絶望感
自分の場所について考えたことはあるだろうか。私はある。いつも考えて考えて行動している。考えすぎているのは分かっている。誰しも楽観的な性格になれるわけではないのだ。常に自分の場所を探している。今日はどんな場所に行くのか。どの場所を選べばいいのか。居場所探しとでも呼んでおこう。
私は今年の4月から高校1年生になったごく普通の15歳の少年だ。15年もこの世界を生きていると色々と思うことがある。私は何のために生まれたのか、自分の立ち位置、そして居場所。頭の中で500円玉くらいのサイズの芋虫という名の悩みが脳みその中で静かに時に激しく暮らしている。そんな気分だ。私は自分の悩みを人にはあまり言わない。というか悩みを言語化して相手に伝える能力が私には欠けている。「ちょっと聞いてよ」「最近付き合った彼氏がさ~」などよくもまあ気軽に自分のプライベートな情報を赤裸々にもならずに話せるものだ。全く理解ができない。私だったら、彼氏と付き合ったという貴重で付加価値の高い商品を易々と提供することを好まない。
「サッカー部?仮入部って、サッカー部にした?」とクラスメイトの一人が話しかけてきた。
入学式も終わって4月から始まった高校生活にも慣れてきた頃、高校での居場所探しが始まろうとしていた。高校生活が始まってから近くの席に座った者(出席番号が近い者)とはある程度話すようになり中も深まってきた。しかし、いきなり話しかけてきたこの人名前は知らない。
「いや、サッカー部じゃないよ」と私は怪訝そうに返事をした。
「すごくサッカー部ぽい顔してたからさ、サッカー部だったら仮入部一緒に行こうと思って」とクラスメイトの一人は明るい表情で話した。
「初めて言われたよ。俺は元ソフトテニス部だからテニス部に行くよ」
私は中学3年間ソフトテニス部に入っていた。なんでソフトテニス部に入ったかは今では覚えていない。なんとなくという言葉一番当てはまる。運動神経は良いわけではないが悪いわけでもない。運動神経が悪いなら運動部になんて入らず、文化部に入っていただろう。良くも悪くもないという半端な気持ちがあるからいつも決断を鈍らせる。この世界には白と黒というはっきりとしてものは存在しない。何か良いことが起これば、良いことを埋め合わせするように悪いことが起きる。そして最後は無になるんだ。結局最後は無になるのなら初めから良いことなんて起こらなければいいのに。
高校での部活選びは簡単だった。中学の時にソフトテニスをしていたという理由でテニス部に選ぶことができるのだから。私が本当にテニスが好きでテニス部に入ったわけではない。ただ、帰宅部よりは部活に入っていた方が将来の過去のエピソードを作りやすい。文化部よりは運動部の方が運動神経がいいのかなと思われそう。そんな理由で選んでいる。なんて口が裂けても言えなかった。寧ろ、テニスを好きになりたかった。好きになるということは嫌いになることよりも難しい。好きという感情は本能的に求めている感情なのだろうか。私には好きになることの根本的な意味について理解していない。