27.遙か彼方に浮かぶ古代の廃城
なんだか酷く懐かしく思える感覚に、身体全体が包み込まれているような気がした。
もう随分と遠い昔、甘々なファー姉さんはどこへ行くにも僕のあとをくっついてきて、そのたびに、ひょいっと抱き上げては胸の中に抱きしめ、盛んに頬ずりしてきたり口付けたりしてきたものだ。
まだ僕が剣術や魔法の修行を始める前だったから、余計に僕を甘やかしてくれた。愛玩動物じゃないよと突っ込みを入れると、そのたびに頬を膨らませて、
「当たり前です! あなたは犬猫ではなく、私の大切な子供なのだから!」
そう怒り出して、更に前からも後ろからもぎゅ~っと抱きしめてくるのだった。
息苦しいけれど、どこか心地いい、そんな幸せな感覚。
今まさに、僕はそんな気分でぼ~っと、前を向いていた。
「なぁ……。仲直りしたのかなんなのかしらねぇが、いつまでそうしてる気だ?」
どこかばつが悪そうに、目の前に立っていた大男が頭をかきながらぼそっと呟いた。
「まぁ、今だけは大目に見てあげてもいいんじゃない?」
茶褐色の短髪男の隣に佇んでいた色っぽいお姉さんが、どこか呆れたような、照れくさそうな表情を浮かべて肩をすくめた。後頭部の上の方で緩くひとまとめにされた、赤みがかった栗色の髪が揺れ動く。
僕はそんな二人を、相変わらず明瞭にならない思考のまま見つめたあと、ふと、自分の身体を見下ろした。
両足を投げ出した状態で地べたに座り、そんな僕の鎧の上に、誰かの色白の腕が背後から巻き付いている。背中にも、鎧越しに何かの圧を感じていて、誰かに思い切り抱きしめられているかのような気がした。
僕はそこまで認識して、「え……?」と思い、後ろを向こうとしてビクっとなった。
僕の顔のすぐ右側に、この世のものとは思えないような精巧な作りをした美しい女の子の顔があったからだ。
「お、オルファリア……?」
一気に夢から覚めたような気分となって、慌てて彼女から離れようとしたけど、まるでびくともしなかった。
よく見たら、オルファリアの剥き出しの太股やら膝が、僕の腰を左右からがっつりと挟み込んでいたからだ。
更に、止めとばかりに、彼女は全体重を僕に預けるような形で寄りかかっているらしい。
白金色の長い睫毛が生えている瞼も閉じられている。どうやら眠ってしまっているようだった。
「え、えっと……これはどういう状態……?」
何がなんだかさっぱりわからず、鼓動がバクバクし出した僕に、左右からにょきっと、ちびっ子二人が現れた。
「気絶しちゃったリル兄ちゃんを、姉ちゃんがさっきまでずっと、魔法で治してたんだよ~」
「ですです! お姉様、すごかったのです! リル! 死んじゃダメ! リル~! って、ずっと泣き叫びながら魔法使っていたのです!」
「ほ、本当なのか……? それ……」
僕の膝の上に乗ってきて、楽しそうに目をキラキラ輝かせる二人。
「まぁ……なんつーか、そうなんじゃねぇか?」
「ね……」
なんだか本当に気まずそうに言い淀むルードとベネッサ。
僕は改めて、頬が触れあいそうな距離にある、美しくも愛らしいオルファリアの寝顔を眺めながら、次第に上気してくる頬とは別に、胸が締め付けられるような思いに駆られた。
オルファリアは僕を助けるために、人を傷つけたり争ったりすることが嫌いなくせに、自ら攻撃してくれたんだよな。カャトたちと一緒に。
そのときの胸中を思うと、本当に胸が痛くなってくる。
しかも戦闘が終わったあとは、僕の命を必死になって繋ぎ止めようとしてくれた。自らの命を削るとても危険な行為である『平安』という魔法で。
オルファリアが持つ力は僕が持っている力に似ている。カャトやピューリが使う精霊神術は、大気や大地の中、あるいは他者の中に眠る精霊力を操作し行使する力だから、最悪不毛な大地になることはあっても、自らの命が削られることはない。だけど、僕たちは違う。オルファリアの癒やしの力は、自身の中にある精霊力を他者へと分け与える力だ。
生き物は誰しも傷つけば精霊力を失うと言われている。
人の中に宿る精霊力は、細胞一つ一つや血流の中すべてに宿っていて、外傷を受けて細胞が破壊されると、そこから外へと漏れ出てしまうらしい。
なので、傷だらけになればそれだけ精霊力も失われ、たとえ一瞬で傷を癒やしたとしても、喪失した精霊力まで回復することはない。
自然回復するのを待たなければならないため、もし瀕死の重傷を負っていた場合、瞬間的に傷を癒やしたとしても、精霊力が極限まで失われているから、そのままでは死んでしまう可能性が高い。
しかし、オルファリアの力はそれすら防ぐ。自身の精霊力を相手に注ぎ込みながら、傷ついた細胞を修復するのだから。
だけど、そのせいで今度は自身が精霊力欠乏症となって、危険な状態になってしまうかもしれない。
それを考えゾッとした。
僕はただでさえ大怪我していた上に、精霊神術の真似事までして大量の精霊力を一度に消失するような危険な戦い方をしていたのだ。
そんな僕の傷を癒やそうとすれば、どうなるか。
膨大に失った精霊力を充填するために、オルファリアは自身の生命力といっても過言ではない精霊力を同数、僕へと流し込み、更にその精霊力を操作して、傷の修復までしなければならなくなるということだ。
それがどれだけ危険な行為か考えるまでもない。
僕はもう、彼女には一生頭が上がらないだろう。
「オルファリア……」
――本当に君は、見た目通り、中身までも美しくて、本当にどこまでも優しい女の子だ……。だからこそ僕は……。
二度とこんなことが起こらないようにと固く誓いながら、彼女の両手を優しく解いた。そのまま後ろを振り返りながら、カャトやアーリに手伝ってもらってオルファリアの上半身を横から支えるように抱き留めた。
彼女の背中には既に光り輝く翼のようなものは見当たらない。おそらく全力で精霊神術を使ったときだけ、顕現する代物なのだろう。
腕の中で眠る彼女は、まるで死んでいるかのように静かな寝息を立てていた。そんな彼女をちびっ子二人が心配そうに覗き込み、更に小さな金色の猿のような――
「て、あれ……? な、なんだ、こいつらはっ……」
今更ながらに僕はそいつらに気が付き、大慌てとなった。十数匹の猿のような、リスのような姿をした小さな生き物たち。それが、いつの間にか僕たちの周りを取り囲んでいたのである。
「あ~……それな、うん。俺ら全員死にかけてたとき、いきなりどっからともなく現れてな。てっきり、あの世から使いがやってきたのかと思ったが、どうやらそうじゃないらしいな」
「へ?」
「え~っと……落ち着いて聞いてね。なんだかその子たち、おかしな魔法が使えるみたいなのよ」
「魔法だって……?」
呆然と呟きながら、興味津々といった感じで僕のことを見つめてくる、ちっこい生き物たちを眺めていると、
「あ、こいつら、ラッツィっていう始祖獣の一種みたいなんだ」
「始祖獣……?」
得意げに教えてくれるカャトに首をひねっていると、今度はアーリが楽しそうに口を開いた。
「んとですね~。始祖獣っていうのはアーリたちみたいに、ずっと大昔から姿が変わらずに生きてきた動物らしいのです! それでそれで! この子たちも、お姉様と同じで『平安』の力が使えるのです!」
「平安だって……? 本当なのか、それ?」
僕は物欲しそうにしているラッツィたちを見た。よく見ると、彼らの一部は僕たちが携帯していた木の実とか乾パンなどを口に運んでいた。もしかして、おやつをあげる代わりに傷を癒やしてくれたってことか?
そういえば、僕だけじゃなくて、ルードやベネッサもすっかり五体満足元気になっているし。
ということは、みんなが言うことは本当だということなのか?
そこまで考えたときだった。
「リル……? ……リルっ」
腕の中にいたオルファリアが叫び、僕の首に抱きついてきた。
「目が覚めたんですね……! よかったっ……本当によかったっ……」
すぐにくぐもった声に変わってしまい、泣き出してしまう彼女。
どうやら僕たちがうるさくしていたせいで、起きてしまったようだ。
「うん……オルファリアのおかげでなんとか命拾いしたよ。本当にありがとう」
彼女を救うためにここに来たというのに、まさか彼女に命を救われるとは夢にも思っていなかった。情けなくて涙が出そうになってくる。
「だけど、オルファリアの方こそ大丈夫かい? 随分と力使わせちゃったみたいだけど、身体の方はどう?」
「……はい。動くのも辛いですが、それでもこの子たちが一緒になって助けてくれましたから、なんとか平気です」
そう言って、オルファリアは僕をきつく抱きしめたまま、自分の膝の上に乗ってきた金色の猿に優しい微笑みを見せた。
「そっか……」
実際にどうやったのかはわからないけど、多分、オルファリアと一緒に僕を治してくれたか、もしくは僕を治してくれている彼女を、ラッツィたちが治したってことなんだろう。そういうことにしておいた。
僕たちはお互いの無事を再確認するように、互いに抱き合ったまま見つめ合った。彼女の少し赤くなった水色の瞳を見ているうちに、胸がどんどん高鳴ってしまい、思わず吸い込まれそうになってしまう。
彼女も彼女で、どこかぼ~っとした眼を浮かべていた。お互いを抱きしめる腕の力が強くなり、そのたびに顔の距離が近づいていく。
僕はおかしな魔法にでもかかったような気分となり、その力に抗えなかった。そして、あと少しで鼻先が触れあいそうになったところで、
「とりあえず、二人とももう動けそうか?」
背後からいきなり野太い声が聞こえてきた。
僕たちはその声で正気に返ると、互いに目を見開いて思いっ切り顔を逸らした。
「う、うん……多分……」
自分が何をしていたのか今更ながらに思い出して、顔が熱くなってしまった。
「なら早い方がいいだろうな。あのクソ野郎もさすがにあれだけの攻撃食らった挙げ句、こんなところから落っこちたら、ただじゃすまねぇだろうけど、万が一ってこともあるからな」
そう言って、ルードは自身の背後を振り返った。彼の視線の先には、死闘の末に炎に包まれたフランデルクが落ちていった崖がある。
考えたくはないけど、ルードの言う通り、あの非常識な男があれだけで死ぬとは思えなかった。
何しろ、僕が知る限りあいつはこの森に侵入してくるとき、リヒト・シュテルツ王国と国境を接する山脈から空へと身を躍らせ、遙か上空からこの森の中へと飛び降りてきたはずだから。
あの程度の高さから落ちたところで、到底死ぬとは思えなかった。
それに本来のあいつはあんな魔法障壁のような防御魔法は使ってこなかったから、余計にそう思えた。
本当なら、あいつが使える魔法は光球と雷撃だけだった。それ以外の魔法なんて聞いたことも見たこともない。やはりこの辺も、本来の流れとは食い違っているということだろうか。
ともあれ、そんな正真正銘の怪物であれば、まだ生きていると考えておいた方が賢明だろう。
僕はそう結論づけ、オルファリアと支え合いながら立ち上がったあと、ゆっくりと一人、崖へと歩いていった。そして、遙か下方を見下ろした。数十フェラーム先に樹林が生えている以外は何も見えなかった。火の粉が降ってきたことで火災が起こっているわけでもなく、崖下に消えていったフランデルクが見えるわけでもない。
「ん……? あれは……」
視線を上へと戻した僕は、遙か彼方の空の下に巨大な湖の姿を捉えていた。
少し左手前には小さな湖があり、そこには石碑が建っている。反対に、巨大な湖の右手側――この廃村遺跡から繋がっている切り立った岩山の先の遙か下方に、無数の尖塔のような建物で構成された古い建築物が建てられていた。
悠久のときをこの森でずっと過ごしてきた湖畔の廃城。
「確かあれは、ザーレントの居城だったよな……」
本来の歴史であれば、最終決戦の地へと繋がっている古城。
僕たちはまだ、この森にまつわる秘密を何も解決に導いていない。生死不明のフランデルクや、魔の領域に関する謎。そして、最後にオルファリアの命を奪う恐れのあるシュバッソ。
それらすべての問題を払拭するためには遅かれ早かれ、いずれあそこには赴かなければならないだろう。
「僕は果たして……彼女を守り抜いて、これらの問題を解決に導けるのだろうか……」
胸にのしかかる重圧からか、思わずひとり言のように呟いたときだった。
知らない間に足下に集まっていた小猿たちが、「キキ」っと鳴いた。
彼らは何か忙しなく、しきりに岩壁の方へと合図を送るように、何度何度もそちらを向いていた。
僕はそんな彼らの姿を見て、大事なことを思い出していた。
「そうだった。アーシュバイツさんだよ……」
「ん……? 誰だ、そいつは?」
ラッツィたちと同じように、いつの間にか僕の背後に近寄ってきて、西の空を見つめていたらしいルードがきょとんとした。
「い、いや。なんでもないんだ」
そう応じつつも、僕は妙な胸騒ぎに襲われていた。なぜなら、戦闘中、フランデルクは言っていたはずだ。リヒトの犬を転落死させたと。もしそれが僕が探している騎士団長のことで、本当に死亡していたら。
「ルード! ちょっと調べたいところがある。ついてきてくれ!」
「あ、おい!」
僕は巨漢の返事も待たずに大慌てで走り出した。向かうは岩壁南の林の中。おそらく、そこにある亀裂の更にその向こう側に、求める騎士団長がいるはずだ。
もしあの人が生きてあの場所にいたら、フランデルクが使ってきた僕が知らない未知の障壁についても、何か知っているかもしれない。
僕ははやる気持ちを懸命に抑えながら、一直線にそこへと駆け抜けていった。
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