58.異変、そして胎動
じっと僕たち全員を見渡すようにしながらも、彼女は何かを決心したかのように最後はアルメリッサを見つめた。
そんな彼女の左右には小さなアーリとカャトがいて、二人とも顔を強ばらせつつも、大きく何度も頷いていた。
ピューリや小猿のラッツィたちも、ちびっ子の肩や頭の上に乗って、小首を傾げながら小さく鳴き声を上げた。
それはまるで、自分たちに任せろとでも言いたげな姿だった。
しかし、
「オルファリア。いくらなんでも無茶だっ。そんな危険な真似、君たちにさせるわけにはいかないよっ」
ぎゅっと胸が締め付けられそうになりながらも、僕は彼女の申し出を断ろうとした。だけどオルファリアは頑として首を縦に振らなかった。
「リル……わかってください。多分、私たちにしかアルメリッサ様を抑えることはできないと思います。同じナフリマルフィスである私でしか、あの力を打ち消すことはできません」
潤んだような瞳で訴えかけてくるオルファリアに同調するように、ちびっ子たちがにかっと笑った。
「姉ちゃんの言う通りだよっ。おいらもそう思うよ! よくわかんないけど、女王様と姉ちゃんは同じナフリマルフィスだからね。使える力も多分、一緒だよっ」
「うん~。アーリもお手伝いするから大丈夫なのです! お姉様を強化して、女王様? よりもいっぱい、い~っぱい、強くしてあげるのです!」
「ピュリリ!」
「キキ!」
騒ぎ出すちびっ子たちの言葉でオルファリアがどんな力を持っているのか思い出し、全身に寒気が走った。
「まさか……アルメリッサの精霊力を奪い取る気なのか?」
「……はい。それしか方法はありません。精霊力を奪って弱体化させれば、もしかしたら隙ができるかも知れません。そうしたら、アルメリッサ様がなんとかしてくださると、私は信じています」
「なんとかって、そんな簡単な問題じゃないだろう? 第一、あの瘴気はどうするんだよ……」
なおも懸命に説得しようとしたけど、状況は既に、その域を過ぎていたらしい。
「大丈夫だよ、リル兄ちゃん! おいらが姉ちゃんたちを守るからさっ。あんな黒い霧、おいらの風ですべて吹き飛ばしてやるしっ」
ニシシと笑っているカャトを援護するかのように、それまで考えるような仕草をしていたアルメリッサが口を挟んだ。
(……オルファリアを支援する目的で、更に私の本体に精霊神術で攻撃を加えれば、より一層、精霊力を削ることができるかもしれませんね……)
そう言って、彼女は僕を見た。心の中を透かし見るような、試すような、そんな視線だった。
「よくわからんが、そのオルファリアの力とやらが、あっちのあんたの力を抑え込めるかもしれねぇってわけか……?」
「しかも、あの黒いのもすべて吹き飛ばして、攻撃に専念できるってわけね?」
ルードとベネッサがまとめるようにそう呟いた。
「だったら、俺たちはオルファリアに攻撃が及ばないように死守すればいいってわけか」
「なんかよ~わからんけど、乗りかかった船だし、俺も全力で助けるぜ」
「まぁ、あれをなんとかしないと外に出られないみたいだしね。あたしも力を貸すわ。だって、そうしないと……うふ、うふふ……リルと一緒に旅に出られないもの」
アーシュバイツさんのあとに続いて、バーミリオン兄妹もそんなことを言い始めた。
僕一人だけ置いてけぼりにして、本当に話がまとまってしまった。今回はアルメリッサを倒すわけじゃないけど、オルファリアを戦場の最前線に立たせるなんて、考えただけでも胸が苦しくなってくる。
僕が何を置いてもまず第一に守り抜きたいと思っていたオルファリアを、一番危険な場所に放り込まなければならない。こんなことがあっていいはずがなかった。
それに。僕にはもう一つ、懸念点があった。
行方知れずとなっているシュバッソのことだった。
あいつが今どこにいるのかわからなかったからだ。最後にその姿が確認されたた場所が、この研究塔を覆っている長大な岩山付近だという。
隠蔽措置は施されているけど、塔のどこかには外へと繋がる出入口があるから、もし仮にあいつがそれを見つけて侵入してきて、更にアルメリッサの本体と戦闘中に襲いかかってきたら。
「……!」
想像しただけでも恐ろしかった。全身が震えてきてしまう。それなのに。
「おい、リル。大丈夫か?」
「え……? あ、うん、大丈夫」
どうやら知らない間に自分自身を抱きしめるようにしていたらしい。胡乱げな表情を浮かべてみんなが僕を見ていた。この期に及んで他の方法を探そうなんて言い出せなかった。それに時間もない。
「……わかった。それで行こう。オルファリア、それからカャトとアーリ、ピューリたちも、よろしく頼むね」
そう苦笑して見せると、オルファリアたちは笑顔で「はい」と答えた。
僕は何がなんでも彼女たちを守り抜いて幸せな結末を迎えると自分自身に言い聞かせ、軽く両頬を叩こうとした――しかし、まさにそんなときだった。
突然、塔全体に激震が走った。
「な、なんだ? 何が起こった!?」
「わからないっ……だけどこの揺れはっ……」
「今までの比じゃないわよ!? やばいんじゃないの、これ!?」
絶叫するようにルードとアーシュバイツさん、ベネッサの三人が声を発した。
「くそっ、なんだってんだよっ……」
僕たちは立っていられず、床にしゃがみ込むことしかできなかった。そんな中、前方の装置が爆音に近い音を発して鳴動し始めた。
装置と僕たちの間で宙を舞っていたアルメリッサの本体も、この事態は想定外だったのか。黒い瘴気の放出が収まり始め、驚いたように周囲に視線を巡らせていた。そして次の瞬間だった。
「ぐっ……ぁ……!」
いきなり頭が割れそうな痛みに襲われ、目の前の空間が湾曲したような異常な現象が起こった。
「これは……もしかして、魔の領域と同じものじゃ……!」
誰かがそう、苦しげに声を発していた。
僕は痛みに顔をしかめながらも、前方を凝視した。
徐々に揺れや頭痛が収まり始める中、先程の鳴動の最中にセディアから大量に漏れ出たと思われるキラキラとした精霊力が部屋中央へと集まっていた。
次第に、それらがどす黒い瘴気のようなものへと変質していく。
そして、最後には暗黒に淀んだ精霊力すべてが無数の人間の顔へと変わっていった。
身の毛がよだつほどに歪んだ表情を浮かべたそいつらが、ゆらゆらと蠢き始める。
「あれは……いったいなんなんだ……?」
床から立ち上がって呆然と見つめる中、そいつらは口と思われる場所をしきりに動かし、あり得ないことに、恨めしげに何かを叫び始めた。怨嗟を晴らそうとするかのような癇に障る絶叫。
そんなおぞましい光景に息を飲み込み、ただ様子を窺うことしかできなかった僕たち。
まるでそれを嘲笑うかのように、数十数百以上にも増え続けていった大小様々な人の顔が、見る見るうちに消滅していき、最後には、凶悪な気配を漂わせた一つの顔へと変異していった。
先程までとは打って変わって、はっきりとした雄々しい武人のような男の顔へと。
(……まさか……!)
それを見てアルメリッサが驚愕に身体を震わせた。
(あれは……七政王!)
「七政王だって? どういうことだ? いったい何が起こったんだ?」
(わかりません……。ですが、かつて私はザーレントを蘇らせるために、戦争で死んでいった人間や幻生獣たちから漏れ出た精霊力をそこら中からかき集めて、それをザーレントの身体の中へと注いでいたのです……)
彼女は明らかに、焦ったような表情を浮かべていた。
(精霊力とは言わば、生命力そのもの。古代では魂という概念は存在していても、それを物理的に、学術的にも立証することはついぞできませんでした。ですので、当時の学者たちはこう、仮説を唱えていたのです。『身体から抜け落ちた精霊力それ自体が、魂を構成するエネルギーの欠片なのではないか』と)
「てことはまさか、死体から飛び出た精霊力が魂かもしれねぇってことか!? 人の無念や怨念といった残留思念が精霊力に宿ってる可能性もあるってことかよ……!?」
しかめっ面して聞くルードに、しかし、アルメリッサは首を横に振った。
(その辺は私にもよくわかりません。現に、自分が今、このような姿となって存在しているわけですから。ですので、魂というものが本当はどんなものなのか、どう説明していいかわかりません。ですが――)
そこで一度言葉を切り、呪怨を撒き散らしているそいつを見つめた。
(あれは紛れもなく、生前、彼らが持っていた意志の集合体だと思います)
「マジかよ……」
そういえば、ここへ来るまでの間、ずっと感じていた身体にまとわりつく不快な気配。嫌な視線や怨念めいたものを感じていた。それがもし、死者の肉体から抜け落ちた精霊力であり、魂みたいなものだと考えれば、多少は納得できるけど。
しかし、だからといってこんなことが起きるなんて。
どうしていいかわからず行動できずにいると、猛り狂っていた黒い瘴気が地面に転がっていたザーレントの遺骸へと吸い込まれていった。
その瞬間、信じられないことが起こった。逆再生したかのように、肉や血や腱がぶくぶくと骨の周りに形成されていき、最終的には生前のザーレントを思わせる人の姿へと変わっていってしまったのである。
しかも、彼に起こった変化はそれだけにとどまらなかった。再生された肉体に、更に肉や骨、角などが増殖していき、気が付いたときには筋骨隆々の化け物の姿へと変異していた。
悪魔のような角を生やし、赤い目を宿した野獣のような大男。
もはやそれはザーレントというより、人間とは似ても似つかない存在だった。
七政王とザーレント、魔獣などが融合したような人型の化け物。ザーレントの遺骸がまとっていた白衣のような衣服や上衣はすべて弾け飛び、浅黒い上半身が露出していた。
下はかろうじて、腰回りと膝上辺りまでは黒いズボンがピチピチの状態でまとわりついていたけど、他は剥き出しとなっていた。
そんな紛れもない人型の人外生物だったけど、僕はそこに違和感を覚えていた。あの化け物の顔を、どこかで見たことがあったからだ。
そう思っていたら、
「あれは……まさか、フランデルクか……!?」
アーシュバイツさんが絶叫していた。
僕はその一言で、霞がかった頭が一気に鮮明になっていくような感覚を覚えた。
そう。間違いなく、皺だらけのあの凶悪な顔はフランデルクそのものだったからだ。ボサボサの長い灰色の髪も瓜二つ。
「まさかっ。あの怨霊みたいな奴らの中に、フランデルクの精霊力まで混ざっていたってことなのか!?」
叫ぶ僕に、どこか悲しげな表情をしたアルメリッサが疲れたような声を発した。
(……おそらく、そうなのでしょうね。精霊力吸収機構はなお健在です。それどころか、既に暴走しかかっていて、森中から想定以上の精霊力を吸収し始めています。何度も発生しているあの大地の鳴動も、それが原因の一つでしょう)
「くそっ。なんでこんなことになったんだよっ。ただでさえアルメリッサの本体の相手するだけで手一杯だっていうのに、まさかあっちの化け物まで同時に相手しなくちゃいけないってことなのかよっ」
(完全変異性機構を稼働させたままだったのが仇となったのかもしれません。意志を持った精霊力――魂のような存在がセディアに注がれる精霊力の材料となった折、彼らの意志によって装置の一部が変質し、本来あり得ない現象が起こってしまったのかもしれません。もちろん、彼らに明確な自我があるかどうかはわかりませんが――)
と、彼女がそこまで言ったときだった。いきなり化け物が雄叫びを上げた。それが合図となったかのように、天井や壁の一部が消し飛んだ。
外気に晒されたそこからは、真っ暗な夜空とともに、星の煌めきが視界に飛び込んできた。
外を流れる強風が室内に隙間風となって入ってくる。
そして、部屋中央に陣取ったザーレントなのか七政王なのかフランデルクなのかよくわからない化け物の周囲には、どこからともなく雪崩れ込んできた虹色に輝く大量の精霊力が渦を巻き始めていた。
「このままじゃまずい! あいつをすぐにでも沈めないと、すべてが吹っ飛ばされるぞ!」
「くそっ、やるしかないのかよっ」
アーシュバイツさんの叫びに答える形で、僕はエルオールの剣を腰から引き抜き、鞘代わりの布を剥ぎ取った。
(そのようですね……。ですが、私の本体をなんとか抑えることさえできたら、私の力であの人を止められるかもしれませんので、どうか、それまで耐えてください……)
「相変わらず簡単に言ってくれるよっ。だけど、本当にいいの? あれはその、あなたの……」
(……構いません。あの人はもう、既に亡くなっているのです。何をどうしても蘇ることはありません。たとえ、この時代に目を覚ました私であっても……)
彼女はそう言いながら自虐的に笑う。
「……わかった。じゃぁ、やるよっ、みんな!」
そうして僕たちは、二手に分かれて突撃していった。
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