02,公爵様のお迎えと真実
それから私はライに気に入られてしまったらしい。
私は信用出来ると思ったのか、常に一緒に行動したがるようになった。
けれど逆に言えば、ライはそれ以外の人間には中々近寄ろうとしなかった。
周りに誰か居ると過敏に警戒してしまうのだ。
けれど私が居ればそうでもないらしく、孤児院での分担作業も、勉強の時間も、ライはずっと私の側を離れなかった。
少しでも離れようものなら、服の裾をはしっと握るのだ。
伏し目がちで申し訳なさそうな困った顔。
けれど手だけは素直に私を離さない。
そして私が動くのと一緒に、ひょこひょこ付いてくるのだ。
(生まれたてのアヒルの子みたい! か、可愛い……!)
それを見た院長も仕方がないと言い、食事も傷の手当ても、ライの面倒は私が見ることになった。
ライはずっと黙っていて、声をかけても頷くか首を振るかしか動作をしないから、話せないのかと思っていた。
だが三ヶ月が経つ頃。
小さな声で「ディア」と呼ばれたのだ。
私はライが話せないと思っていたため、一瞬誰の声か分からず、近くに誰か居るのかと左右を確認した。
けれどそこにはライしか居ない。
私は目を丸くしながらライに問いかけた。
「え? ライ、今もしかして……」
「……ディア」
「…………っ!?」
久々に声を出したからなのか、声はか細く掠れていたが、それはライの声に違いなかった。
一瞬呼吸の仕方を忘れてしまうほど、私は衝撃を受けた。
「ディア」
そしてもう一度ライから名前を呼ばれた時、私は驚きと嬉しさで涙が溢れてしまった。
ライの目が零れそうなほど見開いて、おろおろと慌てていたのをよく覚えている。
それから「ライ、話せたんじゃない!」とぽかぽか叩いてしまったけれど、怒ったのでは決してない。
――安心したし、嬉しかったのだ。
私に対してなのか、ここでの生活に対してなのか、いずれにしてもライが少しでも気を許してくれたような気がしたから。
それから暫くして、更に驚くことがあった。
ライは、とても賢かったのだ。
ライは、これまで私と一緒に受けていた授業の内容は全て覚えていて、一年経つ頃には文字を書くのも計算も、あっという間に追い抜かれてしまったのだ。
私は大層驚いた。
私の驚いた顔が嬉しかったのか、それとも面白かったのか、ライは私をもっと驚かせようと頑張り始めた。
ライはよく食べよく寝て、みるみる大きくなっていく。
出会った時はあんなにもヒョロガリで、私が居なければビクビクと周囲を警戒していたのに。
気付けば私の側から離れて、自警団や兵士になりたい男の子達に混ざって訓練を受け始めたり、院長からもっと勉強を教われないかとついて回ったり、誰よりも早く成長していった。
そういえば一度だけ、男の子達で取っ組み合いの喧嘩をして、院長にこっぴどく叱られていたけれど。
私が「何があったの?」と聞いても、ライは「別に」しか言わなくて、他の男の子達に聞いても気まずそうに顔を逸らされる。
モヤモヤとしていたら、ライよりも少し小さな子供達が「なんかね、好きな女の子は誰かって話をしてたよ」と教えてくれた。
(……なるほど、それは私に聞かれたら気まずいよね。でも、なんで取っ組み合いになるの?)
どうやらライは、孤児院の男の子達と恋バナが出来るようになったらしい。
一年前と比べると著しい成長と言えよう。
……そこから取っ組み合いになる理由は皆目見当もつかないが。
(私には、まだ好きとかそういうなのは分からないなぁ……。孤児院のみんなは全員好きだけど、そういうことじゃないんでしょ? 特別だって思うのはライだけど……うーん。それにしても、ライが恋バナねぇ……)
私がニヤリと笑いながら視線を向けると、ライに思いきりデコピンされた。
想像していたよりも痛くて、私は額を押さえて悶絶し、ライは吹き出して笑っていた。
そうしてライは、いつの間にか孤児院の頼れる兄貴分みたいなポジションを得ていた。
気が付けば勉強も武術も、ライが孤児院で一番になっていたのだ。
またもや私は開いた口が塞がらないほど驚いた。
それでもライは、何処へ行っても私の側に戻ってきた。
「ディア、お前歩くの遅くねぇか?」
「……うっさいわね! ライの足が速すぎるのよ!」
周りに影響されてか、どんどん口が悪く達者になっていったけれど。
あれだけ周りを警戒して誰とも話せなかったライが、みんなの輪の中で笑っているのが感慨深かった。
そうしてライが来て凡そ二年が経つ頃、公爵様が孤児院にやって来た。
また子供を連れてきたのだろうかと思っていると、どうやらライの様子を見に来たと言う。
ライは個室に呼び出されたのに顰めっ面をしていて、何故か昔のように私の服の裾を掴んで離さない。
見兼ねた院長は溜息を吐いたあと、私も一緒に個室に入りなさいと言ってきた。
(えっ。私、礼儀とか何も分かんないのにっ!?)
まさか公爵様と会うなんて。
私は突然のことに慄いていた。
恐怖ではなく粗相をしないか心配していたのだが、どうやらライは私が怯えていると思ったらしい。
私を守るようにずんずんと歩き始めた。
(違うのよ! ライが服を離してくれないから同行することになっただけなんだよ!?)
そんな思いが届くはずもなく、ライは喧嘩腰で荒々しく個室の扉を開くと、ギラリと睨み付けるように公爵様へと相対した。
私はもう白目を剥きそうだった。
「なんだなんだ。随分威勢良く育ったな。――元気そうで何よりだ」
あまりにも失礼極まりない態度だというのに、公爵様は大らかに笑っていた。
いや、公爵様の瞳は笑っていながら少し潤んでいるようだった。
私はそこで気付いたのだ。
公爵様と成長したライを見比べて、どことなく顔立ちが似ていることに。
ミロキエサル王国の中でも南方に位置するソログラシア公爵領には、褐色肌の人も少なくはない。
肌の色が近いからと言っても血縁関係ではないことなんて多々あるというのに、それだけでは言い表せないほど二人は似ている気がしたのだ。
どういうこと?と私の不安は募っていく。
そんな私を置き去りに、話は進み始めた。
「……ライ。お前はもうすぐ十五歳になる。来年になればお前を孤児院に置いておけなくなる」
「えっ!? ライ、もう十五歳になるの!?」
確かにライはすくすくと成長し、気付けばもう百七十センチ以上に育っていた。
まだまだ成長盛りのようだから、百八十センチにも達しそうだ。
しかし私は、ライがもう十五歳になるとは思っていなかった。
孤児院には年齢が曖昧な子供も多い。
拾われてきた子供や、自分の年齢が覚えられない歳の頃に親を失った子供なんかは、誕生日や年齢が分からないからだ。
私は赤子の時に拾われたため年齢にズレはないだろうが、誕生日は分からないからと孤児院に拾われた日が誕生日となっている。
だから孤児院では、見た目で推定年齢を決められることがよくあるのだ。
ライがここに来た時、それなりに成長した年齢ではあったが、栄養不足で体も小さくボロボロだったせいもあり、正しく判断が出来なかったのだろう。
当初私と同じくらいじゃないか?と言われていたため、私と同じくまだ十二歳くらいだと思っていた。
まさかもう十五歳になるとは思っていなかったのだ。
――いや、本当はそう思いたくなかっただけかもしれない。
これだけ体格が変わって、ぐっと大きくなっていく姿を見て、実はもう少し年齢が上なのではないだろうかと他の子供達も思っていたかもしれない。
それでも私も、誰も言い出さなかった。
孤児院では推定年齢が全てで、その年齢が成人に達するまではここに居続けられるから。
そんな考えから、誰もライの年齢を探ることをしなかったのだろう。
「それで? 俺にどうしろって言うんだよ」
「ちょ、ちょっとライ、言葉遣い……っ!」
「ディア、大丈夫だから気にすんな」
何が大丈夫なのかまるで分からない私は、何言ってんだコイツ……という顔でライの顔を見上げるしかない。
そんな態度に公爵様はフッと笑う。
「一丁前に男ぶって……まぁいい。自警団や兵士の訓練を受けながら、教養の授業もある程度熟していると院長から聞いている。お前はどうしたいんだ?」
「どうもこうもない。俺はこの孤児院が守れればそれでいい」
「でも、ここでは魔法は教われないだろう? お前には間違いなく才能がある。普通の訓練ではなく、そっちの勉強もした方がいいはずだ」
公爵様の言葉に、私の不安はどんどんと膨れ上がっていく。
――魔法が使えるのは、貴族の血が色濃い人間だけ。
だから平民の私達が教わる授業には、魔法の勉強なんていうものは存在しない。
文字や計算を教われれるだけでも凄いことだと言われてきた、サグラードの孤児院。
そんなここでも、魔法の教科書は見たことがない。
だって魔法は、お貴族様だけが使えるものだから……。