01,私と手負いの獣のような少年
私はディア。両親は知らない。
私は生まれてすぐの赤子の頃、木々が色付き始める季節に捨てられていたらしい。
孤児院の入口に私を置き去りにした人は、ご丁寧にも『どうか私の代わりに娘を、ディアを育ててください』と美しい字の手紙を添えていたそうで、私の名前はそのままディアになった。
ミロキエサル王国では神殿に孤児院が併設されていて、公爵領の中心都市であるこの街、サグラードの孤児院で私は育った。
親が居ないことを馬鹿にしてくる人も居たけれど、多くの大人達は私達孤児に優しく温かかった。
それというのも、この街を治めているソログラシア公爵様は、成人前に両親と姉を事故や病により失い、とても苦労されたそうだ。
自身の経験からか、公爵様は平民に対しても片親の家庭や孤児院へ、多くの支援をして下さっているのだ。
他にも領民を思った政策や対応が多い。
そういった良い影響を領民達も受けているのか、この街には心優しい人が多かった。
けれど、私のようにこの街しか知らない孤児達も多い。
孤児院の院長や神殿の神官達から、
「孤児がこれほど食うに困らず、綺麗な建物や暖かなベッドがあるのは素晴らしいことなのですよ。街の方々も優しい方が多いでしょう? この生活が送れていることに感謝しなければいけませんよ」
と言われても、私達は「ふーん」と話半分に聞いていた。
だって、比べる材料や知識がなく、今の生活への有難みが分からなかったから。
時には親が居ないことを嘆き、一人の自分を不幸に思う子供達も多かったし、私だって同じように感じていた。
けれど大きくなるにつれ、大人の言っていたことが分かるようになっていった。
公爵様は時々どこからか子供を拾ってきては孤児院に預けに来るのだが、大抵骨の浮いた体とガサガサした肌の子供達ばかり。
痩せすぎているせいか、子供らしく大きな目はギョロリと浮き出て不気味に感じてしまう。
以前、院長が読み聞かせてくれた「苦しい……悲しい……」と嘆きの声を上げるおばけのよう。
なんてことない、私達が普段当たり前に食べているパンやスープを、彼らは「美味しい、美味しい……」と涙ながらに掻き込んでいた。
それを見て、ソログラシア公爵様もこの街の人達も、本当に良い人達ばかりで恵まれた所で暮らせているのだと……私は漸く理解したのだ。
孤児は、成人の十六歳になれば孤児院を出なければいけない。
多くは神官や巫女を希望するが、公爵領では神官や巫女の希望率が高く、その上退職率も低い。
あまりにも人員が増えすぎてしまえば、王都にある大神殿から異動指示を出されてしまうこともあるらしい。
公爵様の持っている領内ならまだいいけれど、全く見知らぬ領主が管理している、それこそ子供があのような有様になるような地に飛ばされるかもしれない。
――そんなの嫌。
私はこの街で生きていきたい。
この街に、公爵領に貢献して、恩を返したい。
そう思い、私は街の食堂で働くことに決めた。
食堂で料理を学び、休みの日、孤児達に手軽で美味しい料理の仕方を教えてあげられたらと、そう考えたのだ。
そう決めてから、私は院長が教えてくれる基礎学問の授業を真剣に受けるようになった。
家事も必死に取り組むようになり、不器用だから苦手だった繕い物も、指に針を刺しながら少しでも上手くなるようにと励んだ。
そんな私に触発されたのか、それとも私と同じように、他所からやって来た子供達を見て影響されたのか、他の子供達も前より意志を持って励んでいるように見えた。
私と似たような考えを持つ子供が現れ始め、元々神官や巫女を目指していた子供達の中からも、宿屋や職人、自警団など、この街で生きていくための職を希望する子供が増えていった。
同じ年頃の子供達にとってあの一件は、この生活が当たり前ではないと知るきっかけになったのだろう。
孤児院での生活を続けていると、私が十歳になったばかりの頃、公爵様が新たに一人の少年を連れてきた。
それがライだった。
ライは……何故か簀巻きにされて運ばれてきた。
私含め子供全員「何あれ?」「お仕置き?」「何か悪さでもしたのかな?」と、その姿を見て唖然としていたが、理由はすぐに分かった。
紐が解かれた途端、枯れ木のような腕で乱暴に布を引っペがし、その体は後方に跳躍した。
砂埃を上げて布がバサリと地面に落ちる。
その間にライは部屋の隅に逃げ、威嚇するようにこちらを睨み付けていた。
その姿はまるで手負いの獣そのもの。
公爵様と同じ褐色肌で、更に黒くボサボサな髪も相まってか、小さな猛獣を思わせた。
濁った青い瞳は眼光鋭く、ピリピリと殺気立っているのが見て取れる。
ライは明らかに周りを警戒していた。
そんなライは痛々しいくらいにボロボロだった。
ひょろりと細長い体はガリガリに痩せこけ、更に傷や痣が至る所に見える。
きっと日常的に殴られたり蹴られていたに違いない。
(ひ、酷い……っ! 肌が黒くても分かるくらい、いろんなところが変色してる……。きっとご飯も全然食べさせてもらえなかったんだろうな……)
その姿を目の当たりにした私は、まるで自分が痛め付けられたように心が痛んだ。
あまりの生々しさに、ぎゅっと唇を噛み締めても体が震えてしまう。
大人達は何度か治療のために近付こうと試みるも、ライは今にも噛み付いてきそうな状態で、治療どころか近くに寄ることさえ難しそうだった。
全員がどうしようかと頭を悩ませているのを見た私は、せめて何か食べさせてあげたくて、食堂から水とパンを取ってくることにした。
手渡すのは難しいかもしれないからと、少し離れた所に置けるよう、お皿も一緒に持って。
こちらが少し動いただけでも、ライはビクリと体を震わせて唸り声を上げる。
私は出来る限り刺激しないよう、ライから少し離れた所にお皿を置いてパンを乗せ、その横に水の入ったコップを置いた。
そこからもう少し離れたところにお皿とパン、そしてコップを同じように置くと、その前に私は座る。
ライはじっとこちらを見たままピクリとも動かない。
私は黙って食前の挨拶を述べると、パンをちぎって口に運んだ。
(大丈夫。このご飯は美味しいよ)
私はそう伝わるように、時々視線を合わせて微笑みかける。
暫くそうして食べ続けていると、前からぎゅるる……と豪快なお腹の音が響いた。
酷く悲しそうな表情を浮かべ、お腹を抱えるライ。
チラリと私を見遣ると、ギュッと顔を顰めたまま、ライはそろりと前に出てきた。
私から目を逸らさないまま、手を伸ばしてサッとパンを引っ掴むと、すぐに後退してガブリとそれに噛み付いた。
むぐむぐと咀嚼していたが、そのうち瞳から大粒の涙がポロポロと零れていく。
しゃくりながら、ライは無心でパンを貪っていた。
けれど、慌てて食べたせいか喉を詰まらせてしまったらしく、ゲホッと噎せ始めたのだ。
それを見た私は、考えなしに飛び出していた。
私が突然近付いたせいか、驚いたライは暴れ出した。
振り回される手は私の頬や体を何度も掠める。
けれど私はその手を払ってライを掴み、
「いいから! 早く水を飲んで!!」
とコップを押し付けた。
恐怖に揺れる瞳は私を視界に入れながらも、次第に息苦しさが勝ったのか、私からコップを引ったくってゴクゴクと水を飲む。
ゲホゲホと噎せる背中をゆっくりと摩っていると、今度はライの体が震え出した。
何処か苦しいのか、それとも私が怖いのかと慌てて覗き込むと、ライは私の服の裾を掴んで泣いていた。
そして、叩いてしまった私の頬を撫で始めたのだ。
(……この子、本当はとても優しい子なんだろうな。私のこと、今もきっと怖いはずなのに)
私はその両手をぎゅっと握り締める。
細くガサガサで冷たいその手を、少しでも温めてあげられるように。
「……いいよ、気にしなくて。それよりほら、美味しいでしょ? 早く食べて、傷の手当てをしよう?」
私がそう言うと、ライは泣きながら一生懸命パンを食んでいた。
私の服の裾を、ずっと握って離さずに……。