62.ただ君のためだけに……1
僕よりも一足先に制御盤へと足を運んでいたアルメリッサは、錆び付いた計器類や、なんらかのスイッチのようなものが大量に並んでいたそれらを、手際よく操作していた。
塔それ自体が円筒形に作られているため、目の前にある制御盤も、その奥の一段高くなった台座から天井まで延びているパイプもすべて扇状に配置されている。
高射砲の役割を果たしているらしいそれらパイプの下にある台座部分や、その手前の制御盤がおそらく、アルメリッサがセデフを改良して作り上げた完全変異性機構なのだろう。
「どう? なんとかなりそう?」
アルメリッサは真剣な表情で縦五列、横二十列ぐらいで構成された何も書いていない灰色の四角いボタンを懸命になって押していた。そのときの顔が、僕にはなんだか焦っているように感じられた。
「……今、停止コードを打ち込んでいる最中なのですが……なんだか様子がおかしいのです」
そう言いながら、慣れた手つきで素早く両手を動かし続けていたけど、彼女が言った通り、目の前の装置群に変化が訪れる気配はまるでなかった。
ボタンを押すごとにガチャガチャ音がし、押されたそれらが黄色く光っていたけど、ただそれだけだ。
いくら操作し続けても、何も起こらない。アルメリッサの手も動きを止めることはなかったけど、なんだろう。微かに装置の稼働音が大きくなっているような気がした。
「アルメリッサ。これ、大丈夫なのか? なんだか、唸り声のような音まで聞こえ始めてるような気がするんだけど……」
僕がそう一抹の不安を覚えながら聞いたときだった。
「……ダメ……! おかしいっ……。先程から何度も停止コードを入力しているのに、まったく反応しないのです!」
額に冷や汗を浮かべていたアルメリッサが、いつになく切羽詰まった声音を吐き出していた。
「反応しないって、それってどういうこと……?」
「そんなの、私が聞きたいくらいです!」
僕とアルメリッサの様子がおかしいことに気が付いたのか、思い思いの場所で身体を休めていたオルファリアたちまで騒然とし始めた。
振り返って見たら、それぞれの場所に集まっていた者たちと互いに顔を見合わせ、何事か呟いていた。
「アルメリッサ、その停止コードとやらはちゃんと合っているの? その装置を作ったのって大昔だし、単純に忘れているだけってことはない?」
「それはあり得ないです。停止コードは私とあの人との絆そのもの。私たち二人が交わした初めての約束、『いつか笑顔でともに歩める世界を夢見て』というあの日の約束を暗号化して作り出した命令コード群なのです。それをこの私が忘れるわけありません!」
「だったら、どうして止まらないんだ? まさか、既に命令を受け付けられる状態をとっくに過ぎてしまったってことなのか?」
「……わかりません。ですが……」
アルメリッサがそう呟いたときだった。
「きゃっ……」
既に騒音規模のものへと変わっていた稼働音。
そんな危機的状態で微振動すら起こしていた装置の一部が、いきなり派手な音を立てて爆発してしまったのである。
しかもそれだけでなく、アルメリッサが操作していた制御盤から火花が飛び散り、彼女は反射的に後ろへ飛び退いていた。
「おいっ……いったい何が起こったんだっ……」
轟音響かせる装置のせいで聞き取れないほど酷い、雑音まみれのルードの叫びが後方から聞こえてきた。
「そんなのっ。こっちが聞きたいぐらいだよっ。たく、なんなんだよっ。これじゃもう、すべてが手遅れだったって言うのかよっ」
叫びながら僕は、呆然と装置を見つめたまま身じろぎ一つできなくなってしまったアルメリッサと、火花散る遺産とを交互に眺めた。そんな僕たちの元へと、
「リルっ……」
オルファリアを始め、カャトたちが近寄ってこようとする。僕は慌ててそれを制した。
「オルファリア! 君たちは危ないからこっちに来ちゃダメだっ。あっちに避難していてくれっ」
「で、ですがっ……」
「いいから早く……!」
もし本当にこのまま暴走が始まってしまったら、おそらくもう誰も助からない。だけどせめて、彼女たちだけはすぐに逃げられるように、できるだけ遠くへと避難していて欲しかった。
もしも可能であるならば、今すぐここから離脱して、森の外へと退避して欲しい。だけど、それを快く飲み込む彼女でないことを僕は知っていた。
胃がキリキリする思いを必死になって堪えながら、じっと、睨み付けるようにオルファリアたちを見つめ続けた。
それが功を奏したのか、彼女は、
「わかりました……」
そう呟いて、左の壁の方へと移動していく。
僕はそれを見届けてから、再びアルメリッサへと向き直った。
「アルメリッサっ。なんとかならないのか!? あんたが作ったんだろう? 停止コード入力する以外に止める方法はないのかよっ」
相変わらず硬直したままだった彼女へと詰め寄ると、その両肩を思い切り揺さぶった。
アルメリッサは始め、魂の抜け殻のような瞳で僕を見つめてきたけど、すぐさま我に返ると、難しい顔をした。
「……一つだけ、あるにはあります。ですが、それを行うにはとてつもない危険が伴います。失敗したら最悪、一瞬にして半径数千エルフェラームが焦土と化します」
「だけど、成功すれば装置を停止させることができるんだよな!? 僕たちもこの森も、周辺一帯に住む人間も、みんな助かるんだよな!?」
「……はい。勝算は一割にも満たないとは思いますが……」
しっかりと最後に死刑宣告してくるアルメリッサに、正直僕は一瞬、躊躇した。だけど、それしか方法がなくて、それをしなければ結局すべてが水の泡となってしまうんだったら、取れる選択肢なんか一つしかなかった。
「わかった。それにすべてを賭ける。だから手伝えることがあったらなんでも言ってくれ」
「……はい。ではまず――そちらにいる三人もこちらに来ていただけますか?」
そう言って、アルメリッサはルードたちに視線を投げた。
彼ら――ルード、アーシュバイツさん、ベネッサの三人は、理解不能といった顔をしていたけど、すぐさま僕たちの元へと駆け寄ってきた。
「何がどうなってるのかわからねぇが、何すりゃいいんだ?」
代表して聞いたルードに軽く頷いてから、アルメリッサが口を開く。
「完全変異性機構が私の停止コードを受け付けなかったのは、おそらく、制御装置の中枢に位置する精霊基板が、老朽化によりなんらかの故障をしてしまったからだと思います。ですので――」
彼女は一度言葉を切り、僕たち全員を見渡しながら、とんでもないことを言い始めた。
「すべての装置をフル稼働させ、精霊基板を新しく作り直して繋ぎ合わせます」
「は……?」
おそらく、ルードたちは何を言われたのかさっぱりわからなかっただろう。僕はいろいろおかしな知識を持っているからなんとなく想像できたけど、それでも、彼女が言っていることはメチャクチャだった。
要するに機械を動かしたままその中身をその機械で作って、入れ替えると言っているようなものなのだ。
おそらく、装置の心臓部に当たる部分には手を加えないだろうから、動かしたままでもなんとかなるのかもしれない。
ありとあらゆるものを生み出してしまうと言われている完全変異性機構であれば、精霊基板を組み上げるだけなら造作もないことなのかもしれない。だけど、動かしたままそれを、故障した制御盤の基板と交換なんかできるのだろうか。
しかも、既に装置は暴走寸前なのだ。そんな状態でフル稼働なんかさせたら、最悪、その瞬間にすべてが――
「あぁ……そうか……」
僕はそこまで考え、なぜアルメリッサが成功率一割以下と言ったのか、なんとなくわかってしまった。この装置を作り出したアルメリッサができると言っているんだから、基板を交換すること自体はわけないのかもしれない。だけど、それができるかどうかは、装置の暴走にすべてがかかっているということだ。
「じょ……冗談だろ……」
最悪の結末に気が付いてしまって一人呆然としていたけど、既に破滅への歯車は動き始めていた。
「くっ……」
暴走がすぐ目の前に迫っているからか、完全変異性機構だけでなく、塔全体が揺れ始めていた。
「皆さん、急ぎましょう……!」
アルメリッサがすぐさま指示を出してくる。
「本来であれば、完全変異性機構への指示も制御盤を通して行いますが、それは既に不可能な状態となっています。ですので、手動で行わなければなりません」
そう言って、彼女は左から右へと順に、装置に設けられていたコックのようなものを四つ指さした。
「私が合図を出しますので、それに合わせて四箇所すべて、閉まっている栓を同時に右へとひねってください。それですべてが完了します」
「……わかった。それで、アルメリッサは何をするんだ?」
僕の問いに、彼女は再び制御盤の前へと取り付くと、床にしゃがみ込むようにした。
「言ったはずですよ? 手動で行うと。私が精霊力を送って、完全変異性機構内にある素材を精霊基板へと組み上げます」
そう言って、彼女は制御盤の下についていたパネルみたいなものを取り外して、中を覗き込んだ。
装置の内部には火花は飛び散っていなかったけど、赤や黄色、青といった仄かな明かりが粒子のように灯されていた。
僕たちはそれぞれ、指示された場所へと散っていった。扇状に湾曲した制御装置は壁一面に広がっていて、僕たち四人が取り付いた場所はかなり広範囲にわたっていた。
一番左の壁付近がルード。中央のアルメリッサとルードの中間地点に僕。
一番右側の壁付近がアーシュバイツさんで、アルメリッサとの中間地点がベネッサといった感じだった。
僕たちは左に倒れたノブのようなコックに手をかけ、いつでも右側へと回せるように身構えた。あとはアルメリッサの指示を待つだけ。そんな状態だった。
しかし、そんなときに、それは起こった。
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