06,見習いの私と女の妬み
ライと出会って五年近くが経ち、私は十五歳になった。
以前ライが教えてくれた、大衆食堂トゥルガ。
大きく立派なお店だが、店の名前通り、庶民的な料理を安く提供している食堂だ。
庶民的と言っても、熟練の料理人達が振舞う食事はどれも美味。
フロアに立つ店員達も明るく元気で活気がある。
下調べで何店舗か回ってみたが、やはりライが勧めてくれたこの店がいいとすぐに決め、面接を受けた。
採用通知を貰い、見事見習いとして働けるようになったのだ。
孤児院から通うには少し距離があるため、住み込みで働いている人達に混ざって数日間泊まりで働き、休日の期間中には孤児院に戻るという生活を送っている。
ライが就職祝いだと言ってプレゼントしてくれたシュシュで髪を一つに纏め、今日も元気よく挨拶をする。
「おはようございます!」
「おはよう、ディア! 朝から元気だねぇ」
「おはよーさん」
「ディアちゃん、おはよう」
トゥルガの女将であるエルバさんはとても快活な人で、他の従業員の人達もみんな優しく接してくれる。
トゥルガでは料理は男性が、配膳は女性が行うのが基本だ。
けれど私が「料理を覚えて、孤児達に教えてあげたいの」と言うと甚く褒められ、配膳の仕事をメインに割り振られつつも、仕事に慣れてきてからはお客さんの少ない時間に料理人達から料理を学ばせてもらえるようになった。
「それで? 今日は何か作ったのか?」
「今日はまかないのピンチョスを一緒に作らせてもらったの。あれこそ私が教えてほしかったものね! みんなパパッと作るのに、あんなに美味しいなんて」
「へぇ、余ってねぇの? それ」
「……ライ、まかないだって言ったの聞いてた? みんなのご飯なの。それに余ってたって出すわけないでしょ、お客様に」
私がムスッと返事すると、ライは「ケチくせぇこと言うなよ」なんて酔っ払いみたいな台詞を言った。
ここが孤児院だったらトレイで頭を叩いていただろうが、一応お客さんだと思って我慢する。
ライは時々……いや、頻繁にトゥルガに通うようになった。
エルバさん曰く、これまでも極稀に兵士達に連れられて来ることはあったらしいが、私が来てからは一人でも来るようになり、明らかに来店頻度が激増したのだそう。
私が働き始めてもう三ヶ月。
ライは私の出勤している日に、必ず昼食を食べに来てくれるのだ。
嬉しいやら恥ずかしいやら、私はライが来る度に複雑な心境だった。
それでもこうしてライが来てくれると、今日も元気に過ごせているのだなと安心出来る。
孤児院だけで過ごしていた時よりも会える頻度が多くなって、私は内心とても喜んでいた。
(何も言われないけど、ライもきっと同じ思いだからこうして来てくれてるんだよね)
そう思うとやはり気恥ずかしく、擽ったい気持ちになった。
でもその反面、ライがトゥルガに通うようになり、私は嫌な視線を向けられるようになっていた。
どうやらライはモテるらしい。
公爵様から目をかけられている、何故か公爵様と雰囲気の似た孤児の子供。
ライが出ていって三年ほどの間に広まった噂によって、彼に近付こうとする女性は多いそうだ。
最近はよくここを利用していると広まってしまったみたいで、縁が作れないかと狙う商家の娘や富豪の娘が来て、頻繁にライを待ち伏せしている。
(でもお生憎様。ライはまるで女に興味はないし、そもそもアンタ達は、ライを公爵様お気に入りの孤児くらいにしか思っていないんでしょうけど、本当はお貴族様の血を引いてるのよ。私達とは本来住む世界が違うんだから)
自分の心の声にチクリと痛みを覚えながらも、それでも孤児院の子供達くらいにしか興味を示さないライに、私は安心感を抱いていた。
ライは全くと言っていいほど女性達に見向きもせず、ここで唯一親しげに話すのは私とエルバさんくらい。
他の店員にも基本的には必要最低限の会話しかせず、店員ですらない人には話しかけられても無視をしたり、あまりにもしつこければ「失せろ」とキレたり、相変わらず自由な振舞いをしている。
けれど女性達は、その釣れない態度がいいと黄色い声を上げている。
そして、ライが取り合ってくれないのは私の存在のせいだと一方的な解釈をされているようで、矛先がこちらに向いているのだ。
私が「他の女と絡むな」と言っていると思っているらしい。
(私がそんなこと言ったって、ライは言うこと聞かないでしょ。けどまぁ……確かに格好よくなったもんね、ライ)
私は改まってライを見た。
ライは来月で十八歳になる。
野犬のように弱々しくボロボロだった、幼い彼はもう居ない。
艶やかな黒髪に凛々しい青い目をした、大きく逞しい青年へと変貌している。
こうして気の抜けた話し方をしてくれなければ、また遠い存在だと思ってしまいそうなほど、ライは整った顔立ちと男らしい体躯に育っていた。
「それで? 何にするの?」
「ガッツリ食いたいから、肉が多いやつで。あと今日も寒ぃから汁物も多いと有難ぇかな」
「分かった。ちょっと待っててね」
私はそう言うと、厨房へと駆け込む。
普段は配膳を担当しているが、ライの食事だけは私が一品手伝ってもいいことになっている。
まだ本当に簡単なお手伝いくらいしかしていないけれど、見習いではなく正式に働けるようになれば、時々厨房の仕事をしてもいいと言われた。
ライには美味しい食事を用意してあげたい。
私は教わりながら料理を準備する。
そうして出来上がった料理をトレイに乗せて、ライの元へと向かった。
しかしライの元に辿り着く前、私は
「きゃあっ!」
と悲鳴を上げ、転んでしまった。
両手でトレイを持っていたせいで受け身を取れず、鈍い音を立てて肘や膝を床に打ち付けた。
「いっ……!」
トレイは床に落ちてしまい、出来たての料理を豪快にぶちまけてしまった。
ぶつけた箇所は擦り傷や痣が出来ていそうなほどジンジンと痛む。
楽しく談笑しながら食事をしていたお客さんも、慌ただしく対応していた店員も、こちらに注目し辺りは静まり返っていた。
そんな中、一枚のお皿がカラカラと虚しい音を立てて転がっていく。
私は痛みを堪えて起き上がり、キッと睨み付ける。
そこにはライを追いかけ回している一人の女性が、ニタリと目を細めて座っていた。
私はわざと足をかけられたのだ。
「やだ汚〜い! ちょっと、早く片付けなさいよ。貴女、公爵様が目をかけてる孤児院出身らしいけれど、この程度のことも出来ないなんて。この店はこんな鈍臭い人を雇っているの?」
そう言って嫌らしくクスクスと笑っている。
(なにこの人! せっかくの料理をこんな風にしておいて……っ!!)
私はグッと手を握り締め、言い返したい気持ちを必死で押し殺して我慢をする。
腹は立つが、しかし今自分は店員なのだ。
足をかけられたなんて証拠はないし、揉め事を起こしてトゥルガの人達に迷惑をかけたくない。
私は唇を噛み締めながら片付けを始めようとして、先にお皿を拾い上げてくれているライの姿が目に入った。