03,ライの選択と卒業
「ら、ライは……お貴族様、なの……?」
私の言葉に、ライはハッとして私を見下ろした。
目を見開いて固まる私の足元に屈んで、私の両手を縋るように握ってきた。
「お、俺は、貴族なんかじゃ……! そんなんじゃねぇっ!!」
吐き捨てるような声色。
ライはそう言い切ったが、私は顔を逸らして公爵様へと視線を向けた。
公爵様は大きく溜息を吐いて、ライの言葉を否定する。
「……お前がどう否定しようとな、魔法が扱える魔力がある時点で貴族の血が濃いのは明白だろう。今は魔法が使えないよう、力が封印されているから一応安全というだけで、魔法の扱い方を学ばずに力を暴走でもさせてみろ。守りたいと言った孤児院も、そこのお嬢さんも、お前が傷付けてしまうかもしらんのだぞ」
「…………っ!!」
私はもう訳が分からなかった。
力が封印されているとは何なのか。
力が暴走するとはどういうことなのか。
ライが私達を傷付けるなんて……そんなこと、あるはずないのに。
けれどライは否定の言葉を出せずに、ぐっと口を噤んで顔を歪めていた。
公爵様と顔が似ているのも、もしかしたらそれに関わっているのかもしれないと――私にはそれくらいしか分からなかった。
何も分からないけれど、苦しそうな表情で俯くライを元気付けたくて、私はその手を強く握り返した。
出会った頃とは全く違う、澄んだ空のような青い目が、まっすぐ私を捉えている。
「ライ、魔法が使えるなんて凄いじゃん!」
「…………ディア……」
「どんな事情があるのか、私には分かんないけど……ライはライでしょ? せっかくなら魔法がきちんと扱えるようになって、孤児院や街を守ってよ」
私はライを安心させるように、精一杯ニカッと笑ってみせた。
けれど私の言葉に、ライの顔はどんどん歪んでいく。
私には、お貴族様がどんな生活をしているかなんて全く分からない。
でも、ライの年齢から魔法を学び始めるのは、きっと遅いんじゃないだろうか。
そうなるとライはきっと十六歳を待たず、今すぐ孤児院を出ることになる。
そして恐らく、公爵様の元で魔法の勉強を始めるのだろう。
つまり、公爵様の住むような屋敷、もしくは住み込みのような共同生活の部屋を借りて生活することになるはずだ。
そうなれば――今までみたいに毎日顔を合わせて、ご飯も勉強もお掃除も出来ない。
これからずっと、別々の生活が始まるのだろう。
「嫌だ! 俺は……っ」
ライは大きな体で私を抱き締めた。
出会った時のように体を震わせて、必死で私から離れないように。
私は少し硬い黒髪を優しく撫でる。
「ライ。言っておくけど、私もあと四年したら孤児院を出なきゃいけないんだよ? その一年前からは、見習いで街に出てお仕事をさせてもらうようにもなるだろうし、そう考えたら私だって十五歳になれば孤児院の外に出るようになるの。それと一緒でしょ?」
「でも、ディアと居られなくなるだろ……?」
「孤児院で暮らせなくても、同じ街に住んでいればきっと会えるよ。今みたいに毎日一緒にってわけにはいかないだろうけど、それでもみんな、いつかはそうなるんだよ?」
私はライにそう言い聞かせる。
実際言葉の通り、もう数年経てば私も同じように孤児院を出なければならなくなるのだから。
「……んで」
しかし、ライは納得いかなそうな、唸るような低い声を発した。
ガッと力強く両肩を握られ、私は痛みで少し顔が歪む。
「なんで……っ! なんでディアはそんな平然としてんだ! 俺が居なくなるのにっ! 俺が……俺が居なくなったって、ディアは……っ」
まるで自分だけが悲しんでいるような物言いにカッとして、今度は私がライに掴みかかった。
「平然としてる? そんなわけないでしょ!? 寂しくないわけないじゃん! 驚いてるに決まってるじゃん!!」
我慢していたぐちゃぐちゃとした感情をぶつけるように、私はライを突き飛ばした。
今まで軽く怒ることや躾のように叱ることはあった。
けれど激情と呼べるほどの、こんな大声で怒鳴ったのは初めてだったせいだろうか。
ライは尻餅をついた姿勢のまま、声を荒げる私を呆然と見上げていた。
「魔法が使えるって何よ! お貴族様の血を引いてるって何よ!! 私、何にも知らないで……あと数年は一緒に暮らせるって、そう思ってたのに……っ」
「で、ディア……?」
「でも公爵様が迎えに来てるのに、行かないなんて出来るわけないじゃん! 魔法が暴走したらって言われたら、ちゃんとお勉強しなきゃねって言うしかないじゃん!! 私だって、私だって……っ」
言葉にすると、もう駄目だった。
我慢していた涙が、大粒の雫となって止め処なく流れていく。
私にとってライは、我儘で可愛い弟のようで、大きく頼れる兄のようで、孤児院のみんなとはちょっと違う、血の繋がりはなくても家族のように思っていた。
孤児院のみんなは家族のような友達。
けれどライだけは、いつしか友達のような家族だと思っていた。
家族を知らない私が、ライを唯一の家族のように感じていたのだ。
それなのに家族なんて恐れ多い、お貴族様の血を引いていて、魔法が使えると聞かされて。
そして、私の立ち入れないような世界に向かっていくなんて。
家族を知らない私に出来た、唯一の家族と思っていた人が、本来手の届かないほど遠い人だったなんて……。
(そんなこと……想像出来るわけないじゃないっ)
ボロボロと泣き続ける私に、ライはどうしたらいいのかとおろおろとしていた。
こういう所は昔から変わらないのに、それでも公爵様の言った現実が私の胸を締め付ける。
公爵様は私達に近付いてきて、泣き続ける私の頭を撫でてくれた。
「この子を大切に思ってくれてありがとう。君が言ってくれたように、ライには魔法を教えなければ危険なんだ。せっかく笑って見送ろうとしてくれていたのに、こんな風に泣かせてしまって……すまないね」
「ディア……お、俺は……」
「こんな小さな子が気丈に振舞おうとしてくれていたのに、馬鹿者が」
ゴツン!と鈍い音が響く。
ライは公爵様から、力いっぱいの拳骨を受けていた。
優しいと思っていた公爵様の行動に、私は顔を上げて目をぱちくりさせる。
その拍子に、目に残っていた涙がパタパタと床に飛んでいく。
少しクリアになった視界で見たのは、ライが「痛ぇな!」と声を荒らげ、それを公爵様が叱る光景。
それはまるで本物の親子か、年の離れた兄弟のようで。
それを見た私はもう耐えきれず、勢いよく部屋から飛び出した。
(家族なんて、私の勝手な思い上がりだったんだ……! ライには、ライの居場所があったんだ……っ!!)
悲鳴にも似た「ディア!!」と叫ぶ声を振り切るように、走って、走って……。
それでも孤児院から一人で外に出るのは怖くて、結局私は敷地内の一番奥にある畑までしか行けなかった。
「うぁっ……うぅっ、うわあああぁぁん」
私が泣きながら走っていくのを何人もの子供達が見ていて、なんだなんだと遠巻きに囁いている。
私より小さい子が沢山居るのに、なんてみっともない姿だろう。
けれど、そんな羞恥心よりも胸の痛みが苦しくて悲しくて、私はわんわんと泣いた。
「おいこら、待て!」
「うるっせぇ! ディアッ!!」
ライの声に、ヒュッと涙が一瞬止まる。
振り返ると、また取っ組み合いでもしたようなボサボサ頭のライが走ってきて、そのまま私を抱き締めた。
ライは私を強く掴んだまま、親の仇でも睨むような形相で公爵様に向かって吠える。
「ディアが泣くんなら、俺は行かねぇ! 魔法なんて使えなくても強くなってやるし、そのまま封印しときゃいいだろっ!!」
「……っ! ライ…………っ」
私はそのライの言葉を聞いて、その体にしがみつきながら再びぽろぽろと涙を零した。
そしてもうこれ以上、我儘を言ってはいけないのだと――そう理解した。
私が泣けば、私が嫌だと言えば、ライはきっと頑なに私から離れないと言い続ける。
けれどそれは公爵様が言ったように、きっとライにとってよくないのだろう。
ライはお貴族様の贅沢な暮らしよりも、魔法が使えることよりも、私と居る生活を選ぼうとしてくれた。
それだけで――十分だった。
それから暫くの間、ライは昔に戻ったように、私にべったりと張り付いて離れなくなった。
私と一切離れず、引き離そうとする大人達を番犬のように威嚇する。
そんな日々を繰り返していたが、何度も説得しに訪れる公爵様と、いつかみんな孤児院を出るのだからという私の言葉に、ライは徐々に根負けしていった。
公爵領ではまだあまり被害が出ていないそうだが、このところ国全体で不作や天災が続き、更には害獣だけでなく魔獣まで増えているという。
魔法が使える人達で害獣駆除や魔獣討伐を行い、襲われた土地の復旧や支援を行っているのだそうだ。
一人でも多く、力のある魔法使いが増やせるに越したことはない。
そういった理由もあって、ライを連れ帰りたいのだと説明された。
そうして次第にライと公爵様の話し合う時間が長くなっていき、ライは十六歳を待たずして孤児院を卒業することになったのだ。