56,堪え忍んだ先の幸せ
「それからはもう大変だったわ。大きくなっていくお腹を抱えながら、食事処でお手伝いをさせてもらう代わりに食事と少しの賃金をいただいて。気に入っていただけたら、何日間か居座らせてもらってね。その日暮らしのような生活をしていたの。ご夫妻がくださったお金は、何かあった時のために極力使わないようにしてね」
あっけらかんとした物言いだが、お母さんの言葉尻には少しの溜息が混ざっていた。
こうして明るく振舞ってはいるが、当時どれだけ辛かったのだろう。
私なんかでは想像もつかない。
そんな悔しさややるせなさで唇を噛み締めていた私の背中を、お母さんは優しく摩ってくれた。
「これから何処へいけばいいかしらと考えて、南の公爵領なら民に優しいと噂だったのを思い出したの。どうにか受け入れてもらえるかもしれないと、馬車代を削って極力歩いて南を目指したわ。……そうしてサグラードの街に辿り着いた途端、産気づいてしまったのだけどね」
「えっ!?」
サグラードの門を潜って倒れてしまったお母さんはいろんな人達に助けられ、一人の女の子を出産する。
出産の際に利用させてもらったという宿も、助産師として手伝ってくれた女性達も、お母さんの体調を気遣って食事を用意してくれた人達も……私も知っている場所や人達だった。
「そうして産まれたのが……私?」
「そうよ。あの街の方々には感謝してもしきれないわ」
「それなら、そのままあの街で生きていけばよかったんじゃないの? みんなに助けてもらいながら……」
私がそう言うと、お母さんは静かに顔を横に振った。
「さっきも言ったでしょう? 貴女の身に危険が及ぶかもしれないって。私はフィーのメイドとして何回かあの女と顔を合わせているんだもの。このタイミングで居なくなったことを勘ぐられて探されれば、私だけじゃなく貴女までどんな仕打ちを受けるか分からなかったもの」
「あっ、そっか……」
「だから貴女を孤児院に預けて…………本当は、そのまま死んでしまおうと思ったのよ」
ガシャンとガラスの割れる音が響き、慌ててその方向へと視線を向けると、お父さんが顔を真っ青にしていた。
どうやら手に持っていたグラスが滑り落ちてしまったらしい。
お父さんが声を震わせながらお母さんへと手を伸ばした。
「し……死ぬ……?」
「フィーとの子供が無事に産めて、やりきったと思ったの。ディアを手放して、フィーとも二度と会えないと思ったら、急に心が虚しくなってしまって」
「そんな……」
苦しそうな顔で目に涙を溜めていくお父さんの手を、お母さんが握る。
「フィーだって、私を死なせてしまったならって、さっきまで連座を望んでいたのでしょう? それと似たようなものよ。貴方と一緒に居られない世界なら、消えてしまいたいと思ってしまったの」
「ラミラ……っ」
感極まった様子で手と手を取り合う二人。
あまりにも二人の世界すぎて、視線をそらせてしまう。
テルセロ様がコホンと咳払いをし「それで?」と聞いたことで、お母さんは「まぁ私ったら」と笑った。
お父さんは……邪魔されたって顔をしてたけど。
「孤児院の院長様にディアを預けた時にね、私の表情を見て感じるものがあったんじゃないかしら。本当に軽くだけど事情を話して、ひとところに留まれないと話していたから。そうしたらね」
そこで言葉を切ったお母さんは、自分の服に手を当てた。
その初めて見る独特な衣装に。
「院長様がね、教えてくださったの。公爵領の中でももっと南に行けば、遊牧民が居ると。牧畜を生業とする民族だから、慣れない仕事で苦労をするかもしれないけれど、そこなら移動しながら公爵領の中で暮らしていけるって」
「院長が……?」
「そうよ。優しく穏やかな人達らしいから、望めば時々ディアを見に来ることを許してくれるかもしれないよ、と……。そんな期待を持たされたら、死を選ぶなんて出来ないじゃないの」
そうしてお母さんは南へと向かい、定期的に移動しているという遊牧民と共に生活を始めることになる。
優しく穏やかな人達とはいえ、見知らぬ人間を簡単に加えるほど警戒心がないわけではない。
しかし、院長が書いてくれたという紹介状を渡した途端、あっさりと仲間として認められたそうだ。
どうやら院長は、似たような事情で行き場を失った人達に、そうした居場所を斡旋してあげていたらしい。
(院長……。院長のおかげで、私も、お母さんも、こうして生きてこられたんだ……)
お母さんは事情を説明し、年に一回、ディアの姿を見に行きたいと言う。
流石に入ったばかりで許されないだろうかと思っていたが、それなら一番北上している時期が春だから、その時期ならサグラードにも行きやすいだろうと勧めてもらったそうだ。
それから毎年、春になるとお母さんは馬に乗って一人で孤児院へと向かい、院長に挨拶してこっそり私の様子を見に来るようになる。
私は覚えていないけれど、二歳くらいまでは抱いてもらったことがあるらしい。
その時、院長から「裏手にある少し開けた場所があるから、花を植えてはどうか」と言われ、お母さんは院長と共にそこを見に行くことに。
何もない殺風景なその場所には、私の誕生月の十月頃に時々竜胆が咲くと教えられたのだとか。
「種を植えても芽吹くか難しい品種だと聞いたの。しかも単独で咲く花だから、基本花畑には向かないって。でも、他の花よりも竜胆が何故かしっくりきて、それに私なら育てられる気がするって……ここに竜胆の花畑を作ろうって決めたの」
「私なら……?」
「私、土属性の魔法なら使えるの。まともな教育をしてもらえなかったから、得意属性しか身に付けられなくって。メイドだったら火属性や水属性、風属性なんかも便利そうなのに、土属性なんてハズレだわって思っていたの。でもまさかここに来てこの力に感謝する日が来るなんて。人生何があるか分からないものね」
お母さんはそう言いながらクスクスと笑う。
竜胆は春に種植えをするらしく、私を見に来た時に植えられるため丁度よかったそうだ。
日当たりの良い場所を選び、栄養たっぷりの肥料を撒いて土を魔法で耕し、竜胆の種を植えていく。
日照りが続いた時だけは水やりをしてほしいと院長に頼み、そうしてあの花畑は出来たという。
「実際に花開いたところを私は見たことがないのだけれど、ディアがあの場所をとても気に入っているって聞いて……凄く嬉しかったわ」
「お母さん……」
「群生しない竜胆でも、思いやってくれる人の手があれば沢山の花を咲かせることが出来る。私もフィーも貴女の側には居られないけれど、あの地に咲く竜胆のように、貴女が一人になることなく沢山の人達に囲まれて幸せになりますようにと……そう願っていた。本当に、その通りに育ってくれたのね」
お母さんは涙を流しながら嬉しそうに笑う。
これまでどんな思いで生きてきたのか。
どんな思いで私を見守ってきたのか。
どんな思いであの花畑を作ってきたのか。
(あぁもう……私、最近泣きすぎじゃない?)
お母さんをお父さんが優しく抱き締める。
二人にとってもこうして再会出来るなんて、思ってもみなかっただろう。
何年経っても互いを思い合う二人の姿を、偉大だなと思いながら目に焼き付けた。
それから話のきっかけとなった、ライがお母さんを見付けたところに戻る。
私が大神殿で暮らしている間にお母さんを見付けたライは、お母さんから話を聞いて遊牧民の元へと向かったそうだ。
そこで、大神殿の神官達に私が連れていかれてしまったと話し、私を取り戻すために動いていると説明した。
いずれ王都に住む王侯貴族や大神殿の所業を明かせば、お母さんは自由に暮らせるようになる。
それにお父さんもずっとお母さんを探し続けている。
思い合う二人が、場合によっては二人の子である私も共に生きていける未来が掴めるかもしれない。
そう話したところ、遊牧民の全員が快くお母さんを送り出すと言ってくれたらしい。
だが、すぐにホロンビスに来てしまっては巻き込まれる可能性も否めないため、一旦は変わらず遊牧民の中で暮らしてもらっていたのだとか。
全てが落ち着いてきたため、ライが迎えを送り、こうして来てくれたのだ。
お父さんはテルセロ様に、どうすればお母さんと共に過ごせるかと切実に聞いていた。
さっきまで連座で死のうとしていたとは思えない熱量に笑ってしまう。
「本来であれば子爵位や男爵位まで落とすのが普通だろうが、なにぶん多くの貴族を罰することになるからな。侯爵や前侯爵夫妻には悪いがマッサーカの名前を改め、侯爵位のまま居てもらおうか」
「……宜しいのですか?」
「領地運営が出来る有能な臣下を失うわけにはいかんからな。ライ、どうだ?」
問われたライは悩む様子もなく頷く。
「いいんじゃねぇの? ていうか、ディアの生家にするつもりにもしてんだろ?」
「えっ?」
突然話がこちらに飛んできて、首を傾げる。
「俺はディアが平民だろうが貴族だろうが何でもいいんだけどよ。煩く言う奴らも居るだろ? でも、そもそも侯爵と元子爵家出身のラミラさんから産まれてんだから、純粋な貴族の血筋じゃねぇか」
「……あ、そっか。そうなるのか」
私はぱちぱちと目を瞬き、その事実に気付く。
平民だ孤児だと思って育ってきたせいか、貴族の血を引いていたなんて実感がまるで湧かない。
「どうせなら長年苦渋を味わい続けてきた二人の物語と、大聖女誕生の秘話を童話のような美談にしてしまおう。そのように使われるのは腹立たしいかもしれんが、世論はそういった話が大好物だろうからな」
テルセロ様の言葉になるほどと頷く。
お涙頂戴の物語はやり過ぎると陳腐に見えるだろうが、如何せん全て実話なのだから、あったことをそのまま綴るだけで十分民の同情や感涙を誘えるはずだ。
しかし色々と騒ぎ立てられるのでは……と思い、二人へと視線を向けると、なんてことなさそうな顔で受け入れていた。
「その程度でラミラやディアと生きていけるなら、好きに使ってくれて構いません。両親もあの女のせいで穢れてしまった家名など、失っても怒らないでしょう」
「私もですわ。フィーやディアと家族になるためなら、存分に使ってください」
瞳に力強い光が宿っている二人を見て、私の両親はこんなにも強い人達なんだなと嬉しくなる。
「侯爵家の令嬢で大聖女となりゃあ、ディアのことを馬鹿にできる奴らも一掃出来るだろ」
「そうだな。それにこのままライとディア嬢が結婚したら、私のこともお義父さんと呼んでもらえるかもしれんからなぁ。これから楽しみだ」
「えっ」
「なっ!?」
私はテルセロ様の言葉に驚き、お父さんは顔を歪めて立ち上がった。
確かにライはテルセロ様の養子になっているし、家族の居ないライにとって、やはりテルセロ様は父親に近い存在なのだろう。
……ライがテルセロ様を「お養父さん」と呼んでいる姿なんて見たことがないけれど。
お父さんはというと「お父さんと呼ばれるのは私だけだ!」なんて子供じみた主張をし始め、テルセロ様は意地悪く「意味合いは違っても義父になるのだからお義父さんで間違ってないだろう」と言い返す。
あんまりにも大人気ない会話に、私は「ぷっ」と吹き出してしまった。
堪え忍んで生きてきた先に、こんな幸せが待っているなんて、一体誰が想像出来ただろう。
言い争う二人を前に、私とお母さんはクスクスと笑い、ライは呆れた表情を浮かべている。
なんとも賑やかな家族になりそうだなと、私の胸はいっぱいになるのだった。




