才能
アイドルグループの1員である恵奈が、ロックバンドのボーカルと俳優でも非凡な才能を発揮する。
松川恵奈は、地方で活躍する4人組アイドルグループの一員だ。もう、8年目を迎えたので、ある程度の知名度はある。しかし、最年長である恵奈はもう高校3年生。そろそろ、進路選択を、迫られることになっていた。実際アイドルでの稼ぎは、ほとんどない。時々、まとまったギャラが、入っても事務所に、経費とかで取られてしまいメンバーに、渡されるのは、お小遣いみたいなものだった。
「恵奈。もうそろそろ、アイドル活動は、やめたら。どう考えてもそんなことで、生活できるわけないんだから」
「今はそうだけど、最近は、明らかにライブの観客も増えて、お母さんの負担も減ったでしょ? 」
「でも、久原家に助けてもらっているし、美幸ちゃんの人気でしょ? 」
「それは、否定しないけど私たちも頑張っているよ」
「いくら、頑張っていても美幸ちゃんが抜けたりしたら、おしまいよ」
「美幸は、私たちを裏切ったりしない」
「美幸ちゃんが、そう言ってても事務所は、どうするんだろうね。最近は、単独の活動も増えているじゃない」
「それは、グループ活動のうちだよ。エースなんだから、仕方ない」
「まあ、うちは、恵奈にアイドルをいつまでもさせてあげられる、経済的余裕はないからね」
母は、それだけ言って、買い物に出かけた。度々、会話に登場した、久原美幸は地元では有名な、会社の娘で私たちのグループのエースだ。まだ、中学3年生だが、可愛らしさと少しだけ、大人っぽさも持ち合わせている。顔だけでも、人気なのに性格も良く、イベントなどでファンとの交流でも、神対応と、しょっちゅう話題になった。
今では、メンバーの仲も、良い。しかし、美幸が入った3年前はそうではなかった。
当初、森上綾菜、松野七実、檀野早矢子、松原美貴に恵奈を加えた5人組だった。ところが、当時高校生だった綾菜と七実が、ライブ後に、ファンと打ち上げをして、飲酒と喫煙の写真を事務所に送られ、脱退させられた。元々、2人の気性の荒さに怯えていた、早矢子や美貴はエース恵奈の誕生を、喜んでいた。恵奈も、その気になってきていたのに、事務所から言い渡されたのは、美幸の加入とエース就任だった。流石に、恵奈もショックを、受けた。当然、早矢子と美貴も、怒り狂っていた。何度か、事務所とも話し合いをしたが、
「事務所の決定は、絶対だ。美幸を、3人で支えろ。美幸と、仲良くしろ」
この繰り返しだった。そう言われて、3人が納得できるわけがなかった。だから、いつも美幸はシカトされていた。ところが、美幸は3人よりも、ずっと立派だった。ある日、事務所に4人が、呼び出された。もちろん、4人の関係のことだった。事務所の方が、3人に対して説教を始めると、美幸は、
「やめてください。3人を、責めないでください。3人が、私のことを、よく思うわけないです。後から入って、エースの座を、奪ってしまったんですから。私は、とにかく、練習して3人から、認めてもらうしかないです。だから、いつも通り、レッスンをお願いします」
と言った。すると、グループのレッスン担当の吉田が、うなづいて美幸を連れて行った。吉田のレッスンは、とても厳しくて、恵奈も、何度も泣かされた。できれば、そのレッスンは、受けたくない。恵奈は、事務所の嶺中に聞いた。
「美幸は、吉田さんのレッスンを受けているんですか? 」
「ああ。毎日、遅くまでやっているみたいだ。お前らも、一緒にやったらどうだ。それから、ついでに言っておくが、美幸には、エースと呼ばれるのにふさわしい、アイドル衣装を、渡してある。それなのに、『私だけこんなの着れません』だと。若いのに、しっかり立場を弁えているだろ」
恵奈は、美幸が、ライブでも決定的なミスをしていないのを、思い出した。せいぜい、歌詞を少し間違えたぐらいだ。恵奈は、思わず、
「私も、レッスン受けてきます」
と言って、部屋を出た。早矢子と美貴も、黙ってついてきた。
レッスンルームでは、美幸が、吉田から激しく叱責されていた。恵奈は、一瞬ためらったがドアを開けた。
「私にも、レッスンをお願いします」
吉田と美幸が、こっちを見た。美幸は、目に涙を浮かべながらも笑顔を見せた。
「ごめんね、美幸。今まで、1人にさせて」
恵奈に続いて、早矢子と美貴も謝罪した。吉田は、
「下手を、1人指導するのも、大変なのに4人にやれって言うのか? じゃあ、一緒にやってみろ」
最初は、4人で合わせるのが、初めてのようなものだったので歌もダンスも、ずれていた。その度に、これでもかと言うほど、叱責された。そんな時、4人で励まし合ううち結束力も高まって、表情も変わった。大嫌いだったレッスンも、すすんでやるようになった。すると、ライブでの観客の反応も、ずっとよくなった。衣装も、4人で考えて美幸のお父さんの財力で準備してもらった。いつのまにか、どんな時でも、グループの中心に、美幸がいるようになった。
また、事務所は、例の不祥事以降メンバーへの管理を厳しくした。イベントに、出演する時には事務所から監視の人が、きた。また、プライベートの時間はなるべく減らすため予定が、入っていない、休日にはレッスンやゴミ拾いなどのボランティア活動への参加を、命じられた。
「どうして、私たちがこんなことをしないといけないの」
恵奈たちは、文句を言うが美幸は、
「私は、恵奈たちと、一緒にいる時間が、一番好きなので楽しいです」
と笑顔で、言うから、頑張るしかなかった。こういった、活動もメンバーの仲を深めたし、後々には一緒に参加していた、人たちが、家族で、ライブに来てくれたり、良いことだらけだったが。
ある日、近くで開催される祭りに、ゲストとして呼ばれた。扱いとしては、地元ではかなり人気があるロックバンドの前座だ。それでも、美幸が加入して、初めてのイベントだし、美幸のお父さんのおかげで、ダサいと言われ続けていた、衣装も、初めて、アイドルらしい、可愛いものになった。当然、メンバーのテンションも上がっていて、朝からの練習も、熱を帯びていた。
しかし、現実は厳しく、嶺中に連れられ、会場入りするとスタッフさんから、
「特に、部屋は、準備していませんので、その辺を使ってください」
と言われて、休憩室と、紙が貼ってある、部屋を指さされた。言われた通り、そこへ入ると一般客が飲食をしたりしていた。恵奈たちは、空いている椅子に、座ろうとすると嶺中から、咎められた。そして、部屋の片隅に正座させられた。近くの椅子に、座った嶺中は、
「所詮、お前らは、この程度なんだ。ライブで、以前より少し観客が増えて調子に乗っているがそんなことで満足するな。その衣装も、お前らには贅沢すぎて、似合ってない」
などとさんざん罵った。いつのまにか、そこにいた子供が、集まって、その様子を笑って見ていた。本当に、恥ずかしい。もう、何言ってもいいので、早くこの状況から、解放してほしい。そう、願ったが出番の直前まで、続いた。足の痺れと、屈辱感を隠して笑顔で、ステージに立った。
終わった。おそらく、グループ史上最高の出来だった。歌も、ダンスも完璧だった。メンバー全員、そう思っただろう。それなのに、嶺中は、再びメンバーを正座させた。
「今日のステージの反省点を、言ってみろ」
みんなが、やはり手答えがあったのだろう。誰も、何も言わない。
「松川。お前は、どうだった」
恵奈は、自信を持って、
「今日のステージは、最高でした。全員が、ノーミスでした」
「お前は、あれで満足か? お前の本気は、あの程度か。全員、しばらくそのままで反省しろ」
恵奈は、考えてみるがそれでも、思いつかない。また、子供が、何人か入って来て、
「あの人たち、また怒られているんだ。結構、よかったのに」
その声が、嶺中にも、聞こえたようで、
「君たち、観てくれたんだ。ちょっと、こっちに来て。おい、久原。お礼を言え」
「今日は、私たちのステージを、観ていただいて、ありがとうございました。私たち、もっと頑張って歌もダンスも、上手くなりますので、応援してください」
メンバー全員が、笑顔で、頭を下げた。子供たちは、部屋を出ていった。嶺中は、ステージから聞こえるロックバンドの歌を、口づさみながら、
「いい曲だな。観客の盛り上がりもすごい。前にやった、下手くそアイドルグループとは全く違う。そうだろ、松川」
「はい。すみませんでした」
「このバンドが、お前らに曲を、作ってくれたらいいな」
メンバーで、顔を、見合わせる。
「是非、お願いします」
「じゃあ、足掛かりは作ってやる。ステージが終わるまで、お前らはそのまま反省していろ」
後日、メンバーは、事務所に呼ばれた。嶺中は、無言で美幸にメモを渡した。美幸は、それを見て、
「これは、何ですか? 」
「あのロックバンドのリーダーの電話番号だ。約束通り、足掛かりは作った。あとは、お前らでなんとかしろ」
「私が、電話するんですか? 」
「お前でも、他の者でもいい。本気で、曲を作ってもらいたかったら自分たちで頼んでみろ」
メンバーで、話し合って最年長の恵奈が、電話した。すると、機嫌が悪そうな声だったが会ってもらえることになった。
待ち合わせのカフェには、4人全員がいた。嶺中は、
「俺は、監視だけだからいないと思え」
と言って、少し離れた席に座った。そして、4人と対面した。4人とも、見た目が怖くて特に美幸は恵奈に隠れるようにしている。恵奈も、そうしたかったが、電話をかけた手前、自分から、切り出した。
「はじめまして、松川恵奈です。今日は、ありがとうございます」
全員が、自己紹介したところで、恵奈が、話そうとするとリーダーで、ギタリストの能田優輝が、
「とりあえず、座って飲み物でも頼んだら」
能田から、メニューを受け取って、飲み物を決めて、隣にいた美幸に渡した。最後に、飲み物を決めた美貴が店員さんを、呼んだ。それぞれ、飲み物を頼むと、偶然みんなが、ミックスジュースだった。
「可愛い。みんな何歳? 」
ボーカルの麻田太彦が、聞いた。
「私が、中学3年生で1学年ずつ、違います」
「と言うことは、美幸ちゃんはまだ小学生? 」
「はい」
その時、飲み物が揃った。みんなが、すぐストローを出してグラスに入れた。恵奈は、1口飲んで、本題に入った。
「お願いします。私たちに、曲を作ってください」
4人が、笑い出した。その時点で、恵奈は無理なんだと、悟った。能田は、
「あのね、俺たちロックバンドだよ。君たちは、アイドル。歌っている歌が、全然違うと思わない? 」
「はい。わかっています。でも、私たち、カバーばかりで、オリジナルは1曲もないんです。それで、これからの方向性を、決めるためにも、自分たちだけの歌が、欲しいです。お願いします」
恵奈は、そう言って通路に、出ようとした。事務所から、他人に、何か頼む時は、土下座するものだと教え込まれているためだ。みんなも、今、何をすべきかわかったようで、通路に出た。4人が、怖そうなお兄さんたちに土下座する姿を、店にいる、全員が、興味深そうに見ていた。
「おいおい。やめてくれよ。とりあえず、戻って。俺たち、アイドルが歌うようなのを作れる自信がないの。とりあえず、1週間待って」
「いい返事を、待っています」
能田たちは、伝票を持って立ち上がった。恵奈たちは、頭を下げた。すると、嶺中が来て、能田から伝票を奪った。
「すみません。しつけが、なっておりませんで。ここは、こいつらに払わせます」
と言うと、恵奈たちを、睨みつけた。能田たちが、帰ると、本当に料金を払わせられた。それも、嶺中のも含めてだ。さらに、事務所に帰ると、説教もついてきた。
ちょうど、1週間後、恵奈のスマホに、能田から連絡があった。この前と、同じ店に来て欲しいとのことだったので、4人と監視の嶺中と向かった。
カフェに着くと、この前と同じ場所に、4人がいた。挨拶をして、座るとすぐにミックスジュースが運ばれてきた。
「これで、よかったよね? 」
「ありがとうございます」
恵奈は、能田たちが何も持っていないので、半分諦めていた。冷静を、装うため飲み物を飲んで覚悟を決めて聞いた。
「やっぱり、私たちじゃダメですね? 」
能田は、ポケットから、USBメモリーを取り出して、テーブルに置いた。
「気にいるか、知らないけど、何曲か作ってみた。それから、俺たちがボツにした中で、ポップス調にアレンジしたのもある」
「ありがとうございます。一生懸命練習して、上手に歌えるようにします」
「頑張れよ。でも、売れなくても、俺たちのせいにするなよ」
4人は、それぞれ、励ましの言葉を言って、帰ろうとしたが、能田は思い出したように恵奈に、1万円札を渡した。
「これは? 」
「俺たちの分だ。まだ、売れてない小学生や中学生のアイドルに奢ってもらうわけにはいかない。あのおっさんにみつかるなよ。また、怒られるぞ」
「本当に、ありがとうございます」
こうして、待望のオリジナルソングが、できた。
嬉しくて、何度も聞いて歌って踊った。それからも、定期的に能田から手あ新曲が送られてくるようになった。そして、恵奈は、能田とLINE交換したので、ライブのYouTubeを観て、感想やアドバイスもくれた。時には、辛辣な、意見ももらった。しかし、それすら自分たちより、人気も実績も、ずっと上の人たちからの物なので、嬉しかった。
メンバーは、今まで以上に練習して明らかに上達していたが現実は厳しい。メンバーが、やる気でもライブの観客動員も、さほど伸びず、イベント出演も増えない。事務所の人たちには、結果が、出ないと、怒鳴られていた。
まずは、たくさんの人に、観てもらいたいとメンバーで、話し合っていろいろなことを、試みるが、期待するほどの効果は、現れなかった。
いつものように、メンバーで、ライブのチケット販売をしていると能田たちバンドのメンバーが通りかかった。曲提供をしてもらって、もう2年になるが、未だに恵奈以外は怖がって話しもしない。でも、この時は恵奈も怯えていた。能田が、
「恵奈、どうしたんだ? アイドルは、笑顔じゃなきゃダメだろ」
「私、能田さんたちに、申し訳なくて。いい曲をもらっているのに、全然結果が出なくて。ライブのチケットも、なかなか、売れないんです」
恵奈の目から、涙が溢れた。能田は、何も言わずに恵奈を建物の影に連れて行った。そして、持っていた鞄からハンカチを取り出して、恵奈に差し出した。恵奈が、泣き止むのを待って能田は、
「ライブは、いつだ? 」
「明明後日です」
「何時から? 」
「15時と18時です」
能田は、スマホを取り出して、予定を見た。
「よし、15時のを買う」
「来てくれるんですか? ありがとうございます」
恵奈は、満面の笑みで能田を、美幸のところへ連れていった。
「15時の部、1枚だって」
「ちょっと待て。みんなにも、聞いてみてやる」
能田は、ほかのメンバーにも、聞いた。
「4枚くれ」
「本当ですか? ありがとうございます。私たち、一生懸命頑張ります」
「ああ、期待しているぜ。あいつら、照れて、あんな態度してるけど、お前らのファンだぜ。作った曲を、想像以上に、可愛く、歌ってくれて、喜んでいるんだ」
「私たちも、すごく嬉しいです。いつも、いい曲で、今度こそって」
恵奈は、また泣きそうになった。
「お前らは、頑張っているよ。それより、事務所のおっさんたちだな。自分たちは、何もしないのに、怒ってばかり。おっと、もう行かないと。じゃあ、頑張れよ」
能田は、慌てて、メンバーのところへ、走っていった。恵奈は、その姿をずっと見ていた。
この日は、メンバー全員が、いつもより緊張していた。それは、曲を作ってくれた人たちの前で、歌う嬉しさと失敗できない、プレッシャーのためだった。午前中から、リハーサルをして、時間が経つに連れだんだん、今までしたことない、ミスもした。当然、みんなが、落ち込んだ。それに、追い討ちをかけるように、嶺中は全員を正座させて、説教を、始めた。この日ばかりは、それをパワーに、変えるのは、難しいと思った。失敗する、イメージばかり、浮かんでくる。そこへ、少々乱暴にドアが、開けられた。
「こんにちは」
元気よく、能田たち、バンドのメンバーが入ってきた。なぜか、みんなが楽器を持っていた。恵奈たちは、正座したまま、
「ありがとうございます」
と頭を、下げた。すると、ドラムの西岡拓也が嶺中に詰め寄って、
「どうして、恵奈ちゃんたちが、こんなとこに正座しているんだ? 」
と言い、ベースの山村克弥が、
「俺たち、恵奈ちゃんたちを激励に、きたんで出て行ってくれない? 」
と言うので、嶺中は出ていった。それを、確認すると能田が、
「そんなとこにいないで、椅子に座ったら。打ち合わせしよう」
「いいえ。私たちが、悪いんです。リハーサルで、ミスばかりで。今日は、絶対に失敗できないのに」
「ライブなんて、何があっても、不思議じゃない。ミスだってするよ。それを、どう誤魔化すかだ。さ、椅子に座って」
恵奈たちは、みんなで顔を見合わせて椅子に座った。
「セットリスト見せて」
能田たちは、それを見て、
「この、真ん中あたりのMCから、入っていいか? それ以降は、演奏もしよう」
「MCが、長くなってしまうよ」
「じゃあ、最初の2曲はカットだ」
「えっ、俺が、作った曲が」
4人が、いろいろ話し合って、セットリストが変更された。
「これで、いいか? 」
「もちろんです。本当に、演奏までしてもらえるんですか? 」
「そのために、楽器を、持って、来たんだ」
「ドラムは、少なめだけど」
その後、細かいところまで、詰めて本番を迎えた。
順調に、ライブは進みいよいよ、能田たちがステージに上がった。恵奈たちは、椅子を準備した。
「今、ここにいる方は、ラッキーです。今日は、ビッグアーティストさんが、私たちのライブに、来てくださいました。それでは、ステージにどうぞ」
美幸が、促すと、能田たちが登場した。観客は、少ないが盛り上がる。今まで、怖がって話していなかった美幸も、能田たちに、質問する。そして、能田たちに、迷惑だと思い封印していた、楽曲提供してもらっていることも解禁した。それも、能田たちから、隠さなくていいと、言ってもらった。
その後の生演奏では、やっぱり迫力が、違った。その上、8人全員が楽しく歌うと、観客も乗っていた。
間違いなく、伝説のライブだったが、事務所の人たちには、お前らの実力じゃないと、怒られた。
そのライブは、話題になり地元ではメディアにも、取り上げられた。それに伴い、YouTubeもそれまでより再生数が、圧倒的に増え、ライブのチケットも完売するようになった。
あれ以来、美幸たちも、能田たちと話せるようになりテレビやラジオのローカル番組には、能田が出る時に美幸も、呼ばれるようになった。それでも、恵奈たちの収入はほとんど変わらなかった。
そのため、冒頭のような会話を、しょっちゅうしなければならなかった。恵奈自身も、考えていないわけではない。しかし、せっかくグループが軌道に、乗ってきたところでやめたくない。それでも、収入を得るため就職したら、両立できるか、わからない。いくら、考えても結論が出ない。
そんな時に、レッスン後に、嶺中から、呼び出された。すると、嶺中から、
「この前、お母さんに会って、お前の進路のことで、相談された。お前は、どうしたいんだ? 」
「できれば、続けたいです。でも、今の収入では無理です。それで、かなり、迷っています」
「じゃあ、続けろ。仕事なら、なんとかしてやる」
「ありがとうございます。それなら、安心して続けられます」
恵奈は、喜んで家に帰った。母が、帰ってくると早速そのことを、話した。すると、
「あの事務所、最近はかなり危ないことをやっているみたいだけど、大丈夫なの? 」
なんのことかわからない。久しぶりに、事務所のホームページを、検索するとキャバクラ嬢募集などの文字が、輝いていた。もちろん、恵奈は、そんなところに、行ったことないし、どんな店かわからない。でも、時給2,000円〜3,000円となっていた。こんなの、1晩働けば余裕で毎月もらっている、3倍は稼げる。それなら、悪くないと、思った。
しかし、それよりも、やっぱりアイドルだ。来週は、ゴールデンウィークなのでライブを6回やる。チケットも完売したので、事務所ももう少し、お金をくれるだろうと、期待していた。今回の音源は、能田たちが、提供してくれて、アレンジも、かっこいい。原曲と、変わりすぎていて、一瞬どの曲だったかわからないものもある。盛り上がることは、間違いない。
そして、6回のうちの初めての公演前、能田たちから、動画のメッセージが届いた。
「久しぶり。元気か? これが、届いた頃は、またおっさんに、怒られているだろうけど、気にするな。お前たちなら、大丈夫。きっと、いいライブが、できるから、頑張れよ。俺たちの演奏も、付いているぞ」
その通りで、さっきまで、嶺中によくわからない、言いがかりとも思えることで、怒られて謝罪させられた。その後聞いた、このメッセージは、嬉しかった。早矢子は、泣き出してしまった。
「わかるよ。嬉しいよね。でも、これからステージに、上がるんだから、笑顔じゃなきゃ」
「すみません。最近、嶺中さんに、怒られるのは私のせいじゃないかと、思うんです。恵奈は、このグループの一番の功績者だし、美貴は、歌とダンスが、うまいし美幸はなんと言っても、エースで人気がある。私だけ、何も貢献できない」
「そんなことないよ。私たちは、この3年ちょっと4人で一緒に頑張ったんだから。良いことも、悪いことも誰か1人で、作ったんじゃない」
「もう、時間だから行こう。私たちの笑顔を、みんなが待っているよ」
ステージに、上がると満員の観客が、大声援で、迎えてくれた。早速、1曲目の演奏が流れると常連客もアレンジの違いに、戸惑っていたが、歌が始まると、驚きながら、乗ってくれた。一気に、6曲歌って今日初のMCになった。美幸が、今回のライブのために、能田たちが、アレンジして、音源ももらったことを、明かすと観客はすごく、盛り上がった。そして、恵奈に振った。
「今回、どの曲もかっこよくなっていて、さらに、みなさんの盛り上がりもすごくてもう声がやばいです。明日からが、心配です」
「たしかに。私なんて、今日が最後まで持つか心配。でも、頑張りますので応援よろしくお願いします」
結局、みんなが、最後まで、歌い切ったが楽屋に戻ると疲れ果てていた。それでも、嶺中は反省会と称して、細かいことを、ぐちぐちいった。恵奈は、返事はしたが何を言っているか聞いていなかった。それは、聞く気がないわけではなく、耳鳴りのせいだった。
ゴールデンウィークのライブが、終わった。その動画を見て、能田から恵奈にLINEがきた。『いいライブだったね。特に、恵奈ちゃんの歌い方や声は、俺のイメージ通りだった』『本当ですか? 能田さんに、言ってもらえると、お世辞でも、嬉しいです』『お世辞じゃないよ。本当によかった』『ありがとうございます』
恵奈は、歌もダンスもMCも、サブが多いのであまり、褒められることがないので嬉しかった。それも、能田からならなおさらだ。次のライブまで、間が長いのでレッスンを、頑張ろう。そう思っていると、美貴から、電話があった。
待ち合わせのコーヒーチェーン店に、急ぐ。美貴は、すでに着いていた。
店内に入って、案内された席に座った。飲み物を注文して、それが来ると、ようやく美貴は話し出した。
「私、どうしたらいいかな? 能田さんたちの曲や演奏って、私の声とかに合ってないような、気がする。声量もない。恵奈は少し、低めの声を出したりして、かっこいい」
「美貴は、その可愛い声がいいと、思う。私は、あまりメインで歌う場面が、少ないから、逆にいろいろできるんだよね」
「なんか、動画とか見ると私だけ浮いてる」
「そうかな? 美貴がいるから、アイドルらしさが、保ててる」
「でも、コメントとか、見るとひどいことが、書かれてる」
「そうなんだ。私、コメント見ないから。だって、どうせそんなに、いいこと書かれないし」
「もったいない。結構、恵奈はいいコメント多いよ。顔は、可愛いのに、声がかっこいいとか、みんなを引き立てているとか」
「へー、意外。私なんて、ほとんど誰も見てないと思っていた」
「そんなわけないじゃない。だいたい、美幸の近くにいるのに」
「それでも、私が観客なら美幸を、見る」
「美幸を見ても、恵奈は目に入る」
「そうか。美幸の可愛い顔と、比べられてるんだ。と言うことは、美幸を引き立ててあげられてるってことだね」
「恵奈なら、美幸と張り合えると、思う。恵奈は、よくすんなり美幸を、推すことに納得できたと私は今も思っている。あっ、勘違いしないでね。美幸が、嫌いなわけでも、可愛いと思っていないわけでもない。でも、事務所の方針が、気に入らない。今、以前より、みんなが、手ごたえを、感じているのに怒られてばかり。特に、恵奈が能田さんたちに、交渉して勝ち取ったのに、感謝もしない」
「それは、私だけじゃない。みんな、一緒にいたじゃない」
「ただいただけで、私たちは、何もしてない。ところで、恵奈は、今後どうするの? 」
「それは、進路ってこと? この前、事務所の方にも、聞かれたけど、残ると答えた。仕事も、斡旋してくれるみたいだから」
「えっ。それは、やめた方が良いよ。私の近所のお姉さんが、事務所がやっているキャバクラで働いているけど奴隷のように、働かされてる。休みはなくて、出勤しても売り上げが伸びなかったら、罰金とかでまともに給料を貰えないんだって。その上、契約期間内に、やめると、違約金を払わせられるみたい」
「そうなんだ。私、一応事務所の求人とかを調べて条件がいいから喜んでいたのに」
「絶対に、やめた方が、いいと思う。そうか。もし、恵奈に他からの引き抜きがあったら、私も連れて行って欲しかったのに」
「美貴って、移籍を考えていたんだ」
「そりゃ、考える。この前のライブで、あんなにお客さんが入っても1万円なんて。もっと、少なかった時でも3,000円くれたこともあったから、期待していたのに。しかも、美幸のお父さんにも、寄付させているみたいだし」
「実際、少ないよね。私も、せっかくグループが人気が出てきたところでやめたくない。だから、キャバ嬢になってでも、続けたいと思ったのにな」
恵奈の決心は、大きく揺らいだ。同時に、事務所への不信感は増した。
恵奈は、考えた末、もう一度嶺中と、話し合いの場を、持ってもらった。
「私、やっぱり、高校の卒業をもって、グループを脱退します」
「お前、キャバ嬢になって、グループも続けるって、言っただろう。今更、気が変わったとか言われても認められるわけない」
「いいじゃないですか。嶺中さんは、私のことなんてグループのお荷物としか思っておられなかったじゃないですか? 私より、もっと良い人を、入れてください」
「あのな、美幸以外は、もう8年目だぞ。それに、お前は最年長だ。他のやつが、ミスするのと一緒にできるわけないだろう。そんなことも、わからないのか? 」
「もちろん、わかっています。だから、今まで黙っていました。でも、ゴールデンウィークの6公演は評価してほしかったです。実際、動画のコメントも、良いものがほとんどでしたし、満席だったんですよ。それが、私たちへの評価は、たった1万円なんですか? 」
「黙れ。今まで、そんなに払ってやったこと、なかっただろう。それに、お金だけを評価の基準だと思うな。みっともないぞ」
「たしかに、1万円を頂いたのは初めてですが1公演あたりは2千円に満たないんですよ。これでは、みんながやる気を、なくします」
「わかった。じゃあ、2千万円で勘弁してやろう」
「なんですか? それは」
「違約金だ。俺たちが、今まで、お前たちのためにいくら投資したと思っているんだ。こんなに、大事に育ててやったのに、文句を言うとはな。いいぞ、金さえ払えば好きにさせてやる」
「そんなに、払えません」
「それなら、キャバ嬢になって、グループを続けるしかないな。キャバ嬢が、嫌ならセクシー女優にしてやってもいい。俺たちに、任せておけばお前の将来は、安泰だ」
恵奈は、絶望感を、覚えた。もう、この事務所から、逃げられなくなった。嶺中が、部屋を出て行ってからもしばらく、正座したまま、立ち上がらなかった。
恵奈は、もやもやした気分でも、イベントやライブをこなした。もちろん、ステージに立つとそんなことは感じさせない。一方で、美貴はあの日以来、独特な可愛いアニメ声に磨きをかけた。結果、アイドルらしさがより強くなった。
地元では、かなり人気者になりイベントではメインとして呼ばれることも多くなった。そして、グループとしてラジオ番組も、週1回1時間持たせてもらえることになった。当たり前だが、アナウンサーではないので、言葉遣いとか、不慣れなこともあり、後で番組スタッフから叱られることも度々あるが、よかった点は褒めてもらえた。
また、良い番組にするためと、一緒に出演するアナウンサーの坂村愛凛は積極的に、メンバーと話す。親子ほど歳が、離れているのに、まるで友達のように、接してくれた。そして、時には母親のように。ある時、番組終了後に、嶺中が、反省会と称して、楽屋で正座させられて、番組に送られた、苦情というかアンチコメントを、引っ張り出して、メンバーに説教しているところへ、入って、
「どうして、この子たちがこんなところで正座させられているんですか? 頑張っているし、素直でいい子たちなのに」
と嶺中に、抗議した。嶺中は、それ以来ラジオの楽屋で反省会をするのをやめた。というか、愛凛がスタッフに交渉して、番組終了後に、食事に、行くための費用を出させることに成功したので豪華ではないが、そういう時間に、変わった。当然、嶺中は、別の場所に座って食事代も自腹だ。
番組が、はじまってから、最初のライブが、決まった時にある事実を、知った。まだ、人見知りのメンバーたちは、愛凛に、自分から話しかけられなかった。ここは、恵奈の出番だ。
「坂村さん、私たちのライブが決まったので来てもらえませんか? 私たちが、下手なのであまり伝わらないですが、結構詩も、曲もいいんです」
「あなたたちは、下手じゃないよ。充分伝わっている。能田くんたちが、作っているんだよね? 」
「知っているんですか? 」
「実は、あなたたちのライブに、行ったことあるよ。最初は、能田くんたちが出て来た時。その頃、私にはあなたたちとの番組のオファーがあった。私は、フリーでやっているから、あまり自分の評価を落とすような、人とはやりたくないの。それで、能田くんたちに、どんなグループか聞いたら、根性があって礼儀正しくて頑張り屋だって。俺たちが、曲を、作っている理由が、わかるはず。自分たちは、今度ライブに、乱入するから、来てよ。って言われて、行ってみた」
「すみません。全然、気付きませんでした」
「それは、仕方ない。チケットは、ほかの人に、買ってきてもらっているしライブでは隠れていたから。もし、番組を、断ることになったら、お互いに、気まずいだろうし。でも、いらぬ心配だった。本当に、いいグループだとわかったから、番組もやるって、決めた。私、ファンになっちゃって、ゴールデンウィークのライブも、行った。残念ながら、予定が、合わなかったから、1回だけだったけど」
「そうだったんですか。すごく、嬉しいです」
「それから、能田くんたちから、聞いたのが頑張っているのに、いつも嫌なおっさんがついてて説教されているから、救ってくれって」
愛凛は、嶺中のいる方を、ちらっとみた。
こうして、食事会を重ねるたび、メンバー全員が、気軽に話せるようになり番組も楽しんでいた。愛凛は、今では、堂々とチケットを買って、ライブに、来てくれた。もちろん、隠れることもなく楽屋にも差し入れを持って、顔を出した。
そんな時、恵奈は愛凛からLINEが送られてきた。それも、グループの方ではなく個人的にだ。『今度の木曜日の19時は、予定ある?』『いいえ。大丈夫です』そう、返信すると、この辺では美味しいと評判の料亭で待ち合わせになった。
店に、到着して愛凛からの指示通り、
「坂村さんで、予約してあると思います」
というと、店員さんに、奥の個室を案内された。すでに、愛凛がいたので、
「こんばんは。遅くなりまして、申し訳ありません」
と頭を、下げた。
「まだ、19時になっていないから、謝らなくていいよ。本当に、あなたたちのグループは礼儀正しいね。でも、あんなに、怒られてばかりじゃ可哀想」
席に座ろうとすると、もう1人分おしぼりなどが、用意されている。ここは、今愛凛が座っている場所が恵奈が座るべきところだと、思った。
「坂村さん、私はそこに座らせてください。他にも、どなたかいらっしゃるのですか? 」
「別に、今日は、誰がどこに座ってもいいよ」
「いいえ、いけません」
愛凛は、仕方なく隣の席に、移った。
「良かった。私が、思った通り、恵奈ちゃんは、どこに出しても恥ずかしくない。それに、こんなところで終わって欲しくない」
「どういう意味ですか? 」
その時、勢いよく個室の襖が、開いた。
「ごめんなさい。遅くなってしまった」
「こんばんは」
恵奈は、立ち上がって、笑顔で挨拶をした。このスーツ姿の男は、恵奈を見て、
「おお、この子か。いい感じじゃない。伊丸涼介です」
そういって、名刺を、恵奈に渡した。それは、その時点では、よく見ずに、
「松川恵奈です。名刺を、持っておりませんで、申し訳ありません」
その時、料理が、運ばれてきた。伊丸は、座って、
「うまそう。とりあえず、食べようよ」
と箸を、持った。恵奈は、立ったまま、伊丸の名刺を眺めた。全国的に、有名な芸能事務所の部長だった。それまでも、特に、姿勢を、崩してはいないが、あらためてそれを正した。愛凛は、
「伊丸さん。その前に、恵奈ちゃんを座らせてあげて。あなたが、何も言わなかったら、何時間でもこのまま立っているよ」
「えっ、それは、ごめんなさい。座って」
「はい。失礼します」
「俺、今日は、面接に来たんだっけ? 」
「違うけど、似たようなものね。ところで、伊丸さんは飲み物は? 」
「ビールにしよう」
「恵奈ちゃんは? 」
「あの、私はこんなところで、食事するようなお金を持っていません」
「恵奈ちゃんは、そんなこと気にしなくて、いいよ。伊丸さんが、払ってくれるから」
「そんなこといけません。私は、伊丸さんとは、初対面です」
「本当に、すごいね。1次試験は、合格かな」
「茶化さないでやってください。恵奈ちゃんは、本当に礼儀正しい子なんです」
「いいよ。飲み物、好きなの頼んで」
「ありがとうございます」
恵奈は、メニューを眺めた。次の料理が、運ばれた時に生ビール2つとオレンジジュースを頼んだ。そして、それらが、運ばれると、愛凛は、
「そろそろ、今日の目的を、話して」
と伊丸を、急かした。伊丸は、
「実は、ここを舞台にした、ドラマがあって、ちょい役なんだけど出演してくれる人を探していた。それで、この辺で、知り合いというと、坂村さんしかいないから、紹介をお願いしたら一緒にラジオ番組やっている子が、おすすめだと、言われた。それが、恵奈ちゃんってこと」
愛凛は、頷きながら、聞いていて、恵奈をみた。
「申し訳ありませんが、私はお断りします」
「どうして? せっかくのチャンスよ。もし、それで、認められたら伊丸さんの事務所と契約できるかもしれないよ」
「私も、チャンスなのはわかっています。でも、私たちのグループのリーダーは美幸なので私がそれに出演するのは、事務所が、許してくれません」
「そこまで、事務所が、規制しているの? 恵奈ちゃん、せっかくなんでもそつなくこなす能力を持っているのにもったいない」
「私は、お芝居なんてしたことないですし、仮に出演して伊丸さんのところへとなっても事務所に多額の違約金を支払わなければなりません」
「それは、伊丸さんが払ってくれる。私は、美幸ちゃんより恵奈ちゃんの方が適任だと思う」
「じゃあ、4人で出られるならいいかな? それで、交渉してみよう。俺も、恵奈ちゃんは上手く、やってくれそうな、気がしてきた」
「それなら、事務所も、許してくれそうな気がします」
近いうちに、愛凛が事務所に、交渉することになった。伊丸は、酔ってきたせいもあるのか恵奈をべた褒めするようになった。
愛凛は、事務所と、何度も交渉してくれて恵奈たちのドラマ出演が決まった。恵奈は、自分が一番出番が長くセリフも、多い役であることを、美幸に詫びた。しかし、美幸は、
「私は、グループの一番の功労者の恵奈が、陽の目を見ないのを、ずっと申し訳なく思っていた。もし、恵奈がこれをきっかけに、グループを離れることになっても、私は祝福したい」
と言ってくれた。
そして、撮影が始まった。恵奈は、メンバーを引き連れて主演の若田千代に挨拶した。千代は、20代では人気も、実力も、トップ女優だ。
「あんたたち、売れないアイドルグループだって。お願いだから、私の演技の邪魔はしないでね」
「はい。肝に銘じます」
ところが、実際には千代は、NGが多かった。セリフも、ほとんど覚えておらず撮影は度々中断した。しかも、それを、恵奈のせいにした。ところが、撮影スタッフも、千代の味方で、恵奈は謝罪ばかりしていた。メンバーは千代に対して、不満を言い出したが、恵奈は、
「私たちは、売れないアイドルだから、仕方ない。私は、平気だから頑張ろう」
それを、たまたま来ていた、伊丸が聞いていた。
「さすが、恵奈ちゃん。ごめんね。実は、若田は実力ないのに、人気が出たからあんな感じで。うちの事務所のほとんどの俳優が、共演したがらないんだ」
そこへ、千代がやってきた。
「伊丸さん、来てたんだ。聞いてよ。このポンコツアイドルのせいで、長くなって大変。伊丸さんも、怒ってやって」
これには、メンバーも抗議した。恵奈は、それを宥め千代に謝罪した。千代は、メンバーを睨んで、
「この辺は、野蛮なアイドルがいて、嫌だからあっちへ行こう。あんたも、来なさい」
千代は、自分の楽屋へ、伊丸と恵奈を、連れて行った。恵奈は、そこへ入ると、土下座して、謝罪した。
「大変、申し訳ありませんでした。私が、練習不足なのと、先程のメンバーの暴言を、お許しください」
千代は、それを見て恵奈とメンバーへの不満を、一気に捲し立てた。すると、伊丸が、
「若田。それは、言い過ぎだろう。俺には、お前の失敗ばかりに、見えたけど。恵奈ちゃんは、役者経験は初めてなのに、想像以上に、頑張っている」
「伊丸さんは、どうして、私にはお前とか、呼び捨てなのにこんなやつを恵奈ちゃんなんて呼ぶの? 」
「お前は、うちの事務所の女優だ。だが、恵奈ちゃんは、よその事務所のアイドルだ」
「でも、私は、人気女優でこいつは、全く、人気のないアイドルよ。おかしい」
珍しく、伊丸は、語気を荒らげた。
「人気だけで、他人の価値を、決めるな。人気なんて、ちょっとしたことで変わるんだ」
「伊丸さん。私は、若田さんが、言っていることが、正しいと、思います。やっぱり、土俵は、違いますが女優もアイドルも、人気商売です。私なんかは、底辺の人間ですので、何を言われても、仕方ありません」
伊丸は、恵奈が、正座したままだったことに、気付き椅子に座らせた。
「こいつは、よく自分の立場を、理解しているじゃない。少し、見直した。伊丸さん、そういうこと」
「恵奈ちゃんは、絶対にうちの事務所に、移籍させる」
「そうなの? じゃあ、また私の脇役になるかもしれないね。その時は、よろしく。さあ、もう出て行って」
伊丸と恵奈は、そこを、出た。伊丸は、
「うちの事務所の育て方が、悪かったかな。ごめんね。恵奈ちゃんじゃなかったら、また代役を探さないといけなかったかも」
翌日から、恵奈は演技のことをいろいろ千代に聞くことにした。すると、千代は時には機嫌が悪くなって馬鹿にされたり、罵られたりしたが、徐々に仲良くなった。すると、千代のNGも、少なくなった。撮影の合間は、千代の楽屋に、いることが多くなった。そして、日が経つと、グループのメンバーもそうなった。
今日は、撮影が休みだった。恵奈たちのライブだったからだ。千代や、ドラマのスタッフもチケットを、買ってくれた。千代は、
「楽しみにしているから、どうしようもないものを見せたら楽屋への出入り禁止にするよ」
とプレッシャーをかけられた。
リハーサルが、終わっていつものように、嶺中が楽屋にメンバーを集めた時に千代が入ってきた。一旦、話を始めると、止まらなくなった。嶺中は、苦虫を噛み潰したような顔で、出て行った。
「私、邪魔だった? 」
「全然、邪魔じゃない」
結局、ステージに立つぎりぎりまで、千代はいた。
目立たないように、変装してみると言っていた千代は、顔はわからないかもしれないが逆に目立つ。ステージに立っていても、どこにいるかすぐにわかる。しかも、手を振ると、返してくれる。周りのお客さんも怪しそうに、見ていた。
2回目のMCの時に、千代にステージに来てもらうようにしていた。美幸が、
「実は、私たちは初めてのドラマ撮影をしています。その主演女優さんが、今日のライブに、来てくれました。恵奈、呼んであげて」
「改めて、呼ばなくても、バレてるでしょ。あれだけ、目立つ観客は初めてだった。このまま、スルーしちゃおうよ」
「恵奈。すぐそこで、待ってるよ」
「仕方ない。じゃあ、出てもらおうか。若田千代さんです」
観客から、歓声や指笛が、聞こえた。千代は、登壇すると、メンバーとハグした。最後に、恵奈には叩くふりをしてから、少し、長めのハグをした。美幸が、
「千代ちゃん、どうですか? 私たちのライブは」
「私、考えたら、女性アイドルのライブって、初めてかも。こんなに、かわいい子が一生懸命歌って踊ってステージを、駆け回っているのを見て、感動しちゃった。それに、全部いい曲」
「やった。千代ちゃんから、かわいいって言われた」
「恵奈には、言ってない。他のメンバーね」
「今回のドラマで、千代ちゃんと恵奈が、一番一緒に演技していますがどうですか? 」
「正直なところ、最初は、なんで名もないアイドルと、やらなきゃいけないのって、思ったけど、恵奈とはすごくやりやすい」
「恵奈は? 」
「最初は、緊張しました。千代ちゃんは、人気女優だし私は演技初心者。優しく、たくさんのことを教えてもらって、感謝してます」
「本当に? 私のこと、嫌なやつって思っていたでしょ? 」
千代が、恵奈に、意地悪っぽい目で、見た。
「いいえ。私が、下手だから、申し訳なかったです」
「そろそろ、後半スタートします。千代ちゃんも、ステージに、残ってくれますね? 」
千代は、頷いて、ステージ脇に置かれた、椅子に座った。そして、曲が始まるとメンバーが、時々千代のところで、ポーズをしたりして、会場は最高潮になった。
千代は、終わってから、
「楽しかった」
と何回も、嬉しそうな顔で、言った。そして、みんなで食事に行った。しかも、千代の奢りだ。
「私、今日から、あなたたちのファンよ。本当に、売れてないの? 」
「残念ながら。最近、やっとあの規模の会場なら、完売するようになったぐらいのまだまだ駆け出しです」
「でも、なんで、伊丸さんが、恵奈の才能に惚れるのか、よくわかった。私は、歌もダンスも得意じゃないし、あんなに、大勢の前で、できるのが、すごい。恵奈って、緊張することあるの? 」
「もちろんです」
「嘘だ」
メンバーみんなが、ツッコんだ。千代は、笑って、
「みんなに、否定されているじゃない。でも、グループっていいな。私なんか、いつも1人だもん。共演者と、食事なんて、設定された時だけで、それ以外では、初めて」
「私たちも、滅多に一緒に食事なんて、ないですよ。稼ぎが、ほとんどないせいですが」
「そうか。じゃあ、早く東京に出てきてよ」
この夜から、毎晩のように、千代と食事をした。このことは、嶺中はよく思っていないが伊丸はとても喜んだ。
ある日、久しぶりに、訪れた伊丸は、千代の楽屋に入って、驚いた。恵奈たちメンバーが、一緒にいたためだ。
「若田。お前、楽屋に他人が、入ってくるのが、嫌じゃなかったか? 」
「そうだったけど、恵奈たちは、楽しいくて大好きだからいいよ」
「それなら、いいけど。恵奈ちゃん、ちょっといい? 」
「えっ、伊丸さん、恵奈を、どこに連れて行くの? まあ、少しなら許す」
千代は、いたずらっぽい表情をした。恵奈は、伊丸の後を、追った。そこから、少し離れた場所で、
「さすが、恵奈ちゃんだね。若田が、あんなに、楽しそうにしているのを、初めて、見た」
「まずは、先日は千代さんに、私たちのライブに、来ていただいた上にステージまで、上がっていただいて、ありがとうございました。それに、こんな機会を与えていただいたのも、感謝しています」
「こっちこそ、恵奈ちゃんには、感謝している。あいつが、ここまで、心を開くとは。ライブも、本当にステージに、上がったのか? 邪魔じゃなかった。マネージャーに、聞いても若田に、気を遣って、ほとんど、何も言わないんだ」
「ちょうど、さっき楽屋で、その時の動画を見ていました。一緒にどうですか? 」
「そうしよう。恵奈ちゃんも、若田も気になる」
2人は、千代の楽屋に、戻った。すると、ちょうど、千代が出て観客が盛り上がったところだった。
「ちょっと、悔しいな。私たちのファンなのに、千代ちゃんの方が、歓声が大きい」
「美幸、千代ちゃんと、比べたりしたら流石に失礼よ」
「恵奈たちなら、別にいいよ。私も、人気出てほしいし」
「へー。若田が、こんな表情で、ステージに上がるなんて、珍しいな」
「うるさいな。でも、今まではごめんなさい。これからは、恵奈たちに、負けないように頑張るって決めた」
千代も、伊丸も、笑顔だった。
いよいよ、ドラマ撮影も、クランクアップを、迎えた。最後の恵奈と、千代のシーンが一発でOKになると、2人は、涙を流して、抱き合った。そこへ、スタッフたちが、次々と花束を、渡した。今日は、伊丸が事務所の社長の野林佑太郎を、連れてきていた。
しばらく、恵奈と、これからのお互いの健闘を、誓い合っていたが社長の存在に気づいた千代は、
「社長。どうしてここにいるんですか? 」
「君が、心を入れ替えたと聞いてそうさせた、人にお礼を言いに来た」
「じゃあ、この子です。松川恵奈。そのうち、大ブレイクすると思うから、覚えておいてください」
「君が、そうか。野林佑太郎です。よろしくお願いします」
「申し訳ありません。私は、名刺を、持っておりません。松川恵奈と、申します」
「恵奈は、アイドルをやっていて、歌も、ダンスも上手です。その上、芝居もすごく、上手かった」
「千代ちゃん。それは、言い過ぎです」
「考えたら、君が、他人を、褒めるのを、初めて聞いた。いい人に、出会えて良かったな。これからの一層の活躍を、期待している。松川さんも、頑張って」
最後に、写真を何枚も、撮られた。そして、千代はマネージャーの運転する車に乗ってこの地を離れた。そして恵奈たちの夢のような、時間が、終わった。
これからは、ドラマのため、少なくしていた、ライブやイベントがたくさん待っていた。
そのためのレッスンを、受けている時に、信じられない、ニュースが能田から電話で告げられた。
「麻田が、バイク事故で、死んだ」
「嘘」
それからは、聞かれたことを淡々と答えるだけで何を聞かれたか恵奈は覚えていなかった。メンバーも、みんなショックで、レッスンどころではなかった。
それでも、吉田や嶺中は容赦なくメンバーを怒鳴った。しかし、メンバー全員が上の空だった。
メンバー全員で、麻田の葬式に行った。能田たちもいて、少しだけ話をした。
「恵奈。お願いが、ある。太彦が、お前に、歌ってほしいと、渡した曲があったよな。あれを、ライブで歌ってほしい」
「それは、できません」
「恵奈、歌ってよ。私のことは、気にしなくていい」
「そうだよ。今夜のライブにも、入れようよ」
「どうせ、恵奈は、練習だけはしていたでしょ? 」
「メンバーも、こう言っているし、お願いだ。太彦が、仏様になる前に歌ってほしい」
恵奈は、みんなの推しに負け、頷いてしまった。しかも、帰り道にメンバーで話しアンコールに、3曲入れることになった。
「私が、アンコールを、全て埋めたらファンがガッカリするよ」
「そんなことない」
「私、絶対泣いちゃうよ」
「それでも、いいんじゃない」
最後まで、抵抗したが恵奈の主張は、聞いてもらえなかった。
能田たちも、ライブに駆けつけたが今日は、ステージには上がってもらえない。今日のセットリストは、麻田が作った、曲ばかり、並んでいる。いつ、涙が出ても、不思議じゃない状況だったが、メンバー全員が笑顔だった。
しかし、最初のMCで、美幸は、泣き出してしまい、言葉にならなくなった。恵奈は、美幸に、
「私が、言うね」
と言って、MCを代わった。
「今日は、たくさん集まっていただき、ありがとうございます。先日、私たちに曲を提供してもらっていて恩人と呼べる、バンドのボーカルである、麻田太彦さんが、急逝されました。今日のセットリストは、麻田さんが私たちに、残してくれた曲だけです。私たちが、麻田さんにできる恩返しは、一生懸命歌って、踊ることです。みなさんの声援がないと、今日は、それができる自信が、ありませんのでいつも以上によろしくお願いします」
恵奈も、それほど、言うと、涙を流した。少し、間を置いて演奏が流れた。メンバーは、目を赤くしながらも、笑顔で、歌って、踊った。
そして、ついに、アンコールを、迎えた。今度は、美幸がしっかりMCを務めた。
「アンコールありがとうございます。今日は、ちょっと、初披露の曲をやらせてください。実は、麻田さんが恵奈に、歌ってほしいとつくってくれた曲があります。恵奈は、私たちに気を遣って封印していましたが、みんなで説得して、歌ってくれることになりました。じゃあ、恵奈よろしく」
その瞬間、ロックの演奏が流れた。そして、いつもより、低く力強い恵奈の声が、会場に響いた。
2曲目は、一転してスローバラード。恵奈は、綺麗で伸びのある声で、歌った。泣きだすお客さんも、たくさんいた。
そして、ラストはミディアムテンポの曲。メッセージ色の強い歌詞なので、優しくも心にも届くような声。覚えやすい、メロディだったこともあり、最後は、会場中が大合唱になった。
恵奈は、歌い終えると再び泣き出した。そして、客席に少しの間笑顔で、手を振ると泣き崩れた。恵奈は、メンバーに、抱き抱えられるようにして、ステージを後にした。
楽屋には、能田たちもいて恵奈に感謝と、労いの言葉をかけた。それを、嶺中だけは冷めた目で見ていた。
このライブは、ファンによって『麻田太彦追悼ライブ』として、動画が上げられた。そして、恵奈の歌を麻田が憑依していると、話題になった。それと、もう一つが、それまで堪えて、笑顔で歌っていた、恵奈が、歌い終えてから、号泣したことを、称賛する内容だった。
これを見た、千代からも、LINEにメッセージが届いた。
『恵奈、辛い中よく頑張って歌ったね。さすがだ。私も、感動して、泣いちゃった』
恵奈は、まだ千代が自分たちのライブの動画を、見てくれているのが、嬉しかった。
『ありがとう。でも、夏の怒涛のライブとイベント出演は、始まったばかり。千代ちゃんも、忙しいと思うけど、頑張って』
そう、返信すると、すぐにまたLINEのメッセージが入った。能田からだ。
『俺たち、ボーカルを、オーディションで見つけて再開することにした。せっかく、メジャーデビューのチャンスが、来たところだし、頑張ってみる』
『いいボーカルが、見つかることを、願っています』
恵奈は、本当に嬉しかった。能田たちが、解散すれば、自分たちへの曲提供も危ぶまれると思っていたから。これで、安心して、今日のライブに、挑める。
あの日以来、メンバーや、ファンから、恵奈のソロが、聴きたいとの要望が多くなった。恵奈は、拒み続けていたが、今日のライブでは、他のメンバーに、騙されて1曲だけ、演奏が流れて歌う羽目になった。後で、メンバーに、聞くと、
「私たちが、持っているセットリストにはちゃんと書いてあったよ」
「予定通りだった」
「なんで、恵奈が持っているのだけ、違ったんだろうね」
「こんなことされたら、焦るからね」
「最初から、あの曲が入った、セットリスト渡したら、絶対歌ってくれないよね」
「それでも、今日も上手かった」
「やっぱり、恵奈はさすがだよ」
「茶化さないで」
「でも、ファンも、喜んでくれてたよ」
「いい曲だしね」
「やっぱり、毎回入れるべきだよ」
「それなら、4人で歌えるように変えようよ」
「あの曲は、私には歌えない」
「踊るので、精一杯だから無理」
「私が、歌うと、曲の雰囲気が変わっちゃう」
「じゃあ、明日からは、封印だね」
メンバーも、それ以上、何も言わなかった。
翌日、美幸が、
「やっぱり、ファンの出迎えとか、すべきだと思う」
と言い出して、全員が会場の入り口にいた。すると、ファンがやたらと恵奈の前にきて、
「今日も、恵奈ちゃんのソロを、期待してます」
「恵奈ちゃんのソロが、聞きたくて、きました」
「やっぱり、締めは恵奈ちゃんのソロが、一番いいです」
などと、言われた。楽屋に、戻ると美幸が、
「ファンの声は、大事にしなきゃ。セットリスト、変更するね」
そう言って、何か、書くふりをして、別の紙を取り出したのを、恵奈は見逃さなかった。
「できた。今日のセットリスト。これで、どう? 」
それを、みると締めが恵奈のソロになっていた。
「美幸、演技力なし。それ、さっき取り出したのを、見た」
「私は、恵奈みたいな、大女優じゃないから。バレたのは、仕方ないけどファンの期待には応えなきゃ」
「ファンの声とか、言っているけど、絶対におかしい。最初ので、やるよ」
「早矢子と美貴。恵奈が、リーダーの私の意見を、聞いてくれない。私、どうしたらいい」
美幸は、助けを、求めるように、早矢子と美貴の間に行って、悲しそうな、顔をした。早矢子と、美貴は可哀想にと、言うように、美幸の頭を撫でた。恵奈は、
「わかったわよ。この、大根役者トリオ。どうせ、初めからこの演奏順にしてあるんでしょ? 」
「さすが、名探偵、恵奈」
「こんなの推理なんて、全く、必要ない。もう、時間だし行こう」
恵奈以外は、嬉しそうに、ステージに、向かった。今日も、恵奈のソロは、盛り上がった。しかし、恵奈は終了後に、メンバーで、話し合いの場を、持った。
「私たちは、4人のグループだから、みんなで、歌って踊りたい」
「それは、わかるけど、恵奈は上手いのに、メインで、歌うのも極端に、少ないからいいじゃない」
「こんなこと、嶺中さんにでも、知られたら、怒られるよ」
最近、嶺中は、忙しいとかでほとんど、来ない。代わりに、メンバーに付いているのは、アルバイトの内木一行だ。
「どうせ、どんなにいいステージにしても怒られるから関係ない」
「それでも、美幸のソロなら許されるけど私じゃダメでしょ」
「事務所が、美幸を推してるのは理解しているしそれについては、不満はない。でも、それを一番支えたのは恵奈だから、ソロを、歌うぐらいいいじゃない」
「私も、早矢子の意見と、同感だな。それを、美幸がわかっているから恵奈に歌ってほしいと思う」
「私は、恵奈にいつも救われてきた。才能あるのに、それを隠してまで私を支えてくれた。もう、隠さなくて、いいじゃない。だから、歌って。麻田さんのためにも」
「でも、4人で、歌う曲と、明らかに、曲調が違うんだよね。人気の低下とかにならないかな? 」
「私は、逆だと思う」
「私も、そう思う」
「最近の動画のコメント、ほとんど恵奈だよ。この前のファンの声は、私たちがインスタで呼びかけたってのはあるけど、本心だと思う」
「あれは、そういうことだったんだ」
「でも、本当に、今以上に人を集められるのは、恵奈しかいない。もうすぐ、ドラマも始まるし。だから、私たちを、救うと思って、歌って」
「みんなして、そこまで言うなら、わかった。歌う。でも、グループや美幸の人気の低下になったら即中止だからね」
恵奈の予想に反して、ライブチケットの売れ行きはさらに良くなった。それは、どうやら千代が影響が大きいようだった。SNSで、一押しのアイドルグループと、書き込んだりラジオ番組で、紹介しているようだ。遠くから来ている、お客さんも、増えてきた。最近、初めて見たという人は、大体恵奈の歌唱力について、触れていた。4人の時は、ほとんどバックコーラスぐらいだから、あまり歌うのが得意じゃないと、思っていた子が、最後にソロで、歌ったけど、すごく上手かった。という内容が、多かった。
そんなある日、事務所から、呼び出された。恵奈が、行くと美幸が、正座させられていた。恵奈は、とりあえず美幸の横に、正座した。どうやら、ドラマの番宣で、テレビ局から、出演依頼が、あったようだ。しかし、ライブと、重なったため、断った。すると、VTRでも構わないので、それを、撮りに行くと、連絡があったとのこと。
事務所は、美幸を出したいが、千代のためなら、恵奈を出すべきだと、言っている。
「松川。お前が、久原を脅して、自分が出ると言ったんだろ」
「違います。恵奈は、そんなことしない。私の判断です」
「それなら、ダメだ。お前らに決定権なんて、ない。久原が、でろ」
「千代ちゃんは、恵奈が、出ると期待すると思います。私が、出るべきでは、ありません。千代ちゃんにも、失礼です」
「いいか。俺らの方針で、お前をエースでリーダーにしてようやく少しずつ人気が出た。今更、松川なんかを前面に出したら、一瞬で人気なんてなくなる」
「いいえ。今の私の肩書きも、人気も全て恵奈が作ったんです。私が、エースでリーダーだから今回も出ないといけないなら、エースもリーダーも、恵奈に譲ります」
「何言ってんのよ。今のグループは、人気だってなんだって、美幸が中心にいて作り上げたものだよ。ここは、素直に、事務所の方針に、従おう」
「ほう。お前、最近では、ライブで、ソロなんかをやっているらしいじゃないか。そんなのは、俺たちの方針から思い切り、外れているんだよ。お前は、久原の引き立て役に徹してろ」
「恵奈は、本当に私のために頑張ってくれています。ソロは、今は一番盛り上がるし、ファンも期待してます。だから、私たちが、お願いして歌ってくれています。お願いですから、これは認めてください」
「久原は、松川に、ソロで歌わせろと脅されたんだな」
「恵奈は、そんなことしません。私は、恵奈を一番信頼してます」
「本人の前では、悪いことは言いにくいな。場所を、変えるか? 」
「大丈夫です。私は、恵奈に対して悪口なんて、1つも言えない。探しても、見つかりません。嶺中さんも、恵奈を、ちゃんと見てください」
その時、事務員さんがテレビ局が、きたことを伝えた。結局、美幸が拒み恵奈だけが出演することを嶺中も許した。また、ライブでのソロも1曲だけなら、許可してもらえた。
この時のインタビューが、放映された。千代は、そのVTRで、感激して泣き出した。それまで、テレビに出ても、ほとんど表情を変えたことがなかったので、ドラマへの注目度も、上がった。さらに、グループのことも、話したことで、さらに注目された。
一方、能田たちのバンドのオーディションが、開催された。しかし、一応最終選抜には5人が進んだがメンバーには、あまり気に入った人はいなかったようだ。
順調に、ライブを続けていた恵奈たちは、久しぶりのオフだったが、事務所からレッスンに出てくるよう言われた。
「夏休みの宿題だって、あるのに」
メンバーは、集まった途端、不満を、口にした。すると、事務所が何やら騒々しい。メンバー全員で、その様子を見に行くと、ファンが事務所の入り口に、押しかけていた。そして、メンバーの姿を、見つけると歓声が、上がった。40人ぐらいは、いるだろうか。どうやら、メンバーが、次々に、入っていくのを、見られSNSで拡散されたようだ。嶺中は、
「お前ら、ちゃんと、周りの様子を見て入ってこい。お前らが、責任を持ってこの事態をなんとかしろ」
と怒られた。メンバーで、話し合ってとりあえずレッスンルームに、椅子を並べた。そこに、通すと美幸が、
「いつも、応援していただき、ありがとうございます。ですが、こう言ったことは、事務所に、迷惑をかけますので、今後は、やめてください。お願いします。今日は、特別にサインを、差し上げますので、受け取られた方からお帰りください」
と言った。すると、ファンから、
「写真は、撮っていいですか? 」
「わかりました。私服だから恥ずかしいですが、時間の都合で1人1ショットでお願いします」
メンバーは、1人ずつ、サインを渡して写真を撮って、握手して帰ってもらうという流れを繰り返した。
ドラマが、放送され、千代の人気もあり、深夜帯にも関わらず、視聴率は良かった。そして、千代の演技が上手くなったと、話題になった。それに伴い、恵奈にも、注目が集まった。また、千代のインタビューが、ネットニュースに、掲載されたのも、拍車をかけた。
恵奈は、雑誌などの取材を、受けることが、増えた。時には、ライブの直前までということもあった。そんな、多忙な、日々も、夏休みの終わると、少し落ち着いた。
そんな時、能田たちから、呼び出された。学校帰りに、直接待ち合わせのカフェに向かった。能田たちは、すでに、来ていて、恵奈を見つけると、手を振った。そこへ行って、あいさつをして空いている椅子に、座った。すると、3人がやたらと、恵奈を見る。
「どうかされましたか? 」
「制服姿が、かわいいから」
「やめてください。ダサい、制服だから女生徒には不評です」
恵奈は、飲み物を、注文して、夏休み中のライブの話とかをした。すると、それが運ばれてきた。途中まで、楽しそうに、聞いていた、能田たちだったが、急に笑顔が消えた。
「すみません。ライブの話は、あまり聞きたくなかったですね」
「そうじゃない。実は、今日は、恵奈にお願いがあってきてもらったんだ」
「俺たちが、ボーカルのオーディションを、やったのは知っているよね? 」
「全員、不合格になった」
「じゃあ、どうするんですか? 」
「そこで、ボーカルを恵奈にお願いしたい」
「私は、アイドルやっていますし、ロックバンドのボーカルなんて」
「わかっている。アイドルとの掛け持ちでも、構わない。俺たちの曲を、理想通りに歌えるのは恵奈しかいない。オーディションをやって、改めて気づいた」
「グループが、順調なのも、わかっている。とりあえずの繋ぎ、って言うと、失礼かもしれないけど今のところ恵奈しかいないんだ」
「おい。他人にお願いする時は、土下座じゃないか」
「やめてください。そんなことしないでください」
「じゃあ、引き受けてくれるか? 」
「私は、能田さんたちのためなら、なんとかしたいです。でも、事務所やメンバーにも意見を聞かないと返事はできません」
「そうだろうな。その時は、俺たちも行くから」
恵奈は、スケジュールを、確認した。そして、能田は、恵奈の事務所に電話をしメンバーには、LINEを送った。
今日は、能田たちと、事務所へ行く日だ。学校帰りに、能田たちと待ち合わせた。能田たちの事務所の方も一緒だ。
事務所では、社長と嶺中が、ソファに座っていた。能田たちは、あいさつをして向かいに、座った。恵奈は、みんなが、座る椅子を、用意して、その横に正座した。
「恵奈。椅子ないの? 」
「こいつに、座らせる椅子などない。それで、要件は? 」
「はい。松川さんを、うちのバンドのボーカルとして、迎えたいです」
「こんなやつを? でも、こいつはアイドルグループのメンバーだ。あまり、活躍していないがな」
「大活躍していますよ。ですので、とりあえずグループを抜けるのではなく、そっちも続けながら無理のない範囲で、こっちにも参加してもらいたいです」
「もう少し、よく考えた方がいいんじゃない? 君たちは、メジャーデビューも近い。こんなやつが、入ったら人気も、落ちるよ」
「ここの事務所が、松川さんをその程度にしか評価していないならください」
「こいつには、こっちも、多額の投資をしたんだ。事務所を、やめるには2千万円の違約金をもらうことになっている」
「それについては、そういう話になればいつでも用意します」
能田の事務所の高本宏樹が、そういうと嶺中の頬が一瞬緩んだ。それを見たら、嶺中と目が合った。
「松川。お前は、どうしたいんだ」
「私は、アイドルを、続けたいです。でも、能田さんたちの力になれるなら挑戦したいです」
「お前は、そんな中途半端だから、歌も、ダンスも、そうなるんだ」
「どうして、恵奈のように才能がある子が、そのような評価なんですか? 恵奈の歌と、ダンスはレベル高いですよ。まあ、引き抜こうとしている、俺たちには、都合が良いですが」
「メンバーには、もう話したのか? 」
「まだです。この後、話し合うことになっています」
「じゃあ、メンバーの判断に、任せる。お前なんか、グループにいてもいなくても関係ない。違約金が、入ってくるなら、儲け物だ」
「よく、そんな酷いことばかり、言えるな」
能田が、立ち上がった。恵奈は、
「能田さん、座ってください。嶺中さんが、言っていることは事実です。私は、グループにも事務所にもたくさん迷惑をかけて来ましたので、仕方ないです」
「珍しく、素直じゃないか。失敗したら、戻ってこい。お前が、なりたがっていたキャバ嬢にしてやるから」
「それは、嫌です」
一応、事務所の了解は、得られた。次は、メンバーだ。いつものカフェで、待ち合わせだ。
すでに、メンバーは集まっていて、飲み物も、なくなりかけていた。恵奈は、美貴の横に座って、能田たちは向かい側に、座った。能田は、
「俺たち、腹減ったから、何か、食べる。美幸たちは、食べたの? 」
「まだです」
と言うと、高本が、
「今日は、私どもが、支払いますので好きなものを注文してください」
と言ったので、メンバーは、お礼を言って嬉しそうにメニューを回した。注文を、終えると恵奈と能田がどっちから話すか言い合った末に、能田から、
「今日、集まってもらったのは、恵奈をうちのバンドのボーカルとして迎えたい。それで、さっきまで事務所に交渉に、行っていた」
「能田さんたちも、私がグループを抜けると困るだろうと掛け持ちで構わないからという話」
美幸が、恐る恐る聞いた。
「それで、事務所の人はどう言ったんですか? 」
「お前らの事務所、最悪だな。恵奈なんて、グループに、いてもいなくてもどうでもいいそうだ。違約金をうちの事務所が、払うと言ったら、目を輝かせてた」
「私が、やめて、お金が入れば、儲け物だって。そして、私がどうなるかはメンバーに任せるって」
「呆れるだろう」
「私、もうあんな事務所には、いたくない。申し訳ないけど、グループを抜けさせてもらうね」
美幸は、寂しそうに、
「ということは、解散だね」
「どうして、解散なんてことになるの? 」
「私も、そう思う。恵奈を、簡単に手放すような事務所に、もういたくない。解散するしかない」
「美貴も、どうせそう言うよね。なんで、今まで4人で頑張ってきたのに、私が抜けると解散なの? もう少し、前向きに、考えてよ」
「おいおい。どうなっているんだよ」
美幸は、意を決して、
「私たち、3人で上手く、やれるわけない。今まで、事務所の方針を守ってきたのは恵奈なのに」
「だから、3人で守っていけば良い。人気も、出てきたし、能田さんたちや坂村さんや千代ちゃんも応援してくれているグループを、簡単に解散させないで」
「それも、全部、恵奈の功績だよ。恵奈が、いなくなれば全て失う」
「違う。4人で、頑張った結果だよ。ね、能田さん」
「そこで、俺に振るか? 俺たちは、恵奈が、グループから抜けるのは、大変だろうと思って掛け持ちを提案したんだけどな」
「やっぱり、能田さんも恵奈が抜けたら解散すると思っていたんだって」
「いや、そこまでは、言ってないけどな」
「高本さん、私たちも、拾ってください。そうすれば、恵奈も掛け持ちしやすいと思います」
「そうなると、あの事務所は、いくら払えば、納得するのか。想像するだけで、怖くなる」
「きっと、私は、恵奈より安いですよ」
「美貴は、私より、ずっと可愛がられてたから、高いんじゃない」
「いくらぐらいが、適当か事務所と相談して改めて、交渉してみます」
高本は、そう言った。とにかく、そうなるのが今の最善策と、思われた。
後日、メンバーは、事務所に、集められた。嶺中は、
「お前らに、移籍の話がある。うちの事務所としては、ここまで辛抱強く尽くしてやっているのに全く結果を出さないから、見切りを、つけたいんだがどうだ」
「私は」
「お前には、聞いてない。お前は、もう出て行くのが決定しているだろう」
「はい。すみません」
「私は、これをチャンスと思って、移籍して頑張りたいです」
「ほう。今まであれだけチャンスを、与えても活かせなかったのにか? 」
「それについては、申し訳ありませんでした」
「檀野と松原は? 」
「私も、移籍します」
2人とも、同じことを言った。嶺中は、
「お前らは、うちの事務所に迷惑を、かけ続けたんだ。きちんと、1人ずつ謝罪とお礼を言え」
まずは、恵奈のようだ。
「今まで、結果を出せず迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした。それでも、見捨てず面倒を見ていただきありがとうございました」
「内容は、それでいいがそんな、小さい声では全員に聞こえないだろう。やり直し」
嶺中は、全員に色々と因縁をつけて、何回も言わせた。そして、解放された。この後は、能田たちが待っているカフェに、行かなければならない。
長年、通った、事務所にもう来ることがないと、思うと嬉しい気持ちもあるが少し寂しさもあり複雑な気持ちだった。最後に、ドアを、閉めた美貴は、
「やった。もう、ここには、用事がなくなった」
「でも、少し寂しいよね」
「全然。この事務所に、良い思い出とか、全くない。怒られてばかりだったじゃない」
「そうなんだけどね。でも、8年も通ったんだよ。みんなが、頑張っているから取り残されないようにと、必死だったな」
「それは、違うよ。恵奈が、いつも頑張るからみんなもやるしか無かった」
「私は、何やっても、下手だったからね」
「それも、違うな。恵奈に、そう言うのは、あの事務所の人だけだったから」
早矢子と美幸も、頷いた。
カフェに、入ると、能田たちは、待ちくたびれていた。
「お待たせしました」
「本当に、遅かったな。まあ、座って」
メンバーが、座ると恵奈は、
「無事に、全員の移籍が、決定しました。ありがとうございました。これからも、よろしくお願いします」
「それなのに、どうしてこんなに、時間がかかったんだ」
「1人ずつ、事務所への謝罪と、お礼を言わされたからです。しかも、声が小さいとかで何回も」
「くだらない。でも、そんな事務所と、おさらばできてよかったな」
「本当です。高本さん、ありがとうございました」
「案外、提示された、金額が、安かったからね」
「いくらだったんだ」
「5千万」
「えっ。よかったな、恵奈。お前の評価が、一番高かった」
「そういう意味では、ないと思います」
「そうでしょ。恵奈以外は、1千万」
「私が、美幸より、高いわけないから、まとめて割引されたんでしょ」
「まあ、誰がいくらでも、いいじゃないか。これで、2組合同ライブが、できる」
「合同ライブを、やるんですか? 」
「その方が、恵奈も、楽じゃないか? とりあえず、高校を卒業しないと活動日や行動範囲も限られるだろうし」
「そうですが、合同だと、迷惑じゃないですか? 」
「おいおい、恵奈は、もう、俺たちのメンバーでもあるんだぞ。しっかりしてくれよ」
しばらく、談笑しながら、食事をして別れた。
恵奈は、この日は、初めて、バンドの練習に参加した。学校帰りだったため、制服姿のままだ。西岡が、
「恵奈ちゃんの制服姿を、後ろから、見ながらドラム叩くのか」
「すみません。私、学校帰りで」
「拓也。恵奈は、高校生だからな。あまり、変な目で見ると捕まるぞ」
「でも、本当に似合ってて、かわいいから、俺も変な目で見てしまうかも」
「克弥まで、そんなこと言うか。仕方ない。恵奈、着替えあるか? 」
「体操服なら、あります」
「じゃあ、悪いけど、ロッカールームで、着替えてくれ」
能田は、場所を教えてくれた。そして、着替えて戻ると、西岡が、
「恵奈ちゃん、寒くない? ジャージとか、ないの」
「いつも、学校帰りの練習は、このスタイルで、やっていたので、寒くはないです」
「それも、よく似合っているな」
「否定はしないが、練習は集中してやってくれ。じゃあ、始めるか。恵奈は、最初のうちは、自分なりに歌ってくれ」
「はい」
演奏が、始まった。今日からの練習は、ニューアルバムのツアーに向けてのものだ。本来なら、このアルバムでボーカルをしていた、麻田が参加してのものだったが、延期になっていた。恵奈は、何度も、聴いていたが、自分が、歌うとなると難しい。5曲を、連続で歌ったところで、演奏が止まった。
「ごめんなさい。私、全然、上手く、歌えてないですね」
「恵奈。あまり、上手に、歌おうとか、考えるな。いつものように、動き回ってもいいんだ。お前の歌は、問題ないから、もっと楽しそうに、歌ってくれ」
「俺のところに、もっと近づいてもいいぜ」
「克弥のところへは、怖くて近づけないだろう」
「いいえ。それはいいんですが、そんなに自由にしていいんですか? 麻田さんは、あまり動かず歌われていましたよね」
「なんだ。太彦を、意識していたのか。俺たちは、顔であるボーカルが変わったんだ。恵奈の自由にしていいんだぜ」
「それでは、ファンが失望しませんか? 麻田さんの歌で、収録されたアルバムですよ」
「いいんだ。俺たちの歌を、太彦がいなくなった今、イメージ通りに、伝えられるのは恵奈だけだから、それで逃げていくファンは、どうでもいい。これからのファンを、作れば良い」
「恵奈ちゃんなら、大丈夫だよ。自信を持って、楽しんでよ」
「恵奈ちゃんと、太彦では、見た目で、今までと、ギャップが、あるから真似することないよ。恵奈ちゃんらしさで、勝負しよう」
「わかりました。みなさんの期待に、応えられるように頑張ります」
練習が、再開された。恵奈は、水を得た魚のように、スタジオを駆け回って、歌った。メンバーに、接近したりしながら、笑顔で何曲も歌った。そして、気づいたら結構、遅い時間にになっていた。
メンバーを、高本が送ってくれる。能田が、
「恵奈。腹減ってないか? 」
「そうですね。少しだけですので、帰ってから軽く食べます」
「遠慮するな。焼肉でも食べよう。恵奈の歓迎会だ」
「賛成」
西岡が、言った。
「お前には、聞いてない。恵奈、コミュニケーションも大事だ。付き合ってくれ」
「わかりました」
高本は、焼肉屋の駐車場に、車を停めた。
店に、入ると、みんなが次々に、注文する。能田が、
「恵奈も、何か頼んだら」
「私、焼肉のメニューって、よくわかりませんので適当につまみます」
とりあえず、飲み物が届いたところで、乾杯した。能田が、
「恵奈。よかったよ。楽しすぎて、なかなか、終わるタイミングがなかった」
「優輝や、克弥は羨ましい。恵奈ちゃんが、近くに、来てくれるし、近寄ることも、できる」
「すみません。流石に、後ろに、いくのはどうかと、思ってしまいました」
「行ってもいいぞ。恵奈の好きなように、やればいい。それに、ステージで、距離を取ると恵奈が馴染んでないと思われる」
「私は、みなさんには、良くしてもらってますのでそんなことないですが」
「観客は、好き勝手言うんだ。年齢が、1人だけ若くてしかも女性。いろいろな、ストーリーをみんなが作るのにちょうどいい。恵奈、少しずつ、俺たちに、敬語を使うのもやめてくれ」
「それは、なかなか、難しいです」
いろいろな、話をして、お腹も充分に、満たされた。
この日は、アイドルの練習日だった。移籍して、初めてなので、事務所に挨拶をする。すると、古池翔也がマネージャーとして、紹介された。
「ごめんね。こんな、おじさんで。でも、君たちのために一生懸命サポートするからよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
4人で、頭を下げた。早速、練習のため、借りてあるスタジオを案内された。すると、ついこの前バンドの練習をした場所だった。思わず、恵奈は、
「バンドの練習をした場所だ」
と言った。古池は、
「君が、バンドと、掛け持ちするの? 大丈夫」
「それは、どういう意味ですか? 」
古池は、少し言葉を選んで、
「はっきり言って、能田くんたちのバンドって、カッコいい感じじゃない。そこに、恵奈ちゃんみたいなかわいい女の子が、入ったって、不思議だなと思ったから。高本は、恵奈ちゃんすごくいいと、聞いてるけど何がって感じだったから」
「すみません。能田さんたちから、どうしてもと誘われて断れませんでした」
「それは、いいんだけど、彼らボーカルオーディションで、全員不合格にして、迎え入れたボーカルってことだったから、意外な気がした」
「古池さん。恵奈の歌は、すごいですよ。動画とか、見られますか? 」
「動画は、最近、少しだけ、見た。でも、メインは美幸ちゃんで、恵奈ちゃんはどちらかと言えば、パフォーマーじゃない」
「古池さん、最近の動画を最後まで見てください。そうすれば、毎回オーラスは恵奈のソロです」
「そうだったの? 結構、いい曲ばかりだなと何回も、戻ったりするから、最後まで辿り着けなかった」
「曲は、全て能田さんたちに、作ってもらってます」
「そうだったんだ。それで、恵奈ちゃんを、ボーカルにって、なったんだ」
古池は、何度も頷いた。恵奈たちは、練習を始めた。とりあえず、2曲歌って、止めた。古池は、拍手して、
「良かったよ」
と言ったが、美幸が、
「すみません。私たちは、今のは納得していません」
と言って、メンバー同士で、良かった点と悪かった点を、指摘しあった。それ以降、古池は黙って眺めていた。
古池は、メンバーを送る途中、どこかで歓迎会をしようと、提案した。今まで、そんなことをされたことがないので、みんなが、黙っていた。恵奈は、代表して、
「あの。支払いは、どうなりますか? 」
「それを、気にしていたんだ。もちろん、事務所が払うよ。だいたい、いつもそうだから。何が、いい? 」
「焼肉が、いいです」
3人が、そう言った。恵奈は、何も答えなかった。しかし、今通っている道はこの前と同じだから案の定古池の車は、この前、恵奈が来た、焼肉店で停まった。
店に、入ると、偶然にもこの前と、同じ場所が空いていた。そして、座る場所も同じになってしまった。しかも制服姿。もはや、店員さんには、気づいてくれと、主張しているようなものだった。注文を、聞きに来た店員さんは、
「ご贔屓にしていただき、ありがとうございます」
と恵奈を、見て言った。みんなが、恵奈を見てから、注文した。
「実は、この前、バンドの初練習の後も、ここで歓迎会をしてもらった」
「言ってくれたら、良かったのに」
「でも、3人が焼肉が、いいって言うから、少数派の私の意見を通すわけにいかないでしょ? 」
「恵奈は、大人だな」
そこで、先程の店員さんが、品物を運んで来た。古池は、
「この子たちは、アイドルグループです。まだ、知名度は低いですが、頑張っていますので応援してください。そして、この前も来た、あの子はロックバンドのボーカルもやっています。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
全員で、言った。店員さんは、
「どうりで、かわいいと思いました」
と言って、下がっていった。古池は、
「しかし、みんな、意識が高いね。今まで、アイドルを担当したことないから自分たちであんなに言い合うと思ってなかった。でも、恵奈ちゃんのソロは聴きたかったな」
「私たちも、練習で恵奈のソロは聴いたことないです」
「そうなの」
「理由は、恵奈から、説明します」
「どうして、急に私に、振るの。みんなの練習時間を、私のために使いたくないからです」
「それなのに、どうして、ソロを歌うことになったの? 」
「麻田さんが、私に歌ってほしいと、残してくれた曲があって、能田さんたちから頼まれました」
「麻田さんの追悼ライブということで、動画もあります」
「恵奈のソロ初披露。それも、アンコールからの3連発ですよ」
「でも、改めて恵奈の凄さが、わかりました。直前になって、決まったのに、完璧でした」
「そこまで、言われるほどよくないと、思います。古池さんの判断で、ソロは、失くしてもらっても構いません」
「また、恵奈が、そんなことを言う」
「じゃあ、美幸も、ソロをやろう」
「私のために、作られた曲は、1曲もない」
「みんな、冷静になって、考えよう。私は、掛け持ちだから合同ライブやったらバンドの方だけでもソロで20曲以上歌うんだよ。それなのに、こっちでも、ソロなんて無理だよ」
「恵奈なら、大丈夫」
みんなが、そう言った。そこへ、古池がスマホを見ながら、
「やっと、見つけた。麻田くんの追悼ライブ。これを見て、恵奈ちゃんのソロをどうするか、決めるんだね? 」
「えっ、それですか? 」
「それで、いいです。恵奈は、どうせ動画を見てないからいつのライブにどんなタイトルが付けられているか知らないでしょ」
実際、そうだから、恵奈は言い返せなかった。古池の運転する車に乗って、流れる景色を眺めながらメンバーと話をした。
次のアイドルの練習日、古池は興奮気味に言った。
「恵奈ちゃん、見たよ。動画。すごいよ。床田くんが、乗り移ったようだった。しかも、感動したし感心した。あれって、床田くんの葬式の日だったんだね。それなのに、恵奈ちゃんは歌っている時は、溢れそうな涙を隠して、笑顔で。最後の歌い終わった後の涙は。プロ意識が、高い。やっぱり、恵奈ちゃんのソロは、必要だ」
「わかりました。私で、よければ気は進みませんがやります」
「恵奈ちゃん、どうした? 具合でも、悪い」
「いいえ。元気です」
「恵奈は、あの日のライブは、あまり覚えていないらしいです。動画は、いつも観ませんし辛かった記憶だけだそうです」
「それで、あのパフォーマンスなのか? プロ中のプロだな。だから、みんなから慕われるんだ」
「私なんか、全然大したことないです。そういうふうに、見えたということは、みんながすごいんです」
「そうかな」
「そうです。ところで、練習始めていいですか? 」
「ごめんね。始めて」
みんなが、練習を始めた。途中で、古池の両隣に座っている人がいた。少しだけ、気になったが1時間ぐらいぶっ続けで、練習して、休憩に入った。そのタイミングで、みんなが挨拶した。古池は、
「こちらが、うちの事務所のアイドル担当の上井尚志。要するに、俺の上司。こっちは、ロック担当の藤永悠一」
「ロック担当ですか? 」
「やっぱり、恵奈ちゃんは、反応したね」
「そう。ちょっと、恵奈ちゃんを、見にきた。だから、もう少し恵奈ちゃんがメインの曲をお願いしたい」
「申し訳ありませんが、ありません。バンドの練習の時に、いらしてください」
「バンドの方は、ここでは、滅多に練習しないんだよね。だから、お願い」
「本当に、私がメインの曲は、ありません。ほぼ、バックコーラスです」
「それなのに、どうしてバンドのボーカルになったの? 本当に、大丈夫」
「歌唱力については、全く問題ありません。私も、動画でしか、知りませんが」
「恵奈。藤永さんも、困られるんじゃない? 今なら、休憩中だから、歌っていいんじゃない」
美幸が、恵奈に歌わせようと、言った。
「休憩は、喉を潤してそこまでの練習を、振り返る時間。私だけ、勝手なことはできない」
「そうだけど、今日はそんなこと言っていられない、気がする」
「恵奈ちゃん。美幸ちゃんも、そう言ってくれているし、お願いできないかな? 」
「わかりました。藤永さん、私は、今日はアイドルとして、活動しています。今後は、バンドのことで、こっちのメンバーに、迷惑をかけることは、慎んでください」
恵奈は、自分で選曲して、その演奏を流した。ロックサウンドが、流れた。少し、低めの恵奈の大きい歌声がスタジオに、響く。楽器の音にも、かき消されないその声は、そこにいる全員の心に、まっすぐ突き刺さった。
「ありがとうございました」
歌い終えて、恵奈は言った。全員が、拍手する。藤永が、
「すごかった。よかった。ありがとう。能田くんたちが、どうして、恵奈ちゃんを入れる決断をしたかよくわかったし、安心した。邪魔して、悪かった」
そう言って、スタジオを、出ていった。
「動画より、生は何倍も、よかった。やっぱり、これは外せない」
「ありがとうございます。しかし、これだけは、絶対に忘れて欲しくないんですが、グループの顔は美幸です。それで、ここまでやってきたんです」
恵奈は、そう言って練習に戻った。恵奈は、ソロの時と違う高音で楽しそうに歌い踊った。
この日は、バンドがパーソナリティを、務める、ラジオ番組の日だった。ボーカル恵奈の初解禁スペシャルとして、生中継することになった。アナウンサーの杉宮泰太郎が、恵奈を紹介した。そして、ここから恵奈も会話に入った。
「この度、ボーカルをさせていただくことになりました松川恵奈です。よろしくお願いします」
「とても、かわいい女の子です。ラジオなので、顔をお見せできないのが、もったいないです。私も、今日初めてお会いして、お話したんですが恵奈ちゃんは、まだ、高校生のアイドルだそうですが、なぜバンドのボーカルとして、迎えられたんですか? 」
「実は、恵奈がいるアイドルグループは、俺たちが曲を提供しているんです。床田が、居なくなってオーディションもしましたが、俺たちの曲のイメージを、うまく表現できる人に出会えなかった」
「それを、できるのが、恵奈ちゃんだったんですね。それを、聞いてどう思われましたか? 」
「もちろん、即答はできませんでした。床田さんは、私も尊敬する、ボーカリストでしたのでその後を、引き継ぐプレッシャーもありました。でも、大好きで、お世話になっている、みなさんから必死でお願いされたら、何か恩返しをしたいと、思っていましたし、断りきれませんでした」
「それでも、世間では、見た目が怖そうな、男性3人の中に女子高生が、1人だけ入るのに抵抗はありませんでしたか? 」
「みなさんが、いい人なのは知っていましたので全くです」
「恵奈は、ほとんど、面識がない時に俺たちに曲を作ってほしいと、言い出すほど度胸があるんです」
「そうだったんですね。それで、その時に曲を作ると決められたんですか? 」
「いいえ。アイドルが、歌う曲なんて、書いたことないから断るつもりでした。でも、遊び心で作ってみたら意外と、できた。みんなも、そんな感じで作っていたから、渡しました」
「その時の恵奈ちゃんたちの嬉しそうな顔は、今でも忘れられないですよ」
「中には、こんな曲でいいのかみたいなのもあったのに、ライブで楽しそうに、歌うのを見てこっちも嬉しくなりました」
「では、ライブもご覧になられて恵奈ちゃんをボーカルにしたいとなったんですね? 」
「そうです。歌唱力も、すごいですが表現力もあります」
「ということですが、恵奈ちゃん、どうですか? 」
「ライブを、やる前なので、かなりプレッシャーです」
「とにかく、俺たちがどうこう言うより、ライブを見て、恵奈を判断してください」
能田が、そう言って、番組は終わった。この後には、音楽雑誌の取材も、待っていた。
ついに、初の合同ライブが、決まった。恵奈たち、学生のことを、考慮して、地元の地方で、最大都市の最大のライブハウスだ。それでも、ボーカリスト恵奈としての最初のライブということで、注目されチケットも、完売した。恵奈は、両グループの練習で、忙しい日々だった。
そして、ライブ前日、アイドルと、バンドのメンバーを、乗せたバスが事務所を出発した。みんなで、雑談していたが、途中から、話題も、少なくなり、1人2人と眠りについた。すると、微かに泣き声が、聞こえた。恵奈はその方を、見ると美幸だった。恵奈は、小声で、
「どうしたの? 美幸。こっちにおいで」
と言うと、美幸は、隣に座った。
「私、今回みたいな、大きな会場は、初めて。しかも、観客も今までより何倍も多い」
「そうだね。でも、いつも通りやれば、大丈夫」
それを、聞いていた、能田は、
「美幸。安心しろ。お前たちも、俺たちも恵奈がいるんだ。恵奈が、美幸に恥をかかせたことがあるか? いつも美幸の後ろには、恵奈が、ついているだろ」
「私だって、初めてのことだらけで、そんな余裕は、ありません」
「いいんだよ。恵奈が、いるってだけで、みんなが安心できる。俺たちは、ずっと美幸たちが羨ましかった」
「それじゃ、私は、誰を、頼ればいいんですか? 」
「悪いが、恵奈は、自分で、何とかしてくれ。恵奈は、大丈夫だ。失敗は、しない」
「そうだね。恵奈に比べれば、私のプレッシャーなんて、どうってことない」
「安心したか? 」
「はい」
「それなら、ライブが始まるまでは美幸が恵奈についてやってくれ」
バスは、今夜宿泊する、ホテルに着いた。チェックインが、終わって部屋に入ろうとすると美幸も入ってきた。
「能田さんが、恵奈についているよう、言われたから」
「美幸って、1人で、寝るのが怖いんだ」
「違う。能田さんに、言われたから」
結局、美幸は恵奈の部屋で、寝ることになった。
翌朝、恵奈の機嫌は悪かった。美貴が、それについて、尋ねた。
「美幸って、最悪。昨夜、私の部屋で、寝たんだけど、布団は、取られるし、何回も蹴られて最終的にはベッドから、落とされた。お陰で、すっかり寝不足だから」
「だから、ごめんなさい。寝てる時のことを、そんなに、責めないでよ。全く、記憶にないんだから」
「仲良いな。シングルベッドで、2人で寝たりするからでしょ」
美貴は、笑いながら、言った。古池は、それを聞いて、
「美幸ちゃんは、まだ中学生だもんね。今夜は、2人はツインに、代えてもらうね」
「今夜は、私は1人で、ゆっくり寝たい。美貴が、美幸と寝たら」
「ツインなら、大丈夫だから、恵奈でいいでしょ」
「ダメ。じゃあ、美貴でいいじゃない」
「美幸も、恵奈の方が良いよね」
「私は、誰でもいいけど、そんなに、揉めることかな」
「じゃあ、じゃんけんしよ」
「それなら、早矢子も入れよう」
何も、事情を知らない、早矢子も、じゃんけんに加わった。負けたのは、恵奈だった。そこに、古池が来て、
「今夜、ツインは空きがないらしくて、ダブルにしたから」
「それなら、じゃんけんはやり直しだ。ツインなら、私だったけど」
「嫌だ。ダブルなら、昨夜より随分マシでしょ」
「どうでもいいじゃない。恵奈、今夜もよろしくね」
恵奈は、ぶつぶつ言いながら、ライブの打ち合わせに、入った。今日は、能田たちがアイドルの方の演奏もしてくれる。スタッフと、入念に話し合い、リハーサルをした。
楽屋で、少し遅い昼食を、摂るといよいよ、お客さんを迎えることになる。無名な、アイドルたちは少しでも名前を、覚えてもらうため、出迎えることにした。すると、アイドルの方には興味ないと、無視していく人も多いが中には、動画を見て好きになったと、握手を求める人もいた。また、恵奈の前に来てバンドのボーカルに、なったことに、不満を言う人もいたが、期待していると、言う人もいた。
楽屋に、戻ると坂村と千代から、花が届いていた。2人とも、行けないけど、頑張れとのメッセージがついていた。それを、じっくり読み感傷に浸る、暇もなくステージに、上がった。まずは、アイドルの恵奈だ。4人で、出ていくが、観客の反応は、あまり良くない。そして、バンドメンバーが、出るとほとんどの人が、歓声を上げた。やはり、予想通り、観客のほとんどは、アイドルの方の観客ではなかった。それでも、落ち込んではいられない。
演奏が、始まって、4人が歌って踊って、ステージを駆け回った。徐々に、観客のノリも、良くなってきた。3曲終わって、美幸がメンバー紹介をした。そして、併せてバンドメンバーの紹介も、終わらせると、再び演奏が始まる。それからは、ぶっ通しで開始から約1時間のところで、MCになった。この頃には、半分以上の観客の心は掴めていた。そして、急に話を振られた能田が、
「俺たちが、作ったアイドルソングも、悪くないだろ。最後まで、全部そうだから楽しんでくれ」
と言ったことで、残りの観客も反応した。そして、ここからは、観客と一体になった。その分、メンバーのテンションも、上がって、アンコール待ちで楽屋に、引き上げた時には、みんながいつも以上に、疲れていた。
「恵奈、大丈夫? 」
みんなが、これからが、重要な恵奈を気遣う。
「もちろん。能田さん、ありがとうございます。今日は、すごく楽しいです」
「わかっていると思うけど、恵奈はこれで終わりじゃないぞ」
「頑張ります」
恵奈は、恒例になった、締めのソロも心地よく歌った。
楽屋に、戻ると安心している、美幸たちの表情が羨ましかった。しかし、もうどこにも逃げられない。覚悟を決めて、ステージに、上がった。アルバムの順番通りに、とりあえず、5曲歌った。観客は、ほとんど1曲目から受け入れてくれたようで、盛り上がった。
「はじめまして。と言っても、さっきまで出ていた中から年齢順で4人が残りました。このバンドのボーカルになりました、松川恵奈です。よろしくお願いします」
ここから、6曲は以前のナンバーだ。ある意味、昔からのファンに受け入れてもらえるか試金石になる。ここからは、恵奈は、ステージを動き回った。メンバーとも、接近して肩を組んだりした。そして、MCになった。ここは、能田の出番だ。
「俺たちの新しいボーカルは、どうだ? 」
能田は、観客の声を待った。
「最高」
と言う、声が聞こえて能田は続けた。
「そうだろう。恵奈を、ボーカルに決めた時、俺たちにはどうして高校生のアイドルなんかをと言われた。でも、俺たち以上に、酷い言葉を、言われていたのは、恵奈だ。だから、恵奈の歌声を早く届けたかった。もう、誰にも文句は、言わせない。俺たちのボーカルは、恵奈だ」
能田は、そう言うと、ギターを鳴らした。再び、アルバムの曲に戻って、7曲を歌うと楽屋に戻った。藤永が、
「恵奈ちゃん、良かったよ。ごめんね。俺も、今まで、高校生のアイドルとしか、見てなかったんだね」
「それも、事実なので、仕方ないことです」
「恵奈。アンコール行くぞ。この声、いつもより、だいぶ大きいぞ」
再び、恵奈がステージに立つと、観客は、すごい歓声だった。
「アンコール、ありがとうございます。私、このバンドのボーカルで、いいですか? 」
恵奈が、大きな、歓声に頷くと演奏が、始まった。アンコールは、人気のある、メッセージソングを、3曲並べた。能田の狙いは、恵奈の歌声で泣かせることだった。その通り、涙を、流している、観客も多くなった。恵奈は観客に、出来るだけ近づいて、歌詞を心に突き刺した。
打ち上げも、合同で近くの居酒屋だった。恵奈たち、学生のために食事メニューも豊富だ。そして、話題は恵奈に、集中した。しかし、恵奈は、
「今日は、ごめんなさい。終わったら、ホッとしたのか眠気がすごいです。食べたら、戻っていいですか? 」
とテンション低い。そして、食べ終わると、本当にホテルに戻った。美幸も、
「私も、同じ部屋だから、帰ります」
と言って、ついてきた。もう、いつでも、眠れるしダブルベッドだから大丈夫だろうと風呂に入ってすぐに寝ようとした。ところが、美幸は、興奮して、眠れないのか、しょっちゅう話しかけてくる。しかも、ベッドに腰掛けて、激しく、動くので、その揺れで、眠れない。しばらくして、ようやく寝ることにしたようだ。
翌朝も、恵奈の機嫌は、悪かった。
「昨夜、あんなに、早く帰ったでしょ? 」
「だって、熊が出てきたから、眠れなかった」
それを、聞いた美貴は血相を、変えてどこかへ、走っていった。横で、聞いていた美幸が笑いながら、
「熊なんて、どこにいた? 」
「美幸の夢の中」
「そんな夢、見てない」
「じゃあ、何が、出てきたらあんなに、暴れるの? ダブルベッドだと、暴れ方も2倍じゃない」
「そんなに、酷かった? まあ、寝てる間のことだから、許してよ」
美貴が、古池を連れて戻ってきた。
「熊が、出たんだって? 」
「はい。美幸の夢に」
「だから、多分そんな夢は、見てない」
「なんだ。そんな話か」
「なんだじゃないですよ。何回も蹴られて、ダブルベッドから落とされたんですよ。熊でも、出てきたとしか思えません」
「まあ、本物の熊じゃなくて良かった」
「よくないですよ。また、寝させてもらえなかったんですよ」
美貴は、そのやりとりを、笑っていた。恵奈は、
「今度から、美幸と一緒に寝るのは、美貴ね」
と言った。美貴は、
「ベッドから、落とされたら、私なら怪我する。だから、恵奈でいいじゃない」
「私が、怪我したら、どうするの? 」
「恵奈は、2晩連続でも、大丈夫だったからきっと、怪我しない」
恵奈は、ふくれっ面で出かけた。ライブハウスのスタッフに、お礼を言うためだ。みんなが、後を追った。恵奈は、スタッフの心も、掴んだようで、
「このライブハウスでも、過去にない、盛り上がりでした。松川さんたちのまたのお越しをお待ちしております」
全員が、スタッフと握手して、帰りのバスに、乗り込んだ。恵奈は、後ろの方に座って眠った。
後日のバンドの練習で、初めて、合同ライブでのことをゆっくり話した。能田たちの評価は、非常に良かった。
「ありがとうございます。でも、ファンの方たちが、どう思ったか心配です」
「あれ? ライブのコメントとか、見てないの」
「私、そういうのは、見ないんです。どうせ、アンチコメントが、多いと思いますので」
「そんなのは、ほとんど、見なかった。会場の反応も、良かった」
「アイドルの方も、良いコメントが、ほとんどだったよ」
「本当に、恵奈ちゃんは、すごいや。能田くんたちも、見る目あるな。アイドルとしては、あまり目立ってないのに」
高本は、興奮気味にそう言った。
「アイドルの時も、ちゃんと聞けば、恵奈の歌唱力は際立っていますよ」
「そう言われても、ほとんどバックコーラスじゃない。声も、だいぶ抑えているよね」
「私たちは、美幸が、中心のグループですから」
「それにしても、恵奈ちゃんの活躍が、ソロだけなんて、もったいない。コメントにも、あるようにバンドだけに絞ったら」
「私、アイドルでは、ダメですか? 」
「恵奈ちゃん、かわいいし、アイドルでもいいんだけど、掛け持ちは大変じゃないかと」
「まだ、バンドの方は、1回ライブをやっただけです。まだ、正式なメンバーとして認めてもらったとは、思っていません。それに、アイドルは、あのメンバーで長くやってきたので、愛着があります」
「高本さん。そのことは、もう少し恵奈に決めさせるのは待ってやってくれ。案外、女優になるかもしれないし」
「これはまた、意外な選択肢」
「えっ、高本さん、知らないの? 夏に、特別ドラマで準主役をやって話題になったのに」
「俺は、テレビはもう、観なくなったから」
「それでも、若田千代は、知っているでしょ? 若手人気女優の」
「映画は、観に行くから、知っている。最近、観たのにも、出ていたけど、演技上手くなったよね」
「それも、恵奈ちゃんのおかげだよね? 」
「西岡さん、それは言い過ぎですよ。千代ちゃんは、トップ女優ですよ」
「でも、この前も、花が送られてきたよね? まだ、交流はあるんだ」
「LINEは、今でも送ったり、送られてきたりです。千代ちゃんは、忙しいから、会えませんけど」
「あっ、あの大きな、花束か。恵奈ちゃんに、送られてきたんだ」
「一応、そうでした。忙しいのに、手書きのメッセージまで、添えていただいて。嬉しかったです」
「あの子、そんなことするの? 何か、性格悪いって有名じゃなかった」
「高本さん、情報遅い。恵奈ちゃんと、共演してから性格変わったって話題になったのに」
「それも、言い過ぎです。演技初心者の私にも、優しく教えてくださいました」
「うちの事務所は、そっちも、あるからね。でも、できればバンドに居てほしいな」
「大丈夫ですよ。おそらく、演技の方は、あれ以降、全く話がないですしこっちに住んでいれば、なかなかチャンスもありませんから」
とりあえず、恵奈は、メンバーからの評価を喜んだ。
つい先日まで、あると思っていなかった、演技の話がきた。夏のドラマの評判が、良かったため冬に続編を放送することになったのだ。もちろん、今回も千代が、主役だ。そして、恵奈が準主役で、アイドルメンバーも出演する。恵奈は、バンドメンバーになって、まもないこともあり、迷っていたが、事務所の後押しと、千代からの熱心な、誘いもあり、出演を決めた。
そして、ついに、千代との再会になった。千代は、メンバー1人1人と抱き合って喜んだ。
「みんな、着実に成長しているね。特に、恵奈なんて、ロックバンドのボーカルも始めるなんて、すごい」
「まだ、1回ライブやっただけだから、いつ、クビになるか、わからないけど」
「そんなことないでしょ。ライブのコメントも、絶賛だったじゃない」
「恵奈は、どうせダメ出しされてるからって、そういうの見ない」
「もったいない。そんなのないのに。まさか、私が恵奈のこと言っている、テレビとかも見てくれてない? 」
「見てるよ。でも、千代ちゃんほどの人が、私なんかのことを、言ってくれるのが、信じられなくて他人のことのように、聞いてて、後で気づく」
「なんで。私の友人に、恵奈なんて、1人しか居ないのに」
「でも、千代ちゃんみたいな、一流女優が、本当に私と共演したのかと、思ってしまう。LINEだって、私からのメッセージが、本当に届いているのか、不安になる」
「なかなか、すぐには返信できないけど、ちゃんと返しているでしょ? 」
「そう。それで、初めて届いていたんだと、安心する」
「恵奈だって、着実に、スターに近づいているじゃない。それに、恵奈が女優を目指したらすぐに私を追い越すかも」
「そんなわけない。また、千代ちゃんに迷惑かけると思うけどよろしく」
「みんなも、また遠慮なく、楽屋に来てね。楽しい話を、いっぱいしよう」
そこへ、台本が、配られた。みんなが、早速、パラパラめくる。
「やっぱり、恵奈の演技が、認められたんだ。前回より、出番もセリフもだいぶ増えてる」
「そんなわけじゃないと思うけど、たしかに多い。大丈夫かな」
「なんか、私と恵奈が喧嘩するんじゃない? 私、恵奈を叩かないといけないみたい。痛くても、怒らないでよ」
「私、千代ちゃんに、叩き返すみたいだけどそんなのできない」
「大丈夫だから、思い切りやって。じゃないと、OKにならない」
恵奈は、しばらく、悩んだ。いくら、芝居でも、誰かを叩くなんて、できない。ましてや、大好きな女優の千代になど、できるはずない。
恵奈の気持ちは、関係なく、その撮影の日がやってきた。恵奈は、千代の楽屋にいるが何も喋らず元気がない。
「恵奈。本当に、思い切りやって、構わないから」
「そう言われても」
ついに、2人が呼ばれた。そのシーンに、なる前から恵奈の表情が暗くて何度もNGになった。なんとか、OKが出て、次のシーンになった。千代が、恵奈を、容赦なく叩いた。しかし、恵奈にはできない。そして、恵奈は泣き出した。千代に、叩かれたのが、痛かったからではない。
「私が、千代ちゃんを、叩くなんて、できません。私は、何回叩かれても、構いませんのでそうしてください」
すると、千代が恵奈の左右の頬を、叩いた。いわゆる、往復ビンタだ。スタッフも、呆気に取られて見ていた。
「すみません。少し、休憩にさせてください」
千代は、そう言って、恵奈を楽屋に連れて行った。
「恵奈。女優をやっていると、自分がやりたくなくても、やらないといけない場面がたくさんある。今回、このシーンは、結構重要だよ」
「それはわかるけど、千代ちゃんと違って、私は女優じゃない」
「なんでそんなこと、言うの? 私は、恵奈は、最高のアイドルで、女優だと思っているよ。ボーカリストは、まだ、見たことないから、わからないけど。私を、一番やる気にさせた、女優だよ。私の親友で、最大のライバル。たとえどんなに、痛かったとしても、私と、恵奈の関係は、変わらない。アイドルの時なんて、どんなに悲しくても、辛くても笑顔を、見せているでしょ。さあ、行こう」
恵奈は、また千代に、連れて行かれた。そして、次は千代に叩かれた後、叩き返した。その音は、スタジオ中に響いた。OKが、出ると、千代は、
「恵奈、痛い」
と恵奈を、抱きしめた。
「ごめんなさい」
「いいよ。演技だから、仕方ない。多分、いいシーンになったよ」
実際、このシーンは、スタッフからも、賞賛された。これを、乗り切ると、後の撮影は順調に進んだ。
今回も、撮影中にライブの予定が、入っていた。もちろん、撮影は休みだし、千代も招待した。
「恵奈たち、移籍してから動画が上がらないので、自分で行くしかないから、困っていた。ロックボーカリストの恵奈が、初めて、観れる」
と千代は、はしゃいでいた。なので、恵奈が来てほしいと言っていた時間より随分早く会場入りした。とりあえず、恵奈は千代に、バンドメンバーを、紹介するが、
「アイドルグループのライブで、演奏していた、人たちだ」
「えっ、知っているんだ」
バンドメンバーは、みんな、喜んだ。まさか、人気女優が自分たちを知っているとは思っていないだろうから当然だ。
「私は、恵奈の大ファンだからアイドルグループも大好きで動画を結構見た」
「じゃあ、ロックバンドの方も好きになってもらわないとな」
「ボーカリストの恵奈ちゃんも、最高なんだよ」
「ステージを駆け回ってもちゃんと、歌詞を伝えるから」
「やめてください。今回は、練習不足だから、とても不安なんです。あまり、プレッシャーかけないでください」
「そんなこと言いながらも、きっちりやるのが、恵奈だよね」
「千代ちゃんに、言われると、余計にプレッシャーが」
「大丈夫」
みんなが、そう言う。人の気持ちも、知らないで。
しかし、ステージに、立った恵奈は圧巻だった。歌でも、ダンスでも観客を魅了した。途中で、ステージに上がった、千代は、ロックバンドの時に、
「恵奈は、歌も、ダンスもおまけに芝居まで上手くてずるい。私は、こうなったら芝居だけは絶対に負けない」
と言うので、千代の人気を、心配して、
「私が、いい演技をしたとすれば、一から教えてくれた、千代ちゃんのおかげ。私なんて、千代ちゃんの足元にも及ばない」
と恵奈が、言った。千代は、恵奈を抱きしめて、
「恵奈は、親友だけど、私の最大のライバルです。みんな、もっと恵奈と恵奈が所属する2つのグループを応援してください。どっちも、全国に出て行かないといけない、グループだと、私は思っています」
それ以降は、会場の雰囲気も、最高潮になった。ここから、恵奈が本領発揮して、ステージを、駆け回ったこともあるが。
今回の打ち上げは、当然千代も参加した。と言うことで、個室がある料亭での開催だ。そして、今回も急遽泊まることになった。みんなが、今日のライブの話で、盛り上がる中、恵奈は気が気じゃない。恵奈は、日帰りを希望していたが、みんなの総意で、泊まることになったからだ。古池が、
「恵奈ちゃん、良かったね。今日は、ツインが空いてた」
と言うと、恵奈は、胸を撫で下ろした。
「じゃあ、今日は、誰が、美幸と寝る? どうやって、決めようか」
古池は、すかさず、
「それは、もう恵奈ちゃんに、決まったよ。多数決で」
「私は、そんなの知りません。じゃあ、早矢子に、1票お願いします」
「すでに、恵奈ちゃんに3票入ったから、決まってしまったんだ」
「私は、明日も、撮影があるんですよ」
「明日は、私たちも、撮影だもん。まあ、恵奈に決まったんだし諦めよう」
「何言ってんのよ。そもそも、美幸の寝相が、悪いせいでしょ」
「まあ、ツインだから、大丈夫だよ」
恵奈は、悲しい顔をした。すかさず、千代が、
「恵奈。なんて顔をしてるの? せっかく、恵奈を、べた褒めしているのに全く聞いてないよね」
「ごめんなさい。ちょっと、それどころじゃなかった」
「ライブの打ち上げでしょ? その話をしようよ」
「それよりも、今夜誰が美幸と寝るかが、私たちには、重要で」
「どうして、美幸と寝るのが、そんなにいけないの? 」
「だって、美幸の寝相の悪さは、ひどいんだもん。尋常じゃない」
「そうなの? 」
「そんなに、ひどくないはず」
「そんなの本人には、わからないでしょ? 」
「まあ、わからないけど、かわいい後輩の美幸のためなら、恵奈が我慢すれば良い」
「普段は、かわいいけど寝てる時は、全然可愛くない」
千代からも、言われてしまい恵奈は、すっかり剥れていたが、突然、
「そういえば、千代ちゃん。私を、べた褒めしていたって、言うのを、聞かせてよ」
「恵奈は、アイドルでも、ロックでも、どっちも良かったよ」
「それだけ? もっと、具体的に」
「忘れた。くだらない話して、聞いてないのが、悪いでしょ。でも、恵奈がこの怖そうなバンドの人たちと一緒にやれるのか、心配していたけど、みんないい人ね」
能田が、すかさず反撃した。
「若田さんは、週刊誌やネットで、性格が悪いって書いてあったから恵奈と共演して大丈夫かと思っていたがそんなことなくて、安心した」
「能田さん、きついな。実際、恵奈と出会う前はそうだった。恵奈は、羨ましい。才能があって、性格いいから周りに、いい人が、どんどん、集まってくる」
「千代ちゃんが、週刊誌とかで、取り上げられるのは、人気があるから仕方ないと思う。とりあえず、表紙に千代ちゃんの名前が、載っていると買ってしまう」
「恵奈って、そんなの買うんだ。LINEしてても、そんな感じのこと全然聞かないのに」
「千代ちゃんなら、モテるのはわかるし、誰とでも、付き合えるだろうなと」
「あんなのほとんど、嘘だから。私が、ちょっと、男の人と、喋っただけで付き合っているとか書かれてしまう」
「人気者は、辛いね」
「恵奈だって、もうすぐ、経験するよ」
「そうなれるように、頑張る」
千代に、励まされ恵奈は、気持ちよく、ホテルに戻った。
翌朝の恵奈は、また機嫌が、悪かった。古池が、
「恵奈ちゃん、どうしたの? ツインだから、大丈夫だったでしょ」
「いつのまにか、私が寝ていたんですが、ベッドに美幸が来て、蹴り落とされました。しかも、場所を入れ替わったらまた同じ目に遭ったんです」
「だから、ごめん。きっと、寝ぼけていたんだよ」
「美幸ちゃんは、元気がいいんだ」
「そんな言葉では、済みません。冬休みには、ツアーだってあります。その時は、寝不足じゃあ体力持ちません」
古池は、高本と話した。そして、
「恵奈ちゃんに、もう一人、女性のマネージャーを、つけるように事務所に交渉してみるよ」
「私みたいな、何も、結果を、残していない者には贅沢すぎます」
「大丈夫だよ。恵奈ちゃんなら、すぐに結果を出してくれる」
そう言って、古池は電話をかけた。割と、早く話は終わったようで、
「恵奈ちゃん、良かったね。なるべく、早く、用意するって。きっと、事務所も、恵奈ちゃんには期待しているんだ」
移動のバスで、恵奈は眠っていたが目を覚ますと古池が、
「恵奈ちゃん、おはよう。新しい、マネージャーが決まったよ。古田優佳。ちょっと、ミーハーなところがあるので、よく恵奈ちゃんに、付いてくれることになったと、不思議に思うけど、仕事はやってくれるはずだから」
「わかりました。ありがとうございます」
「えっ、古田。俺は、あまりいい印象じゃないな」
「どうしてだ、高本」
「あいつ、俺のポジション、狙っているんだ。多分、能田くんか誰かに興味あると思う」
「まあ、仕事は、できるから、問題ないだろう」
「でも、女性についた時は、だいたい、短期間で、担当を外されてる」
「恵奈ちゃんなら、わがままは、言わないから、大丈夫だろう」
「そうだけど、恵奈ちゃんの負担に、ならないといいけど」
「どんな方か、わかりませんが私のために、こっちに来てくださるので、ありがたいです」
「おそらく、恵奈ちゃんが、撮影している頃に、到着すると思うからよろしく」
恵奈は、自分のマネージャーを、事務所が付けてくれたことが、期待の表れのようで、嬉しかった。
恵奈が、撮影の休憩に入った時に、優佳はタクシーで到着した。古池が、千代の楽屋に、恵奈を呼びに来た。
「恵奈ちゃん、古田が到着したのでちょっと、抜けられない」
「わかりました。行きます」
「誰? 」
「古池さんと、高本さんが私のマネージャーを事務所にお願いしてくれた。ちょっと、迎えに行ってくる」
「待ってよ。恵奈のマネージャーなら、私もあいさつしておかなくちゃ」
恵奈の後を、千代と美幸たちも追った。優佳は、タクシーから降りてトランクの荷物を、運転手に降ろしてもらったところだった。優佳は、美人だが冷酷な、顔にも、見えた。
「お疲れ様でした。私が、松川恵奈です。これから、よろしくお願いします」
恵奈に続いて、千代たちも、それぞれあいさつした。すると、優佳はニコリともせず、
「私は、古田優佳。それじゃ、恵奈。あんた、私の荷物を持って、楽屋を案内しなさい」
「ちょっと。なんで、恵奈がマネージャーの荷物を、持たないといけないの? おかしい」
「千代ちゃん。古田さんは、急にここまで来ることになったから、疲れているのよ」
「恵奈だって、疲れているでしょ。あんた、それでもマネージャー」
恵奈は、優佳の荷物を持って、千代の後を、追った。優佳は、振り返って、
「若田さん、あなたのように売れていれば、なんでも、マネージャーに、頼む権利はある。でも、恵奈。あんたはまだ、そんな立場じゃない。わかっているでしょ」
「はい」
「いや、だからって自分の荷物をタレントに持たせるのはおかしい」
優佳は、恵奈にビンタして、
「恵奈。あなたが、若田さんと、親しいなら黙らせなさい」
「申し訳ありませんでした。千代ちゃん、私のために言ってくれたと、思うけど大丈夫だから」
恵奈は、優佳を案内するため、先頭を歩いた。楽屋に、着いて荷物を、置くと優佳は、
「さすが、売れないアイドルね。4人で、こんなに、狭いところを、使っているの? 」
「はい。でも、みんながだいたい、千代ちゃんの楽屋に、行っているので、ここはほとんど、荷物置き場です。私もまた、行ってきます」
「ダメ。あんたみたいな、売れないアイドルがいっちゃいけない。迷惑だと、思わないの? 私は、今まで女性アイドルも、見てきたけどだいたい、礼儀知らずで躾もされていない。今日から、私が徹底的に、教えてあげる」
「ありがとうございます。しかし、私たちが千代ちゃんに頼んだりしたわけじゃなく、来てくれって、言われています」
恵奈は、早くも2回目のビンタを食らった。そこへ、古池さんが来て、
「恵奈ちゃん、珍しくここにいたんだ。出番だって」
「はい。わかりました。今行きます」
恵奈は、1人で撮影場所に、移動した。優佳と、古池は話しているようで来ない。すでに、そこにいた千代は待ち構えたように、
「恵奈、どうして、戻ってきてくれなかったの? まさか、あのマネージャー」
「そう。迷惑かけるから、行くなって言われた」
「嘘でしょ。私、恵奈と喋らないと、調子悪くなってしまう」
「まあ、千代ちゃんのことだから、それは、無いと思うけど」
「本当だって。私、恵奈と普段から、一緒にいるから、阿吽の呼吸で、演技ができているのに」
それは、嘘ではなかったようで、確かに、少しずつ2人の演技に、若干のズレを、恵奈も感じた。しかし、スタッフには、気づかれない程度だったようで、NGにはならなかった。
その日の帰りは、恵奈だけが優佳のタクシーに、乗り込んだ。恵奈は、窓の外を眺めている優佳に懇願した。
「やっぱり、撮影中は、千代ちゃんといさせてください。そうでないと、演技でも上手く呼吸が合わないんです」
「それは、あんたが、下手だからだ」
「それは、認めます。ですから、お願いします」
恵奈は、頭を下げて、あげた瞬間、またビンタされた。それ以降、車内には沈黙と重い空気が漂った。そして、優佳が、宿泊する、ホテルに、到着した。恵奈が、
「お疲れ様でした」
と言うと、優佳は、
「私の荷物を、持たずに、帰ろうと思っているのか? ここで、一旦降りるんだよ」
「タクシーは? 」
「待ってもらうのも、気の毒だ。お金を払って、帰ってもらえ」
恵奈が、支払いをする間も、優佳は、常識知らずとか、ぶつぶつ言っていた。恵奈は、部屋に荷物を運ぶと、優佳は、
「お疲れさん」
とだけ言った。
「お疲れ様でした。あの、私はどうしたらよろしいでしょうか? 」
「タクシー呼ぶとか、泊まるとか、自分で考えろ。子供じゃないんだから」
恵奈は、優佳の部屋から、追い出された。ホテルのロビーで、タクシーに、電話するが田舎ではもう走っていない。明日は、学校に行かないといけないので、家に帰らないと。仕方なく、ホテルを出て、歩き出した。ここからだと、1時間はかかる。街灯も、ほとんどない、暗い道を歩いていると、1台の車が、止まった。そして、窓が開いた。目を、背けて通り過ぎようとすると、
「恵奈ちゃん」
「古池さんでしたか。すごく、ドキドキしてしまいました」
「とりあえず、乗って」
恵奈が、乗り込むと、古池の車は走り出した。古池は、恵奈たちのためにこの街にアパートを借りている。
「恵奈ちゃん、ごめんね。俺は、古田があんなやつだと、思わなかった。事務所に、また別の人を派遣してもらうよう、頼んでおくよ」
「それは、お断りします。私のために、働いてくれる方をそんなにコロコロ変えたくないです」
「古田は、恵奈ちゃんのために、働くような、気がしない。どうして、恵奈ちゃんの担当になろうとしたのか、理解できない」
「少なくとも、こんなところまで来ていただいたので感謝しています」
「ただ、来ただけで、恵奈ちゃんが感謝するようなことは何もしていない」
「古池さん、ここで良いです。コンビニに、寄りたいです」
古池は、コンビニの駐車場に、車を止めた。恵奈は、お礼を言って、車から降りた。
翌日、恵奈は、学校から直接撮影場所に、向かった。古田から、特に、連絡がないため、1人でバスに乗った。そして、そこに到着した時、古田から電話があった。
「あんた、今どこにいるの? 」
「撮影場所に、着いたところです」
「私は、あんたが、学校が終わるのを、待っていたのよ。何も、連絡せずに単独行動するとはどう言う事? 」
「申し訳ありませんでした」
「早く、迎えに来なさい」
「でも、もうすぐ撮影が始まります。無理です」
そう、言っている時に電話は切れていた。恵奈は、どうすべきか考えていると千代に会った。
「恵奈、来てたんだ。お疲れ。今日は、マネージャーは? 」
「それが、私が迎えに、行くのを、待っているみたいで」
「そんなの無理に、決まっている。そんな、マネージャーは、ほっといて着替えてきたら。楽屋で、待っている。みんなも、いるよ」
「うん」
恵奈が、煮え切らない返事をしたところに古池が来た。
「恵奈ちゃん、古田は? 」
恵奈は、事情を説明すると、
「何を、やっているんだ。俺が、行ってくる」
と言って、駐車場に向かった。恵奈は、着替えて、千代の楽屋に行った。
「もう、撮影の時間だね。千代ちゃん、行こう」
「まだ、大丈夫だから話をしよう。実は、昨日の撮影で、ほかの人は気づかなかったかもしれないけど恵奈との息が、微妙に、合ってないように思ったの。それで、少しだけ、しゃべる時間が欲しいとお願いした」
「やっぱり、千代ちゃんもそう思ったんだ」
「さすが、恵奈だね。気づいたんだ」
「でも、どうしよう。マネージャーに、千代ちゃんと話す時間が欲しいとお願いしたら私が下手だからだと言われた」
「困ったものね。なんとか、考えてみる」
撮影が、はじまって、最初の休憩の時、優佳が来ているのに気づいた。優佳は、恵奈を睨んでいた。
「古田さん、申し訳ありませんでした」
優佳は、無言で、恵奈の腕を引っ張って、楽屋に連れて行った。そこに、入ると恵奈はビンタをされた。
「あんたは、マネージャーを、ほっといて単独行動するの? 」
「本当に、申し訳ありませんでした」
そこへ、古池が入ってきた。
「古田。お前は、何をやっているんだ。恵奈ちゃんは、何も悪くないだろう。昼間に、レンタカーでも借りて恵奈ちゃんを、迎えに、行かないといけないだろう」
「レンタカー屋さんが、どこにあるのかわからなかったから、恵奈に案内してもらうつもりだったのにこいつは」
「そんなの自分で、調べられるだろう。なんでも、恵奈ちゃんを、頼りにしすぎだ」
「だって、こんな田舎では、車がないと、どこにも、いけないじゃないですか? タクシーも、すぐには捕まらないし、料金も、もったいない」
「恵奈ちゃんだって、車どころか、免許もない。それに、タクシー代は領収書が有れば事務所が払ってくれる」
「私、そんなに給料もらってないので、ここまでの旅費や、ホテル代まで立て替える余裕がないです。だいたい、恵奈みたいな、まだ売れてもいないアイドルが、私よりも給料が、多いなんて許せない」
「お前は、知らないかもしれないが、恵奈ちゃんは、掛け持ちだから、アイドルとロックの給料を、社長が払うと言ったのを、安いほうのアイドルだけので、良いと言った。そして、ロックのほうで、もらえるはずだったのは、グループと、マネージャーに上乗せして欲しいと。実際、俺も、今月までは、そうなっていた。来月からは、お前が、もらえるんだぞ」
「実際に、もらってからじゃないと、恵奈なんかを信用できない」
「お前は、どうして恵奈ちゃんのマネージャーになったんだ? 恵奈ちゃんの可能性を信じていないのか」
「私は、恵奈の可能性は、信じていないわけじゃない。でも、能田くんのバンドのボーカルをやるのは、ファンとして、許せない」
「それが、目的だったのか。恵奈ちゃんは、ライブでもファンから受け入れられた。それが、気に入らなくてマネージャーになったなら、今すぐに、辞めろ」
「古池さん、私は古田さんが、言っている事は、正しいと思います。全て、私の実力不足のせいです。理由は、どうであれ、私のマネージャーは、古田さんで良いです。いつか、古田さんに、認めてもらえるよう頑張ります」
そう、言った時、早矢子が呼びにきた。恵奈は、撮影に戻って、千代と息のあった、演技をした。優佳は、遠くから、それを見ていた。
明日は、撮影がはじまって、2回目のライブの日。優佳が、マネージャーになってからは初めてだ。恵奈は、バスに、乗り込むと、優佳の隣に、座った。
「お疲れ様です。今日も、よろしくお願いします」
優佳は、いつもどおり、無言だった。それに、高本が、後ろを向いて言った。
「古田さん。恵奈ちゃんが、きちんとあいさつしているのに、無視は、ひどいんじゃない」
「バスに、乗ってきた時に、ちゃんとしたわよ。何回も、面倒くさい」
「以前、古田さんが、担当していた、アイドルが、あいさつしなかったって、怒っていたのを見たことある」
「それは、そうでしょ。だいたい、女性アイドルって、常識知らずで失礼だから、指導しておかないとマネージャーとして、恥をかく」
「それなら、マネージャーがそうだと、恵奈ちゃんが恥をかく」
「高本さん。古田さんは、私みたいに売れない、アイドルについていることが、恥なんです。私が、頑張って認めてもらうしか、ありません」
「恵奈ちゃんは、頑張っていると、思う。古田さんは、恵奈ちゃんのライブを見るのは初めてか? 」
「当たり前です。こんな、地方まで、ライブに、出かける暇なんて、ありません」
「そうか。じゃあ、ライブが、終わってからも、恵奈ちゃんにそういう、態度ではいられなくなる筈だ」
「今回も、撮影で練習が、あまり、できていないので、プレッシャーをかけないでください」
バスは、前回打ち上げをした、料亭に、着いた。今から、みんなで遅い食事会だ。恵奈は、メンバーの中では一番下座に、座った。能田が、それを見て、
「恵奈。どうして、そんなところに、座っているんだ」
「私、食事が、終わったら、練習しに、ライブハウスに行くから」
「じゃあ、俺たちも、行こうか? それより、ライブハウスは、大丈夫か」
「もう少し前に、電話したら、大丈夫だって。でも、能田さんたちは、来られなくていい」
「古田さん、良い仕事するな」
優佳は、苦笑いをしていた。そして、みんなに聞こえないように、
「おい、恵奈。今から、練習するなら、私にも言うべきだろう」
「すみません。でも、古田さんは、来られなくていいです。夜は、美幸の相手をお願いします」
「なんで、私が、あんな、ガキの相手しなきゃいけないんだ」
「美幸ちゃんは、まだ中学生だから、古田さんが一緒に寝るんだよ。恵奈ちゃんの練習は、俺が付き合う」
「高本さん、よろしくお願いします」
恵奈は、次々と、出てきた料理を平らげ、ライブハウスに急いだ。そこでは、スタッフが恵奈を温かく迎えてくれた。
「無理を言って、すみません」
「いいえ。恵奈さんなら、大歓迎です。また、恵奈さんの歌声が聞けるのを、スタッフ全員が楽しみにしていました。時間は、限られていますが、使ってください」
「ありがとうございます」
恵奈は、時間いっぱいまで、練習した。高本は、1曲ずつ拍手をした。スタッフは、時々作業する手を止め歌を聴いた。何度も、お礼を言って、ホテルに入った。
翌朝のホテルのロビーでは、優佳に、怒られている、美幸がいた。恵奈には、すぐに何があったのかわかった。優佳に、あいさつして少し離れた、ソファに、座ろうとすると、優佳に、止められた。
「恵奈。どこに行くの? 今日は、あなたと部屋を、交代するから、荷物を、移動するよ」
「一体、何があったんですか? 私も、美幸と寝るのは、嫌です」
「あいつ、遅くまで起きててやっと、寝たと思ったら、私のベッドに来て、掛け布団を取ったんだ」
「それだけですか? じゃあ、出てきたのは、もう毛皮になった、熊だったんですね」
「冗談言ってないで、さっさと、荷物の移動だ」
「すみませんが、嫌です」
優佳は、恵奈に、ビンタして、
「美幸は、お前と同じ、グループのメンバーだろう。どうして、私が一緒に寝ないといけない」
と言って、エレベーターに、乗せた。優佳は、マネージャーだから、恵奈の部屋を知っていた。迷うことなく、部屋の前に立つと、
「早く、開けろ」
と恵奈に、言った。
「ちょっと、待ってください。今夜も、この部屋のつもりだったので片付けます」
恵奈は、部屋の鍵を、開けて、中へ入った。優佳も、ついて入って、
「だらしないな。下着も、こんなところに。今日、グッズとして、販売してもらうつもりだったか? 恵奈の使用済み下着と、コスプレ衣装」
「すみません。これは、コスプレとかではなく、学校の制服です」
恵奈は、手早く、服などを、鞄に詰めた。その間も、優佳は恵奈に、何か言っていた。
「これで、よろしいでしょうか? 」
「早く、鍵を出せ。これが、私の荷物が、置いてある部屋の鍵だから入れ替えてこい」
恵奈は、優佳と鍵を、交換して、渡された、鍵の部屋に行った。恵奈は、ため息をついて、優佳の荷物を持って元いた、部屋に、持って行った。すると、優佳は、また恵奈にビンタした。
「部屋を、だらしなく、使っていた、罰」
「すみませんでした」
恵奈たちが、ロビーに、降りるとみんなが揃っていた。恵奈は、
「お待たせして、申し訳ありませんでした」
とみんなに、聞こえるように、言った。そして、まだ落ち込んでいる美幸に、
「今夜は、また、私と一緒だって。よろしくね」
と言った。美幸は、
「やっぱり、恵奈とが、一番」
と笑顔で、歩き出した。
ライブハウスに着くと、早速練習を開始した。まずは、アイドルの方だ。西岡は、
「やっぱり、恵奈ちゃんが、前にいるとやる気が、出る」
と言ってから、ドラムを叩き始めた。マネージャーの3人は、椅子に座って眺めスタッフは機材を調整しながら聞いていた。順調に、進んだため予定より、早く終わった。そのため、恵奈は、
「もし、迷惑じゃなかったら、私のソロを練習させてもらっていいですか? 」
みんなが、驚いた。美幸は、
「もちろん、良いけど、どうしたの? 」
と言い、能田も、
「恵奈、調子悪いのか? 」
と言った。
「今日は、久しぶりに、バラードじゃない。あの曲を、生音源で歌うのってタイミングが難しいかと思って。だから、少しだけでいいです」
みんなが、納得して演奏や、ダンスを始めた。恵奈の優しい歌声が、ライブハウスを包み込んだ。結局、恵奈は最後まで、歌い切った。
「途中で、止めるはずだったのに。ごめんなさい」
「あんなに、熱唱されたら止められないよ」
能田が、言って、みんながうなづいた。古池は、拍手しながら立ち上がって、
「恵奈ちゃん、今日も、よかった。じゃあ、休憩にしよう」
と言うので、みんなが、楽屋に入った。恵奈の隣には、優佳が、座った。
「私の歌、どうでしたか? 」
「アイドルとしては、合格かな」
「ありがとうございます。フルコーラスした、甲斐がありました」
恵奈は、配られた弁当を、開けた。
「うわ、美味しそう。いただきます」
恵奈は、早速食べ始めた。半分くらい、食べたところで楽屋に元気な声と共に千代が入ってきた。
「こんにちは。恵奈、来たよ」
千代のマネージャーは、大きな花を、持っていた。
「千代ちゃん、いつもありがとう。でも、来るの早すぎる」
「だって、恵奈のライブ、楽しみだもの」
千代は、そう言ってから、優佳を見た。優佳は、黙って立ち上がって、弁当を持って離れたところの椅子に座った。恵奈は、優佳が飲んでいた、お茶をそこに、運んで、
「すみません」
と言った。そして、千代の隣に戻って仲良く喋っていた。すると、能田が、
「恵奈は、大変かもしれないけど、2つのグループのライブの空き時間に、トークショーを、挟んでみたら」
と提案した。千代は、とても乗り気だったが、恵奈はそこまででもない。
「恵奈、やろうよ。私、恵奈のファンにお願いしたいことがある」
「それって、何? 私のファンなんて、少ないし。でも、間の時間がなくなると着替えもできなくなる」
「それぐらいの時間は、抜けても、構わないんじゃない。能田さん、やります」
「じゃあ、そうしよう」
恵奈の意見は、聞いてもらえず、リハーサルが始まった。千代も、マネージャーたちと並んでその様子を見ていた。
ライブは、今回も大成功だった。特に、前回は途中までノリが悪かったアイドルの方も開始早々から会場中が熱狂した。そして、ラストの恵奈のバラードは、会場から観客がいなくなったかと思わせるほど全員が黙って聴いていた。それが、終わって、再び拍手と大歓声の中、千代が登場した。美幸の進行で、ドラマ撮影の近況報告だったりをしている時に、千代が、
「恵奈のファンはもちろん、そうでない今日会場に集まっていただいた方にお願いがあります。私は、恵奈の大ファンです。歌っている時もそうですが、演技している時はそれ以上です。私は、恵奈とドラマをやって、成長させてもらいました。今回も、すごく良い作品になりそうです。ぜひ、ご覧いただき、ドラマとか俳優とかに、贈られる、賞があります。その中には、投票で決まるものもありますので、恵奈に1票お願いします」
と言ったのだ。恵奈は、まさか、千代がそのようなことを言うと思ってもみなかったので、驚きすぎて椅子から転がり落ちそうになった。その動揺した中、ロックバンドのボーカルとして熱唱した。それも、可愛いアイドルの衣装のままだった。
打ち上げでは、能田から、衝撃的な話があった。
「実はもう、新曲が、たくさん、できているんだ。一応、歌詞もあるけど何曲かは恵奈に書き直して欲しい。恵奈の言葉の方が、観客にも、伝わりやすいと思うんだ」
「私、歌詞なんて、書いたことない」
「だから、最初は手直し程度で、構わない。そうすれば、バンドに対しての愛着も湧くだろ」
「私、愛着を、持ってないように、思われているんだ」
「そうではない。このままじゃ、若田さんに、女優の世界に、引っ張られそうだから」
「そんな。いくら、千代ちゃんが、呼びかけても、私が賞なんて、獲れるわけない」
「恵奈は、私を信じてないの? 私は、本気で言ったんだよ」
「千代ちゃんが、そう言ってくれるのは、嬉しいけど私みたいな、素人には無理だよ」
「私だって、初めて、出た時は素人だった。そして、本当に下手だった。そんな、私でも、新人賞をもらった。恵奈なら、それを、もらうのに、ふさわしい」
「おっと。また、恵奈が女優の道に、行こうとしてる」
「私は、できるだけ、いろんなことに、挑戦したい。でも、やっぱり歌を中心にしたい」
「恵奈は、アイドルなら、許すがロックは、ダメだ。能田くんも、もっといいボーカルを、本気で探しなさい。恵奈は、アイドルと、女優の路線で、勝負させる」
遠くから、優佳が、口を挟んだ。かなり、酔っているようだ。能田は、冷静に、
「俺たちも、最初は男性ボーカリストを、探していた。だから、オーディションもやった。でも、床田は初めから恵奈の才能に、気づいていた。俺も、ほとんど、バックコーラスぐらいだから、全然わからなかった。床田が、どうして、恵奈のために、曲を作ったか、理解出来なかった。実は、恵奈とのツインボーカルを、想定して、作った曲もある。俺たちは、恵奈が、初めてソロを、歌った時にやっと、床田の言ってきた意味がわかった。あれを、聞かなかったら、適当な、男性を、ボーカルにしていたと思う。だから、古田さんは恵奈のこと気に入らないかもしれないけど、ボーカルを、変えるつもりはない」
と言った。優佳は、反論しそうだったが、何も言わなかった。
恵奈たちは、冬休みになって、2つのグループのツアーが、始まった。今回は、6つの都市を回ることになっていた。アイドルグループにとっては、初めてとなる。バンドの人気もあり、チケットは、完売した。今回は、どちらのグループも、新曲を携えていた。恵奈は、撮影が終わって、時間が限られていたため、一から詩を、書く、余裕がなかった。そのため、元の詩を手直しするか、誰かの協力を、得た。それでも、恵奈らしさは、表現されていた。それぞれのメンバーからも、曲の配信サイトでの評判も、良かった。しかし、恵奈は、
「やっぱり、全部じゃないとしても、自分の詩を自分で歌うのは、恥ずかしい。このツアーで、新曲の披露はやめよう」
と移動のバスで、言った。当然、全員が認めてくれるはずがなかった。
「それなのに、どうして、頼んでいない、アイドルの方の作詞までいじったんだよ」
「そっちは、美幸が、歌うから、気楽に作れた」
「じゃあ、新曲は、恵奈のソロバージョンにしようよ」
「美幸に、ハマる歌詞にしたんだから、私には歌えない。それに、私にはバンドの方もある」
「恵奈なら、3曲ぐらい増えても影響ないでしょ」
「とても、影響ある。今夜から、寝不足になるし」
「多分、それは、大丈夫。ちゃんと、対処法を調べてみた」
恵奈は、疑っていたが、美幸の自信に、満ちた顔を見て何も、言わなかった。やがて、バスは最初の会場に到着した。みんなが、バスを降りて、そこへ入った。大都市だから、規模も大きい。
「うわー。こんなに、大きなところに、満員の観客が、入るんだ」
「そうだね。私たちが、しっかり歌わないと、たくさんの人を、ガッカリさせてしまう」
「やめてよ、恵奈。プレッシャーをかけないで」
そして、リハーサルを、始めると広いステージに、苦戦した。古池が、動画を撮ってそれを観てみんなで少しずつ、立ち位置を、調節した。その甲斐あって、両グループとも、大成功だった。
打ち上げをして、ホテルに、戻った。美幸は、大きな鞄から大きい、熊の抱き枕を、取り出した。
「これがあれば、寝相が、よくなるはず」
「あえて、熊にしてるのが、心配だ」
「恵奈が、熊が出たって騒ぐから、そうなってしまった」
美幸が、熊を抱いて寝る姿はとても、可愛くていつまでも、見ていたかったが恵奈も寝ることにした。
翌朝、恵奈は、ニコニコしていたが美幸は、しょげていた。古池が、
「昨夜は、何もなかったんだね」
と言ったが、
「いいえ。いつも通り、熊に襲われました」
「ごめん」
美幸が、申し訳なさそうに言った。
「でも、本物の熊は、優しかった。顔も、可愛いし」
みんなが、何のことか、分からなかったので、美幸は、鞄から抱き枕の顔を出して説明した。
「寝相対策で、これを持ってきたんですが、効果なかったみたいです」
「そんなことない。昨夜は、1回しかベッドから、落とされてないし蹴りも、直接じゃないから痛くなかった」
そうしていると、次々とみんなが、ロビーに降りてきた。そして、示し合わせたように、
「何これ。可愛い」
と言った。美幸は、その度に説明をしていたが途中で面倒くさくなったようでやめてしまった。すると、優佳が姿を見せた。恵奈は、すぐに挨拶をした。そして、
「美幸の寝相が、良くなりましたが、今夜から、一緒の部屋にされますか? 」
「それはずっと、お前の役目だ」
それを、聞いていた、古池は、
「結局、古田は、恵奈ちゃんのマネージャーの役目を、全く果たしていないじゃないか。今朝だって、一番遅く集まるとはどう言うことだ」
「別に、集合時間に遅れたわけじゃない。それに、恵奈は私がいなくても行動できるように躾けてあります」
「そんなこと、お前がしたんじゃなく元々恵奈ちゃんは、しっかりしている」
「古池さんは、私には随分きついですね? 私だって、ちゃんとやっているのに、恵奈の肩ばかり持って」
「恵奈ちゃんは、事務所にとても期待されているんだ。その才能を、潰したら俺たちも、会社に居られなくなる」
「たしかに、恵奈は、少しは可能性があるかもしれない。でも、床田くんの後っていうのは、やっぱり認められない。事務所が、どうして、恵奈に期待するのか理解できない」
「それなら、恵奈ちゃんの担当を、やめればいい。メンバーだって、その気がないから諦めろ」
「古池さんも、古田さんも出発の時間です。私は、自分の身近な人に、批判してくださる方がいれば、怠けず頑張れる気がします」
恵奈は、そういって、優佳の鞄を持ってホテルを出た。
恵奈たちのツアーは、大成功だった。特に、恵奈たちが出演した、正月のドラマが放映されてからは反響がすごかった。正月休みで、それ以降の公演に、全て、駆けつけてくれた千代の存在も、大きかった。恵奈とのトークも息があっていて、盛り上がった。
そして、休む間もなく、恵奈が自由登校になると、バンドの単独ライブツアーに突入した。それに加えて、恵奈は、テレビ出演や、ドラマ、映画の依頼など多忙になった。それは、恵奈だけでなく優佳にも、日程調整に追われる日々を、与えた。
「恵奈。そろそろ、仕事を絞りなさい。なんでも、やりたいとか言って調整する方の身にもなってよ」
「すみません。でも、せっかくいただいた仕事を、あまり断りたくないんです。私を、高い違約金を払ってまで、拾っていただいた、事務所にも、恩返ししたいですし」
「あのね、恵奈。事務所は、充分、儲けているの。そんなこと、考えるなら私の待遇が良くなるようにして」
「一応、私からは、古田さんの給料や、休暇について、配慮をお願いしています。あっ、ようやく飛行機に乗れそうです。行きましょう」
飛行機に、乗って座席に、座った。
「また、エコノミーだ。もう少し、上のランクにはならないのか? ホテルや、新幹線にしたって」
「すみません。事務所は、少しなら、贅沢してもいいと言ってくださいますが、私にはまだ早いと思います。古田さんが、今まで、担当された方は、どんなタイミングで、そうされましたか? 」
「私が、担当した中で、売れたやつなんていない」
「じゃあ、我慢してください。古田さん、綺麗だから、自分が芸能人を目指せばよかったじゃないですか? 」
優佳は、少し間を開けて、
「私も、目指したよ。今の事務所に入って、いつか有名になると思っていた。それなのに、来る仕事は恥ずかしい格好で、テレビの端っこにいるようなのばかりだった。誰に、観られるわけでもないのに、笑顔でいないと怒られて、最悪だった。名前なんて、全く出ないのに」
「それで、私のように、同じ夢を持つ人のためにマネージャーに転身されたんですね」
「そこまでは、思っていない。でも、担当するやつみんなガッツがない。ちょっと、嫌なことや、辛いことがあると、やめていく。私が、ちょっと怒ると、マネージャーを変えろと騒ぐ。恵奈は、そんなことはないから、少しはマシだな」
「やった。古田さんに、褒められた」
「褒めてはいない」
飛行機を降りて、電車を乗り継いでテレビ局に着いた。今日は、新しいドラマのなんかで呼ばれた。優佳には、詳しく説明されたようだが、ツアーが終わった翌日で寝ぼけていて、よく覚えてないそうだ。恵奈は、東京のキー局に来るのは初めてなのでキョロキョロ見回すばかりだった。その上、緊張もしている。
「古田さん。私、どこに行けばいいですか? 」
「私が、知っているわけない。受付で、聞きなさい」
恵奈は、受付のお姉さんに聞くが、名が、通ってないため、なかなか信用してもらえない。しばらく、受付で止められていると、中田隆一郎が、
「恵奈ちゃん、遠いところ、ごめんね」
恵奈は、挨拶をして、呼ばれた理由を、尋ねた。中田は、恵奈が出演したドラマのプロデューサーだった。
「また、ドラマを、撮ることになった。それで、また、恵奈ちゃんと、一緒にやりたいと思って推薦してるけど、ほかのスタッフが、もう少し有名な人を、使わないと、視聴率が悪くなるっていうんだ。それで、主役はもう決まってしまったけど、準主役でと思っていたら、一回顔合わせしたいと。悪く言えば、面接みたいなものかな。でも恵奈ちゃんなら、大丈夫だよ」
「私を、推してくれた、中田さんのためにも、頑張りますが今回ダメだったとしてもまたお願いします」
通された会議室には、すでに4人が座っていた。恵奈は、入口で大きな声で自己紹介した。優佳も後に続いた。中田が、恵奈と優佳を席に案内して、座るよう促した。まだ、空いている椅子が8脚あった。とりあえず、今いる方が、恵奈に、世間話を振られて丁寧に、答えていた。すると、次々と人が入ってきてその度に、自己紹介した。
残りの椅子が、2脚になってからしばらくして、ドアが、開く音が聞こえた。恵奈は、そっちを見て、驚いた。
人気アイドルグループを、惜しまれつつ卒業して女優として、活躍している山川真子だった。恵奈の好きなグループで、その中でも憧れの1人だった。完璧すぎる、顔立ちや発言、そして仕草。恵奈は、もしかしたら、真子は現実には、存在せずAIが作り出したんじゃないかとも、思っていた。その真子が、目の前にいて、仕事を一緒に、できるかもしれない。恵奈は、俄然やる気になった。
自己紹介が、始まるが、恵奈は、真子以外はほとんど、耳に入らなかった。それが、終わると中田が、
「是非、今回のドラマで、山川さんのパートナーに、松川さんを使わせてください。彼女は、まだ経験は、少ないですが、演技もうまいですし、周りに気遣いもできます。きっと、皆さんの期待に応えてくれます」
と言った。恵奈も、中田がここまで、後を押してくれているし、真子とどうしても一緒に仕事をしたいので、
「私は、今回のドラマを、やってみたいです。まだまだ、演技も下手ですが、一生懸命頑張りますのでよろしくお願いします」
恵奈は、深々と、頭を下げた。すると、
「あなたみたいな、どこの誰かわからないような人は、何一つ失うものがないから出たいでしょうね。でも、私は視聴率が、悪かったら、A級戦犯にされて雑誌やネットで、叩かれるの。あなたなんかでは、私に0・1%も、貢献できない」
真子の声だった。恵奈は、憧れの人から言われショックだったが間違いではないので認めざるを得なかった。
「たしかに、山川さんのおっしゃる通りです。しかし、私は山川さんに憧れています。どんな、役でも構いませんので、出演させてください。お願いします」
恵奈は、再び頭を下げた。すると、中田が、
「松川さんは、たしかにまだ無名だし、名前で、視聴率を上げるのは無理ですが数少ない演技で貢献できる女優です。この可能性と、才能にかけてみてください」
「本当に、才能がある人なら、アイドルでも成功しているはずでしょう。なんでも、中途半端にやっているから成功するはずない」
「全て、山川さんのおっしゃる通りです。ですが、私はこのドラマは諦められません。どうかお願いします」
「あなたの必死さは、伝わった。でも、私に、憧れているとか、そんなことを言われて、じゃあ決定しますとはならないの。また、結果は、知らされるはずだから、今日はもう帰って」
恵奈は、選ばれないと、悟った。そして、最後に、
「わかりました。皆さん、今日はありがとうございました。ドラマ、楽しみにしていますので頑張ってください」
恵奈は、そう言って、また、頭を下げて部屋を出た。そして、優佳に、
「申し訳ありませんでした」
と言った。すると、すぐに、中田が出てきた。
「恵奈ちゃん、ごめんね」
「いいえ。こちらこそ、ありがとうございました」
中田は、小声で、
「恵奈ちゃん、山川真子に、憧れていたんだね。それなら、ショック受けたと思うけどじつはあんな子なんだ」
「山川さんが、言ったことは、本当のことです。私は、そこまで、言っていただいて益々憧れが強くなりました」
「さすが、恵奈ちゃんだね。まだ、ダメだって決まったわけじゃないから。正式には、また連絡するよ」
恵奈は、中田に何度もお礼を言って、別れた。
恵奈と、優佳は予定より早く日程が空いたので、事務所に寄った。すると、着いた途端に社員さんが一斉に、
「松川さん、ドラマ出演おめでとうございます」
と言った。恵奈は、聞いていないのでポカンとしていた。社員の神村さおいが、
「さっき、電話がありました。準主役だそうです」
「本当ですか? ありがとうございます。頑張ります」
「でも、松川さん、大変だと思いますので、体に気をつけてください。古田さん、しっかりケアしてくださいね」
恵奈は、優佳に向かって、言った。
「ドラマに、出演できます。ありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いします」
「どうして、私にお礼を言うんだ。わけわからん」
「古田さん、よかったですね。松川さんの担当になって。私も、マネージャーになろうかな」
「やめとけ。そんなに売れてもいない、芸能人にこき使われて、何も楽しくない」
「すみません」
「松川さんもそうですか? 私、松川さんのマネージャーなら喜んでやります」
「神村さん、ありがとうございます。古田さんに、見捨てられたらよろしくお願いします」
「まだ、我慢してやるよ」
そこへ、事務所の電話が、鳴った。さおいは、恵奈と優佳に申し訳なさそうな顔をして受話器を取った。電話の相手と、何か話していたが、保留して、
「お二人は、いつまでこっちにいらっしゃいますか? 」
「実は、今日の予定が、いつ頃までかかるかわかりませんでしたので、宿泊します」
「じゃあ、ちょうどよかったです。中田さんが、今夜食事でもとお誘いですが、代わられますか? 」
恵奈は、電話を代わった。そして、大丈夫だと、告げると店の名前を言われた。恵奈は、慌ててメモした。電話が、終わると、さおいは、
「タクシーを、呼びましょうか? 」
「まだ、時間もありますので、電車に乗って行きます」
さおいと、優佳は驚いた。
「タクシー代は、事務所で払いますよ」
「まだ、電車が動いているので、タクシーには、乗れません。そんなに、贅沢ができるような立場ではありませんので」
恵奈は、丁寧に挨拶して事務所を出た。
中田に、言われた店に到着した。そこは、大都会にいることを忘れてしまう位静かな場所の料亭だった。案内された、個室には、まだ誰もいなかった。しかし、椅子や箸などは6人分用意してあった。一体、他に誰が来るんだろうと思って、とりあえず、部屋の隅に、優佳と、正座をしていた。
しばらくして、中田とドラマの監督の早松恭太が、入ってきた。恵奈は、すぐに、
「この度は、大変、ありがとうございました。特に、中田さんには、私のために、ご尽力いただきありがとうございました。皆さんの期待に、応えられるよう一生懸命演じますので、よろしくお願いします」
と挨拶した。中田は、
「俺は、恵奈ちゃんが、出て行ってからは特に何も言っていないよ。恵奈ちゃんが、自分自身でチャンスを掴んだんだ」
と言うと、早松が、
「君のその礼儀正しさと、真っ直ぐなところをみんなが気に入った。まあ、決定権は真子が持っていたんだが」
「えっ。山川さんが、私を、選んでくださったんですか? すごく、嬉しいです」
「恵奈ちゃん、そんなところにいないで、椅子に座ったら」
「ありがとうございます」
恵奈が、座ろうとしたところに、早松が座っていた。恵奈は、早松と譲り合って下座に座った。その時、襖が開いて、真子が、マネージャーと入ってきた。恵奈は、椅子から立って、真子の前で正座した。
「山川さん、私を、選んでいただきましてありがとうございました。まだ、本当に素人レベルですので、ご迷惑をおかけいたしますが、よろしくお願いします」
「まあ、とりあえず座ってよ。お腹すいたし」
そう言われて、恵奈も椅子に、座った。真子は、上座に座ると、
「とりあえず、飲み物を、頼もうよ」
と言うと、それぞれ、飲みたいものを、言った。恵奈は、立ち上がってインターホンで注文した。
「松川さん、ありがとう。あなた、本当に、気が効くね」
「いいえ。この中で、一番年下ですし、仕事でも、何も実績がないので、当然です」
「それでも、松川さんにも、マネージャーさんが、いるじゃない」
真子は、優佳の方を見て、言った。
「私は、自分でできることは、なるべくやりたいです。マネージャーは、私のために毎日頑張っていますので負担を、少しでも、減らしてあげたいです」
そこへ、飲み物が、運ばれてきた。全員に、配られると真子が乾杯の音頭を取った。そして、料理が次々と運ばれてきた。
「美味しそう。いただきます」
恵奈が、一口食べると、真子が、
「松川さん、ごめんなさい。昼間は、少し言いすぎた」
「気にしないでください。山川さんは、間違ったことは、言っていらっしゃいません。でも、本当に私なんかでよかったですか? 」
「松川さんの情熱に、負けた。私は、アイドルグループに入って周りの人達に任せていても自然に仕事が入ってきた。でも、やっぱり最初は、人気もなかった。それでも、あなたのように仕事を求めて自ら行動することなんてなかった。松川さんは、偉いと、思ったし本気で、取り組んでくれると、確信した」
「本当に、ありがとうございます」
「それに、中田さんから聞いたけど、松川さんって若田さんと仲が良いでしょ? 」
「ドラマを、一緒にやってからよくしてもらっています。ライブにも、何度か来てもらいました」
「あんな人と、どうやったら仲良くなれるの? 私、できれば、若田さんとは、共演したくないのに」
それを、聞いていた、中田が割って入った。
「大したものだよね。やっぱり、恵奈ちゃんの人柄だよ。あのドラマの撮影が、始まった頃なんて俺もどうなるかと、思った。千代ちゃん、恵奈ちゃんに対して、相当酷いことばかり、言っていたし、誰かがミスしたらそれも全て、恵奈ちゃんの責任にした。それでも、恵奈ちゃんは、不満や愚痴を、言わなかった。ただ、ひたすら謝ってどうやったら、良くなるか聞いていた。そのうち、千代ちゃんが、恵奈ちゃんを、認めて今では、親友だもんね。あれ、ライバルだったっけ」
「私なんかが、そこまで言っていいか、わかりませんが」
「信じられない。あんな、わがままなやつ」
「でも、恵奈ちゃんと、出会ってから、千代ちゃん、本当に真剣に演技するようになった。それに、共演者とのコミュニケーションも、大事にするようになった。だいたい、主演だから座長なんだけどその、責任感も、持ってくれるようになってこっちも、助かっている。真子ちゃんも、次に千代ちゃんと共演する機会があれば、やってみてよ。多分、以前とは全然違うよ」
「まあ、私も、グループを卒業したばかりだから、共演NGできるほど余裕がないです。ところで、松川さんはアイドルの方の活動は、大丈夫なの? 」
「そっちは、春休みまでは、月に2回ぐらいしか、ライブはありませんので問題ないと思います」
「そっちはって、他にもあるの? 」
「恵奈ちゃんは、バンドのボーカルもやっているんだ。俺も、観に行ったけどかっこいいよ」
「何ていう、バンド? 」
恵奈が、バンドの名前を、言うと、
「あっ、知ってる。ごめんなさい。床田さんが、亡くなられたから解散したかと思っていた」
「仕方ないですよ。バンドの顔である、ボーカルが、交代したんです。しかも、男性から女性にですから、1からのスタートです」
「私も、ライブに行ってみたい。招待して」
「もちろんです。できれば、アイドルグループの方にも、来てください。そして、アイドルの先輩として、指導していただきたいです」
こうして、恵奈と真子の距離は、急速に縮まった。
ドラマの撮影は、順調に進んでいた。恵奈と、真子は、息の合った演技を見せていた。そして、クランクインの後、初めての完全オフの日を、迎えた。とはいえ、それは、恵奈にとってはダブルライブの日だった。もちろん、真子も、招待して間の時間には、トークショーをすることになっていた。
「恵奈のライブ、楽しみだな」
真子は、何日も前から、何度も、言った。恵奈は、空き時間に事務所のスタジオで練習はしているが他のメンバーとは、オンラインになってしまうので、不安だった。それから、恵奈にはもう一つ不安があった。東京で、開催するため、千代も来ることになっていた。真子は、千代のことを、良く思っていないので楽屋で2人が、顔を合わせるとどうなるか。
当日、リハーサルを終えて、楽屋にいると先に姿を見せたのは千代だった。千代は、メンバーとそれぞれ話したりした後、恵奈に、
「ドラマの撮影はどう? 山川さんとは、うまくやっている」
「真子ちゃんのおかげで、順調だよ」
「恵奈なら、誰とでもうまくやるよね。山川さん、私のこと嫌っているでしょ? 」
恵奈は、答えられなくて、黙っていた。
「そうだよね。恵奈が、気にすることないよ。私のせいだから」
その時、楽屋に、真子が、入ってきた。すると、千代は、
「山川さん、以前共演した時は、ごめんなさい。あの頃の私は、最悪だった。同じ、恵奈のファンとして仲良くしてください」
と言って、握手を求めた。真子は、一瞬戸惑った表情を見せたが握手をした。すると、
「ありがとう。恵奈の演技は、凄いよね。私は、それで目が覚めた。また、共演する、機会があれば、良い作品ができるように、頑張ろう」
と付け加えた。とりあえず、恵奈の1つの不安は解消された。
みんなで、話したりしていると、あっと言う間にライブの開始時間になった。恵奈は、千代と真子に手を振ってステージに、上がった。すると、もう一つの不安も、吹き飛んだ。ステージ上の全員が、各々のパフォーマンスを充分に、発揮した。
トークショーで、ステージに上がった真子は大絶賛してから恵奈たちメンバーとファンに謝罪した。
「私、今回のドラマで、恵奈に面接みたいなことさせてしまった。落とす気満々で、酷いことも言ったのに、最初から、最後まで礼儀正しくて、笑顔だった。これは、只者じゃないと、思っていたら、演技もダンスも上手いじゃない。もしかしたら、歌は少し苦手なのかと、思ったら、ラストで見事な、歌唱力を披露して。私のファンには、恵奈の存在を、知られないようにしないと、取られちゃう」
真子は、久しぶりに、ライブのステージに、上がったと言って、嬉しそうに喋った。そのため、時間が押してしまい、恵奈は、アイドル衣装のまま、ロックを歌った。
ドラマ撮影の合間に、恵奈はスマホを、見た。すると、千代からLINEが送られてきた。
『私たちのドラマが、賞にノミネートされたよ。結構、独占するんじゃないかって、噂だから、恵奈も新人賞と助演の両方を、狙えるんじゃない』
『私は、まだ、何も聞いていないから、落選したんじゃない』
そう、返信した時に、中田と優佳が駆け寄ってきた。そして、2人とも千代のLINEと同じ内容だった。それを、聞いていた、真子は、
「やったね、恵奈」
と喜んだ。
「まだ、決まったわけじゃないから」
「今年は、歌でも賞を獲るかもしれないし、恵奈のブレイクの年だね」
「まだ、そんなレベルじゃない」
「もう、何にしても充分なレベルだよ」
後日、恵奈は中田と共に授賞式に向かった。真子や、ドラマの共演者たちが声援や拍手で送り出してくれた。
「こんなに、みんなに送られて何も持って帰れなかったら、どうすれば良いですか。もう、みんなと顔を合わせられなくなりますね」
「獲れなかったことしか、考えないんだ。もし、そうだったとしてもみんな温かく迎えてくれるよ」
会場には、ものすごい人がいた。報道陣も、負けないくらい、たくさんだった。恵奈は、千代の隣に、案内された。
「私、こんなところにいちゃいけない気がする。凄い方ばかり」
「でも、一番凄いのはこのテーブルの人になるから」
「うん。千代ちゃんにとってほしいな」
千代と、しゃべっている間に恵奈の名前が、呼ばれていた。中田たちに、促されて登壇した。司会者に、いろいろ、質問をされてから、ほかの候補者たちと並んだ。どうやら、新人賞の発表を、待っているんだと、初めて、気づいた。そして、また名前が、呼ばれた。スポットライトが、恵奈を、照らした。恵奈は、その眩しさで、頭が、真っ白になった。司会者に、マイクを、向けられた。
「私なんかが、とったんですか? 若田さんが、下手な、私のために根気よく演技を教えてくれたおかげです。ありがとうございました」
信じられない、気分の中でまた恵奈の名前が、呼ばれた。今度は、助演賞だった。そして、これも最優秀になった。各賞の発表が、進んで最優秀主演賞は千代が、受賞した。恵奈は、ここで初めて、涙を流して、喜んだ。ほとんどの賞状や、トロフィーが、恵奈たちのテーブルに、並んだ。そして、ほとんどの報道陣も、集まった。千代は
インタビューの中で、
「今日は、演技の方ですが、恵奈は音楽の方でも年末を盛り上げると思います。私は、恵奈のアイドルもロックも大好き」
と言った。恵奈は、千代の言葉を聞いて黙ってじっと見つめた。
恵奈は、今後も3つの顔を見せてくれるのか。




