26.漆黒の狂王2
「バカなっ、どういうことだっ……」
僕は我が目を疑った。あと少しであいつの鎧を刺し貫くという距離にまで切っ先が迫っていたのに、何か目に見えない力で渾身の突きが防がれていたのである。
「くたばれやっ」
体勢を立て直したフランデルクへと、倒れていたルードがなんとか立ち上がって、背後から頭を狙い、大剣を振り下ろした。しかし、やはりキ~ンっという耳鳴りみたいな不快な音が響くだけで、彼の攻撃が身体に届くことはなかった。
「くそっ、なんだこれはっ」
何度も何度も叩き付けるように大剣がフランデルクの背中へと打ち込まれるも、すべてが弾かれてしまった。
あり得ない光景だった。僕の知識にまったくない力だった。奴が繰り出してくる攻撃に、防御魔法なんてなかったはずだ。それなのに、なんで弾かれた?
「バカなっ。こんなことがあるはずがない。こんな現象、僕は知らない……!」
いつの間にか、ベネッサも再び攻撃に加わり、華麗な舞を踊るように二本の曲刀を振るって乱舞したけど、まったくびくともしなかった。
しかも、剣が接触するたびに、奴の身体の中心部分から渦を巻くように、虹色の輝きが身体全体を光らせているようにも見えた。
左右背後からのルードとベネッサの攻撃に加えて、突き入れた剣を引いた僕が、至近距離から炎龍を叩き込んだけど、それでも傷一つ負わせられなかった。
「なんなんだお前はっ」
「知れたこと! 俺こそがっ、かつて古代人たちが為し得なかった存在! 力の結晶であり、人為的に神へと昇華した最も尊き人間なのだっ」
そう叫んだ瞬間だった。奴を中心とした半径数フェラーム圏内に、世界を焼き尽くさんばかりの雷撃が迸っていた。
「がはっ」
全身の細胞という細胞すべてが焼け爛れてしまったかのような、おぞましい衝撃になすすべもなく弾き飛ばされ、そのまま大地に叩き付けられてしまった。
身体のあちこちから白煙が上がり、動かそうとしていないのに、手足が勝手に痙攣している。
僕は朦朧とする意識の中、閉じていた瞼を薄らと開いた。
目の前には、僕を見下ろすように無表情のフランデルクが立っていた。一緒に攻撃していたルードとベネッサがどうなったのかはわからないけど、どこからか、くぐもった声だけは聞こえてきていた。多分、僕と同じように雷撃にやられて死の淵を彷徨っているのだろう。
灰色の髪の大男はしゃがみ込んでくると、右手で僕の首を握りしめ、そのまま宙吊りにした。
既に身体の感覚がなくなっていたからか、不思議と、痛みも苦しみも感じなかった。恐怖すらなかった。
「……さて。余興はここまでだ。お前のその力、我が贄とさせてもらおうぞ!」
フランデルクがそう宣言したときだった。奴の右腕が虹色に輝き、凄まじい力の奔流が僕の中に残っていた命の灯火を根こそぎ持っていこうとした。
幼い頃からずっとがんばり続けてやっと手に入れた魔法の力だったけど、なんの役にも立たなかった。
辛い思いして研鑽してきた剣術や肉体改造も、すべてが無意味だった。あんなにも努力してきたのに、まるで歯が立たなかった。
僕は薄れる意識の中、自分の考えが如何に浅はかだったか思い知らされた。やっぱり、欲をかかずにこの遺跡は素通りして、あの人の元へと向かっていたら。
後悔ばかりが胸をよぎった。おそらく、僕は間もなく死ぬだろう。だけどせめて、あの子だけは。オルファリアだけは助けたかった。
僕は残された僅かな力を振り絞って、右手側を見た。ここから数十フェラーム離れた岩壁のたもとには、言いつけ通り避難して状況を見守っていたオルファリアたち三人がいたけど、彼女たちは……彼女は口元に両手を当てて、美しい切れ長の瞳を大きく見開いているように見えた。今しも泣き出しそうな……いや、実際に頬に光るものが見えたような気がした。
カャトとアーリも、遠目からでもぼんやりとわかるほどに、顔面蒼白で表情を強ばらせているようだった。
僕はそんな彼女たちを見つめながら、力なく微笑み、「ごめん……」と唇を動かした。
まさしくそんなときだった。
「諦めるなっ、リル……!」
力強い男の声が近くから上がっていた。ルードだった。大剣を地面に突き刺し、よろよろの状態で立っていた。
「こんなところで……死ぬわけには、いかないのよっ……」
ベネッサもくぐもった叫びを上げて、剣を杖に立ち上がろうとしていた。本当にこの二人は、どこまでも予想を遙かに上回るタフさを見せてくれる。
僕はそんな二人を見ていたら、失ったはずの気力が再び湧き上がってきたような気がして、口元を綻ばせた。
「僕だって……諦めたくなんかないさ……」
かろうじて絞り出した声と同時に、無意識のうちに動かしていた両手が、フランデルクの右手首を掴んでいた。
「燃え尽きろっ」
「あ……?」
命のすべてを捨てる覚悟で絶叫した僕の声に、フランデルクが眉間に皺を寄せる中、僕は最大級の精霊力を練り上げて一気に爆発させていた。
「なんだとっ」
両手から放たれた爆炎が、ど太い巨漢の右手首を一気に燃え上がらせる。
よくわからないけど、あいつを覆うように展開されていた虹色の障壁のようなものが発動されることはなく、次第に右腕すべてに炎が広がっていった。
もしかしたら、僕の知識にないあの障壁みたいなものは、『精霊神術吸収の禁術』が発動しているときには使えないのかもしれない。
ともあれ、動揺したフランデルクは、掴んでいた僕を離した。どかっと、大地に叩き付けられる僕。それが合図となった。
「今度こそ死んでこいやっ」
雄叫びとともにルードが、ベネッサが、最後の力を振り絞って重い一撃を繰り出した。しかし、僅か数刹那の時間の遅れが災いとなり、張り直された障壁によって攻撃のすべてが防がれてしまった。
「虫けらがああぁぁぁ~~! 神となったこの俺に無礼であるぞっ」
フランデルクは背中を丸めるようにしたあとで、勢いよく身体を後ろへ反らした。その瞬間、ルードとベネッサが、なんらかの衝撃を喰らって後方へと吹っ飛ばされてしまった。見ると、フランデルクの腕を覆っていた炎も雲散霧散していた。
「一巻の……おしまいか……」
僕は仰向けに倒れたまま、近寄ってくる大男を前にして笑うことしかできなかった。
「許さん、許さんぞっ、小僧! 貴様だけは許さんっ。血肉の塊と成り果てるまで、力を吸収し尽くして、殴殺してくれるわ!」
そう叫んで右拳を振り上げてきた。
今度こそ本当に死ぬ。
僕は口元に笑みを浮かべたまま、覚悟を決めた――そんなときだった
「だめぇぇぇ~~~!」
空気を切り裂くような甲高い悲鳴が上がっていた。
僕もフランデルクも、その声の在処を見定めるために右側の岩山へと視線を投げ……そして硬直した。
僕たちの視線の先、そこには、まごうことなきアルメリッサという名の女王と瓜二つの姿をした女神様が顕現していたからだ。
「それ以上、リルに酷いことしないでぇ~!」
慟哭するような悲痛な叫びを上げている一人の美しい娘。
彼女の全身からは虹色に輝く強烈な光が放出されていた。白金色の長い髪が、より一層白さを増し、生き物のように舞い踊っていた。
そして、彼女のその後背には、虹色に光り輝く半透明の巨大な翼が現出していた。
彼女と初めて会ったときに見た、あの美しく光り輝いていた翼。それが顕現していたのである。
「これはっ……なんということだっ。まさかこんなところでっ、伝説上の生き物である幻生獣と相見えようとはっ。これこそ僥倖! これこそまさに神託! 俺は、すべてを超越せし存在へと完全進化する!」
オルファリアの姿を見て、すっかり僕から興味を失った大男が、両手に光球を現出させた。そして、そのままの勢いで一気にオルファリアへと駆けようとする。
僕はそれを見て、おぞましいまでの悪寒に襲われた。このままじゃ、本来の歴史とは違った形でオルファリアが殺されてしまう!
「く……そっ……」
僕はなんとかしてその凶行を食い止めようと、身体に鞭打って上半身を起こした……のだけれど、
「がはっ……な……が……」
急に動きを止めたフランデルクが、手にした光球を自身の手元で爆発させた。それだけでなく、自らの首に両手をあてがい、もがき苦しみながら口から泡まで吹き始めたのである。
「いったい……何が……」
呆然とそれを見守っていた僕は、オルファリアを見つめた。ここからでは遠くてあまりよくわからなかったけど、彼女はどうしようもなく表情を強ばらせ、右手を前にかざしながら、慟哭に全身を震わせているように見えた。
横にも天にも広がる片方だけで二フェラーム(約三メートル)以上ありそうな光の翼を羽ばたかせながら、空へとゆっくり飛翔していく。
翼が揺れ動くたびに、虹色の燐光のようなものが大気に舞い散った。
僕はそれを見て、そうかと気が付いた。
平安の力は自分の体内に宿る精霊力を他者へと分け与えながら、精霊力を操作して傷を修復していく癒やしの力が主だけど、それとは対極の位置に存在する力も持っている。
他者の体内に宿る精霊力を奪い取る、死をもたらす破滅の力。しかも、幻生獣は精霊力を自由自在に操ることに長けた生き物だった。そして、その力をオルファリアは持っている。
ファー姉さんも似たような力を持っていたけど、根本的な力のあり方が異なっている。脳裏に浮かべた映像通りに精霊力を変換させるのが僕たちの力だけど、精霊神術は変換手順に従い精霊力を変換して力を発動する。
姉さんが使っていた精霊力を奪い取る力がどうやって使われていたのかはわからないけど、少なくともオルファリアが使う剥奪の力は精霊神術の理から逸脱していないはずだ。
だとしたら、争い事を好まないオルファリアだったけど、そんな彼女がもし、その変換手順に従い、フランデルクの体内精霊力を外部へと流出させ奪い取ろうとしているのだとしたら。
僕は剣を杖に立ち上がった。あれほど人を傷つけることを嫌がっていた彼女が、僕を助けるためだけに自分の気持ちを押し殺して戦ってくれている。
明確な攻撃の意図を持って、力を行使してくれている。
僕たちが敵を排除することに関しては了解してくれたけど、彼女自らがそれをすることは決して望んではいないだろう。
それなのに、自分の行動によって誰かが死傷したなどということになったら、ひょっとしたら彼女は壊れてしまうかもしれない。そんなの、絶対にダメだ。
これ以上、彼女を苦しませちゃいけない。彼女自らの手で人殺しなんかさせちゃダメだ。だったら僕がこの手で……。
そう思って、一歩一歩、確かめるように歩き始めたのだけれど、まるでそれを阻止するかのようにちびっ子軍団がオルファリアの前に進み出た。
「おいらたちもやるよっ、アーリ! ピューリ!」
「うん~! やるのです!」
「ピュリリ!」
緑の髪の少年と、白銀の髪の少女が互いに手を繋ぎ、空いていた手を前に突き出した。
小さな少年の髪から顔を覗かせた金色の小動物が、頭の上で後ろ足立ちとなって短い前足を突き出す。
「これでも喰らえっ、おいらたちの合体魔法だっ」
「――なのですっ」
「ピュリ~!」
ちびっ子たちがそう叫ぶや否や、目の前で信じられないことが起こった。
僕が放出した炎龍など、ひょろっとした種火にしか感じられないぐらいの巨大な爆炎がフランデルクの足下から天に向かって放出され、火柱と化したのである。
凄まじい勢いで上空へと立ち上っていく竜巻のような業火。それはやがて、絶叫を放つ漆黒の大男をも天へと持ち上げ、そのままの勢いで、廃村遺跡の大地を焦がしながら西の崖へと一直線に突き抜けていった。
そして次の瞬間。崖から飛び出た炎の嵐が大爆発を起こした。
大量に舞い散ったすべての火の粉が崖下へと転落していく。
炎の激流に飲み込まれて火だるまとなったフランデルクもろとも、まるで最初からその場になかったかのように、すべてが下界へと消えていった。
僕は朦朧とした意識でそれを眺めながら、よくわからないけど、ようやくすべてが終わったと安堵し、後ろへと倒れていった。
「リル~~!」
どこからか、悲鳴のような悲痛な叫びが聞こえてきた。地面に激突する前に見開いた視界の中で、血相を変えた世にも美しい女の子が物凄い勢いで宙を滑空してきて、僕を受け止めてくれた。
「やぁ……」
無理して微笑みを浮かべようとした僕に彼女は、
「何してるんですかっ……!」
こぼれ落ちる温かな雫を僕の頬にたくさん落としながらも、ただそれだけを叫んで全身を眩く光らせた。
心地よくてすべてを忘れてしまいそうな安心感。そんな安らいだ気持ちを抱きながら、僕は完全に意識を喪失した。
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