮込まれて溶けかけた蕪が入っていた。蕪は普通、家畜のえさだ。帝国風スープに入れられた蕪には少しならない違和感を感じた。しかしこのスープに入っている蕪は柔らかな大根の様で、繊維も少なくて普通に食用に耐えた。旨かったので、食べ慣れれば違和感も消えるだろう。

 肉野菜炒めは大柄に刻んだキャベツ、なす、玉ねぎが入っており、味付けは塩コショウ、それに少しの辛味スパイス。玉ねぎがとても甘かった。少し焦げ目の入った玉ねぎは、多少の苦みがあったものの、野菜としては格別な甘みがあった。肉はしっかりと潰されており、ミンチメーカーは使われていなかったが、刻まれ、叩かれ、絡まったオリーブオイルと相まって、舌の上でよく解れた。

 素材もそうだが、料理の腕がいい。塩も濃く、ちゃんと旅上がりの私向けの味付けになっている。濃い味付けが通常かもしれなかったが、とにかく旨かった。量は十分に多く、しかし私は苦も無く全てを平らげた。


 食事を終えて会話を再開する。

 追加注文していたプライヤ、小型の画板、紙束などが、いつの間にか用意されていた。彼女は場を離れていないから、誰かに頼んで持ってきてもらったのだろう。食事に夢中で全然気付かなかった。手際が良かった。

 ペンは羽ペンに金具が付けられたもので、前時代的だった。インク壺は薄い真鍮製で、あまり携帯向きではない。普段使う分には足りるだろうが、荷などに入れておくと簡単に潰れそうだ。

 エントの使っていたような携帯型のインク内蔵ペンは、流石に特注品になるのか。直ぐに必要になるとも思えないから、当分はこれで我慢しよう。余裕が出来たら購入または改良し、いずれは万年筆が欲しかった。

 厨房の男性にテーブル上の食器を片付けてもらい、更に会話を続ける。質問の度に硬貨が飛んでいき、私の財布は軽くなっていった。

 それだけの価値はあった。彼女は物知りだった。系統だった学のある博識で、説明もうまい。仕草もかわいらしかった。最高の教師と言えた。


 話を聞いてメモを取り、購入したばかりの画板に紙を当てて地図を描く。

 街周辺の概略地図に、街の地図。本通りと裏道。商店通り「兎横丁」と、それぞれの店の位置。住宅街に鍛冶街、街を走る水路と水広場。


 水広場というのは、街の各所に存在する水汲み場の事を指すらしい。

 街から遠く離れた北東の森の近くには、北の山から降る川が流れている。本流は森沿いに南東へ流れているのだが、川から分けられた分水は街外の街道に沿って街まで導かれて、街の内側にある揚水施設で汲み上げられる。

 汲み上げられた水は給水塔で一旦沈殿・浄化された後、街の各所を走る水路によって配水される。

 宿では配水管が整備されていたが、配水は全世帯にされるわけではないので、いくつかの場所で取水場所として小さな貯水槽に落とされる。聞くところによると、それらは少し大きめの水船ともいえるサイズらしい。

 これを水広場といい、要は噴水のない噴水広場のようなもので、ここは水汲みや洗濯場としての他、住民の憩いの場であるようだった。

 上水から下水への変換点であり、子供や若い男性などは下水の頭で行水もするらしいが、これはあまりマナーとして好ましくないらしい。マナー違反かもしれないが、様子次第で私もするかもしれない。

 水利の関係から、地価として街の北は高級、南は低級になる。アッパーヒル、ダウンタウンの関係はどこも一緒だ。


 街は北を上とした人間の胃袋のような形をしていて、水は北東から来るが、物資は基本、西から来る。西の荒野の向こうには旧帝国の流れを汲む本国:王国の王都があり、そこから無人の荒野を越えて、東に位置するこの開拓村へ物資は届けられる。衣類や金属製品は街西側の商店街で卸されるから、まともな物が欲しければ商店街である「兎横丁」へ、というのがこの街の常識の様だ。

 なお、兎横丁は横丁とはいいながら横道ではなく、実際は本通り北に並行する裏道通りになる。


 遠く北には山岳地帯があり、此方は杏子や椿、上質な毛織物、チーズなどが有名らしいが、交易としては細く、発達程度はそこそこ。西に対して、貿易規模は4半分かそれ以下というレベルらしい。


 街の北東が開拓団の主戦場で、彼らは此処から北東に位置する森へと向かい、数ヶ月キャンプを張り、材木を切って戻ってくる。キャンプ中に北の荒野で兎や蜥蜴、大鼠、岩場で羚羊、森南の沼地で水牛を狩ることもするらしいが、儲けとしては材木が大きく、これは本国へも輸送される伐採規模らしい。


 森の南~街の南の広範囲にわたっては湖沼地帯が広がっており、これはそのまま海に繋がる。この沼は生物汚染が酷く、森南はさほどでもないが、街の傍はかなり汚染度が高い。そのため海には港もなく、この街の出入りは基本、西と北の陸路2方向しかない。


 ここまでの地理情報を整理して、やや不味い事実に気付く。

 川のある東側から来た私は、もし見たものがいたら「こいつどっから来たんだ?」と思われていたことだろう。不味い事をしたかもしれない。しかしもう過ぎた事だ。どうすることも出来ない。


 わたしは街に来る際に南の沼地を見ていないから、沼地が視界に入る手前を通って街へ来たらしい。そんな考えから、森から街へと続く沼地の線を地図に描くと、それまで可愛く相槌を打っていた金髪の教師は急に黙って、にこにこと微笑んだ。


 森についての情報も聞く。

 森には小鬼が跋扈して、放置しておくと森が荒野を浸食し、西へ西へと広がっていくらしい。

 北の荒野は石材と兎程度しか有用な資源のないので、むしろ資源豊かな森に浸食されることは好ましいのだが、完全に侵食された森は人間の支配地域ではなくなってしまう。

 深い森で人が社会行動を行うのは難しい。人類の九割九分は個人で熊に敵わない。管理された森、里森を作るのが理想だが、それには高度な支配能力がいる。小鬼と拮抗している現状では難しいだろう。

 森の住人である小鬼の生息域が広がるのは危険で、しかし森は資源を生む。利益と防衛の観点から、森の境界線維持がこの街の主な目的らしかった。

 小鬼の進行を止められる武力がないのは程度が低いと思うが、組織化された小鬼はそれなりに脅威だ。人間側が弱いか、この地域に巣くう小鬼群の脅威が高いかは不明だが、少なくともあの森の一部に於いて、小鬼側は魔獣化した熊の生息域を侵せていないという事実を、私は知っていた。


 つまり、ここは資源開拓、兼、森の浸食防止&前線維持のための開拓村な訳で、規模としては街といってもいいレベルだが、しかし仕組みとしては開拓「村」となっているらしい。役職や名称は街に倣うが、税収や人頭管理は村、という訳だ。


 小鬼の繁殖は、あれだけ兎がいれば増え放題だろうな、と私は考えた。

 小鬼にとって、兎は食料であり、孕み腹にもなる存在だ。

 小鬼はヒューマン種とは元より、馬や豚、兎や大型の鼠など、サイズさえ合えば殆どの哺乳類と繁殖を行う。食用資源の奪い合いだけではなく、他種の母体を利用するから、奴らが繁殖すると相対的にそれら利用された種が減少してしまうのだ。小鬼はほぼ全ての人類種にとって生存競争の敵だ。

 小鬼の寿命は30年ほどだが、生涯にわたって繁殖を繰り返す。

 ほぼ全てがオスで、多種に対し遺伝的に優性。劣悪な環境でもしぶとく生存し、一度の交尾で母体は2、3体の子を産み、妊娠・出産を年に3,4回行う。

 小鬼:ゴブリンは一応、生物学的分類としては人類種に分類されるが、やつらはある意味ヒューマン種の中で最も生存に特化した種と言えなくもない。

 兎が母体では生まれる固体も小さいだろうが、小鬼は不自由ない繁殖環境が整えば、年で10倍は増える。

 その脅威度は個体としては小さいが、群れとしては決して軽視してよい脅威ではなかった。


 話をしながら、美しい女教師は私の描く絵を確認してくれた。

 彼女はいくつか修正を指摘したり、時にば自らペンを取って絵を描いてくれたりした。

 彼女の絵は上手く、描かれた荒野兎は構図が美術的だった。

 こういった芸術表現は博物学的にはあまり好ましくはないのだが、注釈の字体も装飾的なものを用いて、彼女のそれは神殿の献上絵画か、物語の挿絵の様だった。

 私の絵はデフォルメが強く、漫画的にカリカチュアしてしまう手癖があるので少々恥ずかしかったが、彼女はそんな絵でも「かわいいですね」と控えめに褒めてくれた。どんなに印象を変えても小鬼はかわいくないと思ったが、私は彼女に言われるまま、兎や小鬼:ゴブリンの絵を描いた。

 母体違いによる体格の比較図や三面図、ゴブリンメイジ、ゴブリンナイト、猪に跨って疾走するゴブリンライダーの躍動絵などを描いていると、いつしか先生はコメントもなく、ただにこにこと笑っていた。

 同じ種にこだわりすぎだったかもしれない。そもそも小鬼は若い女性に好ましくない話題だったかもしれず、私は描く傾向を変えた。


 およそA4用紙サイズ、一枚600円の藁半紙が、二人のらくがきで次々と消費されていった。

 この女教師、金を使わせるのが上手いなと思った。知識は得られるので損はなく、互いに利益はある。WINーWIN。これこそが正しい商売だとは思う。

 しかし感心とは裏腹に、私の財布はどんどん軽くなった。


 質問をし続けているうちに、あっという間に数時間が過ぎた。「コーン、コーン」と、澄んだ金属の鐘の音が響いた。建物の外から聞こえ、町中に高音の鐘の音が響き渡った。


 時を告げる教会の鐘らしかった。4音ほどの鐘の音が、単純ながらもメロディになっていた。今のフレーズは日没前の曲らしい。屋内、かつ歪んだ光の具合で分かりにくいが、確かに時間的にはそれぐらいなのだろう。

 皆が仕事を片付け、暗くなる前に帰宅するための合図の鐘だった。


 追加で質問する。

 この街では教会が時報の管理をしているらしかった。色々と権力の分散があり、少し煩わしい。

 街の主用施設を管理する領主の他、商工会、開拓団、魔導関係、四大神教会、水利業者にストリートキッズまで、全てに気を回す必要はないだろうが、それでも注意すべき組織は多い。

 ちなみに、街の入口に屯っていたチンピラ風の若者たちは、開拓団の下っ端が休暇中か、水利業者の者かと思われた。どちらであっても見た目からして半分やくざみたいなものなのだろう。


「私の相談してくれれば、大抵の事は問題ないですから」


 組織の関係を相関図にして描いていると、女教師はそう言って微笑んだ。

 口利き屋として、彼女は顔が広いらしい。それを全面的に信用するには早いが、疑う必要も今のところは感じない。頼りには出来そうだが、その分だけ金はかかるだろう。

 財布の中身を様子見しつつ、彼女とは上手く付き合いたいものだ。


 明日の朝、ここの受付を訪ねることを約束し、私は借りた部屋に戻った。

 腹は一杯で、夕食は必要なさそうだった。



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