55.神話の時代に生きた猛き者
ザーレントの居室へと続く大広間は、あっという間に激震走る戦場と化した。
出入口から向かって真正面には扉が設けられており、おそらくそこから城の先へと行けるようになっていると思うんだけど、さすがにそれを守っていた漆黒の竜を無視して先に進むことはできなかった。
そこら中で怒号や甲高い剣撃音が木霊し、爆炎の上げる轟音が辺り一帯を震わせていた。
壁も天井も巨大な竜が一歩動くごとにボロボロと崩れ落ちていく。
「ちぃっ! このトカゲ野郎、とんでもねぇ馬鹿力だぞっ」
既に戦闘開始してそれなりのときが経過していたけど、一向に戦況はよくならなかった。
ルードとアーシュバイツさんが竜の気を引くために果敢に攻撃を繰り出し、入口から向かって左手奥へと誘導してなんとか持ち堪えていたけど、どう考えても明らかに劣勢だった。
ルードの大剣やアーシュバイツさんの長剣が時折、竜の鱗を捉えたけど、傷一つつかなかった。それどころか、四足歩行のまま繰り出してくる前肢の爪攻撃を、大剣で受け止めたルードが完全に力負けして、背後の壁へと叩き付けられてしまうといったことも度々起こった。
アーシュバイツさんと二人で攻守を交代しながらなんとか凌いでいたけど、蹴散らされるのも時間の問題だった。
「たくっ。ザーレントの奴! なんでまた、こんなもん作っちまうんだよっ。ていうか、それ以前にどうやって作った!?」
僕は叫びながら、竜の背後へと走り、その背に飛び乗ろうとしたけど、それを事前に察知したらしいデカブツが、すかさず鞭のようにしなる長大な尻尾を振り回してきた。
「くっ……」
すんでのところでギリギリかわしたけど、すぐさま返す刀で右側へと振り抜かれた尻尾が体勢の崩れた僕へと迫ってくる。
「何やってんだよっ、リル!」
そんな僕へと慌てて駆け寄ってきたバーミリオン兄が、すかさず飛んできた尻尾目がけて長槍を突き入れたけど、そんなもの、所詮は焼け石に水だった。
「くそがぁぁ~!」
呆気なく弾き飛ばされた金髪長身男。僕も巻き添え食らって吹っ飛ばされたけど、寸前に盾で攻撃を防御したため、五体がバラバラに砕かれることはなかった。
「リルっ」
二人して仲良く入口側の壁へと叩き付けられた挙げ句、床に激しく身体を打ち付けた僕たちの元へ、オルファリアたちが駆け寄ってきた。
「しっかりしてください!」
「だ、大丈夫……これぐらい平気……」
僕はよろけながらも立ち上がったけど、そんな僕へとオルファリアが癒やしの力を行使してくれた。ついでにアーリが身体強化を施してくれる。
「……本当にすげぇな、その力。俺にも使って欲しいぐらいだぜ……」
槍を杖代わりに立ち上がったバーミリオンが、顔をしかめながら恨めしげに呟いた。しかし、そんな兄へ、若干顔を青ざめさせていた妹のディアナが脇腹を突いて辛辣な言葉を吐いた。
「バカ兄貴が何ほざいてんのよ。役立たずなんだから宝の持ち腐れでしょ?」
「あぁ!? なんだとてめぇっ」
「なによっ、やる気!?」
危機的状況だというのにこんなときまで兄妹喧嘩し始める二人に、正直うんざりさせられたけど、僕は敢えてそれを無視して、すぐ側を浮遊する白い影に声をかけた。
「なぁ、アルメリッサ。あんなもん、どうやって倒せって言うんだよ。あいつ、障壁とか張ってないのに、まったく攻撃が利いてない気がするんだけど?」
大分疲弊した肉体が元通り回復してきたので、僕はオルファリアたちを軽く制して精霊神術を止めさせた。
どこか遠くを見るようにしながら漆黒の竜を見つめていたアルメリッサが、僕の声に応じて振り返った。
(あれは、複製品とは言え、神話の竜を模して作られましたからね。実際にあれが神話の竜と同一かどうかはわかりませんが、その強度は計り知れないものがあります。おそらく、あれの鱗はこの城に使われている石材と同じぐらいかそれ以上に頑丈でしょうね)
僕はその無責任とも取れる発言に心底げっそりした。
「石材と同じとか、そんなの、絶対剣じゃ傷つけられないじゃないか……」
(でしょうね。そのように設計しましたから)
淡々と告げるアルメリッサに、顔をしかめたオルファリアが口を開いた。
「それでは私たちでは、あの竜という生き物を倒せないということでしょうか?」
じっと見つめる彼女に、アルメリッサは謎めいた瞳を向けたあと、信じられない台詞を吐いた。
(その通りです。かつての時代ですら容易に倒せないように設計し作られましたので、古代より技術力の劣る現代ではあれを倒すことなどできはしないでしょうね)
「そんなっ。だったら、僕たちはもう、打つ手なしってことなのか!? 研究塔すら辿り着けず、この城で滅びを待つだけってことなのかよ!?」
しかし、彼女は首を横に振った。
(本来であればの話です。ただ剣や大砲などで攻撃することしかできない現代人では、あれを沈黙させることは奇跡が起こってもあり得ないということです。ですが、それはあくまでも普通の人間であれば、です。あなた方であれば一つだけ、あれに打ち勝つ方法があります)
「それは?」
(精霊神術です。かつての人類でも、精霊神術それ自体を使える者たちは誰もいませんでした。かの力を行使できるのは今も昔も変わらず、幻生獣だけ。ですので、オルファリアたちやリル、あなたであれば、あれを黙らせることができると思います)
そう静かに告げた彼女だったけど、僕はその発言に納得できなかった。既に僕は何度も炎龍を発動して、あの竜の背後から攻撃していたのだ。しかし、最大出力の爆発ですら傷一つつけられなかった。
「精霊神術なら倒せるって言ったけど、あいつ、まったく利いてないと思うんだけど?」
(それは、そうでしょうね。あの鱗にはどんな攻撃も通じませんから)
「は?」
僕はもはや、この人が何を言ってるのか理解できなかった。しかし、呆気にとられている僕をほったらかしにして、勝手に話は進んでいく。
(あのガーディアンの鱗は誰にも傷つけることはできません。ですが一箇所だけ、精霊神術であればダメージを与えられる場所が存在しているのです。それが、あれの頭頂部に埋め込まれているエルオール製の容器に収められた精霊結晶石です)
「精霊結晶石だって? そんな話、初めて聞いたぞ? だけど、いったいなんのためにそんなものが埋め込まれてるんだよ……!」
(先程、言ったはずですよ。あれは人為的に作られた人工生命体であると。無理やり生み出されたそのような代物に、意志も魂もあるはずがありません。あるのはただ、ザーレントによって刻み込まれた外敵排除の制御コードだけ)
「まさか……まさかその結晶石っていうのは、あいつに仮初めの命を与えるための制御装置か何かだっていうのか?」
(はい。この奥の部屋に設置されている外敵防衛制御機構によって命令されているに過ぎないのです。ですので、そこだけは鱗のような頑強な素材で覆い尽くすことができませんでした。それをすると、通信をすべて弾き返してしまい、まったく動かなくなってしまいますので)
そう言って目を伏せるアルメリッサ。僕は、
「はぁ……。たくもうっ。そういうことは最初に話しておいてくれよっ」
溜息吐きながらも舌打ちして、剣を構え直した。
「とにかくだっ。あいつの止めは僕が刺す! だからみんなは、僕があいつの背中に飛び乗れるようにするために、牽制しててくれ!」
僕はそう指示を出し、再び走り出そうとしたんだけど、すんでのところでオルファリアに止められた。
「リル」
「ん?」
「もしかしたら、私が力をお貸しできるかも知れません」
そう言うや否や、いきなり彼女の全身から眩いばかりの光が放たれ始めた。そして、見る間にその背中には巨大な光の翼が広がっていった。
「まさかオルファリア。僕を抱えたまま、竜の頭上まで飛んでいくつもりじゃないだろうな?」
「そのまさかですよ」
そう言ってクスッと笑う彼女に、僕は自分の顔が引きつっていくのを感じた。
「無茶だっ。そんな危険な真似、君にさせるわけには――」
「それを言ったら、私だって、あなたにそんな危険な真似、させたくありません」
オルファリアはじっと、怒ったような視線を向けてきたあとで、足下にいたアーリに向き直った。
「アーリ、頼めますか?」
「はいです! いっぱい、強くするのです!」
「おいらたちも、姉ちゃんに力を貸すよっ」
「ピュリリ!」
ちびっ子たちはそう応じて、オルファリアの腰にまとわりついた。
すると、彼女の全身を包み込んでいた光が更に輝き、限界を超えたそれらが粒子となって、そこら中へと飛び散り始めた。
カャトとピューリも僕が知らない何かの力を持っているのか、銅色の風が彼女の周囲をそよがせていた。
「すげぇ……なんだ、こりゃぁ……」
「綺麗……まるでおとぎ話に出てくる天使とか女神様みたい……」
バーミリオン兄が呆然としながら呟き、ディアナに至ってはうっとり顔でオルファリアを見つめ続けていた。その二人が向ける視線には、畏敬の念や憧れはあっても、憎しみや恐怖の感情はまったく見受けられなかった。
やはり、この二人は僕が知っているような人間ではないみたいだ。人ではない者やわけのわからない力を持つ者たちを見て、本来はひたすら化け物と罵るような人間だったけど、まるっきり別人のようだった。
僕とオルファリアはそんな二人やカャトたちをその場に残し、今しも力尽きてしまいそうなほど疲弊しているルードたちを援護するため、一気に竜の背後へと迫った。
そして、長大な尻尾のすぐ近くまで来たとき、オルファリアが僕の背後から両腕を回して抱きついてくると、そのまま一気に高い天井付近まで飛翔した。
「リルっ。一瞬で決めてください!」
「わかってるさっ。残ってる力すべてを一度にぶつけてやる!」
僕は全身の血をたぎらせるように、瞬間的に精霊力を爆発させた。
そしていつでも炎龍をぶっ放せるように準備に入りながら、同時にエルオールの剣も構えた。
空から迫った僕たちの存在にさすがに気が付いたらしい漆黒の竜は、巨大な翼をはためかせて打ち落とそうとしてきた。
もたげた頭をこちらに向けて、巨大な顎門を広げながら、身体を半回転させて向かえ打とうとしてくる。
しかし、僕たちが何をしようとしているのか暗黙の了解で察してくれたルードたちが、注意を引きつけようとこれまで以上に苛烈な連続攻撃を繰り出した。
それだけでなく、遅れて現場に駆け戻ってきたバーミリオン兄妹も側面から左の翼を攻撃し始める。
遠距離からは、ベネッサに守られたカャト、アーリ、ピューリの三人の連係攻撃による業炎によって、尻尾が真っ赤に燃え上がった。
それらの集中攻撃にたまらず竜が咆哮し、周囲の人間すべてを同時に排除しようと大暴れとなる。
僕とオルファリアはそのおかげで、なんとか竜の後頭部へと降り立てた。
それに気が付き、僕たちを振り落とそうとする漆黒の竜だったけど、すべては遅かった。
巨大で尖ったゴツゴツとした後頭部には、左右の側頭部から棘のように無数に生えた角が背中に向かって生えていたけど、その丁度中央に、虹色に光る人の頭ほどの大きさもある、平らで丸い石が埋め込まれていた。
僕はかっと目を見開き、それ目がけて限界まで練り上げた炎龍をぶっ放していた。そして更に、火傷覚悟で両手に持ったエルオールの剣を思いっ切り突き立てる。
真っ赤に燃えさかる爆炎とともに、精霊力の塊であるエルオールの剣による一撃まで食らった精霊結晶石が、派手な音を立ててパリーンと砕け散った。
たまらず断末魔に似た叫びを天に向かって放つ漆黒の竜。
僕は足場にしていた竜の頭がいきなり上方へと動いたせいで体勢を崩し、危うく地面に転落しそうになった。しかし、いち早くそれに気が付いたオルファリアが素早く拾い上げてくれたおかげで難を逃れ、二人して急ぎ、後方へと退避した。
同じように竜の近くで戦っていたルードたちも慌てて避難していく。
そんな中、この巨大な部屋を長い歳月かけて守り抜いてきた古のガーディアンは、壁や天井などを破壊しながらひたすらのたうち回ったあと、やがて動きを止め、地響き立てながら床へとうつ伏せに倒れていった。
「はぁ……はぁ……しんどいわ……」
「しかも、まだこのあと……研究塔とやらが残っているんだよな……」
完全に動きを停止した竜から遠く離れた床の上にしゃがみ込んでしまったルードとアーシュバイツさんが、うんざりしたように呟いた。
そんな二人へそれまでカャトたちと一緒にいた小猿のラッツィたちが駆け寄っていき、すぐさま癒やしの力を行使し始めた。
「ありがとな……お前ら……」
相変わらず天井を見上げながらぼそっと呟くルード。僕はそんな彼らを眺めながら、
「あと少しだ。あと少しですべてが終わるんだ。それまでは、決して死ねない……」
どっと襲いかかってくる心身の疲れを振り払うように、一人、呟いた。
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