57.慟哭する古の女王
「ァァアアアアアアアアァ~~~~~!」
女性特有の甘やかで甲高いその叫びが、僕の心を切り裂くように締め上げてきた。
彼女が奏でる悲壮感がグイグイと身体の奥深くへと入り込んできて、思いっ切り心がかき乱されてしまった。
怒り、悲しみ、苦しみ、憎悪、絶望。
それらすべての負のオーラが彼女の全身から漂っていた。
そんな彼女の悲痛な叫びを聞いているだけで、知らない間に意識が持っていかれそうになり、心が千々に乱れた。
どす黒い感情のすべてに飲み込まれ、苦しくて切ない気持ちが際限なく湧き上がってきて、発狂しそうになってしまう。
――コロシテヤル。
僕の心の奥底で何かが呟いたような気がした。
――オルファリアやカャトたちを傷つけたあいつをっ、ボクをクルシメタ人類すべてをっ、この手で皆殺しにシテヤル!
どうしようもないほどのおぞましい感情が心の奥底から吹き上がってきて、気が付いたときには一歩前に踏み出していた。
しかし、
「リル!」
「おい、しっかりしろっ」
僕の背後にいたオルファリアが背中に抱きついてきた。
僕の左隣にいたルードが怖いぐらいに真剣な表情で肩を揺さぶっていた。
「……僕は……いったい何を……」
二人のおかげで我に返った僕は、右隣にいたアルメリッサを見つめた。彼女は目をつぶっていたけど、
(心的同調支配と呼ばれる現象です。あなたの心の奥底には、おそらく私の無念に通じる深い悲しみや後悔といったものが存在しているのだと思います。私たちナフリマルフィスが持つ『平安』の力は、他の種族では到達し得ない神の領域にまで高められると言われています。それが、一度目の死を迎えたあと、女神の力携え蘇ると言われている伝説のいわれです。おそらく、生まれ変わって変異した私の強大な力によって、精神支配に似た現象が引き起こされたのでしょう)
「精神支配……気をしっかり持たなくちゃダメってことか……」
(そういうことです)
だけど、記憶と心の奥底に深く打ち込まれた楔が、早々に抜け落ちてくれるはずがない。すべてに決着がつかない限り、安心なんかできないんだから。
それに――
僕は未だに泣き叫び続けているアルメリッサの本体を見た。
いきなり大切な人を奪われ、そのあと七政王によってその精神まで破壊されてしまった可愛そうな女性。
いろいろな不幸が重なった結果、正気ではなかったとは言え、人類の多くを死に追いやることになったけど、それでも、彼女の心の痛みは十分過ぎるほど理解できた。
今現在の彼女は魂の抜け殻で本能の赴くままに行動する空っぽな存在らしいけど、それでも僕は――
装置を止めるためにはおそらく、彼女を排除しないといけない。だけど、あんな姿を見せられて、彼女を倒すことなんかできるはずなかった。
「くそっ……どうすればいい? アルメリッサはまだ僕たちに襲いかかってくる気配を見せていない。だったら、こっそりとやり過ごして装置を止めれば……」
しかし、そんな僕の願いにも似た思いは簡単に打ち砕かれた。
(不可能です。既に私の肉体に染みついた怒りの感情は臨界点を突破しています。愛するあの人の成れの果てを、直視するに耐えないその姿を目の当たりにして、私たちは……)
アルメリッサはそこまで言って、突然苦しそうに頭を抱え始めた。
「アルメリッサ……?」
(……もう時間がありません。装置も、そして私も、既に限界なのです。ですからあれを……私を排除してください。さもなければ、すべてが終わります……!)
そう言って、アルメリッサは震えながら、自分自身の肉体を指さした。
僕は呆然と二人のアルメリッサを交互に見つめた。
心なしかいつも以上に揺らめき、さざ波のようなものが見え始めている思念体のアルメリッサから、肉体を宿したアルメリッサへと視線を移していく。そして、遙か前方で泣き叫んでいた緑が基調の豪華なドレスを身にまとった彼女の本体を改めて直視し、それに気が付いた。
「おい、リル。ありゃぁいったいなんだ……?」
ルードが思念体のアルメリッサ同様に本体の方を指さした。
僕はしゃがみ込んでいる彼女が抱きしめていた白い物体を注視して、驚きに言葉を失ってしまった。
僕の瞳が捉えたそれ。それはまさしく、白いボロボロの衣服を身にまとった骨の塊だった。しかも、彼女が大事そうに胸に抱えていたのは、どう考えても人の頭蓋骨。
――そう。アルメリッサの周囲に散乱していたのは紛れもなく、白骨化した人間の遺体だったのである。
「ア、アルメリッサ……まさかあれってっ……」
短く叫んで絶句した僕に、相変わらず苦しげにアルメリッサが頷いた。
(……はい。あの手に抱いているのが……我が夫、ザーレントの成れの果てです)
「そんなっ……だって、セディアで遺体の状態が正常に保たれていたんじゃなかったのか!?」
(私には何が起こったのかわかりません。気が付いたときには身体から魂だけが抜け落ち、宙を彷徨っていましたから。そして、私が意識を取り戻したのと同様に、肉体の方も勝手に動き出したのです。ですが、私たちがあの人のセディアを確認したときには、既に装置の大部分が破損していたのです。供給されていたはずの精霊力もそこから漏れ出し、すべてが無駄となってしまいました……)
「じゃぁ、あの遺体は」
(はい。精霊力の供給を受けられなくなって、朽ち果ててしまったのです)
「そんな……!」
生物は死ぬと、精霊力がすべて抜け落ちてしまうと言われている。
装置の仕組みはよくわからないけど、彼女の話から推察するに、おそらく精霊力さえ肉体に供給され続けていれば、半永久的に細胞の状態が生前と変わらないまま保たれ続けていくということなのだろう。だから、それが絶たれた今、遺体が朽ち果ててしまった。
僕は、よくわからない心の痛みに襲われ、胸が苦しくなってしまった。しかし、そんな僕に、アルメリッサは自虐的な笑みを浮かべた。
(これでわかったでしょう……? あの姿を見た私たちが何を思ったのか……。一縷の望みをかけて自ら命を絶ったのに、蘇ったときにはザーレントは朽ちてしまい、おそらく女神の力でも復活させることが不可能な状態となってしまった。しかも、何が原因だったのかわかりませんが、蘇った私たちは心と身体が二つに分離してしまったのです。もはや、夫を復活させることもできず、千年の長きに渡る私たちの努力は無に帰してしまった。それを本能的に察した彼女が何を思うのか。その目で人の姿を目撃した私が何を考えるのか。答えは一つです……)
アルメリッサが止めを刺すようにそう宣言したときだった。
「憎い……人間が憎い……」
泣き叫んでいたアルメリッサの本体が突如泣き止み、ぼそっと呟いた。そして、僕たちの気配に気が付いたのか、ゆっくりとこちらへと首を巡らしてきた。
僕と彼女の目が合った。その瞬間、アルメリッサの本体がかっと目を見開き、全身から凄まじいまでの光り輝く精霊力を放出し始めた。
「人間! 人間人間人間っ……! すべては浅ましき人族が起こした! ささやかな私たちの願いすら踏みにじった汚らわしき愚昧なる人間どもよ! お前たち全員、跡形も残らぬよう粉微塵に消し飛ばしてくれるわ!」
激情に駆られ、血走った目で絶叫した彼女は、後背に巨大な翼を現出させ宙を舞うと、空から僕たちを睥睨するように見下ろしてきた。
その姿はとてもではないけど、オルファリアとは似ても似つかないくらい禍々しかった。
全身から噴出するどす黒い精霊力がそこら中に舞い飛ぶ。
おそらく、あれは死をもたらす息吹。触れた瞬間、精霊力すべてが根こそぎ持っていかれて死んでしまうような、瘴気みたいなものだろう。
「お、おいっ、アルメリッサっ。あいつは魂の抜け殻じゃなかったのか!? どうしてしゃべったり、明確な意志を持って攻撃したりしてくるんだよっ。てか、あんなの倒せとか、無理だろう! 近寄ることだってできそうにないんだから!」
焦る僕に、
(……今の私は言わば、負の感情だけに支配されて行動している操り人形に過ぎません。かつて復讐心に支配されていたときの記憶が蘇って、それが無意識の言葉として表層に表れているだけだと思います。そこに明確な意志などありはしません。あるのはただ、怨念のみ)
苦しげに、まっすぐ自分自身を見上げるアルメリッサは更に告げた。
(この二つに分かたれた今の状態は、本来であれば異常です。ですから長時間このままでいることはもちろん、力を使えば私もあちらも、死は免れないでしょう。ですので、早めにあちら側を再起不能へと追い込み、装置の停止方法を唯一知っている私がこの世から消滅する前に、セディアを含めたすべての装置を停止させなければなりません。ですが、この部屋の状態ではさすがにあなたたちでは……)
彼女は考え込むように言ったあと、僕たち全員を見下ろした。
(あくまでも賭けですが、もしかしたらなんとかなるかもしれません)
「なんとかなるって、あいつを抑え込む方法があるってことか?」
(はい。先程も言った通り、目が覚めたときには私たちは既に、分裂状態にありました。ですが、本来あり得ないこと。ですので、もしかしたら私が肉体の中に収まることさえできれば、本来あるべき姿へ戻ることができるかもしれません)
「じゃぁ、あっちのアルメリッサを無力化できるってことか?」
(はい。ですが、今は不可能です。以前にも何度か試みたことがありましたが、私の本体には長年にわたって外部から取り込まれた膨大な精霊力が内包されています。それが今のような強大な力となって、己が身を守る障壁のような存在へと変わってしまったのです。ですから、なんとかあの周囲を覆う精霊力さえ消滅させることができれば……)
「あんたが中に入ることで、一つになれるかも知れねぇってわけか」
そう問いかけたルードにアルメリッサが頷いた。
(ですので、申し訳ありませんが、どうにかしてあれを抑え込んでください……)
先程よりも益々苦しげになっていくアルメリッサ。もう、肉体も魂も崩壊が近いのかもしれない。
そんな彼女へ、難しい顔をしたアーシュバイツさんが声をかけた。
「だが、簡単なことではあるまい。どう考えても、俺たちでは荷が重いぞ?」
アルメリッサの本体は相変わらず、自身の周囲に黒い瘴気のようなものを撒き散らしたまま、同じ場所から動いていない。彼女が発する瘴気みたいな精霊力が漂っていない場所なんて、僕たちが今いる入口付近だけだった。それ以外はすべて、黒い靄のようなもので覆い尽くされてしまっている。
どう考えたって接近戦は不可能だった。僕やカャトたちの精霊神術であれば遠距離から攻撃できるけど、万が一的が外れて装置に直撃しようものなら、その瞬間、すべてが終わる。
「万事休すか……」
手の打ちようがなくなって唇を噛んでいると、遠慮がちにオルファリアが声を発した。
「あの、その役目、私たちに任せてもらえないでしょうか?」
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