63.ただ君のためだけに……2
「なっ……あいつはっ……」
左にいたルードが呆然と絶叫していた。
「あんたはっ。どうしてこんなとこにいんだよっ」
バーミリオン兄の愕然とした声が飛んできた。
「まさか……やめてっ。何する気なのっ」
甲高いディアナの叫び声まで聞こえてきた。
「オルファリアっ。逃げてっ」
空気を切り裂く悲鳴のようなベネッサの声が、否が応にも僕の心を引き裂こうとしていた。
「まさか……!」
焦って勢いよく振り返った僕は、信じられない光景を目の当たりにしてしまった。
全身を赤黒く腫れ上がらせた、かつての面影の欠片も残っていない醜悪な姿となった男が、知らない間にこの部屋に入り込んでいた。そしてそのまま、とある場所へと一直線に駆け抜けていた。
あいつと最も因縁がある、奴に化け物と罵られて目の仇にされていたはずの僕を無視して、左の壁付近でカャトたちと固まってしゃがみ込んでいたオルファリア目がけて。
「バカなっ……どうして彼女なんだっ……!」
今まさに、僕が最も恐れていたことが現実になろうとしていた。
奴の手が握りしめた、もはや右腕なのか小剣なのかすらわからない、腕との境目がまったくなくなってしまった血肉にまみれた凶刃が、オルファリアの命を奪おうと肉薄していた。
それを見た僕は、気が付いたときにはすべてを忘れて飛び出していた。
何も考えられなくなっていた。
本当なら、今すぐにでも制御盤を修復して、装置を止めなければならないのにそれすら頭に浮かばなかった。
だって、そうだろ?
僕は、この日このときのためだけに、ずっと耐え難い苦痛にすら耐えて生き続けてきたんだから。
大好きなオルファリアを助けるためだけに。
それなのに、彼女を見捨てて世界の命運とかそんなの、考えられるわけないじゃないか!
「ぅああぁぁぁ~~~!」
彼女への思いすべてを力に変えて、オルファリアたちの元へと全力で駆け抜けた。
もつれそうになる足を懸命に堪えながら、両手にエルオールの剣と愛用の長剣を二本とも携え、一気に詰め寄った。
しかし、化け物みたいな姿となったシュバッソの方が、圧倒的に早かった。
このままじゃ、彼女との距離が、ゼロになってしまう。ダメだ、間に合わない!
――そんなの、絶対にダメだっ。
しかし、僕以外、誰も反応できなかった。
入口付近にいたバーミリオン兄妹も奴を止めることはできなかった。
装置修復のための人質となっていたルードたちも、迷いが原因か、その場から動けなかった。
オルファリアたちも、驚愕に目を見開き、まるで腰が抜けてしまったかのように何も抵抗できなかった。
そうして、あと二、三フェラーム(約三~四メートル)というところまで僕が迫ったときだった。ついに奴がオルファリアの目の前で立ち止まった。
醜悪な形相を浮かべながら、すぐさま剣が頭上に振り上げられる。
「ダメだっ。こんなの嘘だっ……絶対にダメだぁぁぁっ」
絶叫したその瞬間、僕の目の前で悪夢が現実の映像となって蘇ってしまった。
驚き硬直するオルファリア目がけ、化け物呼ばわりしながら襲いかかるシュバッソ。
『貴様らみたいな化け物がいるからっ、世界は平和にならないんだよっ』
絶叫を放ったシュバッソが、恐怖で動けなくなってしまった彼女へと剣を突き入れた。
凶行を阻止しようとして駆け寄っていった僕の目の前で、奴が手にした長剣が彼女の腹を――
「ダメダダメダダメダダメダァァ~~!」
おぞましいほどの寒気、怒り、苦痛、胸の痛み、立ち眩み。わけがわからないけたたましい感情の渦がぐちゃぐちゃになって一気に襲いかかってきた。
現実と夢との区別がつかなくなって、自分の目の前で何が起こっているのかすら、まったくわからなくなってしまう。
身体の内側で暴風と化したどす黒くておぞましい感情の嵐が、僕の中にあった何かを破壊するように粉微塵に粉砕してしまった。
「グガァァァ~!」
理性を失ってただの化け物と化したシュバッソの剣が、一気に振り下ろされた――その刹那、
「お前みたいな気違いにぃっ。二度も彼女を殺されてたまるかあぁぁぁっ!!」
絶叫放った僕は、同時に猛り狂うほどに燃え上がった精霊力の塊を瞬間的に爆発させていた。
僕の命すべてを吸い尽くさんばかりの激流となった爆炎が、一気に両手から解放される。
手にした二本の剣にまとわりつくように、長大な二匹の炎龍がうねり狂い、振り下ろされたそれらから業炎となって放出されていった。
周囲の大気を焦がしながら一気にシュバッソへと襲いかかる。
それに気が付いた奴の動きが一瞬だけ止まった。ぶよぶよに赤黒く膨れ上がった奴の顔に、人間らしさを彷彿とさせる理性が浮かんだような気がした。
しかし、そこへ膨大な熱量を帯びた炎龍が激突し、大爆発を起こした。
悲鳴を上げるオルファリアたちだったけど、爆発に巻き込まれることなく、間一髪、床に身を伏せ難を逃れていた。
僕は彼女たちに怪我が及んでいないことだけを確認してから、爆風によって壁を滑るように吹っ飛んでいったシュバッソと、彼女たちの間に割って入るように佇んだ。
オルファリアたちを背中に庇いながら、バーミリオン兄妹の右手二フェラーム(約三メートル)ほど離れた壁へと叩き付けられたシュバッソを睨み付ける。
奴は僕の炎龍にやられて全身を燃え上がらせていた。
肉の焼ける嫌な臭いが鼻をつき、立ち上る黒煙が天井へと揺らめいている。
かつては普通の人間だったあいつは、言葉にならない奇怪な断末魔の叫びを上げていた。
天に向かって絶叫しながら、両手で頭を抱えようとして失敗し、腕から力が抜けたように、ぶらんと垂れ下がった。
あまりにも酷い有様に、理性を失いかけていた僕はようやく我に返り、よくわからないおぞましい胸の痛みに苛まれた。
そんな中、奴は炎に包まれながらも、顔を僕へと向けた。
自分自身を嘲笑うかのような自虐的な表情を浮かべながら、口だけをパクパクと動かす。
僕にはそれが「コロシテクレ」と言っているように見えた。
火柱となって一歩ずつ、よろめきながら自身の右側へと移動していくシュバッソ。
その先には、真っ暗闇な外の景色を映し出す、かつては壁だったはずの巨大な穴が広がっていた。
その彼の姿は、まるで、自ら死を選んだかのようだった。
しかし、奴は外へと転落する寸前に再び理性を失い、獣のような咆哮を上げて、僕たちに襲いかかってきた。
僕は大量の精霊力喪失による意識の混濁に襲われながらも、軽く一度目をつぶった。
「これも……僕の宿命ということなのかもしれない……」
憎しみと怒りしか抱けなかった相手だった。
だけど、ああなってしまうと、もはや哀れみや悲しみしか湧いてこなかった。
魔者どもに仲間を殺された恨みを晴らすために、それらをただ皆殺しにすることでしか心の均衡を保てなかった男。そんなあいつに引導を渡す役目は、やはり、奴との因縁が最も深かった僕だけということなのかもしれない。
決して相容れずに戦い続け、怒りに任せて奴に止めを刺したのは他ならないもう一人の僕だったのだから。
瞼を上げて剣を構えた僕は、これまで生きた十九年間に抱いてきたいろんな思いを胸に抱きながら、一気に奴との距離を詰めた。そしてそのまま、一刀のもとに切り捨てていた。どす黒い剣身を宿したエルオールの剣で。
真っ二つに切り裂かれて今度こそ動きを止めたシュバッソは、最後はどこか、安らぎに満ちたような死相を浮かべながら、静かに床へと転がっていった。
僕は、いつまでも燃え続けている哀れな遺骸を見下ろしながら……、
「これでやっと……すべての因縁を断ち切った……のか……な……? あとは……」
そう呟いたところで、腰砕けとなって地面に倒れた。
「リルっ……」
意識が朦朧としていた。
とても億劫で、何もする気が起きなかった。だけど、誰かが叫んでいたような気がしたから、残っていた僅かな力を駆使して目を開けた。
顔面蒼白となったオルファリアの顔が目の前にあった。
「ぁぁ……そうか……」
何が起こったのか一瞬わからなかったけど、彼女の顔を見ていたらなんとなく察しがついた。どうやら精霊力の使い過ぎで、瀕死の重傷となってしまったらしい。だけど、それでも別に構わないと思った。
結局はザーレントの遺産の暴走を食い止められなくて、僕がこれまでやってきた努力のすべてが無駄になってしまったけど、それでもこうして、僕を抱きかかえてくれているオルファリアを僕の手で救うことができたんだから。
僕はそう自分に言い聞かせながら、軽く笑みを浮かべた。そして、どこかで生じた爆音を死出の手向けにしながら、静かに意識を喪失していった。
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