08,ずっと抱えていた弱音
トゥルガで働く日々にも随分慣れた。
あの一件から、ライを怒らせればどうなるのかが知れ渡り、不用意に近付こうとする女性は激減した。
それでもめげずに通っている人達も居て、ライを見た後に私を睨み付けてくるまでが一セットである。
(飽きず懲りず、ご苦労様。見栄っ張りな人達が多いから、きちんと毎回注文はしてくれるし売上にはなってるしね。お店やライに迷惑をかけないなら別にいいや)
ライは私の出勤日も休日も知っているので、私が休みの日は来ないし、私が働いていればライも来る。
足繁く通う彼女達はきっと私が居ない日にライと会いたいのだろうが、早く無謀な望みだと気付いてほしい。
他にはライから聞いていた通り、公爵様の元で働く使用人や兵士もよくトゥルガに来店していた。
兵士達は血気盛んで、食事代をかけてよく勝負を始める。
料理人達やエルバさんは面白がって、おたまとフライパンを使って、ゴングの代わりにカーン!と鳴らせば、それを合図に腕相撲や手押し相撲が始まるのだ。
ライも嫌そうではあったが、時折参加させられていた。
容赦がない彼は先輩だろうが後輩だろうがお構いなしに倒し、よく「手加減しろよ!」と頭や肩を叩かれていて、何処に行ってもライは本当にライらしいと私は笑ってしまう。
孤児院ではないところでもライが温かく迎え入れられていることに安堵し、私はその光景を楽しんで眺めていた。
そんな忙しない日々を過ごし、トゥルガの見習いになってから早一年が経とうとしていた。
ライは言っていたように、時々サグラードの街から離れ、魔獣討伐に出るようになっていた。
初めの頃は心配で眠れない日もあった。
けれどライは帰ってくるとすぐに孤児院やトゥルガに来て、私やみんなに顔を見せてくれる。
ついでに狩ってきたと言って、孤児院にはいつも鹿肉や猪肉を持ってきてくれ、その日はライも交えて豪快な焼肉パーティーになるのだ。
大怪我を負ってくることはないけれど、切り傷擦り傷はいつものこと。
ライはいっぱいのお肉を食べながら、いつも私に手当てを頼んでくる。
「もう……自分で手当てしてから帰ってきなよ」
「こういうのは人にやってもらった方が綺麗だろ? ……まぁ、ディアは不器用だから何とも言えねぇけど」
「はぁ!? それなら自分でやりなよ!!」
そうして戯れていると、イチャつくなと周りからからかわれるのだ。
(イチャイチャなんてしてないもん! ライとは別になんでもないんだから!!)
腹立たしいわ恥ずかしいわで、私はライの手当てを終えると怒りながらお肉にかぶりつく。
そんな自由気ままなライは、幼い子供達にとって憧れの的らしい。
どんな魔獣を倒してきたのかと、子供達は目を輝かせて冒険譚を聞かせてとせがみに突撃していく。
「くっそ! まとわりつくな! 話してやるからせめて座りやがれ!!」
と、大人気である。
本人は不本意そうなのだが、話している最中は少し楽しそうなので、きっとあのように慕われること自体は満更でもないのだろう。
私はこんな毎日が大好きだった。
昔の約束を気にしてか、ライは休みの日に変わらず孤児院に来てくれる。
しかも私の出勤日や休日に極力合わせてくれていて、今日もこうして顔を出し、小さい子供達の遊び相手をしてから、お昼寝の寝かし付けを手伝ってくれていた。
(でも、そしたらライには休みがないよね……? きっと一日ゆっくりしたい日だってあるだろうに……)
私は心配で「疲れているなら孤児院に来ずに休んでよ?」と言うと、ライは「ここに来る方が休まるんだよ。気持ちの方が」と笑っていた。
贅沢なことだとは分かっているようだが、公爵様の屋敷での生活は少し窮屈なのだと言う。
その言葉を聞いて、私はふと思い付いた。
「ねぇ、ライ。今から時間ある?」
「ん? まぁ今日は休みだし時間はあるけど……なんだ?」
寝ている子供達を他の子に任せて、私は不思議そうな顔をするライを誘い、二人で孤児院の裏手の山を少し登った。
まだ青々としている木々も、もう少し経つと見頃になり、赤々と綺麗に色付くはずだ。
木々の様子を見ながら、人が歩いて出来ただけの舗装されていない道を進んでいく。
「昔ね、院長に連れてきてもらってからお気に入りの場所なの。街の人達なら知ってるだろうし、別に秘密の場所ってほどでもないんだけどね」
そう言って到着した先には、広がる青い絨毯。
竜胆の花畑があった。
ライは目を丸くしてその景色を眺めている。
「……すげぇな」
「でしょ? 私の誕生月が十月だから、ここの花畑が綺麗だよって院長が教えてくれたの。そういえば、ここの竜胆は紫やピンクじゃなくて、柔らかい青色なんだね。ライの目と同じ色してる」
私はそう言いながらその場に座る。
ぼんやりと花畑を眺めていたライも、暫くして私の隣に腰かけた。
夏の熱気を失った涼しい風が木々を揺らし、青い花々もゆらゆらと凪いでいる。
「ここ、静かで落ち着くから、一人で考え事したい時によく来るの」
「一人でか? そんなに距離はねぇけど、ディアだけなんて危ねぇだろ」
「昔は必ず院長に着いてきてもらってたよ。……最近は一人で来てるけど」
私は「ふふっ」と笑って返事を濁す。
前から思っていたけれど、ライは少し心配性で過保護な気質があるらしい。
ライの方が危険な所に行っているくせに、勝手知ったる場所で何が危ないというのか。
「どうしてもね、誕生日が近付くとここに来たくなるんだ。街の子供達のように親が居なくて寂しいとか、孤児院を卒業したらどうなっちゃうのかなとか、漠然とした不安で苦しくなる時に、ここでぼーっと過ごすんだ」
私が花畑を見ながらぽつりと呟くと、ライは隣で心配そうに顔を覗き込んできた。
「そうだったのか? ディアはいつでも笑ってっから、そういうの、あんまり考えねぇのかと思ってた」
「普段は全然思わないんだよ? でも誕生日って、実はあまり嬉しくない……って言うと語弊があるんだけど、私はほら、産まれてすぐに捨てられた子だしさ。産みたくないのに産まれた子だったのかなとか、いらなかった私が大人になって上手くやっていけるのかなって」
そう胸の内を吐露しながら少し俯く。
私はあとひと月も経たない内に十六歳になる。
成人になる頃にはこんな気持ちなんてスッキリしていて、周りの大人達のようにしっかりした人間になれるのだと思っていた。
なのに年数を重ねても、成人が目の前に迫ってもなお、私の心はこうして弱いままだった。
成人とは、大人として見倣されるということ。
それなのにこんな情けない状態でいいのかと、元々誕生日を迎える前に、この花畑で思い耽るつもりだったのだ。
「そんなこと考えてたのか」
「……うん。みんなの前で言うことではないし、こんな話、暗くなるだけでしょ? だから話すことなかったんだけど……ライがさっき、お屋敷が窮屈だって話してたから。ライもしんどくなったら、ここに来ていいよ。ここなら人は来ないし、一人でゆっくり」
ライに声をかけながら顔を向けると、突然手を握られた。
そしてぐっと強く引かれたせいで、私の体はライの肩に凭れかかる。
「ちょっと!? なにする」
「しんどくなった時に、一人で消化すんなよ。俺が……俺が話くらい、いつだって聞くから。無理に笑うんじゃねぇよ」
「……ぇ」
その絞り出すような悲痛な声色と、思いもよらない温かな言葉に、私の胸はぎゅっと苦しくなる。
強く握られた手は微かに震え、希うようにライの額に当てられていた。
「そ……そんな……。だって、ライだって何も言ってくれないじゃない。公爵様の屋敷に連れて行かれた理由も、ライの生まれや公爵様との関係も、これまでどうやって……生き…………っ」
私の脳裏に、あの日ライが言っていた過去が過ぎり、言葉に詰まる。
人が飢えて弱り、死にゆく様を見るような環境なんて、どれほど心が傷付き、明日に怯え過ごす日々だっただろう。
ライと比べれば私なんて、物心付く前からサグラードの孤児院で過ごしてきたのだ。
院長や併設する神殿の神官達、街の人達みんなに守られて生きていた。
それなのに、こんなちっぽけなことで悩んで、ウジウジしているなんて……。
ライが弱音を吐かないのに、私なんかが言っちゃいけない。
私はきっとずっと、心のどこかでそう思っていたのだ。