3.果てしなく険しい最強スタートへの道
最強スタートを決めると心に誓い、前へ進み始めてから一週間ほどが経過していた。
僕は剣術稽古以外にも、ありとあらゆる知識や技術を習得するために、いろんなことを勉強し始めた。
学者肌のオーディスじいちゃんからは、この世界についてのありとあらゆる学問を叩き込んでもらった。
地理、歴史、算術、政治経済や職業組合といった基本的な概念や学問など。
この世界で一般的に知られていない古代にまつわる知識や魔法に関する事柄、それから未来の自分に起こる出来事についてはある程度理解していたけど、じいちゃんが教えてくれる基本的な知識などは、はっきり言ってほとんど持ち合わせていない。だから本当にためになった。
商人との交渉術や話術などは、この世界で生きる上では必須の技術だしね。
ものの売り買いなどは相手が嘘を言っているかどうか見極める必要があるし、交渉次第では安く物品を購入することも高く売ることもできる。
この世界に生きる人間は、大体どこの国でも、職業組合と呼ばれる世界的な組織に加盟しないと仕事ができないといった仕組みが採られている。そのおかげで、商品の相場はある程度安定しているけど、時々、悪質な連中に遭遇することだってある。
そういったときにお人好しなことをしていたら、大損して路頭に迷うことになる。
だから、じいちゃんの教えてくれた人との交渉方法は本当に役に立った。
それから、座学と並行して行っている剣の稽古についてだけど。
僕はじいちゃんに連れられ、山の中腹辺りに作られた寒村ポルトを訪れ、一人の中年男性に師事することになった。
じいちゃんが言うには、その人はなんでも、昔はどこかの国で剣豪とまで讃えられたほどの剣の達人らしかった。
今は既に剣の道を引退し、旅の途中に訪れたこの村を安住の地と定めて、毎日を平和に暮らしていたらしいんだけど、剣の腕はまだまだ衰え知らずで健在とのことだった。
「剣術指南か……。俺はそういうのは受け付けていないんだけどな。特にこんな子供が相手とあってはな」
彼はそう言って、最初こそ相当渋っていたんだけど、どうもじいちゃんにはかなり世話になっているらしく、何度も頼み込んでようやく引き受けてくれるようになった。
「踏み込みが甘い! もっと腰を落とせ! 足腰に力を入れろ!」
「はいっ」
彼の訓練は想像を絶するほどにきつかった。
僕が子供だからとか、知り合いの連れだからといって、手加減する素振りなどまるで見せなかった。
弟子を取るのは初めてみたいだから、どうやって相手をしていいのかわからなかっただけかもしれないけど、本当に「酷過ぎる!」と、思わず叫びたくなるぐらいの鬼師匠だった。
だけど、そんな師匠だったけど、剣の稽古を開始してから更に一週間、ひと月、数ヶ月と時が流れていくうちに、徐々に変化が見られるようになっていった。
僕本人としてはあまりよくわかっていなかったけど、どんなに辛くても弱音を一切吐かず必死こいて喰らいつき、毎日のように山を上り下りしたり、基礎体力を磨いたりしながら師匠相手にがんばっていたからか。稽古中に笑顔を向けてくれることが多くなっていった。
更に、ずっと僕の方から山を下りて師匠の元に足を運んでいたけど、そのうち、師匠の方が山を登ってきてくれることも多くなり、じいちゃんや姉ちゃんが見守る中、朝から晩まで稽古をつけてくれる日も増えていった。
「あなたたち、本当に飽きないわね。しかも、随分楽しそうだこと」
庭に置いた椅子に足を組んで座りながら、つまらなそうに呟くファー姉ちゃん。
対して、短い黒髪をすべて後ろに流すような髪型をしている師匠は、傷のある頬に笑みを浮かべて、
「剣と剣がぶつかり合うだけで、相手の性癖が手に取るようにわかるからな。そして、リルの剣は恐ろしくまっすぐだ。まるっきり邪念の欠片もない。そういった剣筋をしている奴は相手に心を読まれやすく、簡単に命を落とす。だが、だからこそそういった相手を前にすると、自然と楽しくなってきてしまうのだよ。何しろ、純粋な奴ほど、将来大化けするからなっ」
師匠は最後の方、叫ぶように言って、木刀を振り下ろしてきた。
「ぎゃっ」
その十分手加減された斬撃を、僕は手にした小さい木刀で受け止めようとしたけれど、体格差があり過ぎた。
両手に握りしめていた得物が地面へと思いっ切り叩き付けられてしまい、そのときの衝撃で手や腕に痺れが走った。
体力的にも限界でそのまま尻餅をついてしまう。
「つつっ……」
「よしっ。今日はこれまで!」
「あ、ありがとうございました……!」
僕は懸命に立ち上がって礼をする。師匠は笑いながら山を下りていった。
その背中を黙って見守りながら、自分がどこまで強くなれるのか、どのくらい強くなっているのか。将来に対する不安を打ち消すために、ひたすら自問自答し続けた。
「それじゃ、今度は私の番ね」
「う、うん。だけど、その前にちょっと休憩させて……」
既に時刻は夕方。
座学に剣術、体術の修行を始めてから数ヶ月が経っていた。
あっという間に短い夏も終わり、今は秋。
この世界の暦は二月から三月が春。四月から六月が夏。七月から九月が秋。十月から一月までが冬となっている。
更に十二月と一月の間には僅か十日間しかない黎明月というものがあり、翌年を祝う期間と定められている。
現在は八月だから、あと二ヶ月もしたら冬となり、この辺一帯は雪に覆われ真っ白な大地となるだろう。
そうなったらいろいろ行動しづらくなってしまう。
今のうちにやれることはしっかりやっておかなくちゃ。
僕は地べたに腰を下ろして、しばらくの間呼吸を整えてから、目の前にしゃがみ込んで両膝に肘つく格好で頬杖ついていた姉ちゃんに向き直った。
「お待たせ」
「うん」
姉ちゃんは短く答えながら、何やら、家の玄関のところで長椅子に座っていたじいちゃんに一瞥をくれた。
「どうしたの?」
「う~ん……ここだけの話、本当はあなたにあれ、教えたくないのよねぇ」
「え? なんで?」
「なんでって。以前にも説明したけど、本来、私が持ってる力って、私やオーディス以外の人には教えることはおろか、見せることだって許されてないんだから」
そんなことを言って目を細める姉ちゃん。
彼女がなぜ、今更そんなことを言い出したのか、僕にはいまいちよくわからない。
わかっていることと言えば、『本来、ただの人間であれば決して使えないはずのおかしな力を、姉ちゃんだけでなくじいちゃんまで使える』ということだった。
二人になんでそんな力が使えるのかは、正直なところ、僕は知らない。
原作小説を最終巻まで読むと、すべての謎がわかるようになっているみたいだけど、当然、途中までしか読んでないから知るはずもない。
ただ、僕はこの二人がおかしな力を持っているということだけは知っていたのだ。なぜか。
理由は簡単で、たまたまネットのまとめサイトを見に行ったときに、間違ってネタバレ情報を見てしまったからだ。
そして、実際に一緒に生活するようになって、じいちゃんが使っている場面は一度も見たことがなかったけど、姉ちゃんが使っているところを一回だけ、目撃してしまったのである。
あのときのことを思い出すと、今でも笑えてくる。
夕飯の準備をするときに、かまどに火がくべられてないことに気が付いた姉ちゃんは、薪で火をおこすのが面倒だからと、周囲に人がいないことを確認するようにきょろきょろしてから、いきなり指先から炎を噴出させたのである。
こっそり隠れて僕が見ていたことにすら気が付かずにね。
それでその現場をしっかり押さえていた僕が問い詰めたら、観念して力のことを教えてくれたのだ。
姉ちゃんとじいちゃんの二人が、精霊神術ではない別体系の魔法が使えるということを。
その力の正体や名前までは教えてくれなかったけど、この力さえあれば、現代人が使えないはずの精霊神術もどきが使えるようになるんじゃないかと、僕は狂喜した。
だから、何度も何度も頼み込んだ。そうしてようやく今日、教えてもらえることになったのだ。
しかし、それなのに姉ちゃん曰く、どうやらじいちゃんには知られたくないとのことだった。
普段僕にはまったく怒ることなく、優しい姿しか見せたことのないじいちゃんだったけど、姉ちゃんが言うには、どうも姉ちゃん相手だと、状況によっては恐ろしく激怒するとのことだった。
その案件がまさしく魔法。
僕が頼み込んだところで教えてもらえるかどうかわからない、そういった類いの話らしい。
たとえ相手が可愛がっている孫同然の僕が相手でも、教えていい代物ではない。世界の調和を乱すことに繋がるとても危険な力だから。
ファー姉ちゃんはそう言っていた。
「だけどそれでも、僕にはどうしてもその力が必要なんだ」
「う~ん。リルの気持ちもわかるんだけど、やっぱりこの力はねぇ……」
土壇場になっていきなり渋り始めるファー姉ちゃん。
そんなときだった。それまでぼ~っと椅子に座っていただけだったじいちゃんが、いきなり立ち上がって、こちらに歩いてきた。
「リヒターや」
「え? な、なに?」
しゃがみ込んで密談していた僕と姉ちゃんのすぐ側で立ち止まると、じいちゃんはそんな僕たちを、じっと見下ろすようにしてきた。
深い皺が刻まれた年老いた顔には、読み取れない表情が浮かんでいる。細められた黒い眼光が、僕の心すべてを透かし見ようとしているかのようだった。
「一つお前に聞きたいことがある。どうしてそんなにも、魔法について知りたがっておるのじゃ?」
「え……!」
バレてる!
僕は全身から嫌な汗が噴き出してくるような不快感に襲われた。
それは目の前にいるファー姉ちゃんも同じだったようで、表情が固まり青ざめていた。
「そ、それはその……大切なことだからだよっ」
「大切?」
「そうだよっ。僕は……はっきり言って、普通の人たちよりも弱い! だけどこの先の人生、何が起こるかわからないでしょ? そんなときに何もできない無力な人間だったら、本当なら救えたかもしれない命も、救えなくなっちゃうかもしれないじゃないか。そんなのはまっぴらごめんだよ! 僕は、大切な人は絶対に死なせたくないんだ!」
「ふむ……なるほどのぉ」
顎髭しごきながら、じいちゃんがじっと見つめてきた。
「お前の心の奥底には、どうやらわしらには見えていないものが見えておるようじゃのぉ。それが果たして鬼なのか、それとも蛇なのかはわしにはわからん。じゃがの。過ぎたる力を求め過ぎた結果、自らが破滅することもあり得る。かえって救いたい者も救えぬようになってしまう可能性すらある。それでもお前は力を求めると言うのかの?」
世界がどうとか自分が破滅するとか、今はそんなことを考えている余裕はない。どんな手段を使ってでも、いつ如何なるときでも僕に優しく微笑みかけてくれた、いじらしいあの子を助けたい。ただそれだけだ。
「僕には難しいことはわからない。だけど、どうしても強くならなくちゃいけないんだ。ただ大切な人たちを守るためだけにっ」
僕は睨み付けるようにじいちゃんを見上げ続けた。じいちゃんも見たことのないような厳しい表情で見つめ返してくる。
そんな時間がしばらく続いたあと。ふと、じいちゃんの表情が和らいだ。
「ほんに、お前はええこじゃの。お前をそこまで怯えさせているものがなんなのかはわからんが、よかろう」
そう言って、じいちゃんがファー姉ちゃんを見た。
「ラル=ファーよ」
「は、はいっ……」
「しっかりと教え説くがよい。技能だけでなく、力持つ者が正しくあらんとする心構えもの」
「え……?」
じいちゃんのその反応は、姉ちゃんにとっては予想外だったらしい。ぽかんとしていた。
「本当によろしいのですか? 今私が教えようとしていたのは、禁忌と定められているあの力なのですよ?」
「構わぬ。本来人には使えぬ力ではあるが、こやつならもしや、ということもあるしの。それにじゃ」
じいちゃんはそこまで言って、意味深に口ごもった。
姉ちゃんも何かに気が付いたように緊張した面持ちになったあとで、
「……わかったわ。できる限りのことはする」
そうして僕を見た。
「リル」
「うん?」
「許可が出たから全力で教えるけれど、だけれど、普通は扱えない力だということだけは忘れないで。あなたが習得できるかどうかもわからないけれど、あなたが興味を持っているあの力はとても危険なものなの。使い過ぎると己が身を滅ぼすことにもなりかねないし、周りを巻き込んで大勢の人間を死傷させる可能性もある。幼いあなたにこんなことを言ってもわからないかもしれないけれど、その辺は覚悟しておいてちょうだい」
僕の両肩を掴んで至近距離でじっと見つめてくる姉ちゃんに、
「わかったよっ。僕がんばるから、これからいっぱい教えてね、ファー姉ちゃん! 大好きだよっ」
そう言って、僕は笑顔を浮かべたまま、彼女の首元に抱きついて甘えるのだった。
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