30.禁書強奪事件
「今から数日前のことだ。奴が世界規模にわたって遺跡荒らしを繰り返していることは周知の事実だが、奴は我が国の禁書庫へも潜入し、失われた古代王国時代の禁書を強奪しようとしたのだよ」
「強奪って、まさかリヒトの王城に忍び込んだというの?」
驚愕に表情を染めるベネッサの反応は無理もないことだった。ただでさえ厳重な警備が敷かれているはずの各国の王宮や禁書庫なのに、それに加えてリヒトには聖天使の雷と呼ばれる予見の力を持った女王が頂点に君臨している。
そんな彼女の力をかいくぐり、城の奥深くまで侵入されたとあっては国家の威信に関わってくる。しかもそれだけでなく、彼の国はこの女王の力があるからこそ、周辺諸国に威を張り、他国からの侵略の一切を突っぱねてきたのだ。
それなのに、もし仮にその絶対的な力に傷をつけた者がいるなどと知られたら、一気に世界の均衡が崩れかねない。そんな危険をはらんだ事件だった。
しかし、事はそんなに単純ではなかったらしい。
「結論から言えば、禁書の強奪は未然に防ぐことができた。陛下のお力もあったゆえにな。だが、それでも厳重な警備を強いた我らの防衛網は簡単に突破されてしまったのだ。あいつが繰り出すあの力でな」
「魔法……ですね」
僕の一言に、アーシュバイツさんは一瞬違和感を覚えたようだったけど、すぐに頷いた。
「そうだ。まさしく魔法のような力だった。あの力の前ではすべてが赤子同然だった。それでも、全兵力を投入して物量攻撃へと転じたことが功を奏したのだろうな。さすがの奴もそれ以上、戦闘を続けられなくなって逃走へと転じたのだ」
「なるほど。それで、騎士団長さんたちはそのまま奴を追いかけ、北の断崖で追撃戦を繰り広げたが、敢えなくやられちまったと」
ルードの言葉に、アーシュバイツさんが頷く。
「あぁ。本当にいいところまでいったんだがな。あの障壁さえなければ、今頃差し違えてでも奴を討ち取っていただろうに」
そう口惜しそうに口をつぐんだ。
もしも彼が語ってくれたフランデルクとのいきさつが真実であるならば、今のところ、僕たちにあの障壁を打ち破る手立てはないということになる。僕たちもアーシュバイツさんも、あれを突破する術を持ち合わせていないのだから。
もちろん、まったく弱点がないわけではないと思うんだけど、一度使った手は二度と使えないと思った方がいいかもしれない。精霊神術吸収時の一時的な障壁解除や、よくわからないけどオルファリアの攻撃が利いていたことなども含めて。
おそらく既に対策を講じているはずだし、中途半端で不明瞭な攻撃に頼るより、もっと根本的な何かを解決しなくては、多分あいつには勝てないだろう。
今こうして、奴と因縁のあるアーシュバイツさんと邂逅して助力を得たとしても。
「ですが、よくあの高さから落ちて無事でいられましたね」
僕の右隣に座っていたオルファリアがきょとんとしながら、首を傾げて聞いた。
アーシュバイツさんには既に幻生獣のことは教えてあるから、オルファリアやカャトたちが普通の人間ではないことも理解してくれている。
彼はルードやベネッサと一緒で、最初はオルファリアたちの見た目に驚いていたけど、説明を聞いてすぐに納得してくれた。
聞くところによると、アーシュバイツさんのすぐ近くには、幼い頃から変なことばかり言い出す幼馴染みがいたらしく、それがあったからこそ、「世界にはまだまだ知られていない未知なるものがたくさん転がっている」と、常日頃から考えていたらしい。
だから比較的、寛容な人だった。そういったわけで、騎士団長さんは何も気後れせず、苦笑しながらオルファリアに説明し始めた。
「そのことなんだが、気が付いたらこの洞窟の前に倒れていてな。あの崖から転落してまだ二、三日ほどしか経ってはいないと思うのだが、目が覚めたときには既にこいつらが周囲にいたんだよ」
そう言って、団長さんの足下で首を傾げていた小猿たちを抱き上げた。
「よくわからんが、こいつらが助けてくれたらしい。何を言っているかはわからないが、ほとんどかすり傷だけといった状態にまで回復していた俺に、おかしな光を放って、残っていた傷すらも治してくれたのだ」
「なるほど。そういうことでしたか」
「あぁ」
僕たちもそうだけど、本当にラッツィ様々である。
「しかもこいつらはご丁寧にも、食べられる果実まで運んできてくれてな。ホント、感謝してもしきれないくらいだ」
優しげな笑みを浮かべて頭を撫でるアーシュバイツさんに、小猿は気持ちよさそうに目をつぶった。
僕はそんな微笑ましい光景を前にして、ほっと胸を撫で下ろしていた。
転落したアーシュバイツさんをラッツィたちが生かし続けてくれた。こんなにも嬉しいことはない。未だフランデルクへの明確な対策は練られていないけど、それでもこの人がいてくれたら、何かしらの打開策が見えてくる。そんな気がした。
それに、アーシュバイツさんから聞いたフランデルクとのいきさつについてもだけど、大体僕が覚えている記憶と似たようなものだったから、それほど大きなずれは生じていないはずだ。それがわかっただけでも、一歩前進したと言える。
リヒトでの強奪未遂事件の細かいあらましに関してはまったく知識になかったけど、事件が起こってから転落するまでの一連の流れはほぼ一緒。
ただ、当然ながら、障壁に関しては違っている。
僕が記憶する限り、障壁があってもなくても、騎士団は壊滅してアーシュバイツさんはこの森の中へと突き落とされていた。
フランデルクは転落死させたと言っていたけど、それはどうやらあいつの見立てなだけで、森へ落下したあとの生死は確かめていなかったということなのだろう。本来の歴史でも今生でも。
改めて生きててくれてよかったと思った。
あとは障壁さえなんとかなれば、光明が見えてくる。
「ともあれ、これである程度状況は把握できた。そこでなんだが、一つ君たちに頼みたいことがある」
アーシュバイツさんはそう言って、小猿を肩に乗せたまま立ち上がった。
「もし君たちがこの先、あの男を叩き潰す気でいるのであれば、俺の方も一緒に同行させてはもらえないだろうか? もちろん、君たちにあの男を倒すことを強要するつもりは一切ないし、あの男との接触を避ける方向でいたとしても、君たちの用件が終わるまでは俺も全力で協力することを約束しよう。魔の領域とやらの問題が解決しなければ、どの道、俺もあの男もこの森からは出られないだろうしな。いかがだろうか?」
小猿を乗せたまま真摯な眼差しを向けてくる騎士団長に、僕たちは互いに顔を見合わせた。しかし、答えなんか最初から決まっている。
ルードとベネッサはすべて僕に任せるとでも言いたげに、視線や顎で合図を送ってくるし、オルファリアも微かに微笑んでくるだけ。
カャトやアーリに至っては最初からこの場にはおらず、アーシュバイツさんと合流してからずっと、ラッツィやピューリたちと一緒に、草地でキャッキャしながら戯れていた。
すべてを僕の判断に委ねる。
知らない間にみんなのリーダーみたいになってしまった僕は、迷うことなく、
「もちろん、その申し出、喜んで引き受けさせていただきます」
「そうか! ならば、改めてよろしく頼む!」
立ち上がった僕に、アーシュバイツさんは大股に歩み寄ってきて、両手で僕の右手を掴んで握手を求めてきた。それを見たルードやベネッサが互いにニヤッと笑うと、二人も立ち上がって、僕たちの手の上に右手を乗せてくる。
オルファリアも立ち上がったけど、彼女は身体の前で両手を合わせて、不思議なものを見るような目つきで眺めてくるだけだった。
「んで、リルよ。これからどうするんだ? ここがどこなのかもわからんし、まさかまたあの洞穴の中に戻るのか?」
手を離して再び真顔になったルードがそう聞いてきたのだけれど、
「そのことなんだが、君たちに見せたいものがある。ついてきてくれないか?」
そう言って、アーシュバイツさんは僕たちを見渡した。
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