9.人喰いの森での、運命の出会い
数日後、僕たちはいわゆる人喰いの森とあだ名される、イゼリアの港町から北東へ数日歩いたところにあるオルクウェールの森の中にいた。
ルードやベネッサはかなり危険度と難易度が高い仕事を冒険者組合から回されてしまったらしく、最初は断ろうかと思ったらしいんだけど、どうしてもと拝み倒されてしまい、やむにやまれず引き受けることになってしまったということらしい。
しかも運の悪いことに、その仕事には必要最低人数というものが設定されていて、危険だからと、三人以上で仕事して欲しいと言われてしまったのだそうだ。だから、普段から二人で仕事を請け負っている彼らでは人数が足りず、一緒に仕事してくれる人間を探していたのだとか。
そんなわけで、僕の加入によって晴れて仕事を遂行することが可能となり、ここへと足を運んだという次第である。
それで、肝心の依頼内容だけど、これは実に単純明快。
『リチノア村に住むバクータという青年が、オルクウェールの森に入ったまま何日も戻ってきていない。おそらく一刻を争う事態。報酬は弾むから至急、探し出してくれ』
とのことだった。
リチノア村というのは人喰いの森のたもとにある小さな村落である。
僕たちは、まずはその村を訪れ、村長から詳しい事情と行方不明者の特徴を聞いてから、森の中へと踏み入ってきた。
それが、数時間前の出来事である。
「にしても、本当にここは不気味な場所だな。まだ日も暮れてないっつうのに、薄暗くて視界がまったく確保できないぞ」
「そうね。それに、どこかおかしな気配も感じるわね。さすが人喰いの森とあだ名されるだけのことはある、ってところかしら」
原生林を思わせる鬱蒼と生い茂った森の中を、二人はランタン片手に僕の前を歩いていた。時折垣間見える彼らの顔は、二人して渋い顔となっている。
「確かにね。これだけ闇が濃い場所だと、やっぱり噂は間違っていなかったってことなのかもしれないね」
この森が人喰いと恐れられている理由はただ一つ。一度入ったら最後、二度と生きて帰れないと噂されていたからだ。
実際、この森の奥深くまで入って戻ってきた人間は、誰もいないと言われている。
入ってすぐのところであれば、さすがに出られない、なんてこともないんだろうけど、奥に行けば行くほど、多分、本当に森に喰われる。
方向感覚も狂うし、何より、この森にはあれがあるからだ。本当に人間だけを抹殺するあれが。
「ちっ。段々、どこに向かってるのかすら、わからなくなってきたな。方位磁石も先程からまったく役に立たなくなってきてやがるし」
「一応、木に目印はつけてあるから、最悪、それを頼りにすれば出られると思うのだけれど」
この大樹海の中は巨木がそこら中にひしめき合っていて、その合間を埋め尽くすように丈の長い草が生えていた。
大地が剥き出しになっていたり、大樹の根っこが表層へと突き出ていたりする場所もある。
一見、草が生えていない場所であれば歩きやすそうにも見えるんだけど、地面が凸凹しているので、やっぱり歩きづらい。
それでも、草をかき分けながら進む必要がないから幾分マシだった。
そんな悪路を僕たちはひたすら歩き続けていた。ルードたちが懸念する通り、今現在、どこを歩いているのかも大分わからなくなってきている。
時間感覚まで麻痺してきた。
上を見上げても、森に入ったばかりの頃は木漏れ日が差し込んでいたというのに、今となってはまったくそれもない。光が差し込まないぐらい、枝葉が密集しているからなのか。それとも既に夜になってしまったからなのか。それすらわからなかった。
一応、この世界には既に懐中時計なんてものも発明されているので、それを確認すれば時間ぐらいわかりそうなものだけど、悲しいかな。方位磁石同様、時計の針がぐるぐる回ってしまっていて、まるで役に立たなくなっていた。
ちなみにだけど、この世界の時計は十二神法と呼ばれるもので現されていて、一日の時間を十二等分している。即ち、時間の最小単位は一神刻(約二時間)となる。
他にも、時計とは別に四半刻(約三十分)という言い方や、一時(約二時間)と表現することもあるけど、基本的に時計の針は十二しかない。
「なんだか本当に嫌な気配だね。このまま闇雲に歩きまくっていたら、僕たちまで迷子になっちゃいそうだよ」
「だな。これじゃ、人捜しどころの騒ぎじゃねぇぞ」
そう言って、先頭を歩いていた大男が立ち止まった。殿を務めていた僕の前にいたベネッサも、自動的に立ち止まる。
「どうするよ?」
ルードがベネッサを振り返った。
「私に言われてもね。でも、多分、もう日も暮れているかもしれないし、この森の中に何が潜んでいるのかわからないから、どこか安全そうな場所で野営して、進むのか戻るのか判断した方がいいかもしれないわね」
「やっぱりそうなるか。本来なら、いったん引き返すべきなんだろうけどな」
ランタンの明かりだけに照らされたルードの顔は、いつも以上に険しい表情となっていた。
彼が懸念していることはなんとなくわかる。既に僕たちもかなりの時間、森の中を彷徨っていた。
こんな場所をぶっ続けで徘徊していたら、どんなベテラン冒険者であっても、精神に変調を来しかねない。
だったら、一回頭と身体を休めた方がいいというのが一般的だけど、それは普通の場所でのこと。
ここは曰く付きの人喰いの森である。何が起こるかわからない。だから迷ってしまうのだろう。
「とりあえず、僕もいったん休憩を入れた方がいいという意見には賛成かな。交代で見張りを立てておけば、そう酷いことにはならないと思います」
まっすぐ見つめる僕の視線を受け、ルードとベネッサは互いに顔を見合わせたあと、
「まぁ、それしか選択の余地はねぇか」
見るからに荒くれ者といった感じで口の悪いルードは、そう言って肩をすくめながらニヤッと笑った。
◇◆◇
バチ、バチバチッと木が爆ぜるような音がした。
銅色の炎が微風にあおられ、ふわりと揺れた。
どこか遠くの空から、リーンリーンと、虫たちの奏でる夜想曲が鳴り響いている。
夜光幻虫が身体を発光させながら木々の間を舞い飛び、小さな飛び虫たちが炎の明かりを身にまとって草むらの中を飛び跳ねていた。
今、僕たちがいる場所は、先程よりも更に少し奥に入ったところにある開けた場所だった。
大体二×五フェラーム(約三×七メートル)ぐらいの、大地が剥き出しとなっている空間。そこを野営地と定め、先に僕が見張り役を買って出て、ルードたちは木にもたれるようにそれぞれ身体を休めていた。
「それにしても、本当にここはあの人喰いの森なんだな……」
この世界に生まれてから今日に至るまで、ずっと夢見てきたあの子。そんな彼女がいるはずのこの森に、今こうして僕もいる。まるで実感が湧かなかった。
さすがに十九年もこの世界で生きてきたから、既に世界の仕組みとか常識といった概念は、嫌と言うほど身に染み付いている。
未来の歴史として、自分の中にあった知識とまったく同じ光景をこれまでにもさんざか目にしてきたし、経験もしてきた。だからこそ、余計に緊張が増してきたような気がする。
僕の記憶や知識が確かなら、もう間もなく、彼女と運命の出会いを果たすことになるだろう。
そのとき、本当に僕たちはお互い、切っても切れない赤い糸で引き寄せられるのか。それともまったく違った巡り合わせとなってしまうのか。
はたまた、そもそも彼女とはまったく会えずにこの森を去っていくことになるのか。
「……ダメだ。考えれば考えるほど、気が滅入ってくる」
何がなんでも彼女と出会い、そして、どんな手段を使ってでも命を救わなければならないというのに。
「くそっ……」
次第に胃の腑がキリキリと痛み始めてきて、それを抑えるように、僕は焚き火に薪をくべた。
と、そんなときだった。
「なんだ……? ――歌……か?」
それまで周囲を占めていた虫たちの声や焚き火が爆ぜる音、更にはルードのいびきとは明らかに異質な調べが、森の奥の方から聞こえてきたような気がした。
とても澄み渡っていて美しく、ともすれば微風や雑音によってかき消されてしまいそうなほど、か細い声色。
それが今も、断続的に聞こえてきていた。
「これは……そうだ。間違いない。これは……」
あの子の声だ!
実際にあの子の声を耳したことなんか一度もない。だから同一人物かどうかなんてわからないはずなのに、なぜか本能的に彼女のものと確信していた。なぜなら、本来の歴史でも、同じような出会い方をしていたからだ。
「こうしちゃいられない……!」
焚き火の前に座っていた僕は慌てて立ち上がると、ルードに近寄り、肩を揺さぶった。
「ルード……! 起きてっ。ルード……!」
本来の歴史だと、僕は二人を起こさずに彼女の元へと誘い込まれるように歩いていってしまうけど、それがそもそもの過ちだった。一人で行動したからこそ、結果的に悲劇へと繋がる小さなフラグが立ってしまったのだから。
「……んん……なんだ? もう交代の時間か……?」
大男は目元をこすりながら不機嫌そうに呟く。僕は構わず小声で続けた。
「声が聞こえるんだ」
「声だぁ……?」
相変わらず眠そうにしながら聞いてくる。
「そうなんだ。なんて説明していいかわからないけど、多分女の子の声。あまり大きな声出すと気付かれちゃうから、これ以上は説明できない」
ルードはさすがに僕の反応がいつもと違うことに気が付いたのだろう。あれだけ寝ぼけていたのにすぐさま戦士の顔になると、聞き耳立て始めた。
「確かに……なんか声が聞こえるな。だが、どうしてこんなところに女の声が? バクータとやらは確か男だったと思うが……。ひょっとして、他にも迷い人がいるってことか?」
「わからない。だけどとにかく、彼女に気付かれないように確認しにいきたいんだ」
止まない胸の高鳴りを必死に堪えながらじっと見つめる僕に、ルードは軽く肩をすくめてから立ち上がると、音も立てずに少し離れた場所で寝ていたベネッサを起こしにかかった。
「……こんなところに女の子って、確かに変ね」
彼女は眠りが浅かったのか、それとも寝覚めがいいのか。すぐにシャキッとして普段通りの頼れる先輩冒険者といった顔つきになっていた。
さすが二人とも熟練の冒険者なだけはある。
二人の関係性がいったいどうなっているのかはわからない。いつも一緒にいるみたいだし、一見すると恋人同士に見えてしまうけど、実際のところ、そういう関係でもなさそうなのでいまいちよくわからない。
ルードは飄々としているところがあって掴みどころがないし、ベネッサの方は故郷に残してきたファー姉さんのように、優しいけど厳しい一面もある。そんな雰囲気の女性だった。
いずれにしろ、頼りがいのあるいい兄貴分と姉貴分。そんな二人だった。
「とにかく行ってみよう」
僕の声がけに二人は頷くと、焚き火を消してから森の奥へと歩いていった。
ランタンはつけず、月のか細い明かりが木漏れ日のように天から降り注いでいたので、それを頼りに進んでいった。
やがて、どれだけ歩いたかわからないけれど、先程野営していた場所よりも、更に開けた広大な空間が目の前に現れた。
丈の短い草だけが生えた、円形状の広場のような場所。天には満天の星々と大きな満月が浮かび、広場中央には巨大な岩が転がっていた。
その空へと伸びるように尖った岩場の一番上に、何かがいた。
月光を背にした人型の影。
周囲には夜光幻虫が飛び交い、色とりどりの光をまとわせながら、心に染み渡る柔らかくて愛らしく、それでいて美しい調べを辺りに舞い踊らせていた。
とても形容しがたいその蠱惑的な歌声が、静粛な原生林のみならず、僕の心の奥底へと響き渡っていく。
僕は岩上のそれ――彼女をじっと眺めながら、思わずぼそっと呟いてしまった。
「やっと……会えたね。ずっと、このときを待っていたんだ……」
早鐘のように脈打つ鼓動に翻弄されながら、僕はひたすらそれを見続けた。
薄暗がりでよくはわからなかったけど、確かにそこに彼女がいた。
後背に淡く光り輝く、力の翼を広げた天使が。
本作に興味を持っていただき、誠にありがとうございます!
とても励みとなりますので、【面白い、続きが気になる】と思ってくださったら是非、『ブクマ登録』や『★★★★★』付けなどしていただけるとありがたいです。