04-01 グラウンド整備
4-1
仕事開始日の朝。
グラウンドの様子はいつもと変わらない。凹凸のある地面に、壁際にあるクレーン、立ち杭。落ち武者たちは今日も今日とて亡霊のように仄暗く光っている。
仕事を受注した翌日から、一番端の落ち武者にだけ何故か「使用禁止」の札が掛けられていた。仲間外れみたいでなんだか可哀そうだったが、マーシャさんからこれには手を加えるなと厳命されていた。
施工計画を提出する必要はなかったが、自分用にざっと書き出してはいた。
1日目:表面の掘削 粒度分けによる土山作成
2日目:下層地盤の巻き戻しと締固め
3日目:上層地盤の巻き戻しと締固め
整備といっても只の表面慣らしなので、作業としてはとても単純である。
大まかな測量と一部のマーキングは既に済ませてしまっているので(期日前着手:厳密には違法)、私はメモを確認しながら、バケツに貯めた木灰で地面に印を描いていく。
グラウンド全面を座標に見立てたグリットポイントと、各点での予定掘削高の数字。それら書き終えたら、後はそれを目安に地面を掘り返していく。
魔力を刃物状に打ち出しで、地表を切り刻んでいく。小さなブロック状になった土塊を更に砕いて「土砂操作」で数か所にまとめ、山にする。
「土砂操作」は本来であれば中級に値する魔術だが、締め固まった地層ならともかく、細かく粉砕された土を操るのであれば難易度がかなり下がる。更に私は前生での使用経験から、かなり効率的に土砂を操作する事が出来た。
半日でグラウンドの彼方此方に土山が出来て、全体で地盤が30㎝ほど下がった。ここの測量は適当である。
昼になり、私は弁当のサンドイッチを食べた。宿で出るパンに、切れ込みを入れて肉を挟んだだけのものだ。これにチーズと、水筒に入れたりんご茶を合わせて飲む。食後、宿に戻って手や顔を洗い、軽く昼寝をしてから、再びグラウンドに戻る。
山にした土砂を「土砂操作」で分離する。宙に上げると負荷が大きいので、斜めに持ち上げて振るい、粒度ごとに場所を分けて置く。土砂に混ざりこんだ草根の分離が一番面頭で、これはもう熱で丸ごと焼いてしまった。
作業が細かくなると操作も難しくなる。土砂操作の魔術だけでなくスコップや鍬も併用して作業した。人力で土山をつつき、何度も繰り返して粒度分離する。
午後いっぱいを掛けて、グラウンドの数か所に土、砂、小石、それぞれの山が出来た。
本日は時間的に余裕があったので、最後に一部に小石を撒いて均し、本日は終わる。
宿の部屋まで水を運び、たらいで湯を沸かし、手拭いで身を清める。
食堂で食事をする。
今日はパンとスープの他、「鶏肉の串焼き」「蜥蜴肉の串焼き」「虫肉の串焼き」を各2本づつ頼んだ。この3種は最近のお気に入りだった。特に虫肉は安くて旨かった。
虫肉とは、ギルドがおすすめする格安の養殖肉だ。屋台などにも雑多な虫肉はあるが、ギル横で出される虫肉は一種のみで、聞くところによれば日も射さない地下のプールで飼育される水生生物の肉だそうだ。
この虫の正体とは、ずばり海老だ。
私はそれが生きて動いている姿を直接見てはいないのだが、その剥かれた肉付きからすると、手肢や体の節がかなり多いようで、正確を期すならば海老とは少し違うのだろう(ムカデか、ゲジに近いと思われる)。
しかし肉質は大体海老に似て、味もおおよそ海老だがら、つまりほぼ海老だ。通称:海老といって問題ない。
工場の排熱と魔術による水質維持を利用したエコな人工肉、という触れ込みだが、恐らくは共食い防止に洗脳魔術も使っている。他にも肉には大量の魔術の痕跡があった。
そんな人工繁殖された異形の川海老は、鶏や川魚よりも更に早いサイクルで肉が生産されるという。
餌も生ごみやくず肉で良く、このギルド支店では海老を普及させようと頑張っているらしいが、どうもうまくいっていないようだ。
味は良いのだが、見た目に抵抗を感じるものが多いらしい。海老肉は水分が多いから、保存や輸送にも問題があるのだとも思う。私にこうして食される以外、その殆どが肥料になっているらしい。
こんなにもおいしいのに、もったいない話だ。
二日目。
より分けた土山の内、粒度の細かいものから均一に敷きならしていく。作業はほぼ「土砂操作」だが、今日は棍棒も併用した。
敷いた土を魔力と手作業で叩いては、高さを魔力ピンで計測し、削ったり盛ったりしていく。
人間の目は結構優秀なので、少し離れて見れば大体どこが盛り上がっているのか、おおざっぱに判別出来る。それでも細部は難しいので、綺麗にするには測定器具がいる。器具がないので私は魔力のピンで代用した。
かなり高度な操作・測定能力がないとこんな運用は普通出来ないのだが、この工事自体、あまり精度が求められていない事もあったし、私はかつてこんな事ばかりしていた時期があったので、どうにか代用することが出来た。
排水を考えて、奥を高く、道側を低くする。
基準はグラウンドに面した道の表面高さだ。道より低いとグラウンド内に水が溜まってしまうので、これは避けたい。土を全部戻した際、グラウンドの道際高さが道より少し高くなるように計画している。
今日は場所を変えつつも、ずっと同じ作業を繰り返した。昼過ぎには予定工程を終了させたので、風呂に行って汗を流した。
夕飯は風呂屋傍の酒場で済ませた。味も質もギル横より劣り、しかし価格は高かった。
三日目。
余った砂を敷き均す。材料は違えど作業は昨日と大体同じだ。
土砂量は多いので、道際の高さを決めた後は奥に向けて勾配を付け、最後に余ったものは壁際に積んだ。的当ての土山にでも使えるよう、適当に形成しておいた。
最後、地面を叩いては高さ計測、削っては高さ計測を繰り返す。
仕事はほぼ完成したが、一応翌日も予定を取る。
今日も風呂へ行くが、食事は帰ってきてギル横で取った。やはり虫肉は安くて旨い。
街の飯屋をもっと開拓したいが、そんな大きな街でもないので、主だった所は既に回ってしまった。
よりディープな散策には、入念な準備をすべきだろう。
四日目。
綺麗になったグラウンドの、施工部分の計測と調整を繰り返す。調整はほぼ砂で、パウダー状の細かなものを使った。多少の修正はあれど、朝の終わりにはほぼ完璧に終わる。見た目も綺麗に仕上がった。
グラウンドのみならず、道や周辺の草を刈り、ごみを拾い、クレーンを整備し、立木や塀の腐食部分には廃油を混ぜた泥のパテを縫って補修し、鉄は錆を落としてからワックスを塗る。ワックスは溶かした安物のろうそくだ。土壁も整えて磨き、土饅頭の要領で綺麗にする。
昼、それとなくマーシャさんに様子を伺う感じで探りを入れてみる。
彼女はにこにこと微笑んでいたが、しかしその眼には「もう少し頑張れますよね?」といったニュアンスを感じた。
地盤に関してはもうできる事を思いつかなかったので、雑貨屋で細引きと釘ピンを買ってきて、区画分けと走行コースをマークする。素振りエリアと的当て、乱取り、走行ラインは直線区間約60m、一周約300mの2コースだ。
後は掃除をし、転圧を入念にかける事ぐらいしかすることが無くなった。
夕方前、食堂が開く前に支店受付へ行き、マーシャさんに明日の朝、完成検査をしてくれるよう頼んだ。
そのまま食堂で食事し、宿で洗濯などの雑用を済ませて、本日を終える。
五日目。
私は週休二日を絶対の目安としているわけではないが、仕事の切りとしては分かりやすかろうと思う。
朝、私はいつものようにギル横で朝食を済ますと、食後も食堂に残って、マーシャさんが通常の仕事を捌き終えるのを待った。
しかし、まだ受付の列が残っているのにマーシャさんが食堂の私の元へやって来た。
マーシャさんが目配せをすると、食堂で座っていた男性が「おう」と反応して、マーシャさんの隣に並んだ。
食堂で時折見かける、筋肉隆々の角刈りの日焼け男だ。白人の血が濃いのか、焼けた肌があまり黒くない。赤く染まった肌のあちこちには、ひっかいたような傷が白く浮彫になって見えていた。
その特徴だけを見れば、彼の容姿はけっして珍しくない。しかし武威というか、威圧というか、彼のそれは他のものを圧倒して特徴的だった。
私が剣か槍でも嗜むのであれば、その程度を読むことが出来たかもしれない。しかしその足運びだけでも、彼が単なる筋肉男ではなく、訓練された武術家であることが見て取れた。それに何より、彼は背が大きかった。2m近くあるだろうか。私がこの街で見た中で、彼は最も大きな男だった。
「俺はジャックスだ。よろしくな」
男性はそう自己紹介をして、私の方へ手を差し出した。
ジャックなのかジャッカスなのか、名前に違和感を感じる。何を意味する名なのか、それとも単に音だけの名前なのか。あだ名か何かかもしれないが、この街の者達は皆、私の感覚からするとおかしな発音の名が多かった。
恐らく私がおかしいのだろう。記憶の混乱の所為なのか、後の時代の所為なのかは分からない。
私は「無位無官の錬金術師、ドロップです」と名乗り、握手を受けた。握力がすごい。硬くなった指の付け根のタコが押し付けられて、痛いぐらいだった。ジャックスは「手がちっちぇえな、おい」と、イケメンスマイルで笑った。
お前の手がでかいんだよ、と私は思った。
「ジャックスさんは、土木作業の受注を良くしてくださる方なんです」
「へえ、すごいんですね」
どうやらこのジャックスが工事の検査をしてくれるようだ。
私は相槌を打ちながら、マーシャさんに「仕事はいいんですか」と尋ねると、「今日は別の子に受付を頼んでますから、大丈夫です」とマーシャさんは言った。
ジャックスを伴い、私たちは現場のグラウンドに向かう。
「では、お願いします」
マーシャさんはジャックスにそう言うと、ジャックスは「おうよ」とうなずいで、私の方へ向いた。
「といっても、作業の様子は見てたから、殆どいうこともねえんだけどよ、えらい丁寧に仕事やってたな」
「この街に来てからの、最初の仕事ですから。今後はもう少し要領よくいきたいです」
私の答えにジャックスは「ちげえねぇ」と笑った。
私たちはグラウンドの周囲を巡った。その際、ジャックスは私に工事の細部について質問した。あまり測定などはせず、口頭質問が主になるようだった。既に合否を決めてしまっている雰囲気を感じた。
ジャックスの質問に対し、技術に関しては簡単な説明をしたが、魔術的な部分については秘匿した。細かく解説してもまねできるとは思えないが、私の飯のタネでもある。あまり手の内は晒したくなかった。
ジャックスはグラウンドの整備よりも、むしろクレーンの補修や光る落ち武者について注目している様だった。
「使用禁止」の札がかかった落ち武者を指して、ジャックスはいう。
「この明かりなんだが、いつまでもつんだ? 光り始めたのは、たしか10日以上前だったよな。かけなおしたりしてるのか?」
この明かりを施したのは私だと誰かに言った覚えはないのだが、いつの間にやら皆に知れ渡っていた。便所掃除の子供が見ていて、彼方此方に触れ回ったのかもしれない。
まあ、隠すものでもないのでいいのだけれど。
「かけなおしてはないですが……恐らく1年ぐらい持つかも? よくわからないです」
昔、似たような術式を掛けた水晶玉か何かを仕舞って、一年後ぐらいに出したらまだ灯っていた、という話をする。こういったものは暗くなったら点けて、寝る前、または邪魔になったら消すから、長期耐用試験のようなことはあまりしない。
そもそも照明魔法が上手いからといって、それが何の自慢になるのか。ちょっと習えば誰でも出来る術である。
そういうと、ジャックスは呆れたように笑った。
「じゃあ、俺も”ちょっと”習えば使えるってか。そんなわけねえだろ」
ジャックスは馬鹿にしたように笑い、しかし私は何がおかしいのか、さっぱり分からなかった。
「教えてもいいですよ。手間賃はもらいますけど」
「……マジで?」
口調を真似て、まじです、と私は答えた。
弟子に取るまでもない。本格的な魔術の手の内を晒すつもりはないが、照明魔法は本当に基礎の基礎なのだ。
それよりも、私はさっさと検査に合格を貰って、800デュカトを受け取りたかった。
「マーシャ、検査は合格だ。それじゃ、ちょっと教えてほしんだけど……」
「駄目です」
マーシャさんが、横歩きですっと二人の間に入って、話を遮った。
「ドロップさん。魔術の伝授は違法ではありませんが、ギルドとしては勝手に魔術を教える事を推奨していません」
急な横入りに、私は戸惑った。
「そうはいっても、人の世の世間話を禁止する訳にはいかないでしょう。どこかの誰かがどこかの誰かに対し、勝手に魔術を教える事を規制するのは無理だと思いますよ」
技術というのは漏れるもの、噂というのは勝手に伝わるものだ。
「そうではありません」、とマーシャさんは言った。
「そもそもドロップさんの知識が正しいものなのか、危険な技術が出回らないかを危惧しているのであって、もしそういった知識がドロップさんを基に出回るのであれば、私たちギルド職員はそれを領主に報告する義務があります」
マーシャさんは目つきも鋭く、私にそう忠告する。
「おいおい、なにも攻撃系の魔法とか、危ないヤツを教えてもらう訳じゃねえんだ。明かりの魔法ぐらいいいだろ」
「駄目です」
言い合う二人をよそに、私は考える。
程度の低い魔術が広まることは、好ましいことだと、私は思う。
まったく知識の無い状態は危険で、時にそれは無知による差別を生む。
知は力である。
物事を広く知ることは、道理を、道筋をその者に教える。のみならず、他者を知る事は差別をなくし、間接的に得られる利益を、食糧を増やし、飢えと病を克服する力をもたらし、世の中をより平和へと導く。
この場合の問題は、その知が力の不均等を生む可能性がある事、または不完全な形で出回り、世に混乱をもたらす恐れのあること、になるのだと思う。
明かりの魔術程度では大した問題にならないと思うが、ギルドも、それに私だって、未来を完璧に予想する事なんで出来やしない。
であれば、複数の有識者で知識を確認し、安全を検証した上、これを得るのに正しい教育を施し、正当な対価を要求するのであれば、問題は解消するのではないか。
問答を続ける二人に、私はそのように説明した。
マーシャさんは私の説明に困った顔でうなずいたが、ジャックスは微妙な顔だ。
「ことはそう屁理屈めいた事を問題にしてるんじゃねのよ。要は、その魔法のお勉強会にギルドも一枚かませろって話だ、そうだろマーシャ」
「そんなことありませんけど」
ジャックスはそういうが、複数に利益を分配することでメリットがあるなら、何も問題が無いような気がする。
この場合、私は講習代を得る立場だが、ギルド側が沢山の受講者を集めてくれるならば、同じことをジャックス一人にするのと大して変わらない労力で、私は何倍もの利益を得ることが出来る。
ジャックスは細かな交渉をせずに知識を得られるし、ひょっとしたら一人で教えを乞うより、ずっと安い値段で済むかもしれない。
ギルドは人を集め、場を整えるという仕事をこなし、正当な報酬を得る。
それぞれの条件に折り合いがつくのならば、むしろ良いことだと思う。
それよりも、私はまずこの案件を終わらせて、800デュカトを受け取ってしまいたかった。
「そうですね。まずは完了処理を済ませてしまいましょう。ジャックスさん、本日はありがとうございました」
マーシャさんはジャックスに深々と礼をすると「では戻りましょうか」と、私を伴って歩き出した。
私もジャックスに感謝を告げて、マーシャさんとともにギルド中央支部へ戻った。
「……どうせ毎朝顔合わすんだから、いいけどよ」
ジャックスはギルドまで付いてきた後、食堂で待っていた仲間と合流し、最後に私へ「また声かけるわ、じゃあな」と告げて、本来の仕事へ向かった。
その後、私は書類にサインをし、800デュカトと受け取った。
マーシャさんの他に2人の受付嬢が「重いよ~」と悲鳴を上げながら運んできてくれたそれは、四角い木製ケースに入れられた金貨、および銀貨の小箱だった。
紙幣の信用通貨も無くは無いそうだが、私に知識がなく、信用できないので受け取りは硬貨に限らせてもらった。紙幣の他、街中では鉄貨や青銅貨も見られるが、正式な流通硬貨は、銅貨、銀貨、そして金貨のみだそうだ。
額面でいえば全部金貨でもらった方が軽く、収納場所にも困らないのだが、金貨だと普段使いが出来ない。金貨は財産で、普段使いするような硬貨ではないのだ。
金貨は10デュカト金貨ではなく、100デュカト金貨で用意されていた。10デュカト金貨は直径10㎜ぐらいだが、100デュカト金貨はその三倍ぐらいある。それぞれ1円玉と500円玉ぐらいの大きさだった。
銀貨400枚もケースに入れられていた。100枚用の、手のひらサイズの長方形の小箱だ。蓋を開けると10*5*2で銀貨が収納されていた。片手でも持てないことはないが、一箱で10㎏ぐらいあるので、そのまま持つのはちょっときつい。全部持つと50kgぐらいなので、手だけで持つのは難しかった。
魔術で腕を賦活して、ようやく持てた(グリップ出来た)。財布に軽量化の術式を施したいが、素材がないし、今の私では技量的にも難しかった。
「今回、ケースはサービスにしておきますが、次回からはケースは有料になります。1000デュカト以上であればギルドでお預かりも可能ですので、ご利用の際はお気軽にお声がけ下さい」
最近ようやく理解してきたのだが、マーシャさんのにこにこ顔は感情が読めなくて少し怖い。
「それで、先ほどのジャックスさんとのお話の件なのですが、ドロップさんは魔術の講師をおやりになるおつもりですか」
「特にやりたいという思いがある訳ではないですけど、需要があって、利益が大きいのであれば、やってもいいかと思っています」
マーシャさんは「ふむむ……」とあごに手を当て、考えるそぶりを見せる。とても可愛らしい。
「もしよろしければ、こちらである程度ご準備できるかもしれません。お話を進めさせていただいてもよろしいですか」
「マーシャさんが問題ないと思うのであれば構いません。けど、私はそもそもこの街の魔術の実態をよくわかっていないのですが」
知り合いに教えるぐらいであれば、多少の時間を割いてもいいとは思う。
しかし講習ばかりに時間を取られるは嫌だった。変な人が絡んできたり、トラブルになるのも避けたかった。
あまり高度な事を教えるつもりはないし、そもそもどれほど需要があり、如何ほどの利益が見込めるのかも見当がついていなかった。
ある程度少人数で、基礎的なことしか教えない、適度に儲けが出つつも、あまり大金が動くような規模や、悪目立ちするようなことは避けたい。
私はマーシャさんにそのように要望を伝えると、マーシャさんは微笑みながら、
「もしよろしければ、お時間頂けますか」
と聞いてきた。私は問題ないと答えた。
私たちは、片付けに忙しい食堂の一角を占有し、二人っきりの教育会を行った。
「何かお飲みになりますか~」
先ほど報酬を運んでくれたギルドの受付嬢、兼、現在はウェイトレスの栗の子が訊いてきたので、私たちはそれぞれドリンクをお願いした。私は白湯を、マーシャさんは薬草茶を頼んだ。
「まず、この街に魔術を扱える方々は、さほど多くありません」
「領主家、および一部貴族の方々は、魔術なり魔道具なり、魔法が比較的身近にある立場にあります。こういった身分の方々は、生活や戦闘に魔法を使いはしますが、これを使って商売をするようなことは、あまりしません」
マーシャさんは私が湯に口をつけると、自身も茶を飲んで話を続けた。
「魔術関連を商売とするのは、魔道具を扱う商人の方や、領主家麾下の軍属の方、後は開拓団で働かれている方や、傭兵の方々ですね」
「商人の場合、実際に自分で魔術を使って何かをすることは、あまりしません。商人が聞き耳や透視の魔術を疑われた場合、出入りを制限される恐れがありますし、これは商人にとって特に好ましくありません。扱うのは、身体検査で確実に確認できるような道具類、つまり魔道具に関してです」
「魔道具に関しても、戦闘用や生活に係る特定のものを除いて、商人の方々は取引を避ける傾向にあります。少なくとも、表立っては行いません。魔道具を取引するような商人は、出入りと認められた御用商人が多いようです」
「軍属、つまり王国や領属の兵隊の方々は、時おり小遣い稼ぎ程度の内職は行いますが、雇われの身分で積極的に技を売るようなことは、上司の覚えが悪くなるのであまりしません。特に、軍属の魔術師の多くは教育に税金を使って育成されていますので、あまり積極的に商売を働くと上司どころか仲間や友人、街の下々にまで悪感情を向けられてしまいますから、最悪、そういった方は首になってしまいます」
この場合の首とは、物理的な「首」なのだろうと、私は理解した。
「傭兵や、開拓団で働くような方々は、出身は様々ですが、基本的に皆あまり良い生まれではありません。大抵は魔術どころか碌な教育も受けていませんし、もし正しく魔術を使える方がいても、大抵が訳ありです。
家族や親類から魔術を学んだ出稼ぎの下級貴族や、武者修行の下級騎士、たまたま魔道具を手に入れたか、もしくは盗みや脅迫で道具や知識を得た傭兵、強盗、山賊などですね。
そんな人たちが、講習代に値する高度な教えを行えることは稀で、実際にはほぼ存在しません。魔術というのは他の技術と違って、ただ手取り足取り教えれば習得できる類のものでは無いからです。
むしろ彼らは技術を秘匿する側で、自分の価値をより高めるようと動きます。何なら同業者から魔道具を奪い、蹴落とすようなことさえ彼らは積極的にします。要注意です。
ドロップさんも、しいて言えば此方の方々の範疇には入るのですけど、魔術の技をお隠しになる事もなければ、お仕事も真面目にしていただけるようですから」
多分、私はマーシャさんに、何か後ろ暗いことがあって、大きな町に居られなくなった犯罪者か何かと思われていた。もしくは現在進行形で思われている。
私は別に、それについて思うところはない。
マーシャさんは利益を追求し、それが私にもメリットがあるのであれば、拒むつもりはなかった。
今のところ、彼女は私にとてもよくしてくれていた。
「ですから、ドロップさんがきちんとした知識をお持ちで、街に不利益な教え方をしないのであれば、私たちギルド側としては、寧ろ率先して講習を応援させていただきたいんです」
私が講習会をする場合、ギルドとしては、まず試行をしたいらしかった。
信頼できる何人かの希望者を集め、ギルド立会いの下、何回かにわたって教育会をする。
その結果次第で、もう何回か同じことをする。
恐らくだが、大人数を集めて何度も講習をする、という形式にはならないだろうという話だ。
知識だけ確認して、やっぱり駄目です、というのは私としても困るから、たとえ試行一回であっても講習代が得られるのは助かる。
私は彼女の申し出を了承した。
金額についてはお任せした。
ジャックスとも約束したし、一度はサービスしてもいい。
もしあまりにも安すぎるようなら話を蹴るか、次からは断ればいいだけだ。
宿に帰ると、私は受け取った報酬から宿の追加料金を支払った後、鞄の奥底に金貨と銀貨を仕舞った。
その日は宿に籠って雑用紙に思考を落書きをしつつ、次の仕事について考えをめぐらした。




