50,孤児院での息抜きと忍び寄る悪意
パーティー以来、私はというとテルセロ様に付けてもらった講師から取り急ぎで国の歴史や政治、経済を学び、並行して王妃教育を受け始めた。
覚えなければならないことは膨大で、頭がパンクしそうになる。
しかし私はとても充実していた。
大神殿に居た頃とは違って、私が努力を重ね成長を見せるほど、ライやテルセロ様、みんなが喜び褒めてくれるからだ。
そんな私にはちょっとした公務がある。
それは大神殿の孤児院に顔を出し、子供達と遊ぶこと。
昔のライと同じく、まだ特定の人にしか心が開けない子供が多く、比較的歳も近く大聖女である私に信頼を寄せる子が多かった。
最初に料理を振舞った効果もあるのかもしれない。
私が間に入って他の人と触れさせることで、少しずつ他人との距離を縮めているようだったので、こうして定期的に通うようにしている。
初めて大神殿の孤児院を訪れた時から約二ヶ月半が経ち、春から夏へと移り変わっていくような、眩しい日差しが降り注いでいた。
(私自身、子供の相手をしてると楽しいから、一応は公務らしいけど息抜きみたいなものだよね)
ライも時間が合えば時々一緒に孤児院へと来てくれるのだが、何故か一人の少年とよく張り合っている。
小さな子供相手に、国の王様ともあろう人が何をしているのか。
何度思い出してもおかしくて笑ってしまう。
暫く走っていた馬車が止まり、窓の外には大神殿が見えた。
封鎖していた大神殿には公爵領から来た神官や巫女達が滞在し、多くの神官や巫女の再教育を任せている。
それでもあまりにも目に余る者には私の元へと報告が上がってきて、形式上の面談をしてから破門を言い渡していた。
「ディア様。ごきげんよう」
「おはようございます、ディア様」
「おはよう」
こうして挨拶をしてくれるのも公爵領から来た神官や巫女だけ。
一年前の私を知る者達は顔を歪め、忌々しそうにこちらを見ている。
(このままだったら全員が破門になるのも時間の問題だろうなぁ。別に知ったこっちゃないけど)
嫌な視線を無視し、私は大神殿を通り過ぎて裏手にある孤児院へと向かった。
パタパタと駆け回る子供達の足音が聞こえてくる。
「あっ! ディア様だ!」
「えっ? ディア様?」
「みんなー! ディア様が来たって!」
私に気付いた数人が満面の笑みを浮かべ、他の子供達にも声をかけ始めた。
「おはよう、みんな。いい子にしてた?」
「あのね、ディア様! 僕ね、パンが二つ食べられるようになったんだよ!」
「私はねぇ、昨日お野菜もちゃんと食べたの!」
「俺はね、俺は」
私の周りを取り囲むように子供達が群がってくる。
話を聞いてほしそうに声を上げたり手を挙げたりと、なんとも姦しく可愛らしい。
「はいはい、一斉に喋らないで。話は中でゆっくり聞かせてね」
「「「はーい!」」」
それから私はここ数日間の子供達の話を聞いていった。
少しずつではあるが、出来なかったことを出来るようになる喜びや、誰かと協力して新しいものに挑戦する楽しみを学び始めているようだ。
「畑もみんなが頑張って毎日手入れしてくれているので、きっと立派な野菜が育ちますよ」
と、孤児院での面倒を担当してくれている巫女が嬉しそうに報告してくれた。
それを聞いた子供達も、照れたり得意気な顔をしたりと喜んでいる。
「それじゃあご褒美に、私が料理を作ってあげようかな」
「ディア様の料理!?」
「わぁっ! 凄く久しぶりだぁ!」
「ねぇねぇ、またあのシチューがいいな!」
私が腕捲りをして髪を一つに結んだ途端、子供達はきゃあきゃあと騒ぎ出した。
これが食べたいあれが食べたいと言えるようになって、本当に良かったと安堵する。
「じゃあシチューと、それに合いそうなものを準備するね。みんなも野菜を切ったり食器を準備したり手伝ってくれる?」
「「「はーい!」」」
私はかつて院長が教えてくれたように、子供達に野菜一つ一つの説明や調理の仕方を話しながら、一緒に料理を作っていく。
出来たのは前よりも具材が大きめのシチューと、春野菜と炒り卵のサラダ。
「あとはこれ。朝から焼いてきたの」
そう言って王城のキッチンで焼かせてもらった、ふわふわのパンを並べていく。
これまでここの子供達はパンすらも食べられず、与えられていたのは芋ばかりだったそう。
たまに出されたカチカチの黒パンですら、ご馳走のように思っていたと聞いた時は胸が痛んだ。
そんな子供達にとって、この柔らかいパンはさぞ衝撃だろう。
みんなの目がキラキラと輝いていく。
「何これ、ふわっふわ!」
「これがパン? これだけでも甘くて美味しいっ」
「ねぇねぇ、シチューに浸しても美味しいよ!」
子供達は和気あいあいと食事を楽しんでいる。
美味しい美味しいと言いながら食事をする小さな姿に、私がかつて望んだ光景だと感じた。
(こんなふうに子供達に料理を教えたり食べさせてあげたくて、食堂で働きたいって思ったんだったなぁ)
今となっては大聖女となり、いずれ王妃にもなるというのだから、食堂で働くという夢は決して叶わない。
けれど、あの頃に望んだものと同じようなことをさせてもらっている。
(きっとライとテルセロ様が孤児院の公務を私に回してくれたんだよね)
おかげで可哀想なほど骨の浮いていた子供達の体は、少しずつ肉がついてきて頬もぷっくりとしてきている。
それが堪らなく嬉しかった。
「ほらほら、ディア様もいらっしゃるのに、お行儀よく食べなさい」
巫女から注意され、子供達はハッとして口を噤む。
それがまた昔の自分を見ているようで、クスクスと笑ってしまう。
「お喋りもいいけど、冷めないうちに食べないとね。あと、よく噛んで食べること。いい?」
「「「はーい!」」」
みんな素直でいい子ばかり。
元気よく返事してからは、子供達は黙々と食事をしていた。
食事の後、私は小さな子供達を連れて寝室へと向かい、昼寝のために寝かし付けた。
全員が寝静まると、私はすやすやと眠る子供達の寝室を出て、孤児院に滞在してくれている神官と巫女に話を聞きに行く。
どうやら大きな子供達は巫女と一緒に食器の片付けをした後、外へと遊びに出ていったらしい。
「子供達の様子はどう? まだ大人を怖がったり恨んだりする素振りはある?」
「そうですね……。正直に申し上げますと、ディア様だからあれほど明るく接せるのだと思います」
「未だに大きな音に驚いて震え出したり、夜に泣き出してしまう子供も少なくはないので。当初と比べれば見違えるほど良くはなりましたが、やはり心の傷は根深いかと」
「そう……」
私は肩を落として息を吐く。
私に対し褒められようと必死な姿は実に可愛らしくいじらしいが、そこには一切弱さが見えないのだ。
嫌われないように、疎まれないようにという感情から、いい子でいなければと思っているのだろうと感じ取れた。
(迷惑をかけちゃダメだって思う気持ちは痛いほど分かるからなぁ。こればかりは時間をかけるしかないのかな……)
彼らの心の痛みを癒すのは容易い。
精神回復、それでも難しければ精神操作で強制的に心の傷を緩和しようと思えば、私には可能だろう。
ここに来た当初はほんの少しだけ精神回復をかけていたが、子供達の心の成長のためにもあまり力を使わないようにしていた。
突然変わり始めた環境の中で、綺麗なものに触れて視野を広げてほしい。
その原動力がかつての恨み辛みを克服するためだったとしても、決して悪いことだと私は思わない。
だからこそ『辛かった』『悔しかった』感情に手を付けず、彼らの心の中でいつか消化されるよう手を貸すだけ。
(そう分かっていても、早く良くなってほしいって願ってしまうんだよね。ワガママだなぁ、私)
私は自分の身勝手さと力不足に苦笑を漏らし、ヤレヤレと肩を竦めた。
子供達が遊びに出てしまったので、せっかくだからと食堂の掃除をしておく。
みんなで定期的に掃除されているからか、初めて来た時に見た埃まみれの孤児院の姿はもうない。
しかしやはり子供が多いからか、すぐに土や埃で汚れてしまう。
掃除用具入れから箒を取り出し、サッサッと掃いていく。
そうして食堂を掃除していると、一人の子供が転がり込むように食堂へと駆け込んできた。
「で、ディア様ぁ……っ!」
「どうしたの!?」
その子は目を真っ赤にし、ぽろぽろと涙を零している。
手を伸ばすと、ぎゅっと抱き着いてきた。
目に見える怪我はなさそうだが、喧嘩でもしたのだろうかと思っていると、少年は予想だにしない言葉を放った。
「知らない女の人が、トーイを人質に……っ!」
「えっ!?」
トーイとは一番身長が高く、誰よりも前に出てみんなを庇っていたあの少年のことだ。
そして何故かライが張り合っている相手でもある。
「平民聖女を連れて来いって! 僕だけディア様を呼びに行かされて、他のみんなはまだ外に……っ!」
さっきまで明るく笑っていたはずの顔が、こんなにも涙に濡れている。
私はカッとなり立ち上がった。
「近くにいる神官か巫女にこのことを伝えて。あとは寝室で一緒に隠れてるの。いい?」
「でも、みんなが!」
少年はどうやら気が動転しているようで、いやいやと首を左右に振る。
私は屈んでその肩を掴んだ。
「私は大聖女なんだよ? 必ずみんなを助けてくるから、お昼寝をしてる子達を守っててくれる?」
「ディア様……っ」
「大丈夫。大丈夫だから。ね?」
震える小さな体をぎゅっと強く抱き締め、よしよしと頭を撫でると、私は外へと飛び出した。
子供達がいつも遊んでいるはずの場所に、元気な足音は聞こえてこない。
しかしグズグズと泣いているような、鼻をすする音が響いていた。
(逃げようとして転んだの!? 大きな怪我はなさそうだけど、治癒をかけておいた方がいいかな)
倒れている子供達に治癒をかけ、庇うように躍り出る。
そして目の前に立つその姿を捉えた瞬間、私はギリッと奥歯を噛み締め、怒りを顕にした。
「……っ! 貴女……っ!!」
「やっと来たわね。平民の分際でわたくしを待たせるだなんて」
そこに立っていたのは、今やあの頃の美しさなど見る影もないほど窶れてしまった侯爵令嬢――バシリカだった。




