64.崩壊
目が覚めたとき、大激震に見舞われていた。
「ここ……は……?」
どうやら僕はまだ死んではいなかったらしい。
何かに掴まっているようで、激しく上下に揺さぶられていた。
「気が付いたかっ、リル!」
「ルード……?」
状況がよくわからなかったけど、すぐ目の前に裾が刈り上げられた茶褐色の短髪頭があった。どうやら僕は、彼におぶられているらしい。
「いったい……何がどうなっているんだ……? ここは……?」
周囲へ視線を投げると、遙か下へと続く長大な螺旋階段を時計回りに下っている最中のようだった。右も左も亀裂の走った壁に覆われている。
それらが時折、夜光幻虫のような明滅した光を放っていた。
「説明してる暇はねぇっ。もうじきこの塔はすべてが崩壊して瓦礫の山となっちまう! その前に脱出するしかねぇんだっ」
ルードはそう怒鳴り声を上げて、更に階段を下る足を速めた。
「いいかっ。おめえさんのこと気遣ってる余裕なんかねぇ! 舌噛まねぇように口閉じてろ!」
そう宣言した通り、そのあとは一切口を開かなかった。
どうやら先程感じた激しい振動は、ルードに背負われながら階段を下りていることだけが原因ではなかったようだ。
下から突き上げてくるような衝撃と、時折身体のバランスが崩れそうになるほど激しい横揺れが塔全体に広がっていた。
壁も天井もあちこちから崩落が始まっていて、細かな瓦礫がそこら中から降ってきていた。
足下の階段にも壁同様亀裂が走り、ところどころ、断層が生じて崩れていた。
そんな不安定な状態で僕たちは階段を下っていたらしい。
広いルードの背中の肩越しに前方を確認してみると、カャトを背中に背負ったアーシュバイツさんが先頭を行き、その次にルードの大剣や僕の剣を両腕に抱えたベネッサが走っていた。
その後ろに僕たちが続き、振り返った真後ろには、小猿二匹を抱きかかえたオルファリアが懸命になって走っていた。
彼女は僕と目が合うと、何も言わず、ほっとしたように微笑んでくれた。
そんな彼女の後ろにディアナが続き、アーリを抱えたバーミリオンが顔面蒼白で走っている。
そして、最後尾には背中から光り輝く翼を広げたアルメリッサがいた。
どうやら全員無事だったらしい。
だけど、いまいち状況がわからない。なぜ研究塔が崩壊しようとしているのか。そして、結局ザーレントの遺産はどうなったのか。
しかし、それを確認できないまま、ひたすら走り続けた。
時々右側に扉のようなものが見えた。それを見た僕は頭をぼーっとさせながらも、「そうだった」と、いろいろ思い出していた。
この研究塔には最上層の研究室以外にも、様々な部屋が作られていた。中には拷問部屋としか思えないような場所まで。
本来の歴史では、いろいろあってフランデルクに捕まってしまったディアナが鎖に繋がれ宙吊りにあい、酷い大怪我をしていたのだ。
だけど、今生ではそうはならなかった。
バーミリオン兄も、本当なら今こうして、僕たちと一緒に行動してはいない。
いろんなことを知っていたからか、彼らに対して少なからぬ不快感を抱いていたけど、今生ではまったく敵対することなく、一緒に危機を乗り越えた彼らが五体満足でいられたことに、少しだけほっとした。
「――危ない!」
一人思考に耽っていたら、突然バーミリオン兄の鋭い声が発せられていた。
慌てて後ろを振り返ると、塔の揺れに体勢を崩したオルファリアが、断層によって隆起した階段に足下すくわれつんのめっていた。
しかし、それに気が付いた背後のディアナが、
「オルファリア!」
咄嗟に両腕伸ばして彼女の右手を掴んでいた。
「おいっ。大丈夫か!?」
ルードが立ち止まり、後方を振り返った。
「は、はいっ……なんとかっ……」
「わかったっ。だが、もたついてる時間なんかありゃしねぇ! 急がねぇと崩壊に巻き込まれてすべてが終わるぞ!」
それだけを叫んで走り出した。
「ありがとうございます……!」
足を止めているオルファリアたちからそう声が聞こえてきた。
「いいわよ。だけど、とにかく気を付けてよね!」
「はい……!」
オルファリアとディアナが顔を強ばらせつつも、微かに笑顔を浮かべていた。
離れていくそんな彼らを見て、僕は妙に心が熱くなった。
人間は決して、自分たちと違う存在を対等とは認めたりなんかしない。恐れ、嫌悪し、挙げ句の果てには迫害すら厭わないだろう。
だからこそ、決してわかり合えないはずの僕たちだったけど、それでもああいう姿を見てしまうと、嫌でも信じたくなってくる。
人と幻生獣がわかり合える未来が、いつか訪れるんじゃないかって。
「――見えてきたぞ! 最下層だ……!」
そのとき、先頭を走っていたアーシュバイツさんが叫んだ。
「時間がないわ! 揺れが激しくなってきた!」
ベネッサも振り返りながら叫んで、階段の奥へと消えていった。
「急げ急げ急げぇぇ~~!」
おたおたしながらルードがドカドカ駆け下りていく。僕は後方を振り返った。
オルファリアたちも必死の形相であとに続いていたけど、最後尾を走るアルメリッサの更に後ろの階段が、上の方から崩れ始めていた。
「オルファリアっ。あと少しだからがんばってっ」
大分気力体力が回復してきた僕は、激しい揺れに耐えながら思わず叫んでしまった。
「はいっ」
「ひ~~~~っ、死ぬ! 死んじゃうわよっ」
「泣き言言ってんじゃねぇ! こんなところでくたばってたまるかよっ」
短く返事したオルファリアに続いて、ディアナが悲鳴を上げ、バーミリオンが顔を引きつらせながら叫んだ。
しかし、そんな彼らの希望を打ち砕こうとするかのように、天井から落下した巨大な瓦礫が頭上へと降り注いできた。
「危ないっ……」
それを目撃した僕は戦慄に絶叫していた。
愕然としながらも、駆ける足を止めない三人。それが功を奏したのかわからないけど、最後尾にいたアルメリッサが力を爆発させて、瓦礫すべてを光の粒子に変えてしまった。
「まさか……原子分解したのか……?」
人の身体だけでなく、無機物にも当然精霊力は宿っている。彼女はそこに働きかけて、粉微塵に粉砕してしまったのかもしれない。
末恐ろしきは幻生獣たちが持つ本物の精霊神術の力ということだろうか。人間である僕には到底真似できない諸行だった。
「見えたぞっ。出口だっ」
最後の階段を下りきったルードが叫んだ。丸いホールの形になっていた最下層には、上層から降ってきた瓦礫が山となってそこら中に堆積していた。
そんな一角に、開け放たれた状態の扉があった。
「やっぱり……あそこから入ってきたのか……」
最初からああなっていたのか、それとも先行して外に飛び出していったらしいアーシュバイツさんたちが開けたのかはわからない。
だけれど、死亡したシュバッソは、おそらくあの扉を見つけてなんらかの方法で隠蔽解除し、この塔の中へと侵入を果たしたのだろう。そうでなければ奴があそこに現れたことの説明がつかなかった。
ともあれ、僕はルードの背に揺られながら、一気に外へと飛び出していった。
天に伸びる剣のような岩山をくりぬき作られていた研究塔は、既に半分ぐらいの高さとなっていた。
本来あったはずの上層部分がすべて岩石や瓦礫となって、塔内部や周辺一帯へと落下していた。
研究塔の周辺は開けた場所となっていたけど、そこら中が土砂で埋もれている。
既に夜空は白み始めていて、もう間もなく、夜明けとなる、そんな頃合いだった。
「このままだと塔の下敷きになっちまうぞ!? お前ら急げぇぇ~!」
できるだけ塔から離れようと、ルードが森の中へと駆け入りながら、遅れて外に飛び出してきたオルファリアたちに檄を飛ばした。
彼女たちは何度も足をもつれさせながら懸命になって走り続けた。
そして、全員が森の中へと入った頃、轟音響かせながら、大地が激しく鳴動した。
足を取られて体勢を崩したルードから弾き飛ばされた僕は、二人して大地に転がった。
後方のオルファリアたちも同様に地面に倒れ伏した。
僕たち全員が愕然と塔がある方向をじっと見つめる中、ひたすら土砂が崩れ落ちるようなけたたましい騒音が奏でられていった。
退避した森の中へと土煙が流入してくる中、背の高い樹木を住処にして眠っていたらしい鳥たちが悲鳴を上げ、一斉に飛び立った。
そうして、すべての音が鳴り止んだとき、僕たちは立ち上がってゆっくりと塔があった場所へと引き返していった。
視界の先、そこには何もなかった。
かつて古代王国時代、勇名を馳せた大貴族アイオリアス・エルギ・ザーレントとアルメリッサの二人が心血注いで作り上げた研究塔は跡形もなく消滅し、ただの瓦礫の山と化していた。
ところどころから鉄筋や金属の棒みたいなものが外へと飛び出している土砂の中に、なんらかの機械のようなものが埋もれている。
それらは火花を散らすこともなく、怪しげな瘴気を放つこともなく、ただのゴミの山となって沈黙していた。
そんな姿を眺めていた僕の胸には、様々な思いが交錯していった。
まったく予定調和とはいかなかった今回の旅。
もっとうまくやれていたんじゃないかという思いが、際限なく湧き出てくる。だけど、それでも僕たちはこうして生きている。それだけで満足すべきなのだろう。
「ぉ~~~ぃっ……」
一人物思いに耽っていたら、無数に漂う人の気配が後方から急接近してくることに気が付いた。
瓦礫の山の前で佇んでいた僕たちは訝しげに振り返った。
「あれは……族長様たち……?」
僕の真横に寄り添うように佇んでいたオルファリアが、そう声を発した。
そしてそれは現実となった。
「お前ら無事かぁ~!」
先陣切って森から飛び出してきた緑色の小人。それは紛れもなく、カャトの父親であるオーバルザーラの族長だった。
「とうちゃ~~ん!」
族長を筆頭にわらわらと姿を現す小人たちを始め、幻生獣の村の者たちと思える雑多な種族たちが大勢顔を見せる中、カャトが族長へと駆け寄っていった。
僕はそんな親子の姿を見て、胸にじ~んと来るものがあったんだけど、
「こぉのっ、きかん坊めがっ」
感動の再会と思いきや、髭親父のげんこつが息子の頭に炸裂していた。
カャトの髪の中にいたピューリがびっくりして外へ飛び出す。
「いってぇぇ! 何すんだよっ、じじぃ!」
「うるさい黙れっ。お前は何度言ったらわかるのだっ。勝手に村から出るなとあれほど言っておろうがっ」
「そんなこと言われたって知らないよっ。おいらは興味が湧いたらとことこ調べなきゃ気がすまないんだからっ」
「なんだと!? ふざけるな、小童がっ」
互いに睨み合う緑髪のちびっ子親子。一方では、
「アーリ!」
「おかぁ様ぁ~!」
猫耳と猫の尻尾を生やした人間の女性のような姿をした幻生獣へと、アーリが飛びついていった。
おそらく、あれがアーリの母親ということか。
「ホントにもうっ。この子は心配ばかりかけてっ」
こちらも激おこで引っ叩くかと思ったけど、胸に抱きかかえた幼子をぎゅっと抱きしめて、愛しそうに頬ずりしていた。
「ごめんなさいなのです! でも、アーリ、いっぱいかつやくしたのです!」
涙を浮かべながらも彼女は振り返って僕たちににかっと笑顔を向けた。
「えぇ、えぇ。そうでしょうね。本当にもう、あなたはバカなんだからっ……」
相当心労を溜め込んでいたのか、アーリの母親は近寄ってきた猫耳生やした男性に肩を抱かれながら、静かに泣いた。
僕はそんな彼らを眺めながら、近寄ってきたひょろ長い木人みたいなナファローの族長に視線を移した。
「森のざわめき感じ、紫空見上げてみれば、虹色に輝くそれが鮮やかな閃光に満ちあふれておった。もしやと思い、是に馳せ参じてみれば……ふむ。かつてこの地に君臨しておったと言われる森の女王住まわる神聖なるお山が崩壊し、代わりにかの偉大なる女王によく似たお方が顕現されたとは」
そこまで言って、白毛族長は僕たちに近寄ってきたアルメリッサの前へと移動した。
「我らが偉大なる女王。よう帰還なされた。是に、我ら女王の臣民、普遍の忠誠誓い低頭す」
そう言って、彼は身体を前へ傾けた。
まるでそれが合図となったかのように、それまでざわついていた他の幻生獣らまでもがその場に跪いて畏まった。
そんな彼らの言動に困ったような顔を浮かべるアルメリッサと、互いに顔を見合わせ苦笑する僕とオルファリア。
二人して周囲を眺めながらも、僕は一人、この森にまつわるすべての冒険物語が幕を閉じたことを朧気ながらに実感するのであった。
本作に興味を持っていただき、誠にありがとうございます!
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