35.オルファリアの決意
その日の夜半のことだった。
前回ザクレフさんのところでお世話になったときよりも、一人と二匹増えてしまったけど、とりあえず、例によって男たち四人は居間で雑魚寝することになった。
ただ、以前とは違い、ザクレフさんは考古学者の血が騒ぐのか、僕たちが持ち込んだ石版メモの解読やら考察を早急に片付けたいと、寝ずにずっとにらめっこしていた。
対するアーシュバイツさんも、なんだかんだでザクレフさんと話し込んでいるため、眠る気配がない。
ルードに関してはさっさと壁にもたれかかって高いびきで、僕に至っては周りがそんな状態だったから、まったく寝付ける気がしなかった。
「少し、夜風に当たってきます」
僕はそうザクレフさんに言い残し、外へと出ていった。
周囲は小屋から漏れる明かりと、空を舞う夜光幻虫の光だけが辺り一帯を薄らと灯す光源となっていた。他に僕の視界を広げてくれるものと言えば、空から照らす月明かりのみ。
そんな、人間社会とはまるっきり隔絶されたような世界。生まれ育った故郷の庵を思い出すけど、あそこには夜光幻虫なんてものはいない。多分、この森ぐらいなものだろう。こんなにも多くの虫たちが飛び交っているのは。
僕はそんな虫たちが奏でる夜想曲を聞きながら、家の玄関口を出て右手の外壁沿いを歩き、そのまま角を曲がって小屋の側面へと歩を進めた。
目の前には壁一面に取り付けられた太い丸太があり、壁を背もたれにして座れるようになっていた。
そんな場所に腰を下ろしながら、静謐な夜の空気を胸いっぱいに吸い込み、ぼ~っとしながら、知らずにこれまでの人生を振り返っていた。
この世界に生まれてきて、ずっと一つのことだけを考え過ごしてきた。オルファリアに出会い、どんな手段を使ってでも彼女を救って見せると。
そのために僕はこれまでの十九年間を、ほとんどどぶに捨ててきたといっても過言ではない。
イルファーレンで冒険者として過ごした二年間という長い月日。本当にいろんな人たちと出会ってきた。中にはとびっきり綺麗で可愛くて、僕にはもったいないぐらいの素敵な女性たちから何度も声をかけてもらったこともあった。だけど、すべて断ってきた。
僕の頭の中にはオルファリアのことしかなかったからだ。彼女のことだけしか考えられなかったし、何より、彼女と会う前に他の女の子と仲良くなったら、彼女を救うことを諦めていたかもしれない。
だから僕はすべて断って、そして、実際に彼女と相見えることになった。
彼女は僕が想像していた以上に希薄な美しさを持った、とても可愛い女の子だった。
確かに今まで知り合った女性たちの中にも、ファー姉さんやベネッサみたいに、思わず目移りしてしまいそうなぐらい、魅力的な女性たちは何人もいたけど、それでもやっぱり、オルファリアに叶う女性なんか誰もいなかった。
いろいろ心に問題を抱えている女の子だけど、それでも、見た目の美しさに比例するように、中身まで清らかで美しくあろうとしている。
そんな彼女に僕が惹かれてしまうのは、自然の摂理なんだと思う。そして、そんな彼女だからこそ、どんな手段を使ってでも守り抜きたいと思える。
「だけど、そのためにも、避けて通れないのがフランデルクたちとの戦闘を始め、この森で何が起こったのか、その真相を確かめることなんだろうな」
おそらく、その鍵を握っているのが、オルファリアの先祖である森の女王アルメリッサだ。
本来、ザーレントよりも早く戦争で命を落としていたはずなのに、遺跡で見つけた石版によると、先に死んだのはザーレントだという。
いったい、過去に何があったというのか。どうして歴史が変わってしまったのか。
おそらく歴史改変については僕個人の知識の問題だから、今すぐに解ける問題ではないと思う。だけど、アルメリッサたちの過去に何があったのかだけは、早急になんとかしないと、大変なことになるかもしれない。
ザクレフさんが今、必死になって解読してくれているからその結果待ちだけど、もしそれでとんでもないことが判明したら……。
「そして、彼女のこと」
この先必ず待っているはずの、フランデルクとの最後の戦い。
廃村遺跡の一件で、オルファリアも避けては通れない戦いについては、ある程度理解を示してくれるようになったと思っていたけど、会議中、最後に見せたあの暗く沈んだ表情を見る限り、まだ割り切れていないことも多いのかもしれない。
「やっぱり、これ以上、彼女を僕たちの都合に合わせて、連れ回しちゃいけないのかもしれない……」
本人は納得しないかもしれないけど、村に帰りさえすれば、目の前で誰かが命を散らす姿なんか見なくてすむのだから。
「そうだよな……やっぱりそうだよな……」
そのせいでずっと憧れ続けてきた彼女とこれ以上仲良くなれず、問題が片付いたらさよならすることになるかもしれないけど、彼女が傷つくより遙かにマシだった。
彼女さえ傷つかず、死なないでいてくれたらそれだけで十分なのだ。寂しい気持ちになるのは僕だけでいい。
だって、僕は将来、世界的な英雄となってこの世界を救わなければならない物語の主人公なんだから。
僕は知らずに湧き出てきた喪失感と空しさをぐっと堪えつつ、無理して笑顔を浮かべた――と、そんなときだった。
「何が……そうなのですか……?」
「……え……?」
ふと、か細く鳴く小鳥のような小さな声音が左手方向から聞こえてきたような気がした。
僕はゆっくりとそちらへ視線を投げ――そこで思わず、心臓が口から飛び出そうになるぐらい驚いてしまった。
なぜなら、オルファリアらしき影色の人物が、壁の端から顔と身体半分だけ覗かせるような格好で佇んでいたからだ。
「え、えっと……オルファリア……だよね?」
「はい……」
「どうしたの? こんな時間に、こんなところで」
「……はい。あの、いろいろ考えていたら寝付けなくて。それでリルの姿が見当たらなかったので、ザクレフさんに聞いたら外に出たと……」
「……ぁあ、そういうことだったんだね」
「はい……」
相変わらずか細い声で答えてくる、表情の見えないオルファリア。彼女も僕と同じで眠れなかったんだなと、妙な親近感が湧いてしまい、ときめく胸を懸命に堪えながら、
「とりあえず、こっちにきたら?」
「ご一緒しても、よろしいのですか……?」
「もちろんだよ」
僕は内心の動揺を誤魔化すために笑って見せた。そんな僕の表情は多分、暗がりで見えなかったとは思うけど、声色から友好的な雰囲気を感じ取ってくれたのだろう。
彼女はゆっくりと近寄ってきて、僕の前を通り過ぎるように横切ってから、なぜか右隣へと腰かけた。
「とても静かな夜ですね。虫たちが楽しげに歌っています」
どこか遠いところを見るように、前を見つめる月の女神のような女の子。相変わらず薄暗くてよく見えなかったけど、夜光幻虫たちの仄かな明かりに照らされたオルファリアの横顔は、儚げに笑っていた。
「オルファリアは動物たちとも話ができたりするんだっけ?」
こんな静粛な夜に憧れ続けた女の子と二人っきり。しかも、身体が触れあうほどの至近距離にいる。否が応にも鼓動が早くなってしまい、顔まで熱くなっているような気がした。
「いえ。さすがに話をすることはできませんが、なんとなく、こんなことを言っているのかな? あんなことを話しているのかなって、想像することぐらいでしょうか」
「そうなんだ」
「はい」
静かに返事をして僕を見つめてくる彼女。寝所に引きこもる前にザクレフさんに湯場を借りたからか、彼女からはこの森で採れた花から抽出して作られた石けんの香りがしていた。
とても心安らぐいい匂い。それがまた、彼女の色香を引き立たせていた。
「リル……?」
「え……? あ、うん。なんでもない」
知らない間に見とれてしまっていたらしく、慌てて頭を振った。そんな僕を彼女はしばらくきょとんとして見ていたけれど、すぐに真正面を向いて、ここではないどこかを見るような目をした。
「私……小さい頃は外の世界にずっと、憧れを抱いていたんです」
「小さい頃……?」
「はい。もう随分と昔になります。かれこれ、十五、六年も前のことになるでしょうか」
どこか懐かしむように、されどとても悲しげな表情を浮かべるオルファリア。僕は彼女が何を話そうとしているのか、それだけでわかってしまった。
とても忌むべき記憶。いっそのこと、すべて忘れてしまった方が楽になれるのではないかと思えるぐらいの陰惨な過去。
「オルファリア。その話は……」
僕は慌てて彼女を止めようとしたけど、彼女は僕に笑いながら首を横に振った。
「リル……やっぱり気付いていたんですね。私の過去のこと」
「い、いや。そうじゃないよ。ただ、村で人間たちとの間に因縁があるみたいなこと言ってたし。それに、オルファリアと見た目が同じ人たちを見かけなかったから、もしかして何かあったんじゃないかと思って。争い事も酷く嫌っているみたいだし」
しどろもどろで説明する僕に、
「ふふ。いいんです。別に問い詰めているわけではありませんから。ただ、私のことを知ってもらいたくて。私が何を考えているのか、リルには話しておかなければならないと思ったんです。そうしなければ多分、今後、私はリルに決別されてしまうような気がするから」
そう静かに、だけど決意を秘めたような瞳でじっと彼女は僕を見つめてきた。
「オルファリア……まさか、さっきのひとり言、聞いていたの?」
「……はい。ですが私は、今ここで村に帰るわけにはいきません。私には私のなすべきこと、知りたいことがたくさんあるんです。古代王国のこと。私のご先祖様のこと。そして、人と幻生獣が、ともに手を取り合って生きていく道。人間たちは私たちのことを忌むべき存在と判断することが多いので、決して相容れない関係だと言われています。ですが、かつてザーレントやアルメリッサ様がそうしたように、今の私たちも必ずわかり合える道がどこかにあるのではないか。私はそう思っているんです。ですからそれを知りたい。あなた方と行動していれば、何か手がかりが見つかるんじゃないかって、そう思うんです」
「オルファリア……君は……」
どこまでも諍いを否定し、あくまでもすべてが仲良く共存できる道を選ぶ。本当に眩し過ぎるぐらいまっすぐな女の子だった。
「ふふ。ですからリル? 聞いて欲しいんです。私の過去に何があったのか……」
そう前置きして、彼女は話し始めた。
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